2018年08月16日
房総横断乗車券を使って小湊いすみ鉄道に乗って いすみ鉄道編:大多喜、大原
前回の続き。何とか2時ごろには乗換駅の上総中野へ到着したので、かろうじていすみ鉄道へ乗ることが出来ました。
ちなみにいすみ鉄道は現在社長が退任したために社長募集中って公式HPに書いてありました。
さらば小湊鉄道(右)、こんにちはいすみ鉄道(左)、大体どっちも一緒のレトロ感ですが、いすみ鉄道の車両は古っぽいですがそれなりにきれいで新しい感じ、小湊鉄道はガチ昭和レトロ感満載です。
大多喜(デンタルサポート大多喜)
上総中野から乗ってとりあえず重要地点っぽい大多喜駅へ、ネーミングライツによってデンタルサポートの名前を付けて「デンタルサポート」の名前がついています。しかしデンタルサポートの宣伝効果があるかは全く不明。
車窓から…ずーっとこんな感じの車窓が続きます。
駅前にある大多喜町天然ガス記念館、ここでは天然ガスが発見されたそうです、地元の農民が井戸を掘ったら燃える水が出てきてしまったそうで、それが実は天然ガスだったという話。しかも結構な量が眠っているらしいです。
ちなみにWI‐FIあり。
城下町時代の渡辺家住宅。
房総中央鉄道館…とりあえず横断乗車券があれば100円引きということで一応入ってみました、中身はNゲージおよび千葉県から集めた鉄道グッズの山(主にかつての鉄道で使われた看板とか服とかそういったもの、大体千葉県のもの)が置かれています。たぶん館長の趣味でやっている感じの施設だと思いますが、詳細不明。
その後は大多喜城へ上ります、現在の大多喜城の多くは高校になっています。そのうえが千葉県立博物館の大多喜城分室、つまりこの模擬天守(諸説あり)になってます。中身は大多喜城博物館になってます。
大多喜城…実は大多喜城は天守閣があるかないかよくわかっていないらしく、史料によってあったりなかったりするそうでややこしい状態らしいです。
大多喜城二の丸跡、今はただの公園、周囲には空堀がめぐらされています。
幕末に作られた大多喜水道水路の跡だそうです。
その後は周囲を歩きます、グーグルマップによると栗山城跡とありますが、登り口がわからず。ネットで調べなおすとグーグルマップの栗山城跡よりやや大多喜城側の大多喜県民の森の遊歩道のあたりが昇るのに向いた道らしいです、ここ一帯の山全体が城跡のようでかなり広大の模様。
というか史料の乏しい城らしく、何もわかっていないようですが、戦国期の山城の遺構が見つかっている模様。所謂大多喜城は近世のもので、これはその前にこの地域を支配した真理谷氏、およびそれを破った正木氏(里見氏の配下)の城ではないかということ。
大多喜城と根古屋城の間にあるのが東長寺、どうもかつての真理谷氏(武田氏)、正木氏、さらに本田氏ともかかわりがある模様。
さらに進むと大多喜根古屋城跡があります、ここも城跡らしく、やはり真理谷ないし正木氏とのかかわりが示唆されている城、ここと背後の栗山城跡との関係はよくわからない、大多喜城や栗山城と比べると小さな城跡で、現在は櫓台のみ残されており、周囲を見渡すと単なる小さな丘でしかありません。
この石碑の内容はまず真理谷氏によってこの城が築かれてその後正木氏が入ったことが書かれています。
根古屋城跡櫓台。
国吉(風そよぐ国吉)
今度は国吉駅で降りますが、もう日は傾いてます、しかしまだ暑いです。歩くの辛いです。この国吉駅周辺には3q程歩いたところに万木城という城があるのですが、遠いです、なので行けません。
駅舎内に猫が寝てました、駅のネコかは知りません、私が近づいても一切反応せず。
万木城の手前にある五柱神社および国府台城跡…らしいです。前にはファミマもあります、ここまで行って時間的にも体力的にも万木城に行くのは難しいと判断し撤退しました。
駅付近にある出雲大社の上総の分社。
大原駅
その後国吉駅から終点かつJRとの乗換駅である大原駅に、途中で怪しいムーミンが建っている謎の池があります、場所は上総東と西大原の間。車内のおっさんが突然ソワソワし始めて窓の外を見始めたので何かあるって思ったらムーミンの人形のある怪しい池、写真は撮れず。
ムーミン池も越えて終点の大原駅に到着しました。
乗ってきたムーミン車両。
大原公園前にある大聖寺堰と大聖寺、現在は半分干上がっており堰のそこにある古タイヤなどが見えています。
大原公園内の平和の鐘。
その後さらにあるいて小浜城跡へ到着、現在は小浜八幡神社がてっぺんにあります。浜沿いにある崖の上にあり、さらに生みの方に突き出ている部分や堀切のようにも見える落ち込み部分もあり、城跡というのも納得です。
平坦地は少なく土地も狭く、あまり人は籠れそうにありません。周囲に高台がないため現在は津波の時の避難所でもあるようです。
一応城の由来が書かれた看板もありますが、調べていくとどうも矛盾が多いらしくどういった城化は不明な点が多い模様。
突き出た岬のようなもの、そして下の部分にはわかりにくいですが落ち込みがあり、堀切っぽくも見えます。
現在の神社、地元民の散歩道。
ポイント・注意点
・大多喜駅付近は比較的いろいろあります
・単独のフリーパスもあり
・謎のムーミン池があり、大体上総東より大原よりの地点、探してみよう
ちなみにいすみ鉄道は現在社長が退任したために社長募集中って公式HPに書いてありました。
さらば小湊鉄道(右)、こんにちはいすみ鉄道(左)、大体どっちも一緒のレトロ感ですが、いすみ鉄道の車両は古っぽいですがそれなりにきれいで新しい感じ、小湊鉄道はガチ昭和レトロ感満載です。
大多喜(デンタルサポート大多喜)
上総中野から乗ってとりあえず重要地点っぽい大多喜駅へ、ネーミングライツによってデンタルサポートの名前を付けて「デンタルサポート」の名前がついています。しかしデンタルサポートの宣伝効果があるかは全く不明。
車窓から…ずーっとこんな感じの車窓が続きます。
駅前にある大多喜町天然ガス記念館、ここでは天然ガスが発見されたそうです、地元の農民が井戸を掘ったら燃える水が出てきてしまったそうで、それが実は天然ガスだったという話。しかも結構な量が眠っているらしいです。
ちなみにWI‐FIあり。
城下町時代の渡辺家住宅。
房総中央鉄道館…とりあえず横断乗車券があれば100円引きということで一応入ってみました、中身はNゲージおよび千葉県から集めた鉄道グッズの山(主にかつての鉄道で使われた看板とか服とかそういったもの、大体千葉県のもの)が置かれています。たぶん館長の趣味でやっている感じの施設だと思いますが、詳細不明。
その後は大多喜城へ上ります、現在の大多喜城の多くは高校になっています。そのうえが千葉県立博物館の大多喜城分室、つまりこの模擬天守(諸説あり)になってます。中身は大多喜城博物館になってます。
大多喜城…実は大多喜城は天守閣があるかないかよくわかっていないらしく、史料によってあったりなかったりするそうでややこしい状態らしいです。
大多喜城二の丸跡、今はただの公園、周囲には空堀がめぐらされています。
幕末に作られた大多喜水道水路の跡だそうです。
その後は周囲を歩きます、グーグルマップによると栗山城跡とありますが、登り口がわからず。ネットで調べなおすとグーグルマップの栗山城跡よりやや大多喜城側の大多喜県民の森の遊歩道のあたりが昇るのに向いた道らしいです、ここ一帯の山全体が城跡のようでかなり広大の模様。
というか史料の乏しい城らしく、何もわかっていないようですが、戦国期の山城の遺構が見つかっている模様。所謂大多喜城は近世のもので、これはその前にこの地域を支配した真理谷氏、およびそれを破った正木氏(里見氏の配下)の城ではないかということ。
大多喜城と根古屋城の間にあるのが東長寺、どうもかつての真理谷氏(武田氏)、正木氏、さらに本田氏ともかかわりがある模様。
さらに進むと大多喜根古屋城跡があります、ここも城跡らしく、やはり真理谷ないし正木氏とのかかわりが示唆されている城、ここと背後の栗山城跡との関係はよくわからない、大多喜城や栗山城と比べると小さな城跡で、現在は櫓台のみ残されており、周囲を見渡すと単なる小さな丘でしかありません。
この石碑の内容はまず真理谷氏によってこの城が築かれてその後正木氏が入ったことが書かれています。
根古屋城跡櫓台。
国吉(風そよぐ国吉)
今度は国吉駅で降りますが、もう日は傾いてます、しかしまだ暑いです。歩くの辛いです。この国吉駅周辺には3q程歩いたところに万木城という城があるのですが、遠いです、なので行けません。
駅舎内に猫が寝てました、駅のネコかは知りません、私が近づいても一切反応せず。
万木城の手前にある五柱神社および国府台城跡…らしいです。前にはファミマもあります、ここまで行って時間的にも体力的にも万木城に行くのは難しいと判断し撤退しました。
駅付近にある出雲大社の上総の分社。
大原駅
その後国吉駅から終点かつJRとの乗換駅である大原駅に、途中で怪しいムーミンが建っている謎の池があります、場所は上総東と西大原の間。車内のおっさんが突然ソワソワし始めて窓の外を見始めたので何かあるって思ったらムーミンの人形のある怪しい池、写真は撮れず。
ムーミン池も越えて終点の大原駅に到着しました。
乗ってきたムーミン車両。
大原公園前にある大聖寺堰と大聖寺、現在は半分干上がっており堰のそこにある古タイヤなどが見えています。
大原公園内の平和の鐘。
その後さらにあるいて小浜城跡へ到着、現在は小浜八幡神社がてっぺんにあります。浜沿いにある崖の上にあり、さらに生みの方に突き出ている部分や堀切のようにも見える落ち込み部分もあり、城跡というのも納得です。
平坦地は少なく土地も狭く、あまり人は籠れそうにありません。周囲に高台がないため現在は津波の時の避難所でもあるようです。
一応城の由来が書かれた看板もありますが、調べていくとどうも矛盾が多いらしくどういった城化は不明な点が多い模様。
突き出た岬のようなもの、そして下の部分にはわかりにくいですが落ち込みがあり、堀切っぽくも見えます。
現在の神社、地元民の散歩道。
ポイント・注意点
・大多喜駅付近は比較的いろいろあります
・単独のフリーパスもあり
・謎のムーミン池があり、大体上総東より大原よりの地点、探してみよう
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