2017年03月12日
東急西武線まるごときっぷ3 武蔵国分寺へ(殿ヶ谷戸庭園→真姿の池→国分寺資料館→国分寺→国分寺跡→国分尼寺跡)
国分寺市にある武蔵国分寺跡へ行ってきました。西武のフリーパスなので西武線を使います。
タイトル長いですね。
殿ヶ谷戸庭園
国分寺駅から徒歩2分くらいのところにある庭園、国分寺より先に立ち寄ります。都立庭園の一つで、その中では小ぶりな方です。展示室も有り、それによると元々は三菱財閥の岩崎彦弥太のものだったそうです。
入ってすぐの所。
国分寺のあたりは地形の関係上多くの湧水があったそうです、ここもその一つだそうです。
庭園内は30分も回れば見切れるくらい小ぶりな感じ。
私以外に人は数人程度いました。因みにフリーWi-Fiがあったりします。
国分寺公園→真姿の池
国分寺駅から国分寺跡へ向かうと最初に出てくるのが国分寺公園、ここ自体は普通の大型の公園。国分寺跡の北側に存在します。一応国分寺跡方面への案内板有り。
公園内はこんな感じ。
公園を出てすぐの所にある国分寺北辺区画溝。
真姿の池湧水群、ささやかなスポットで神社と小さな池と湧水があるくらい。
昔はそこらじゅうで水が湧いていたそうですが、開発が進んで枯れていったそうですが、ここはまだ湧き続けているそうです。
国分寺資料館
真姿の池から数分程度で到着、現在の武蔵国分寺と隣接している。手前におたカフェと言うカフェが有り、そこで入場券を購入する形になります。
資料館、展示室は4室の資料館。国分寺の再現模型や国分寺跡から発掘されたもの、それから市内で発掘された遺物。場所柄塔婆とかそういったものが多いです。その他七重の塔のミニチュアも入口付近に有り、他魚が飼育されています。
館内でこの辺の遺跡地図をもらったのですが、かなりの遺跡が埋まっていたようです。
現在の武蔵国分寺
本来の国分寺は分倍河原の合戦でなくなってしまい、新田義貞が寄進して復活したのが今の国分寺。普通のお寺という感じです。
国分寺跡と隣接しています。中には万葉植物園と言うものもあり、境内に多数の植物が植えられています。
武蔵国分寺跡
そしてやっと国分寺跡へ到着。もう日が傾いています。
復元された講堂基壇、奥には金堂の跡が有り。
猫がいます、半端に寒く風も強いためか、風を避けつつ日光浴はしたいと言う感じでこのポジションから動きません。
七重の塔跡。
国分寺跡はかなり広く、建物や農地に分断されつつも広範囲が史跡として認定されているらしく、案内地図を見るとかなり斑模様になっています。グーグルマップを見ても緑色のエリアがかなり斑模様になっています。
国分寺市文化財資料展示室→国分尼寺
国分寺市文化財資料展示室と言うのが国分寺跡と国分尼寺跡の間に有ります。これは遺跡の上に中学校を作る際に急遽発掘してそれを展示している部屋。17時までなので注意。殆ど土器類が主体、あとは寄贈を受けた全国の国分寺の瓦コレクション。
武蔵国分寺は広い武蔵国中で瓦を焼いて集めたそうで、色々な所で焼かれた瓦があるとか。瓦が焼かれた所は登り窯を作るために斜面である事、水が豊富である川沿いである事、薪を集めるために木が多いところ等が条件であったということらしいです。
資料展示室を出たら徒歩数分で国分尼寺跡。
国分尼寺跡の石碑。
国分尼寺の金堂跡だそうです。あとは講堂跡が道で一部が破壊されつつ残っています。
鎌倉街道と祥應寺跡
国分尼寺の裏手は鎌倉街道が通っており、一部が切通しになって保存されています。
鎌倉街道、車両は通行禁止だそうです。
祥應寺跡、かつては国分尼寺の一部とされていたようですが、実は後の時代の別の寺の跡だったということが判明。
結構いろいろと回りましたが、割と近くにいろいろと集まっているために時間はそこまでかかりません。国分寺市の史跡地図みたいなのを見ると、このエリア以外にも何箇所かあるそうですが、遠くてちょっと無理っぽいです。
因みに国府跡は国分寺市の南、府中市に有ります。
その後所沢に戻る
最後に所沢に戻り武蔵野うどん竹國に入ってみます、所沢の店は食べ放題はやっていないそうですが、大盛り無料。つけ汁うどん大盛り+かき揚げで560円。
タイトル長いですね。
殿ヶ谷戸庭園
国分寺駅から徒歩2分くらいのところにある庭園、国分寺より先に立ち寄ります。都立庭園の一つで、その中では小ぶりな方です。展示室も有り、それによると元々は三菱財閥の岩崎彦弥太のものだったそうです。
入ってすぐの所。
国分寺のあたりは地形の関係上多くの湧水があったそうです、ここもその一つだそうです。
庭園内は30分も回れば見切れるくらい小ぶりな感じ。
私以外に人は数人程度いました。因みにフリーWi-Fiがあったりします。
国分寺公園→真姿の池
国分寺駅から国分寺跡へ向かうと最初に出てくるのが国分寺公園、ここ自体は普通の大型の公園。国分寺跡の北側に存在します。一応国分寺跡方面への案内板有り。
公園内はこんな感じ。
公園を出てすぐの所にある国分寺北辺区画溝。
真姿の池湧水群、ささやかなスポットで神社と小さな池と湧水があるくらい。
昔はそこらじゅうで水が湧いていたそうですが、開発が進んで枯れていったそうですが、ここはまだ湧き続けているそうです。
国分寺資料館
真姿の池から数分程度で到着、現在の武蔵国分寺と隣接している。手前におたカフェと言うカフェが有り、そこで入場券を購入する形になります。
資料館、展示室は4室の資料館。国分寺の再現模型や国分寺跡から発掘されたもの、それから市内で発掘された遺物。場所柄塔婆とかそういったものが多いです。その他七重の塔のミニチュアも入口付近に有り、他魚が飼育されています。
館内でこの辺の遺跡地図をもらったのですが、かなりの遺跡が埋まっていたようです。
現在の武蔵国分寺
本来の国分寺は分倍河原の合戦でなくなってしまい、新田義貞が寄進して復活したのが今の国分寺。普通のお寺という感じです。
国分寺跡と隣接しています。中には万葉植物園と言うものもあり、境内に多数の植物が植えられています。
武蔵国分寺跡
そしてやっと国分寺跡へ到着。もう日が傾いています。
復元された講堂基壇、奥には金堂の跡が有り。
猫がいます、半端に寒く風も強いためか、風を避けつつ日光浴はしたいと言う感じでこのポジションから動きません。
七重の塔跡。
国分寺跡はかなり広く、建物や農地に分断されつつも広範囲が史跡として認定されているらしく、案内地図を見るとかなり斑模様になっています。グーグルマップを見ても緑色のエリアがかなり斑模様になっています。
国分寺市文化財資料展示室→国分尼寺
国分寺市文化財資料展示室と言うのが国分寺跡と国分尼寺跡の間に有ります。これは遺跡の上に中学校を作る際に急遽発掘してそれを展示している部屋。17時までなので注意。殆ど土器類が主体、あとは寄贈を受けた全国の国分寺の瓦コレクション。
武蔵国分寺は広い武蔵国中で瓦を焼いて集めたそうで、色々な所で焼かれた瓦があるとか。瓦が焼かれた所は登り窯を作るために斜面である事、水が豊富である川沿いである事、薪を集めるために木が多いところ等が条件であったということらしいです。
資料展示室を出たら徒歩数分で国分尼寺跡。
国分尼寺跡の石碑。
国分尼寺の金堂跡だそうです。あとは講堂跡が道で一部が破壊されつつ残っています。
鎌倉街道と祥應寺跡
国分尼寺の裏手は鎌倉街道が通っており、一部が切通しになって保存されています。
鎌倉街道、車両は通行禁止だそうです。
祥應寺跡、かつては国分尼寺の一部とされていたようですが、実は後の時代の別の寺の跡だったということが判明。
結構いろいろと回りましたが、割と近くにいろいろと集まっているために時間はそこまでかかりません。国分寺市の史跡地図みたいなのを見ると、このエリア以外にも何箇所かあるそうですが、遠くてちょっと無理っぽいです。
因みに国府跡は国分寺市の南、府中市に有ります。
その後所沢に戻る
最後に所沢に戻り武蔵野うどん竹國に入ってみます、所沢の店は食べ放題はやっていないそうですが、大盛り無料。つけ汁うどん大盛り+かき揚げで560円。
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