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三国志 曹操伝 61,62回目

どもども。
なんか長かった成都での戦いに決着です。



本当にもったいない戦でしたね・・・。
曹操と劉禅を隣り合わせちゃダメだったんですね。。。
ストーリー部の長さを知るために次回の戦の本陣まで流すんで解ったのですが、まだ蜀との戦いは続くようです。
内容は観てないので解りませんが、おそらく蜀の残党の殲滅を狙った戦のようです。

今日は蜀の滅亡について少し書きます。

蜀は先主とされる劉備が建国した国ですが、劉備亡き後は劉禅が皇帝に即位します。
彼を支えたのは丞相(総理大臣のようなもの)である諸葛亮です。
諸葛亮は蜀科という法律を作って政策と軍を取り締まります。
この法の厳しさは、軍法をやぶり、大敗した愛弟子の馬謖を死罪にするくらい厳格だったらしいです。
しかし、諸葛亮亡き後、姜維の過度な北伐による国力の衰退と、諸葛亮の跡を継ぎ国政を行った費禕の死後に政治権を握った宦官の黄皓の悪政により、軍も政治もメチャクチャになります。
そんな中、魏の司馬昭の命によりケ艾と鍾会が率いる魏軍の蜀に対する猛攻が始まります。
姜維は剣閣にて魏を迎え撃ちますが、その隙を突いて剣閣を迂回した魏の別働隊が蜀に入り成都に向け進軍を始めます。
これを受けた劉禅は戦わずして降伏しました。

姜維は降伏後、鍾会と内通して魏に反乱を起こし、蜀を再興しようとしますが、これが失敗に終わり殺されました。

蜀の衰退は姜維のせい、というふうな見方が多くされている一方、ゲームなどではやたら美男子で文武両道のナイスガイってことになってますね。
まぁ、美男子だったかどうかはわかりませんが、実際文武両道だったらしいです。

でも、この姜維だけじゃなくて、宦官の黄皓というヤツの方がかなり悪いです。ちなみにコイツは悪評だらけだったので魏の将・ケ艾に殺されるところだったんですが、賄賂を渡して生き長らえています。
まぁ、蜀は劉備が劉章から強奪した国だったので、元より大した事なかったんでしょうね。
次回こそ諸葛亮との決着かな?
ではではノシ

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