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三国志 曹操伝 59,60回目

どもども。
遂に蜀との最終決戦開幕です。




このシリーズ始まってから初の週またぎになりました・・・。
おそらく決着は次週でしょうね。

まぁ、まだギエンやら南蛮軍も登場してないので油断は禁物。
何より諸葛亮との決着をつけないといけませんね。。。

バショクも殺せなかったので多分ヤツは呉に逃げたんでしょう。

今回は曹操一族が出陣ってだけあり、最悪な陣容ですね。。。
使えるのは夏侯惇だけ、息子達と曹仁、曹洪は帰ってもらいたいです。

曹操の子で有名なのは、戦死した曹昴、魏の初代皇帝になった曹丕、詩歌で名を上げた曹植、武に秀でた黄髭こと曹彰、献帝に嫁いだ三姉妹(曹憲、曹節、曹華)あたりがメジャーですが、実際は30名を越える子供がいたと言われています。

曹操亡き後の魏は、諸葛亮の北伐を食い止めた司馬懿は強大な権力と軍事力を手に入れますが、曹爽らによって閑職させられます。
これらの理不尽な待遇を受けた司馬懿は息子らとクーデターを起こし、これが成功して司馬氏は実権を掌握します。
その後、司馬懿は死に、権力は司馬氏内で引き継がれていき司馬昭の息子である司馬炎が実権を握ると、曹奐(魏の5代目皇帝で曹操の孫)から禅譲(帝位を譲ること)を受け、魏に代わり西晋が建国されます。

司馬氏が帝位についたことや、曹爽への報復を危惧した曹氏は、「曹」から「操」へ性を改めた者もいたそうです。

曹操は、偉業だけでなく、恨みや恐れも多く背負っていたことでしょう。
それらは自ら背負い込んだことだから良かったものの、その一族の者は自分の意思とは関係なくそれらを受け継ぐ形となったのでたまらなかったでしょうね・・・。

まぁ、今も昔も、偉大すぎる親を持つと子は大変って所でしょうね。。。

ではではノシ

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