2019年05月31日
注目の野毛「末広」! 焼き鳥は歴史とともに
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野毛人気が相変わらずすごいですね。
確かに野毛には美味しいお店が多い。
飲み歩いて落ち着く雰囲気もある。
若干加熱しすぎのきらいはあるものの、やはり飲みたいと感じる、なにかがこの街にはあるのでしょう。
ところで野毛という街はいつからあるのでしょう?
そもそも昔は何をやっていた街だったのでしょうか。
何と驚くなかれ、昔はここいら有数の漁村だったらしいのですよ!
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家屋数100戸ほどの小さな漁村。
それが野毛でした。
現在の野毛町、花咲町から宮川町にかけて、一部切り立つ崖を有する海岸地帯です。
江戸時代の呼び名は、「武蔵国久良岐群戸部村字野毛浦」。野毛は戸部村の一部であったのですね!
この頃は桜木町駅がある場所も海でした。周囲約36メートル、高さ9メートルの「姥島」と呼ばれる岩礁があったことでもしられています。
その後、横浜開港とともに洲干島周辺と湿地帯だった太田屋新田は埋め立てられ、外国人居留地、太田町などになりました。
さらにその後、野毛浦が鉄道敷設用地として埋め立てられました。
さて、こんな野毛ですが、横浜開港に合わせて道路、「横浜道」の完成により状況は一変します。
野毛の切り通しから野毛坂、野毛本通り、都橋を抜けて吉田橋まで延びる「横浜道」と、埋め立てられた鉄道の軌道沿いにつくられた「新街道」と呼ばれた道路が、野毛を小さな漁村から活気ある繁華街へと発展させました。奉行所や役宅が建ちならび、大田村(現在の日ノ出町)には太田陣屋が設けられます。
明治に入ったころにそうした幕府施設は新政府の手に移り、野毛山には開港後に富を得た生糸などを扱う横浜商人の邸宅がならぶようになりました。
明治期の野毛の風情について、簡潔にまとめている言葉としては、次の大佛次郎の言葉がよいです。
「いまのように商店街がぎっしりと並んだ浮ついたにぎやかさはなく、どこかのんびりとした静かな町だった。東海道からぬける道すじなので、旅人相手の宿屋も数軒残っており、往来に面して、しもた屋(一般の住宅)が多かった。野毛通りの四つ角にある栗原薬局が親せきなので、子供のころはちょいちょい遊びに出かけた。
古本屋も二、三軒あったが、表通りはそれほどにぎやかでなく、むしろ不動尊から吉田町に通ずる道のほうが開けていた。裏街へ一歩入ると外国渡航前の移民宿が多く、いまのようにバーや料理屋は見当たらなかったね」(『横浜今昔』より)
ここで野毛を襲ったのが1923年の「関東大震災」。
関東全域を襲った震災は、野毛にも壊滅的な被害をもたらします。
一直線に地割れが、1丁目から3丁目にかけて走り、一面焦土となった野毛は、官民一体で復興が進められ、いち早く鉄道が復旧しました。
復興の最大の成果は、地主が土地の2割を出した土地の区画整理であった。このときの区画整理でつくられた街区は、そのまま現在の野毛の街に残っています。
狭く複雑な路地や宅地や袋地が区画整理により整えられ、狭いものでも6メートルが確保された道幅のため、人の往来がしやすくなりました。
また、道路に面している場所が多くなり商売の適地も拡大しました。
川幅についても、桜川18メートル、大岡川22メートルと拡張されたので、船による物資の積み降ろしの利便性が向上、これも商業発展に大きく貢献しました。
付近で有名な「野毛山公園」はこのころ、震災復興事業の一環として原善三郎・茂木惣兵衛邸の庭園を中心とした2万7515坪の土地に完成したものです。
しかしその後の第二次世界大戦により、野毛はふたたび焼け野原となってしまうのです。
終戦まもない10月11日の市再建計画において、税務署(現在のにぎわい座)前から花咲町にかけて商店街とすると決定されました。「野毛地区の戦後は、この計画から始まった」と『横浜・中区史』にはあります。
1945(昭和20)年11月10日に、県・市・露天商組合が、野毛の通りに露店をならべて開業したマーケットには、多くの人が集まるようになります。
伊勢佐木町や関内の目抜き通りはアメリカに接収され、元町では遠すぎ、山下町は外国人の本拠地ということから、野毛以外に好都合の場所はなかったからでした。
露店は基本的には闇市です。
戦後は食料品など多くのものが統制下にあり、仕入れることも販売することも禁止されていましたが、「野毛に来れば何でもそろう」と言われたほど、そうした野毛には規制品が充実していました。
生きるために必死だった当時の人たちは、親戚や知人のつてを頼りに鉄道で遠くまで仕入れに出かけ、監視の目をかいくぐって持ち帰り、露店に商品をならべたのでした。
この時の露店を元に野毛は再び発展します。
露店から店舗への発展。国際劇場や映画館の開設。桜木町デパートの開設など、開設、建て替え、取り壊しなどを繰り返し、野毛は現在の形へと変貌してきたのでした。
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このように発展してきた野毛には非常に古くから商売をされている名店が非常に多いです。
余りにも有名な焼き鳥屋さん「末広」、久しぶりにやってきました。
いかにも居酒屋然とした店構えや看板、そそられます。
ここには生ビールはありません。
大瓶ビールを頼んでグラスでいただきます。
ここに来たら「ハツ」「レバ」「かわ」は外せません。
冒頭の写真が「レバ」です。すぐ上の写真は「かわ」。
ただし注文は最低二本。お一人様の場合はすぐにお腹がいっぱいになるので、最初は3品くらいにしておいて、腹具合と相談しながら追加をした方がよいです。
皆さんもぜひ、食べてみてつかあさい。
それでも「レバ」なんかはおかわりしたくなっちゃいますよ。
念のため言っておきますが、入るまで一時間待ちはザラです。
時間には余裕をもってくださいねー。
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ムームードメイン
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