2018年03月12日
不妊治療への伏線A
子宮頸がん発症から3年後、28歳の時。
何回かの検診で再発の様子もなく、もう入院や手術のことも忘れかけていた。
そんなある日の出来事。
明日も仕事だ、もう寝よう。
夜10:00頃、旦那(当時はまだ入籍していない)と一緒にベッドに入り眠りにつきました。
数時間眠ったでしょうか。
真夜中、下腹部の猛烈な痛みで目を覚ましました。
何これ...
体を丸めて痛みをこらえるも、そんな事じゃ和らぐわけもない痛み。
旦那(当時はまだ入籍していない)も起きて来て、お腹をさすってくれますが
ちょっと...
ほっといて欲しい......
それくらい、余裕がありません。
あの日のことを思い出します...
認めたくなかったのか、最初は
盲腸でしょ?きっと...
と現実逃避していましたが、そんな余裕はないほどの切迫した痛み。
しかも、お腹だけじゃなく腰も痛くなってみたり、その内どこが痛いのかすら分からなくなる始末。
水と一緒に痛み止めを流し込み、痛みが引くのを待ちました。
遅い...
薬の効き始めは30分くらいから、って認識していますが
時間が経つのが遅すぎる...
早く効いて楽になりたい......
これ以外は考えませんでした。
寝たのか寝ていないのか、分からない。
そんなうつつの状態で朝を迎え、今度はまっすぐ平和台の産婦人科へ。
ずっと定期検診は受けていたし、再発はない...
今度は何?
何で...?
と思いながらも、診断結果を聞くと
まさかの
妊娠
え...
え......?
どうしよう...
人は想定外のことに直面すると、どうしていいか分からなくなるんですよね。
妊娠が想定外なのではありません。
「よくない妊娠が私の身に起こっている」
これが信じられない
考えられない...考えたくもない。
普通の「おめでた」なら、先生は曇った顔をしない。
こんなお腹の痛みもない。
そんなことくらい、私でも分かります。
ずっと真顔の先生が言いました。
「紹介状を書くので、こちらの病院へ行って下さい」
ここの病院では処置が出来なかったのか、大山にある病院に行ってくださいとのこと。
疑う余地もないはずなのに、何故か
「ちょっと考えます」
と言って一旦帰りました。
そして、紹介状をもらうこともなく
他の病院を探すことにしたんです。
セカンドオピニオン的なものに期待したんでしょうね。
でも当然、結果は同じ。
翌日、池袋南口の産婦人科に行くも
「妊娠...それも子宮外妊娠ですね」
との診断。
平和台の病院での診断があったので、特別ショックは受けませんでした。
一晩経って、事実を受け入れていたのかもしれません。
そして今度こそ紹介状を書いてもらい、諦めてお茶の水にある医科歯科大へ向かいます。
ここに来たのは初めてです。
病院の大きさに、事の重大さを実感せざるを得ません。
そしてそのせいか、凄く院内の景色が無機質に感じる...。
色があって、ないような景色に映るというか。
受付を済ませ待っていると、すぐに呼ばれ診察室へ。
先生が、淡々と説明します。
「左の卵管を取らないといけません」
「でも右側は残るので、自然妊娠は可能です」
説明のあと、すぐに入院と手術日が告げられました。
明後日から入院。
明々後日、手術。
急展開すぎます。
とはいえ早い方がいいんでしょう。
あぁ...
でもやることがいっぱいある...
帰って準備しないと。
旦那(当時はまだ入籍していない)はちゃんと犬にご飯あげれるかな...?
考えることが多すぎて頭が痛くなる...
そしてすぐ入院の日は来ました。
朝、旦那(当時はまだ入籍していない)と一緒に電車でお茶の水駅へ。
予約時間までは少し余裕があるということで、駅前にあるご飯屋で遅めの朝食を取ることに。
2Fにある席に着き、ご飯を食べながら何となく外を見下ろしてみました。
色んな人が、沢山、歩いています。
ぼーっと、そんな景色を見ながら
でも頭の中にあったのは
今から入院して手術だ.....
という現実。
すごく心細いような、ひとりぼっちなような感覚に陥りました...
すぐに時間は過ぎ、予約の時が来ようとしています。
お勘定を済ませ、2人で歩いて病院に向かいました。
入院初日は点滴だけで過ごしました。
明日の手術に備えて。
まだ色々動ける内に、旦那と院内の売店へ。
ナプキンや三角巾などの手術用品セットを買いましたが、肝心のパジャマを持ってき忘れた...
旦那に買って来てと頼んだら、まさかの豹柄.........
と何故か、ピンクベースに赤色の縁取りがある普通のパジャマも買って来てました。
そんな感じで入院初日は過ぎ、手術の日。
手術は午後3:00から。
看護師さんに付き添われ、病室を後にしエレベーターに乗って、手術室がある階へ。
エレベーターの中から旦那が手を振っています。
手術室に入ると、すぐに麻酔。
意識がなくなりました。
手術中、旦那は上の階にある待合室で待ってたみたいです。
そこから見える、レコード屋の看板が物悲しかったとか言っていました。
手術後、わたしがまだ眠っている時
旦那が先生に呼ばれ、こう言われたそうです。
「左の卵管は問題なく取れました」
「ただ、残った右の卵管が詰まっているので自然妊娠は難しいかと...」
これは後日、旦那から聞きました。
特別、何とも思わなかった。
片方の卵管が残っているから
と、楽観視していたのか。
それとも他人事みたいに聞いていたのか。
この手術から3年後、残った卵管も失うことになるんです。
不妊治療への伏線Bに続きます。
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