PSW さんとは自分の鬱の症状, コミュニケーションへの恐怖に関して話し合ってきた.
今回の認知療法では, 今後のためのいい兆しが得られた.
自分の覚え書きとして概略をまとめておく.
これまで認知療法を続ける中でわかってきたのは, 自分の自動的な思考や行動 (考える以前に, 本能的に, 自然に行ってしまう類の思考や行動) は次のようなものだということ.
自分に自信を持てるものが何一つ無い.
常に怯えている.
緊張と不安で身体が硬く強張ってしまう.
マスクをして背中を丸めて人と目を合わせないように縮こまって道の端を歩く.
電話が怖い・ネットが怖い・人の目を見て話せない・声を出すのが怖い.
あまりにも自分は弱く脆い.
周りの人たちに取り返しのつかない迷惑をかけてきた.
自分がいるだけで周囲にとって迷惑.
極めて自己中心的で自分のことしか考えない.
いかに自分が他の人たちに礼を欠いた不愉快な思いをさせてきたか.
何一つ最後までやり遂げられない.
こんな感じ. こうして並べてみるとわかるが,... これは病気だよ.
こういう考えの背後にあるものが何なのか, 明確にはわからないが, 一つ比較的腑に落ちたのは以前の主治医からの診断である.
以前の主治医は何度目かの診察の後, 自分の鬱の症状について次のように説明した.
幼年期から少年期に両親から受けた虐待のせいで「解離」と呼ばれる症状に陥っている.
両親から虐待は受けていませんと反論した.
ところが, あなたは確かに身体的な虐待は受けていないが言葉や態度による精神的な虐待を受けている, 幼児期に虐待を受けた人が罹る PTSD (†) の症状との共通点がいくつか見られる, と言われてしまった.
†: 心的外傷後ストレス障害 (Post Traumatic Stress Disorder).
うーん.
しばらく後に
J.L.ハーマン 著, 中井久夫 訳 『心的外傷と回復』, みすず書房
(Harman, J.L., "Trauma and Recovery")
を読んで何となくわかった.
まるで自分のことが書いてあるみたいだ.
今回の認知療法でこれからに向かっての一つの示唆が得られたと書いた.
今, 振り返ってみると出発点は上の主治医の診断だったのかもなあ, と思う.
解離 という症状が本当に自分に当て嵌まるのかどうかは, 正直なところよくわからない.
けれども 解離 によって引き起こされる逃避から来る諸々の行動と, 自分に関わるいくつかの事柄
・ 記憶の欠如
・ すべてが他人事のような態度
・ 現実離れした幼稚さや一般常識の欠如
・ 人の気持ちを思いやれない鈍感さ
・ 等々
とはかなり対応していると思う.
少なくとも, 自分がひたすら逃げ続けていた, ずっと逃避し続けていたことは間違い無いと思う.
では, 逃げていった自分の片割れは何処に居るのか.
それが前回 ── 今日の時点ではすでに前々回 ── の認知療法での PSW さんとの話し合いがきっかけで, ふとしたことから見つかった (かも知れない) という話.
── この項続く.
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