今日は作業療法で絵を描きに行く.
時間に余裕があったのでちょっとだけ数学をやる. 昨日書いた証明の一部を読み返して曖昧な記述を修正したり打ち間違いを修正したり.
そうしていたらわかってきたのは, 今回の証明のやり方だと, 任意の圏 ($\mathscr{C}$ とする) の骨格 $\mathrm{sk}(\mathscr{C})$ が圏であることの証明を, 元の $\mathscr{C}$ が圏であるという事実からの自然な流れで行えそうだということ. これはいいかも知れない.
一時間ほど数学をやって区切りがついたので弁当を作る.
ご飯の残りを温めて海苔弁当にし, ソーセージを炒め, キャベツをスパイスで炒め, 卵を茹でて弁当箱に詰めてミニトマトと浅漬けを添える.
鬱からの回復に伴って思考力もかなりまともになってきたと思うだが, この程度の料理であっても作るのにやや混乱する.
順番がわからなくなったり, ソーセージとキャベツ炒めのどちらをいつも先に弁当箱に詰めていたのかで途方に暮れたりする. そういった場合に軽いパニックに陥るので, 特に包丁や熱いフライパンを手にしているときには気をつけないと駄目だ.
今日から新しい絵を描き始めた. 作業療法に向かう電車の中で思い付いたイメージで, どうしても描きたい思いがあるので一所懸命やりたい. 描きたい絵が描けるのは幸せだ.
絵が一区切りついて, 弁当を食べ終えて, 午後からまた絵を描くための資料 ── 机と椅子を描きたいので参考となる写真か絵が欲しかった ── を本棚から探していたら, 近くにいたメンバーから皆でカラオケに行くけど一緒にどうですかと誘われた. 自分はいつもほとんど喋らずに一人でやっているのでいきなりそんな誘いを受けたことに驚いた.
申し訳無いけれど声を出したりが怖いので無理です, と断ってしまった. でもそれをきっかけにそのメンバーと音楽の話を少しすることができた.
彼女は椎名林檎や大槻ケンヂ (筋肉少女帯 〜 特撮も) が好きでカラオケでも歌うし, 戸川純も好きだけれど最近はあまり歌わないとか, そんなことを語った.
自分もカラオケに行って歌ったりしていたことがあります, と言った. どうしてあんなことができたのか今ではまったくわからないし信じられないが.
それでも, 二人ともエレファントカシマシが好きだということがわかって盛り上がったり, Cocco さんの歌をすがるように聴いていましたと思い切って話したら「ああ, わかる」という感じで頷いてくれたり楽しかった.
彼女の美術のバックグラウンドは何も知らないのだが, 以前手掛けた雑誌の表紙やポスターなどを見せてもらったことがある. シュールレアリスティックで, しかし全体としての整然とした調和もありすごかった. 人物描写の精確さなどを見ても体系的に美術を学んでいるのではないだろうか.
去年の作品展のときも, 彼女の作品を見るために会場を訪れた人が何人かいた. 詩を書いてアトリエで発表したりもしている.
目標にしている一人.
新しい絵に集中したことと, 自分にしては大量の言葉を話したことで疲れ果て, 帰りの電車の中では寝てしまった.
帰宅して, 感情の揺り戻しのようなものが来て鬱がやや強くなる. あんなに沢山のことを喋ったからだろうが, 幸い寝込むほど苦しくはない.
夕食は冷奴と納豆とご飯.
疲れが激しいのですぐに休む.
タグ:作業療法 絵画 食 海苔弁当 ソーセージ キャベツのスパイス炒め 茹で卵 浅漬け 冷奴 納豆 数学 圏論 圏の骨格 (skeleton) 音楽 カラオケ エレファントカシマシ 大槻ケンヂ 筋肉少女帯 特撮 戸川純 Cocco 椎名林檎 ミニトマト
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今夜も底彦さんのブログを読んでいました。
昔から音楽だけがわたしの友達でした。そういう意味では、本は音楽とは比較になりません。アートもやはりそうです。音楽と映画がわたしの人生の両輪でした。
本でも映画でも音楽でも、読者、視聴者を選びませんからね。わたしのようなものでも観たり聴いたりが許されています。
瀬里香さんはロードバイクという自分の新たな趣味(という域を超えていますね)に没頭していますし、Junkoさんとは、先日の「内なる子供」というコメントのやりとりで、わたしがどうしても彼女の考えを受け容れることが出来ずに、決裂してしまいました。やはり人と長く付き合ってゆくということはわたしにはとても困難なことだと思いました。底彦さんと繋がっているのは、あくまでも底彦さんが、自己主張を抑制し、わたしに合わせてくれているためだと思っています。(迎合という意味ではありません)
そんなときに、以前も書きましたが、ルネサンス時代のミサ曲などを聴いていると、友達はいなくても音楽があると思えるのです。
ですから底彦さんが、時折、本が読める、内容が理解できることを喜んでいらっしゃる気持ちはとてもよくわかります。
昨日読んだ中で、「脳と鬱病」に関する本の紹介がありました。非常にわかりやすく内容が解説されていると感じました。わたしが疑問に思ったのは、「何故抗うつ薬の効き目が出るのが遅いのか」を読んで、しかし、遅いと言っても、1か月2か月継続して服用していても、効果が出ない人がいるのは何故か?ということです。
勿論合う薬合わない薬というものは個人差もあるでしょうが、抗うつ剤といっても100も200もあるのでしょうか?ひとつの薬を2か月試してみても1年間で6種類の薬を飲むことになります。1か月なら12種類です。セロトニンの働き云々が鬱病の原因であるなら、底彦さんは何故こんなにも長く苦しんでいるのでしょうか?
あまりにも無知と言われそうだし、実際そうなのですが、昨日の本の解説を読む限りでは、「鬱病は治る病気」・・・のように読めるのです。
話が逸れてしまいましたが、デイケアのメンバーでバンドを・・・という話も、既にわたしの中では「無理だな・・・」という感じです。
バンドは友達と週末にお茶を飲むと言った感じではできません。
今はただ布団に潜り込んで誰とも会いたくないという感じが徐々に高まりつつあります。
底彦さんのブログは既に廃人のわたしにも読みやすいものです。
下らない書き込みで失礼しました。このような書き込みは返事をするのも大儀でしょうから無視していただいて構いません。
Takeo さんからコメントを頂いてこの日の文章を久し振りに読み直してみました. 当時の体調のこと, 少しでも回復したいと思っていた (焦っていた) ことを思い出しました.
自分はあの頃よりも良くなっているのか, と問い掛けてみましたが答えは出ませんでした.
ある部分では, たとえば鬱病に対する考え方などの面では変化は確かにあってそれは自分にとって良い事と言えるかな, という気がします.
コミュニケーション恐怖も少し軽くなったとも思います.
けれども他の部分, 全体として鬱の苦しみが減ったかという面については何とも言えません. 現在でも苦しいときには動けなくなるほどの堪え難さを感じますし, 下に書いたように音楽を聴くことができなくなってしまいましたし, 一体どうすればこの辛さから解放されるのだろうと思います.
エレファントカシマシ, Cocco 共に今でも好きです. とても. CD も大切に持っています.
ただ残念なことに現在まだあまり音楽を聴くことができません.
このブログにも何処かの文章で書いたのですが, クラシックにせよロック, ポップスにせよ, 一つの曲というのは複雑な構造を持っているようでその情報が頭の中に溢れ返って混乱してしまうのです. 軽いパニックに陥ってしまいます. 2017 年の後半に鬱が徐々に酷くなってからだったと思います.
脳の機能が低下しているのでしょうか. 少し怖いですね.
> 雑談のできない男なのです。
そうなのですね. でも Takeo さんが話したらその話はとても面白いものになるような気がします. 美術や詩・哲学の話題, Takeo さん自身の生きることに対する考え方なども. 少なくとも私は惹き込まれると思います.
この週末は心地よく過ごせました. 天気が良かったことも理由の一つかと思います.
Takeo さんも静かで穏やかな日々を過ごせますように祈っております.
今夜は読書のタグから広がって、過去の投稿をランダムに読んでいます。
タグの一覧があるのですね。大小さまざまなタグがあって、それを見ているだけでも興味深いです。何故「サッポロ一番塩ラーメン」のタグがこんなに大きいのか、ちょっと笑ってしまいました(ごめんなさい)
「丸尾末広」など、へえというタグも。
この時期の底彦さんのブログにはまだ目を通していませんでしたが、「エレファントカシマシ」とか「Cocco」さん、という、名前だけは聞いたことがありますが、曲は一曲も知らないし、どういう音楽なのか、編成は?など、しらないことばかりです。
底彦さんがこういう「今のミュージシャンの曲」を聴いたり歌ったりするというのは、意外でした。わたしの文化・・・というかエンターテインメント関連は20世紀で止まっていますから。
わたしはですから、デイケアでこういう話が出ても、(音楽に限らず映画でもドラマでも本でも)この記事の底彦さんのように話についてゆくことが出来ません。
雑談のできない男なのです。
底彦さんは、今更ながらわたしなどよりずっと柔軟性のある人なんだと改めて認識を新たにしました。
では、健やかで平穏な終末を過ごせますように。
失礼しました。