2020年02月12日
時間の有用性は、自分がどのように過ごすかで充実したものにもそうでないものにも変わる話。
人それぞれ、全く同じ人生を歩んでいる人はいませんよね。しかし、生まれてから同等の長さの時間を過ごす人は多くいます。その長さ自体は人それぞれですが、お互いに同じくらいの長さの時間を過ごしていたとしても、その人にとってそれが充実した満たされた時間であったのかどうかは変わってきます。
さらに、例えれば二人の人間が全く同じ人生と同じ長さの時間を経験したとしても、それが充実した時間であったかどうかはきっと違うであろうと思うのです。
ではなぜ同じ人生と同じ時間を過ごしたとしても、人生の充実度が人によって変わってくるのか・・・今日はそんなお話です。目的に対して向かう道のり(過ごしている時間)が無駄なものになるか、豊かなものになるか。それは考え方、または感じ方一つで変わってきます。
例えば旅、目的地そのものが何より大事であればそこにたどり着くまでのプロセスは無駄に感じてしまいますね。通勤時間というものはその最たるものです。
そこにたどり着くまでの時間を有益なものに感じることができるのならば、それはその人にとって有益なものになります。旅もその目的地までの道中を楽しむことができるのであれば、その時間もまた目的地のそれと同じように充実した時間に変わります。
自分にとって有益な時間を増やそうと、過程を端折ることで無駄を減らしていくという思考が強くなってくると、目的以外の時間を過ごすことが自分にとって無駄なものとして感じるようになってしまいます。
そしてその時間が無駄に、またはそれを越えて苦痛に感じるようになってきてしまうのです。
中にはその無駄と思える時間をどうしても物理的に減らすことが出来ないこともあるでしょう。その時間が多ければ多いほど、自分の人生時間のうち、無駄に感じてしまう時間がどれ程の割合を占めることになるか、
無駄と感じる時間=(イコール)自分の心を満たせない時間
というように、自分の人生時間の中で無駄に感じてしまう時間が多ければ、心を満たせないストレスのようなものが増えてきてしまいます。
その無駄に感じてしまう時間を「自分にとって有益と思える時間」に変換できれば人生は充実していきますね。それは行動で変えるか!気持ちの持ちようで変えるのかはその無駄な時間がどんな時間なのかで変わってきます。
また通勤時間という例で話を進めていきます。例えば片道2時間の電車通勤!!
ギュウギュウの車内で何もできずに揺られる片道2時間は苦痛でしかないですよね。僕も一時期そうでした。片道2時間半、往復5時間の通勤はどうにも無駄に思えてしかたなかったのです。
電車の遅延や乗り継ぎがうまくいかないということがあればさらに無駄と思える時間は増えて、苦痛の度合いは増えますし、有益に使いたい時間も減っていきます。
心も時間も削り続けることになりますね。
そこで、これは誰もがやっていること考えることだとは思いますが、その通勤時間に出来ることをするようにしました。
●電車通勤の時間を有効に使えるであろうリスト
・本や新聞を読む
・スマホなどでニュースや興味のあるサイトを閲覧する。(娯楽・勉強含む)
・音楽を聴く
・通勤方法を変えてみる
ギュウギュウな車内で難しいこともありますが、工夫をすれば上記項目を実行することは可能ですね。上記のどれかに興味がある、または普段の生活で実行しているとして考えた場合、通勤以外の時間でしかできないことはそれを優先的に行い、通勤の時間でも出来ることはその時に行ってしまうことで、有効に使える普段の時間を増やすことができます。しかも、無駄と思えていた通勤の時間にやりたいことを重ねることで、全く無駄な時間ではなくなり、満たされる時間に変わる確率が増えますよね。
通勤方法を変えてみるというのは、距離などいろんな事情によって変わってきますが、距離がそれほど遠くなければ自転車通勤にしてみるというのもひとつの手だと思います。
流石に片道2時間半の電車通勤の時は僕はそうはしませんでしたが、自動車で片道40分の通勤の時は自転車通勤に変えることでメリットはありました。
朝晩の通勤時間帯は道が混むということもあり、片道13キロほどの道のりは、車も自転車も通勤時間にそれほど差がなかったのです。
しかも自転車に乗って、ほどよく体を動かすことで、朝職場に着いてからすぐに行動できるような、体の準備ができている状態で仕事に入れました。
仕事が終わって帰る時も、程よく体を動かすことで、仕事で溜まった心の疲れをリセットできて、家でもリラックスして過ごせたのです。
そうかといって「自転車で行かなければならない!」と決め付けてしまうと、それ自体が苦痛になりかねません。そこは無理なく柔軟にいきましょう。
そうして、行動と気持ちの切り替えができれば、それをきっかけに自分にとって充実した時間を増やすチャンスが増えてきます。
しかし、それでも無駄に感じてしまう時間を過ごさざるを得ないことがあります。それは例えるならば、電車通勤の時間に他のできることをやっていても、それ以外にやりたいことが出来ないことにストレスを感じてしまう場合です。
いくら電車通勤時間に出来ることを実行していたとしても、電車通勤の時間自体を無くせるわけではありません。その奪われている時間そのものに苦痛を感じてしまう、その時間を充実した時間にどうしても変換できないのであれば、もうその時間そのものを削るしかありません。
職種や、住宅・生活事情にもよりますが、職場の近くに引っ越すか、その職場を辞めるかというところになってきますでしょうかね。
ここはなかなか簡単にはいかないかもしれませんが、長い人生のことを考えたらそれもひとつの手だと思います。あとは自分でどのように行動するかです。
それ一つで、自分にとって充実した時間にも、そうでない時間にもなってきます。まずは足掻いてみましょう!!
時間は誰にでも平等に存在しますが、個人の人生として考えた場合、無限に続くものではありません。有限なものです。それをどのように使うか、そして充実した時間をおくるかは、自分で作っていくしかないのですから。
さらに、例えれば二人の人間が全く同じ人生と同じ長さの時間を経験したとしても、それが充実した時間であったかどうかはきっと違うであろうと思うのです。
ではなぜ同じ人生と同じ時間を過ごしたとしても、人生の充実度が人によって変わってくるのか・・・今日はそんなお話です。目的に対して向かう道のり(過ごしている時間)が無駄なものになるか、豊かなものになるか。それは考え方、または感じ方一つで変わってきます。
例えば旅、目的地そのものが何より大事であればそこにたどり着くまでのプロセスは無駄に感じてしまいますね。通勤時間というものはその最たるものです。
そこにたどり着くまでの時間を有益なものに感じることができるのならば、それはその人にとって有益なものになります。旅もその目的地までの道中を楽しむことができるのであれば、その時間もまた目的地のそれと同じように充実した時間に変わります。
自分にとって有益な時間を増やそうと、過程を端折ることで無駄を減らしていくという思考が強くなってくると、目的以外の時間を過ごすことが自分にとって無駄なものとして感じるようになってしまいます。
そしてその時間が無駄に、またはそれを越えて苦痛に感じるようになってきてしまうのです。
中にはその無駄と思える時間をどうしても物理的に減らすことが出来ないこともあるでしょう。その時間が多ければ多いほど、自分の人生時間のうち、無駄に感じてしまう時間がどれ程の割合を占めることになるか、
無駄と感じる時間=(イコール)自分の心を満たせない時間
というように、自分の人生時間の中で無駄に感じてしまう時間が多ければ、心を満たせないストレスのようなものが増えてきてしまいます。
その無駄に感じてしまう時間を「自分にとって有益と思える時間」に変換できれば人生は充実していきますね。それは行動で変えるか!気持ちの持ちようで変えるのかはその無駄な時間がどんな時間なのかで変わってきます。
また通勤時間という例で話を進めていきます。例えば片道2時間の電車通勤!!
ギュウギュウの車内で何もできずに揺られる片道2時間は苦痛でしかないですよね。僕も一時期そうでした。片道2時間半、往復5時間の通勤はどうにも無駄に思えてしかたなかったのです。
電車の遅延や乗り継ぎがうまくいかないということがあればさらに無駄と思える時間は増えて、苦痛の度合いは増えますし、有益に使いたい時間も減っていきます。
心も時間も削り続けることになりますね。
そこで、これは誰もがやっていること考えることだとは思いますが、その通勤時間に出来ることをするようにしました。
●電車通勤の時間を有効に使えるであろうリスト
・本や新聞を読む
・スマホなどでニュースや興味のあるサイトを閲覧する。(娯楽・勉強含む)
・音楽を聴く
・通勤方法を変えてみる
ギュウギュウな車内で難しいこともありますが、工夫をすれば上記項目を実行することは可能ですね。上記のどれかに興味がある、または普段の生活で実行しているとして考えた場合、通勤以外の時間でしかできないことはそれを優先的に行い、通勤の時間でも出来ることはその時に行ってしまうことで、有効に使える普段の時間を増やすことができます。しかも、無駄と思えていた通勤の時間にやりたいことを重ねることで、全く無駄な時間ではなくなり、満たされる時間に変わる確率が増えますよね。
通勤方法を変えてみるというのは、距離などいろんな事情によって変わってきますが、距離がそれほど遠くなければ自転車通勤にしてみるというのもひとつの手だと思います。
流石に片道2時間半の電車通勤の時は僕はそうはしませんでしたが、自動車で片道40分の通勤の時は自転車通勤に変えることでメリットはありました。
朝晩の通勤時間帯は道が混むということもあり、片道13キロほどの道のりは、車も自転車も通勤時間にそれほど差がなかったのです。
しかも自転車に乗って、ほどよく体を動かすことで、朝職場に着いてからすぐに行動できるような、体の準備ができている状態で仕事に入れました。
仕事が終わって帰る時も、程よく体を動かすことで、仕事で溜まった心の疲れをリセットできて、家でもリラックスして過ごせたのです。
そうかといって「自転車で行かなければならない!」と決め付けてしまうと、それ自体が苦痛になりかねません。そこは無理なく柔軟にいきましょう。
そうして、行動と気持ちの切り替えができれば、それをきっかけに自分にとって充実した時間を増やすチャンスが増えてきます。
しかし、それでも無駄に感じてしまう時間を過ごさざるを得ないことがあります。それは例えるならば、電車通勤の時間に他のできることをやっていても、それ以外にやりたいことが出来ないことにストレスを感じてしまう場合です。
いくら電車通勤時間に出来ることを実行していたとしても、電車通勤の時間自体を無くせるわけではありません。その奪われている時間そのものに苦痛を感じてしまう、その時間を充実した時間にどうしても変換できないのであれば、もうその時間そのものを削るしかありません。
職種や、住宅・生活事情にもよりますが、職場の近くに引っ越すか、その職場を辞めるかというところになってきますでしょうかね。
ここはなかなか簡単にはいかないかもしれませんが、長い人生のことを考えたらそれもひとつの手だと思います。あとは自分でどのように行動するかです。
それ一つで、自分にとって充実した時間にも、そうでない時間にもなってきます。まずは足掻いてみましょう!!
時間は誰にでも平等に存在しますが、個人の人生として考えた場合、無限に続くものではありません。有限なものです。それをどのように使うか、そして充実した時間をおくるかは、自分で作っていくしかないのですから。
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