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2017年06月23日
ビルとの忘れられない約束 〜サマーヒル訪問前夜〜 イギリス、ロンドンにて
久々の豆腐料理でシアワセな夕食時間を過ごした私は、後片付けをして、自分の部屋に向かった。
何しろ、明日はあこがれのサマーヒル・スクールを訪問する日だったʕ•̀ω•́ʔ✧
そして、朝6時に出発する駅は、リバプール・ストリート駅という、おそらくこのユースから徒歩と地下鉄で45分くらいはかかりそうなところだった。
切符のこともあるし、4時半にはここを出なければ・・・と、逆算しながら歩いていると、庭のテラス席のテーブルに、キッチンで出会ったビルが座っていた。
あらためてもらったパンのお礼を言うとビルは、よかったらまた少し話をしようと言うので、じゃあ少しだけ・・・と、同じ席に座った。
「なぜ、旅をしているのか?」ということを、ビルはストレートに尋ねてきた。
それで、ヨーロッパの興味がある学校を訪問していると説明した。
すると、「君は教師なのか?」と聞かれたので「Yes」と答えた。
「ぼくは若い頃、農業に興味があった。だから、世界中の農場を訪ねて歩いたことがある。君は、それとまったく同じことをやっている。」
と、あたたかいまなざしで私を見た。
そして、次の一言に、私は自分の耳を疑った。
「もしも、君が日本で学校を作るのならば、僕は英語の教師として、日本に行くだろう。」
・・・ええ?!・・・・( ゚д゚)
私は、びっくりして、唖然としてしまった。
この人は、一体何者だろう? 私は、まだ一言も「学校を作りたい」とは、言ってなかった。
しかし、実際、心ではその夢を追い、そのために今回のこの旅をしているわけなのだが・・・
なぜそのことが分かったのか、そして、会って間もない間柄なのに、なぜ、そんなことが言えるのか私も、思うことをストレートに聞いてみた。
すると、まず一言「インスピレーションだよ。」と言う。
「はいい??(´・ω・`)」
半信半疑で聞いていたが、
彼はとっても真剣で、真面目そのものだった。
そもそも彼はメキシコで英語教師をしていた。
本当は、メキシコにとどまりたかったけれど、政治的事情から、そうはいかなかった。
今は、骨董屋をしているが、本当はもう一度、世界のどこかで英語教師をしたいのだということ。
そして、骨董屋をしている関係で、元々日本に興味があること。
「ぼくがイギリスを離れてまでして、行く条件は4つある。」
一つ一つのキーワードに補足説明をしてくれた内容は以下の通り・・・
多少、意訳っぽい面もあるかと思うけれど・・・
at home アット・ホームで居心地がいいこと
peaple 親切な人々がいること
culture 興味のある文化が享受できること
custom よい風習が浸透していること
そして、「お金よりも、生きがいが大事だ」
というような意味のことも言っていた。
私は私で、自分の理想とする学校がどんな学校か・・・
今、どんな学校に興味があるのかということなどを語り、例によって、ビルは時々私の英語にチェックを入れてくれた。
(明日、朝早いんだけどなあ・・・)と、心で苦笑しながら、どれくらい語っていただろう。
正直、彼の気持ちは素直に嬉しかった。
しかし、あくまで今はまだ「夢」であって、現実味はまったくない。
実現できる保証もない。
でも、その時点でフレネ学校と、サンド・スクールを訪問して、実際の「手作りの」学校を見ていた私は、
「不可能なことではない」という「志」だけは強く持っていた。
それで、ビルには「実現できる保証もないし、できるとしても数年後になるだろう」と言うと、
「分かってる」と・・・「その夢のおかげで、はりあいができる」と、彼は言った。
そして、「数年後に、きっと・・・」と約束をして、彼とは別れた。
明日の朝の準備だけして、ベッドの中に入ったが、何だか少し興奮状態だった。
まだ半信半疑ではあったけれど、思いがけない展開に、夢が夢でなく現実になるのでは・・・というか、現実にしたい・・・という強い気持ちになっていた。
そして、いよいよ明日は、この旅のメイン校である「サマーヒル」訪問!
どうしたって気持ちは高揚してしまって、なかなか寝付けなかった(@_@)
でも、「1日だけ」の訪問なのだから、あまり何から何まで見ようと思わないで、サマーヒルの生活環境をこの目で見て
「子ども達の素顔」に触れられればそれで、満足かもしれない・・・と気負いはなくなり、いつの間にか、眠りに落ちていた(-_-)zzz
(つづく)
ʕ•̀ω•́ʔ✧ 旅の豆知識 ʕ•̀ω•́ʔ✧
今回のお話の宿は、YHAホーランドパーク♪
ホステル、アパートメント、高級ホテル、、、国内、国外どこでも、ご予算とご要望にお応えします^^
実際の旅に役立つ情報編へは、こちら
ヨーロッパの自由学校訪問記 〜情報編〜
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何しろ、明日はあこがれのサマーヒル・スクールを訪問する日だったʕ•̀ω•́ʔ✧
そして、朝6時に出発する駅は、リバプール・ストリート駅という、おそらくこのユースから徒歩と地下鉄で45分くらいはかかりそうなところだった。
切符のこともあるし、4時半にはここを出なければ・・・と、逆算しながら歩いていると、庭のテラス席のテーブルに、キッチンで出会ったビルが座っていた。
あらためてもらったパンのお礼を言うとビルは、よかったらまた少し話をしようと言うので、じゃあ少しだけ・・・と、同じ席に座った。
「なぜ、旅をしているのか?」ということを、ビルはストレートに尋ねてきた。
それで、ヨーロッパの興味がある学校を訪問していると説明した。
すると、「君は教師なのか?」と聞かれたので「Yes」と答えた。
「ぼくは若い頃、農業に興味があった。だから、世界中の農場を訪ねて歩いたことがある。君は、それとまったく同じことをやっている。」
と、あたたかいまなざしで私を見た。
そして、次の一言に、私は自分の耳を疑った。
「もしも、君が日本で学校を作るのならば、僕は英語の教師として、日本に行くだろう。」
・・・ええ?!・・・・( ゚д゚)
私は、びっくりして、唖然としてしまった。
この人は、一体何者だろう? 私は、まだ一言も「学校を作りたい」とは、言ってなかった。
しかし、実際、心ではその夢を追い、そのために今回のこの旅をしているわけなのだが・・・
なぜそのことが分かったのか、そして、会って間もない間柄なのに、なぜ、そんなことが言えるのか私も、思うことをストレートに聞いてみた。
すると、まず一言「インスピレーションだよ。」と言う。
「はいい??(´・ω・`)」
半信半疑で聞いていたが、
彼はとっても真剣で、真面目そのものだった。
そもそも彼はメキシコで英語教師をしていた。
本当は、メキシコにとどまりたかったけれど、政治的事情から、そうはいかなかった。
今は、骨董屋をしているが、本当はもう一度、世界のどこかで英語教師をしたいのだということ。
そして、骨董屋をしている関係で、元々日本に興味があること。
「ぼくがイギリスを離れてまでして、行く条件は4つある。」
一つ一つのキーワードに補足説明をしてくれた内容は以下の通り・・・
多少、意訳っぽい面もあるかと思うけれど・・・
at home アット・ホームで居心地がいいこと
peaple 親切な人々がいること
culture 興味のある文化が享受できること
custom よい風習が浸透していること
そして、「お金よりも、生きがいが大事だ」
というような意味のことも言っていた。
私は私で、自分の理想とする学校がどんな学校か・・・
今、どんな学校に興味があるのかということなどを語り、例によって、ビルは時々私の英語にチェックを入れてくれた。
(明日、朝早いんだけどなあ・・・)と、心で苦笑しながら、どれくらい語っていただろう。
正直、彼の気持ちは素直に嬉しかった。
しかし、あくまで今はまだ「夢」であって、現実味はまったくない。
実現できる保証もない。
でも、その時点でフレネ学校と、サンド・スクールを訪問して、実際の「手作りの」学校を見ていた私は、
「不可能なことではない」という「志」だけは強く持っていた。
それで、ビルには「実現できる保証もないし、できるとしても数年後になるだろう」と言うと、
「分かってる」と・・・「その夢のおかげで、はりあいができる」と、彼は言った。
そして、「数年後に、きっと・・・」と約束をして、彼とは別れた。
明日の朝の準備だけして、ベッドの中に入ったが、何だか少し興奮状態だった。
まだ半信半疑ではあったけれど、思いがけない展開に、夢が夢でなく現実になるのでは・・・というか、現実にしたい・・・という強い気持ちになっていた。
そして、いよいよ明日は、この旅のメイン校である「サマーヒル」訪問!
どうしたって気持ちは高揚してしまって、なかなか寝付けなかった(@_@)
でも、「1日だけ」の訪問なのだから、あまり何から何まで見ようと思わないで、サマーヒルの生活環境をこの目で見て
「子ども達の素顔」に触れられればそれで、満足かもしれない・・・と気負いはなくなり、いつの間にか、眠りに落ちていた(-_-)zzz
(つづく)
ʕ•̀ω•́ʔ✧ 旅の豆知識 ʕ•̀ω•́ʔ✧
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2017年06月22日
すばらしきかな日本食\(^o^)/ キッチンの友、パート2 〜イギリス、ロンドンにて〜
さて、Ashburtonからまたこのユースに戻ってきた日、帰る道すがらで例のミスター・ボール(キッチンの友)に聞いたオーガニックのお店に寄ってみたʕ•̀ω•́ʔ✧
すると・・・ありましたありました・・・かれこれ1ヶ月以上も口にしていない恋しい恋しい「豆腐」ちゃんが・・・(≧▽≦)
1個、1・8ポンド(450円)・・・ゴクリ( ゚д゚)
高いけど、今を逃したら次はいつ食べられるか分からない・・・決心!•̀.̫•́✧
冷や奴と、あとできれば湯豆腐かな?
冷蔵庫にこの間のブナシメジがまだ残っているから、あとは白菜かなにかあれば・・・
近くのスーパーに寄って、さがしてみたが白菜はさすがに量が多すぎて、効率が悪く、となりに似たような菜っ葉が、安く売っていたのでそちらにした。
あと、ネギがなかったので、ワケギらしいものをゲット。
ワクワク♪
ユースに帰って、早速キッチンで豆腐料理!・・・と言っても、冷や奴と湯豆腐では料理とは言えないが・・・(^^ゞ
酢醤油がほしいと思ってキッチンをさがしてみると、バルサミコ酢を発見!
醤油は自分で持っていたので、それで代用・・・だしはなし。シメジと青菜が味を出してくれるだろう。
・・・と、色々している間に、父親くらいの年齢の元気なオジサンが入ってきた。
そして、まず第一に視線は、「豆腐」に注がれた。
日本人である私が豆腐をどうやって調理するのか興味津々という感じだ。
彼は、ビルと言って今は骨董屋をしているが、昔はメキシコで英語の教師をしていたらしく、私が不自然な英語を話すと、すぐに「それは違う」と、正しい英語を教えてくれた。
そして、骨董屋をしている関係で、日本にも興味があるらしかった。
・・・と、色々問答しているうちに、料理はできあがりつつあった。
しかし、うっかりパンを買い忘れたことに気が付いた(・・;)
しまった・・・冷や奴と、ゆで卵と湯豆腐か・・・メニューとしてはちょっと・・・。
色々考えていると、ビルが私の料理の最終仕上がりを見に来た。
そして、何やら一つ一つチェックしている。
「たんぱく質は、卵・・・ビタミンは、野菜・・・」
などとブツブツ言っているかと思うと
「炭水化物が足りない」と言う。
ひえ〜・・・お見通し!・・・(;・∀・)
そしてなんと、自分が持っているパンを二枚、分けてくれた。
(私、何にも言ってないのに・・・すごい!)
大感動・・・(TT)
お返しに豆腐を少し・・・と思ったが、ビルには丁重に断られた(笑)
そして、レストランに行って、大事に大事に味わって食べた(*˘︶˘*).。.:*♡
この時の嬉しさは、日本の南アルプスの山小屋(標高3000メートル)で働いている時に、同僚が重い荷物を背に登って持ってきてくれた豆腐の味を思い出した。
そして、マンガ「美味しんぼ」ではないが、今は日本のお店では稀有になってきている、大豆の味がバッチリ!する本物の豆腐であった\(^o^)/
絶品!! ああ、日本食ってすばらしい・・・
ちなみに、今回の旅では最初で最後の豆腐との出会いであった(笑)
(つづく)
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ヨーロッパの自由学校訪問記 〜情報編〜
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すると・・・ありましたありました・・・かれこれ1ヶ月以上も口にしていない恋しい恋しい「豆腐」ちゃんが・・・(≧▽≦)
1個、1・8ポンド(450円)・・・ゴクリ( ゚д゚)
高いけど、今を逃したら次はいつ食べられるか分からない・・・決心!•̀.̫•́✧
冷や奴と、あとできれば湯豆腐かな?
冷蔵庫にこの間のブナシメジがまだ残っているから、あとは白菜かなにかあれば・・・
近くのスーパーに寄って、さがしてみたが白菜はさすがに量が多すぎて、効率が悪く、となりに似たような菜っ葉が、安く売っていたのでそちらにした。
あと、ネギがなかったので、ワケギらしいものをゲット。
ワクワク♪
ユースに帰って、早速キッチンで豆腐料理!・・・と言っても、冷や奴と湯豆腐では料理とは言えないが・・・(^^ゞ
酢醤油がほしいと思ってキッチンをさがしてみると、バルサミコ酢を発見!
醤油は自分で持っていたので、それで代用・・・だしはなし。シメジと青菜が味を出してくれるだろう。
・・・と、色々している間に、父親くらいの年齢の元気なオジサンが入ってきた。
そして、まず第一に視線は、「豆腐」に注がれた。
日本人である私が豆腐をどうやって調理するのか興味津々という感じだ。
彼は、ビルと言って今は骨董屋をしているが、昔はメキシコで英語の教師をしていたらしく、私が不自然な英語を話すと、すぐに「それは違う」と、正しい英語を教えてくれた。
そして、骨董屋をしている関係で、日本にも興味があるらしかった。
・・・と、色々問答しているうちに、料理はできあがりつつあった。
しかし、うっかりパンを買い忘れたことに気が付いた(・・;)
しまった・・・冷や奴と、ゆで卵と湯豆腐か・・・メニューとしてはちょっと・・・。
色々考えていると、ビルが私の料理の最終仕上がりを見に来た。
そして、何やら一つ一つチェックしている。
「たんぱく質は、卵・・・ビタミンは、野菜・・・」
などとブツブツ言っているかと思うと
「炭水化物が足りない」と言う。
ひえ〜・・・お見通し!・・・(;・∀・)
そしてなんと、自分が持っているパンを二枚、分けてくれた。
(私、何にも言ってないのに・・・すごい!)
大感動・・・(TT)
お返しに豆腐を少し・・・と思ったが、ビルには丁重に断られた(笑)
そして、レストランに行って、大事に大事に味わって食べた(*˘︶˘*).。.:*♡
この時の嬉しさは、日本の南アルプスの山小屋(標高3000メートル)で働いている時に、同僚が重い荷物を背に登って持ってきてくれた豆腐の味を思い出した。
そして、マンガ「美味しんぼ」ではないが、今は日本のお店では稀有になってきている、大豆の味がバッチリ!する本物の豆腐であった\(^o^)/
絶品!! ああ、日本食ってすばらしい・・・
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2017年06月21日
「いつものように、、、」Sands Schoolとの別れ 〜イギリス、Devon州より再びロンドンへ
3日目の訪問を終えた私は、自分へのご褒美で、初日に行った、ちょっと雰囲気のいいお店で夕食を頂き、、、♪
(6.6ポンド=約1500円強)
5月24日(木)出発の日の朝、、、
B&Bの奥さんはいつものように、イングリッシュ・ブレックファーストの代表のような豪華な朝食を用意してくれた。
ゆっくりと味わっていただき・・・(*˘︶˘*).。.:*♡
ご夫婦二人に世話になったお礼を言って、そこを出発した。
まず、学校に寄って別れのあいさつをして、それからバス停に向かった。
「自分が、当たり前のようにそこにいて、これから先もずっとそこにいるような」感覚・・・
以前にそう書いたように、サンド・スクールとの別れは、ごく自然に、まるで明日もここに来るような・・・そんな感じの別れだった。
ジョアンナには、次にサマーヒルに行くということは伝えた。
自分達もいつか行きたいと思っているということと「よい旅をね。また連絡をちょうだい。」と、にこっと笑った。
もう授業は始まっていたので、「Thank You Very Much!See You Again !」
本当にありがとう!また会おうね・・・と、入り口のボードに書き記し、そこから、一歩外に出ると、ちょうどヘイゼル達と出会った。
「もう行くの?」と一言、彼女は言った。
「うん、絶対にまた会おうね」と、私は右手を差し出した。
彼女は、しっかりと握り返してくれた。この一瞬は、切なかった。
でも、いつものように・・・「じゃあね」と、手をふって別れ、バス停に向かった。
実は彼女には、昨日のうちに自分のノートに、メッセージを書いてもらっていた。
内容は
「あなたにとって、ここを訪問することはすごいことだったんでしょうね。
私は、日本が大好き!いつかぜったい日本で勉強したいと願ってます。
あなたに会えて、よかった! 」 ヘイゼルより
・・・という嬉しいものだった(*^^*)
きっと、また会える・・・何だかそう思えてならなかった。
この日は、Ashburton からNewton Abot までバス。
そこから鉄道で、ロンドンのパディントン駅へ。
そして、バスでYHA(ユースホステル)ホーランド・パークのあるハイ・ストリート・ケンジントン・・・
という長い道のりだった。
しかし、見返しても写真が一枚もない・・・おそらく、来る時と同じ景色だったためと・・・起きている時間が短かったためと思われる(^^ゞ
イギリスの交通機関は、正直言って、「ワケがわからん」というのが最初の印象だった。
ガイドブックを熟読して、インターネットで調べて、必要に応じて何とか安い切符を手に入れたりできたけれど・・・「安くて気ままな放浪の旅」にはもっとも向いてない雰囲気が漂っている気がした。
その理由は以下の通り・・・
@ヨーロッパを自由に行き来できるユーレイルパスが使えない。(もっとも、私は持ってなかったが)
*イギリス国内だけのブリットレイルパスが存在する。
A料金が日ごと・時間ごとに変わる変動制で、当日が一番高い。(逆に、早く買えば買うほど安い)
Bネットで、時間を調べるだけなら簡単だが、外国人旅行者が切符を購入するのは難しい。
なぜなら、複数の鉄道会社から選ばないといけないのだが、住んでもいないのにどこの会社がいいかなどわからない上に、クレジット払いの時に、国内の住所が必要となる)
参考までに、イギリス鉄道のサイトのアドレスは・・・
http://www.nationalrail.co.uk
ちなみに安いのは、少なくとも3日以上前に、往復切符を買うこと・・・しかし、予定変更は不可能である。
サンド・スクールに行く時も、金曜当日乗ろうとして、あまりの高さに2日後に変更してもらった。
(おかげで、今度は宿をさがすのに苦労したが、おかげでYHAと出会うことができた。)
もっとも今の私なら、ヨーロッパ鉄道旅行
のページ(日本語)から路線検索しますけどね^^
さて、うんちくはさておき・・・Newton Abot から列車に乗り、予約している席に向かうと・・・
なんと他の人がすでに座っている!
老夫婦のだんなさんの方で、私が自分の切符を見せると、向こうも同じ番号の切符を見せてきた。
「ええ??Σ(゚Д゚)」
私は困った顔をしたが、向こうは「自分に間違いは無い」とばかりにふんぞり返っている。
それ以上何か言う気にはなれなかったので、他の予約の無い席をみつけて座った。(予約がある席には、白いカードが差してある)
おかしいな・・・(?_?)
腑に落ちないまま・・・しかし、気が付くと熟睡していた(。-ω-)zzz. . .
あっという間に(実際は3時間弱)
列車はパディントン駅に到着し、私は寝ぼけた頭のまま改札に向かった。
出口の機械に切符を入れると「ピーッ」と何やらいやな音がして、閉まったまま。
(@@;)??
いかめしい顔の係員が切符を見にやってきた。
そして、「これは今日じゃなくて、2日前の切符だ」と言われた。
なに〜っっ・・・(# ゚Д゚)それで、同じ番号の切符が存在したのか・・・謎は解けた・・・!
いかつい係員は、何気に疑いのまなざし・・・٩(๑òωó๑)۶
どうやら私が故意にそうしたのではという顔だ。
じょーだんじゃない・・・ってゆーか、私は窓口で買う時、ちゃんと日付と曜日を確認したぞ〜ノートにメモもあるし٩(๑´0`๑)۶
と、言ってノートに書いてある日程表を見せた。細かく時間まで書いてある。
すると、その人は、別のもう少し偉そうな係員の方に相談に行き、その係員はじっとノートを見て、
「オオ、ソーリー」と言って、丁寧に出口を開けてくれた。
はあ、ひとまず一件落着・・・(追加料金とられるかと思った・・・^_^;)
何だか一気に疲れが・・・明日の朝は、6時にリバプールストリート駅から、サマーヒルに向かうのだが・・・大丈夫かなこりゃ・・・(;_;
一抹の不安・・・
なにはともあれ、そこからバスに乗って、先週末泊っていた、ユースホステルに向かった。
そこは荷物を半分預かってくれていて(1日1ポンド=約250円)おかげで快適に旅をすることができた。
(つづく)
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(6.6ポンド=約1500円強)
5月24日(木)出発の日の朝、、、
B&Bの奥さんはいつものように、イングリッシュ・ブレックファーストの代表のような豪華な朝食を用意してくれた。
ゆっくりと味わっていただき・・・(*˘︶˘*).。.:*♡
ご夫婦二人に世話になったお礼を言って、そこを出発した。
まず、学校に寄って別れのあいさつをして、それからバス停に向かった。
「自分が、当たり前のようにそこにいて、これから先もずっとそこにいるような」感覚・・・
以前にそう書いたように、サンド・スクールとの別れは、ごく自然に、まるで明日もここに来るような・・・そんな感じの別れだった。
ジョアンナには、次にサマーヒルに行くということは伝えた。
自分達もいつか行きたいと思っているということと「よい旅をね。また連絡をちょうだい。」と、にこっと笑った。
もう授業は始まっていたので、「Thank You Very Much!See You Again !」
本当にありがとう!また会おうね・・・と、入り口のボードに書き記し、そこから、一歩外に出ると、ちょうどヘイゼル達と出会った。
「もう行くの?」と一言、彼女は言った。
「うん、絶対にまた会おうね」と、私は右手を差し出した。
彼女は、しっかりと握り返してくれた。この一瞬は、切なかった。
でも、いつものように・・・「じゃあね」と、手をふって別れ、バス停に向かった。
実は彼女には、昨日のうちに自分のノートに、メッセージを書いてもらっていた。
内容は
「あなたにとって、ここを訪問することはすごいことだったんでしょうね。
私は、日本が大好き!いつかぜったい日本で勉強したいと願ってます。
あなたに会えて、よかった! 」 ヘイゼルより
・・・という嬉しいものだった(*^^*)
きっと、また会える・・・何だかそう思えてならなかった。
この日は、Ashburton からNewton Abot までバス。
そこから鉄道で、ロンドンのパディントン駅へ。
そして、バスでYHA(ユースホステル)ホーランド・パークのあるハイ・ストリート・ケンジントン・・・
という長い道のりだった。
しかし、見返しても写真が一枚もない・・・おそらく、来る時と同じ景色だったためと・・・起きている時間が短かったためと思われる(^^ゞ
イギリスの交通機関は、正直言って、「ワケがわからん」というのが最初の印象だった。
ガイドブックを熟読して、インターネットで調べて、必要に応じて何とか安い切符を手に入れたりできたけれど・・・「安くて気ままな放浪の旅」にはもっとも向いてない雰囲気が漂っている気がした。
その理由は以下の通り・・・
@ヨーロッパを自由に行き来できるユーレイルパスが使えない。(もっとも、私は持ってなかったが)
*イギリス国内だけのブリットレイルパスが存在する。
A料金が日ごと・時間ごとに変わる変動制で、当日が一番高い。(逆に、早く買えば買うほど安い)
Bネットで、時間を調べるだけなら簡単だが、外国人旅行者が切符を購入するのは難しい。
なぜなら、複数の鉄道会社から選ばないといけないのだが、住んでもいないのにどこの会社がいいかなどわからない上に、クレジット払いの時に、国内の住所が必要となる)
参考までに、イギリス鉄道のサイトのアドレスは・・・
http://www.nationalrail.co.uk
ちなみに安いのは、少なくとも3日以上前に、往復切符を買うこと・・・しかし、予定変更は不可能である。
サンド・スクールに行く時も、金曜当日乗ろうとして、あまりの高さに2日後に変更してもらった。
(おかげで、今度は宿をさがすのに苦労したが、おかげでYHAと出会うことができた。)
もっとも今の私なら、ヨーロッパ鉄道旅行
のページ(日本語)から路線検索しますけどね^^
さて、うんちくはさておき・・・Newton Abot から列車に乗り、予約している席に向かうと・・・
なんと他の人がすでに座っている!
老夫婦のだんなさんの方で、私が自分の切符を見せると、向こうも同じ番号の切符を見せてきた。
「ええ??Σ(゚Д゚)」
私は困った顔をしたが、向こうは「自分に間違いは無い」とばかりにふんぞり返っている。
それ以上何か言う気にはなれなかったので、他の予約の無い席をみつけて座った。(予約がある席には、白いカードが差してある)
おかしいな・・・(?_?)
腑に落ちないまま・・・しかし、気が付くと熟睡していた(。-ω-)zzz. . .
あっという間に(実際は3時間弱)
列車はパディントン駅に到着し、私は寝ぼけた頭のまま改札に向かった。
出口の機械に切符を入れると「ピーッ」と何やらいやな音がして、閉まったまま。
(@@;)??
いかめしい顔の係員が切符を見にやってきた。
そして、「これは今日じゃなくて、2日前の切符だ」と言われた。
なに〜っっ・・・(# ゚Д゚)それで、同じ番号の切符が存在したのか・・・謎は解けた・・・!
いかつい係員は、何気に疑いのまなざし・・・٩(๑òωó๑)۶
どうやら私が故意にそうしたのではという顔だ。
じょーだんじゃない・・・ってゆーか、私は窓口で買う時、ちゃんと日付と曜日を確認したぞ〜ノートにメモもあるし٩(๑´0`๑)۶
と、言ってノートに書いてある日程表を見せた。細かく時間まで書いてある。
すると、その人は、別のもう少し偉そうな係員の方に相談に行き、その係員はじっとノートを見て、
「オオ、ソーリー」と言って、丁寧に出口を開けてくれた。
はあ、ひとまず一件落着・・・(追加料金とられるかと思った・・・^_^;)
何だか一気に疲れが・・・明日の朝は、6時にリバプールストリート駅から、サマーヒルに向かうのだが・・・大丈夫かなこりゃ・・・(;_;
一抹の不安・・・
なにはともあれ、そこからバスに乗って、先週末泊っていた、ユースホステルに向かった。
そこは荷物を半分預かってくれていて(1日1ポンド=約250円)おかげで快適に旅をすることができた。
(つづく)
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ヨーロッパの自由学校訪問記 〜情報編〜
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2017年06月20日
テストや通知表(評価)は、どうしているの?〜 Sands School 訪問Bの続き 〜 イギリス、Devon州にて
みんなが「先生達の評価シート」に取り組んでいる時に、ふっと思いついて聞いてみたことがある。
「子ども達の評価」はどうやってなされているのだろう?
ちなみに、ここでは教科書は使う科目もあれば使わない科目もあり・・・特に強制ではないらしい。
そして、テストはといえば、普通の学校のようなテストは行なわれないらしいが、イギリス全体で共通のなんちゃら「EXAM」(試験)というものを子ども達は年中(休み中と9・10月以外)受けているらしく、私が訪問している間も、何人かの子ども達が学校から別の場所で行なわれる「EXAM」に行っていた。
どうやらそれは、進学や就職に重要な意味を持つらしく、学校全体でその試験に対応していた。
(もちろん、受ける受けないは本人の意志にまかされる)
では、評価は?通知票というものは存在するのだろうか?
答えは、「ACADEMIC REPORTS」(教養教科についての報告)というシートが存在するということ・・・、内容は全ての教科について、受けもちの教師が以下のことを記入するものだった。
@Attendance(出席)、Attitude(態度)、Ability(能力)についての4段階評価
Aそれに記述式の空欄が2・3行分
Bその下に総合評価の欄があって、上記の3つに関しての4段階の指標があった。
(出席率がどれくらいか、態度が前向きかどうか、能力がどれくらいあるか・・・といった感じ。)
そして高学年用にもう一枚、記述式でつぎの3つの欄があった。
@「Careers Advice」(職業に関するアドバイス)
A「Disciplinary Procedures」(訓練の手順)*おそらく上記の職業に関すること
B「Health Issues」(健康の問題)
もっともこれは、「保護者への報告」という性質のもので、しかも「能力」に関しては、テストという評価基準もないので、子ども達は、授業で分からなかったことがあっても、後でいくらでもフォローできるチャンスをもらっている。
しかもひとつのクラスがほぼ15人以下というこの学校では、生徒の様子について、先生達はじっくり観察することができる。
もっとも、15人とは言っても、その一人一人の抱えている背景などを考えると、とても「楽」だとは思えない。
始めに書いた通り、色々な事情がありそうな子ども達が多かったから・・・。
そこまで書くと、思い出すのはあるハーフ(日本人とイギリス人)の男の子のことだった。
訪問初日、O2クラス(だいたい16歳くらい)の数学の授業の時のことだった。
一生懸命先生に質問しながら勉強している学生達の横で、彼は「バカばっかり」と日本語で言ったのだった。
もちろん、周りのみんなには彼が言ったことは分からない。
私は驚いたが、授業中だったから、彼に向かってだまって首をふった。
授業が終って
「なぜ日本語が話せるの?」と聞くと、
「日本で生まれ育ったから」ハーフで、ファミリーネームは「シミズ」というらしかった。
そして、その後気になってよく観察していると、彼はどうも他の子ども達と距離を置いているようだった。
気になりつつ、2日目。
今度は、かなり自分の考えをアピールすることにに盛り上がりを見せた授業の後、
「ね?バカばっかりでしょ?」と、話しかけてきた。
反射的に「私は、そんなこと思わない。二度とこの学校の子ども達のこと、そんな風に言わないで!」
と、激しい口調で言っていた。
考えるよりも先に口が動いたという感じ・・・。
すると彼は「だってみんながそう言うんだも〜ん」と、小さい子が言い訳するように、いたずらっぽい顔で去っていった。
そして、それ以後は、見事にこの学校の仲間に溶け込んでいる彼の姿があった。おそらくそれが彼の普段通りの姿なのだろう。
私は、どうやら試されたらしかった。そして、安心されたらしかった・・・。
芝生の上で無防備にお互いにもたれ合っている姿は、「ありのままの自分」でいられる空間・・・そんな
ステキな学校の象徴のようだった。
(つづく)
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2017年06月17日
「水爆弾」とスクールミーティング 〜 Sands School 訪問B 〜 イギリス、Devon州にて
2007年5月23日(水)サンドスクール訪問3日目
この日も天気は快晴・・・というか「いい天気」を通り越してかなり暑かった。
午前中は、いつものように授業を見学させてもらい、「クッキング」の授業が入っていたので、私も一緒に作るのを手伝わせてもらった。
メニューは、「ペンネ・アラビア−タ」と、お菓子だった。
トマト缶を開けるのを手伝ったが、缶切りが日本のものと全く違っていて、初めは使い方がよく分からなかった。
ヘイゼルの相棒・ジョージョーがお手本を見せてくれて、何とかクリア。
全部で80人分くらいの食事を、だいたい3,4人くらいで作るようだ。(毎日違っていて、洗い物の時はもっと多い)
イタリアンの美味しそうな匂いが 漂い始め、あらかた準備ができたところで、私は、他の授業を見に行かせてもらった。
ちょうど、「GEN STUDIES」という授業で、「麻薬」に関するビデオを見ていた。その恐ろしさがどういったものか・・・という。
この授業では、他にも様々なテーマについて、映像を通して現実を知っていくらしい(エイズや環境問題など・・・)
先生が、時々説明を入れ、子ども達は真剣に見てうなずいている。
次は、「科学」の教室に行ってみた。これまた、みんな真剣な表情・・・。
先生が中心というよりも、子ども達と、先生との相互のやりとりで成り立っている。
しかし、途中で入り口とは反対のドアから、この前会ったチャーリーが水風船を片手に騒々しく入ってきた。
その途端、「チャーリー!!」と、先生・・・ではなく、子ども達みんなの叱責の声が飛んだ。
「ごめんごめん」と言って、彼はおとなしく座った。
そこから外に出ると、一人の少年が、大きな丸い板と角材を使って、木工仕事をしていた。
「これは何?」と質問してみたが・・・答えてくれているのだが、残念ながらよく分からなかった(・・;)
そこで話をしているちょうどその時、目の端に何か色のついたカタマリが映ったかと思う間もなく、私の腕に
「ビシャッ」っと当たった。
(何なんだ〜っっ)
「オーッッ!ソーリー!!」と、一人の少年がすっ飛んできた。
腕は少し濡れていたが、大したことはなかった。
そして、ひょっと見上げると隣りの建物の上にチャーリーが水風船を持って立っていた。
顔には笑顔をいっぱいに浮かべて・・・。
「水爆弾がくるぞ」
他にも何人かの子ども達が同じように水風船を持ってあちこちに散らばっていた。
これはこの近くにいたら被害に遭いそうだと、とりあえず、違う場所に避難した。
なんとも楽しそうだが、、、
これは、先生達はどう対処するのだろう?
もちろん、こういったことも「スクール・ミーティング」次第なのだった。
さて、もうすぐスクール・ミーティングということで、事務所ではなにやらたくさんの印刷物が印刷されていた。
実は、この週が終ると来週からはしばらく学校はお休みになる。確か「ミッド・ホリデー」とか言っていたような・・・一週間くらいの短いお休みだそうだ。
そして夏休みはちゃんとまた別に7・8月ほとんど2ヶ月いっぱいの長期休暇となり、子ども達はもちろん先生達も長い休暇に入るらしい。
その話を聞いた時、「日本では、夏休みも学校に仕事に行かなければいけなくて、お盆休みも一週間かせいぜい長くて2週間くらいだ」と言うと
「ええ?!一体子どもがいないのに何をするの?」とびっくりされ、
「そんな所にいないで、イギリスの学校にいらっしゃい」と、冗談まじりに言われた(^^ゞ
実際、ヨーロッパの学校の夏期休暇は、普通の学校でもかなり長い。
そして、学校だけでなく社会全体でキリスト教の「安息日」の教えの影響からか「休むべき時は休む」という主義を徹底している。
だからだろう、ヨーロッパの時間の流れは本当にゆっくりに感じる。そして、何より人との距離が小さく感じた。見知らぬ相手と、話を交わすのも、ごく当たり前のこと・・・。そう、その余裕を彼らは持っているのだと感じた。
さて、二時半になっていよいよみんながミーティングルームに集まってきた。みんな部屋のはしに座って 中心に向かって円をえがくような感じで、思い思いの姿勢でリラックスして座っていた。ほぼ全員が参加しているようだった。
ルールは以下の通り。
@意見がある人は挙手。指名権は議長にある。
Aその意見に対して意見がある場合も挙手。
B教師と生徒は同等な一票と挙手権を持つ。
C決定は多数決の場合もあれば、教師の話し合いに持ち越される場合もある。
そして、議長らしき一人の年長の男子生徒が司会役を務め、会は進められていった。
正直なところ、英語力の関係で、電話の次に苦手なのが、この「会議(ミーティング)」だった。
状況判断ができないからだ。しかし、一生懸命聞いて、所々は何とか理解できた。
それにしてもみんな積極的なこと!挙手の数が多くて、議長が指名を選ぶのに苦労している。
休み前のちょっとした管理の話や、その前に行くキャンプに関してなど・・・教師からも、生徒からも様々な議題が出された。
そしてしばらくたって「水爆弾」のことが出てきた。(やっぱり出た!)
実質的に被害をこうむっているのは、近くの科学棟だった。
最初に意見を言った人は「みんなの迷惑になるから止めてほしい」というもの。
「EXAM(試験)勉強している人にとって特に迷惑」というものもあった。
当事者のチャーリー達の意見は、
「でもこんなに暑いんだから少しくらいいいだろう」
「場所を変えれば問題ないんじゃない?」
中間的意見としては、「森の向こうのグラウンドでやったら?」
「グラウンドが水浸しになるのも困るよ」などなど・・・。
結局、みんなの意見はまとまらす、先生同士の話し合いに持ち越されたようだ。
最後に、今日印刷されていた白い何枚かのプリントが配られ、説明を受け、会は終った。
みんなはそれぞれ、バラバラに散っていき、学校中の様々な場所でその白いプリントと真剣な表情で向き合っていた。
私も見せてもらったが・・・実はこれは「先生に関する評価」だった。
授業を受けている全ての教師について10問ほどの問いがあり、それぞれBad(悪い)からGood(良い)までの5段階の中からの選択性と、別に「コメント・アドバイス」という空欄があって、自由に書けるようになっている。
内容は・・・というと、
「授業の中で、ショーンはみんなを平等に扱いますか?」
「ショーンは、あなたの質問を聞いたり、答えたりしてくれますか?」
「授業の中でショーンの知識についてどのように感じますか」
などなど・・・
「どれくらいの頻度で、これをやるの?」とショーンに尋ねると、
「年に一度」と答えが返ってきた。
思わず「年に一度!」とリピートしてしまった。
(じゃあ、確率としてはすごい時に来たんだ・・・)
この学校の光景として、仲間同士で教えあっている様子や、教師と子ども達が友だちのように親しく色々質問したりしている姿がほほえましいのだが、
この時も、初めてこのシートと向き合っている一番下のグループの子達が
「ねえ、これはどういうふうに書けばいいの?」と質問している様子があちこちで見られた。
子ども達は、「友だちのように」接しながら、ちゃんと教師のことを尊敬し、認めているのだ。
大きな声で叱らなくても、「信頼関係」が成り立ち、「なぜそれをしてはいけないのか」みんなで考え、意見を出し合い、話し合う中で、子ども達はみんな納得する。
「スクール・ミーティング」によって自治が成り立つには、お互いの「信頼関係」が不可欠であり、意思疎通が可能な、小さな学校だからこそできることだろうと思う。そして、先生達の「人間力」も、、、
(つづく)
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トマト缶を開けるのを手伝ったが、缶切りが日本のものと全く違っていて、初めは使い方がよく分からなかった。
ヘイゼルの相棒・ジョージョーがお手本を見せてくれて、何とかクリア。
全部で80人分くらいの食事を、だいたい3,4人くらいで作るようだ。(毎日違っていて、洗い物の時はもっと多い)
イタリアンの美味しそうな匂いが 漂い始め、あらかた準備ができたところで、私は、他の授業を見に行かせてもらった。
ちょうど、「GEN STUDIES」という授業で、「麻薬」に関するビデオを見ていた。その恐ろしさがどういったものか・・・という。
この授業では、他にも様々なテーマについて、映像を通して現実を知っていくらしい(エイズや環境問題など・・・)
先生が、時々説明を入れ、子ども達は真剣に見てうなずいている。
次は、「科学」の教室に行ってみた。これまた、みんな真剣な表情・・・。
先生が中心というよりも、子ども達と、先生との相互のやりとりで成り立っている。
しかし、途中で入り口とは反対のドアから、この前会ったチャーリーが水風船を片手に騒々しく入ってきた。
その途端、「チャーリー!!」と、先生・・・ではなく、子ども達みんなの叱責の声が飛んだ。
「ごめんごめん」と言って、彼はおとなしく座った。
そこから外に出ると、一人の少年が、大きな丸い板と角材を使って、木工仕事をしていた。
「これは何?」と質問してみたが・・・答えてくれているのだが、残念ながらよく分からなかった(・・;)
そこで話をしているちょうどその時、目の端に何か色のついたカタマリが映ったかと思う間もなく、私の腕に
「ビシャッ」っと当たった。
(何なんだ〜っっ)
「オーッッ!ソーリー!!」と、一人の少年がすっ飛んできた。
腕は少し濡れていたが、大したことはなかった。
そして、ひょっと見上げると隣りの建物の上にチャーリーが水風船を持って立っていた。
顔には笑顔をいっぱいに浮かべて・・・。
「水爆弾がくるぞ」
他にも何人かの子ども達が同じように水風船を持ってあちこちに散らばっていた。
これはこの近くにいたら被害に遭いそうだと、とりあえず、違う場所に避難した。
なんとも楽しそうだが、、、
これは、先生達はどう対処するのだろう?
もちろん、こういったことも「スクール・ミーティング」次第なのだった。
さて、もうすぐスクール・ミーティングということで、事務所ではなにやらたくさんの印刷物が印刷されていた。
実は、この週が終ると来週からはしばらく学校はお休みになる。確か「ミッド・ホリデー」とか言っていたような・・・一週間くらいの短いお休みだそうだ。
そして夏休みはちゃんとまた別に7・8月ほとんど2ヶ月いっぱいの長期休暇となり、子ども達はもちろん先生達も長い休暇に入るらしい。
その話を聞いた時、「日本では、夏休みも学校に仕事に行かなければいけなくて、お盆休みも一週間かせいぜい長くて2週間くらいだ」と言うと
「ええ?!一体子どもがいないのに何をするの?」とびっくりされ、
「そんな所にいないで、イギリスの学校にいらっしゃい」と、冗談まじりに言われた(^^ゞ
実際、ヨーロッパの学校の夏期休暇は、普通の学校でもかなり長い。
そして、学校だけでなく社会全体でキリスト教の「安息日」の教えの影響からか「休むべき時は休む」という主義を徹底している。
だからだろう、ヨーロッパの時間の流れは本当にゆっくりに感じる。そして、何より人との距離が小さく感じた。見知らぬ相手と、話を交わすのも、ごく当たり前のこと・・・。そう、その余裕を彼らは持っているのだと感じた。
さて、二時半になっていよいよみんながミーティングルームに集まってきた。みんな部屋のはしに座って 中心に向かって円をえがくような感じで、思い思いの姿勢でリラックスして座っていた。ほぼ全員が参加しているようだった。
ルールは以下の通り。
@意見がある人は挙手。指名権は議長にある。
Aその意見に対して意見がある場合も挙手。
B教師と生徒は同等な一票と挙手権を持つ。
C決定は多数決の場合もあれば、教師の話し合いに持ち越される場合もある。
そして、議長らしき一人の年長の男子生徒が司会役を務め、会は進められていった。
正直なところ、英語力の関係で、電話の次に苦手なのが、この「会議(ミーティング)」だった。
状況判断ができないからだ。しかし、一生懸命聞いて、所々は何とか理解できた。
それにしてもみんな積極的なこと!挙手の数が多くて、議長が指名を選ぶのに苦労している。
休み前のちょっとした管理の話や、その前に行くキャンプに関してなど・・・教師からも、生徒からも様々な議題が出された。
そしてしばらくたって「水爆弾」のことが出てきた。(やっぱり出た!)
実質的に被害をこうむっているのは、近くの科学棟だった。
最初に意見を言った人は「みんなの迷惑になるから止めてほしい」というもの。
「EXAM(試験)勉強している人にとって特に迷惑」というものもあった。
当事者のチャーリー達の意見は、
「でもこんなに暑いんだから少しくらいいいだろう」
「場所を変えれば問題ないんじゃない?」
中間的意見としては、「森の向こうのグラウンドでやったら?」
「グラウンドが水浸しになるのも困るよ」などなど・・・。
結局、みんなの意見はまとまらす、先生同士の話し合いに持ち越されたようだ。
最後に、今日印刷されていた白い何枚かのプリントが配られ、説明を受け、会は終った。
みんなはそれぞれ、バラバラに散っていき、学校中の様々な場所でその白いプリントと真剣な表情で向き合っていた。
私も見せてもらったが・・・実はこれは「先生に関する評価」だった。
授業を受けている全ての教師について10問ほどの問いがあり、それぞれBad(悪い)からGood(良い)までの5段階の中からの選択性と、別に「コメント・アドバイス」という空欄があって、自由に書けるようになっている。
内容は・・・というと、
「授業の中で、ショーンはみんなを平等に扱いますか?」
「ショーンは、あなたの質問を聞いたり、答えたりしてくれますか?」
「授業の中でショーンの知識についてどのように感じますか」
などなど・・・
「どれくらいの頻度で、これをやるの?」とショーンに尋ねると、
「年に一度」と答えが返ってきた。
思わず「年に一度!」とリピートしてしまった。
(じゃあ、確率としてはすごい時に来たんだ・・・)
この学校の光景として、仲間同士で教えあっている様子や、教師と子ども達が友だちのように親しく色々質問したりしている姿がほほえましいのだが、
この時も、初めてこのシートと向き合っている一番下のグループの子達が
「ねえ、これはどういうふうに書けばいいの?」と質問している様子があちこちで見られた。
子ども達は、「友だちのように」接しながら、ちゃんと教師のことを尊敬し、認めているのだ。
大きな声で叱らなくても、「信頼関係」が成り立ち、「なぜそれをしてはいけないのか」みんなで考え、意見を出し合い、話し合う中で、子ども達はみんな納得する。
「スクール・ミーティング」によって自治が成り立つには、お互いの「信頼関係」が不可欠であり、意思疎通が可能な、小さな学校だからこそできることだろうと思う。そして、先生達の「人間力」も、、、
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2017年06月16日
次の訪問先はどこ?!part.2 〜 電話かけまくり大作戦 〜 イギリスにて
サンドスクール3日目の訪問の前に、私にはやらなければならないことがあった。
「次の訪問先と連絡を取ること」これは、旅の間中ずっとある課題だった。
訪問をしながら、次の訪問先と連絡を取りつつ、交通手段、宿などを手配していく。
そして、遅くても2,3週間前には「訪問したい」という打診をしておかないと急な訪問は相手の迷惑になるから、できる限り早目に連絡をするようにしていた。(そうはいかない時もあったが)
手段としては、まず、インターネットで調べてメールを送る。そして必要なら電話で話をする。というパターンだった。
しかし、もともとそんなに英語力があるわけではない私にとっては、「電話」というものはよっぽどの時にしか使わない「最後の手段」だった。
直接会って話をする分には、何とかなる。特に生活に関することは、状況や身振り、相手の表情とかでお互いに言いたいことがある程度理解できる。しかし、顔の見えない電話ではそうはいかない。
しかし、その日どうしても私は、2つの連絡先と、直接話したかった。この町にネットカフェはないし、一つはメールを3度も送っているのに返事がない・・・でもどうしても訪問したい学校だった。
こんな時どうするか。
@まず、前もってノートに自分が伝えたいこと、聞きたいことを細かく英語で書いてみる。
A「Sorry, I am not good speaker of English 」(ごめんなさい、私は、あまりよく英語が話せません。)ということを、話の前に相手に言っておくこと。そうすると相手も、ゆっくりと分かりやすく話してくれる。
Bそして、相手の言ったことが分からなかった場合は「I beg your pardon?」(すみません、もう一度お願いします。sorryだけの時も)と素直に聞くこと・・・分からないことをそのままにすることが一番信頼関係を損ねることになる。
・・・と電話1本かけるのに、すごい大冒険をしたようなエネルギーを使う。
ちなみに、国際電話は普通にかけると大きな出費になるので、使うパターンとしては次のような優先順位でやっていた。
@最も安い方法・・・スカイプ WindowsXP以上のネット環境とマイクつきヘッドフォンが必要
A次に安い方法・・・ブラステル国際電話 ピンコード式(会員のみ・自動クレジット払い)
一般電話と公衆電話から使える
(北欧ではまだ使えなかった)
B同じ国内とか近くの時・・・公衆電話
C何もなくてせっぱつまった時・・・携帯電話
そんなわけで、この時はB&Bの電話を借りて、ブラステルを使った。
まず1つ目、スイスの「エコール・ド・フマニテ」ここがメールの返事がない相手だった。
でも、スイスアルプスという恵まれた環境にある、この寄宿生の学校は、今回の旅の中でもっとも心惹かれる場所の一つだった。
ドキドキしながら電話をすると、どうやら事務所が2つあるらしく、「アメリカ式の方につなぎます」と言われた。(なるほど・・・それで返事が来にくいのだな・・・)
あたたかい声の女性が電話に出てくれた。自己紹介をし、旅の目的を話し、単刀直入に、「訪問したい」旨を伝えると、一瞬の間があった後、「Yes」という返事だった。
(ほんとに?!心の中で大喜び)
どの日がいいか聞いてくれたので、希望の日程(6月の終わり頃夏休み直前)を伝えると、それでOKとのこと・・・やった〜!!
「ほんとに嬉しい。訪問を楽しみにしています。またご連絡します」と言って、電話を切った。やっぱり直接電話してよかった〜(^0^)
次は、サマーヒルだった。
水曜日現在、すでに次の月曜にデンマークのオーフスに向かうべく予約をしていて、予定を組んでいたのだが、どうしても2週間後の訪問日に戻るのは効率が悪く、しかもスイスの予定がはっきりした今、そのさらに次の訪問日となると、これもまた無理が生じるのだった。
こうなると直接交渉しかない。
電話をして、事情を説明すると・・・「あなたは今週の金曜日に来ることができる」と言われた。
「ええ?!ほんとに?!」これは声を大にして言ってしまった・笑
「本当にありがとう!」何度もお礼を言って、楽しみにしている旨を伝えて、電話を切った。
かなり急ぎ足の訪問にはなるけど・・・一番いい形になった・・・。
やっぱり「直接交渉」の威力は大きい。
「電話かけまくり作戦」大成功!私は喜びいさんで、3日目の訪問にでかけた。
(つづく)
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ちなみに、今はこちらの方がオススメかも(^^)
「次の訪問先と連絡を取ること」これは、旅の間中ずっとある課題だった。
訪問をしながら、次の訪問先と連絡を取りつつ、交通手段、宿などを手配していく。
そして、遅くても2,3週間前には「訪問したい」という打診をしておかないと急な訪問は相手の迷惑になるから、できる限り早目に連絡をするようにしていた。(そうはいかない時もあったが)
手段としては、まず、インターネットで調べてメールを送る。そして必要なら電話で話をする。というパターンだった。
しかし、もともとそんなに英語力があるわけではない私にとっては、「電話」というものはよっぽどの時にしか使わない「最後の手段」だった。
直接会って話をする分には、何とかなる。特に生活に関することは、状況や身振り、相手の表情とかでお互いに言いたいことがある程度理解できる。しかし、顔の見えない電話ではそうはいかない。
しかし、その日どうしても私は、2つの連絡先と、直接話したかった。この町にネットカフェはないし、一つはメールを3度も送っているのに返事がない・・・でもどうしても訪問したい学校だった。
こんな時どうするか。
@まず、前もってノートに自分が伝えたいこと、聞きたいことを細かく英語で書いてみる。
A「Sorry, I am not good speaker of English 」(ごめんなさい、私は、あまりよく英語が話せません。)ということを、話の前に相手に言っておくこと。そうすると相手も、ゆっくりと分かりやすく話してくれる。
Bそして、相手の言ったことが分からなかった場合は「I beg your pardon?」(すみません、もう一度お願いします。sorryだけの時も)と素直に聞くこと・・・分からないことをそのままにすることが一番信頼関係を損ねることになる。
・・・と電話1本かけるのに、すごい大冒険をしたようなエネルギーを使う。
ちなみに、国際電話は普通にかけると大きな出費になるので、使うパターンとしては次のような優先順位でやっていた。
@最も安い方法・・・スカイプ WindowsXP以上のネット環境とマイクつきヘッドフォンが必要
A次に安い方法・・・ブラステル国際電話 ピンコード式(会員のみ・自動クレジット払い)
一般電話と公衆電話から使える
(北欧ではまだ使えなかった)
B同じ国内とか近くの時・・・公衆電話
C何もなくてせっぱつまった時・・・携帯電話
そんなわけで、この時はB&Bの電話を借りて、ブラステルを使った。
まず1つ目、スイスの「エコール・ド・フマニテ」ここがメールの返事がない相手だった。
でも、スイスアルプスという恵まれた環境にある、この寄宿生の学校は、今回の旅の中でもっとも心惹かれる場所の一つだった。
ドキドキしながら電話をすると、どうやら事務所が2つあるらしく、「アメリカ式の方につなぎます」と言われた。(なるほど・・・それで返事が来にくいのだな・・・)
あたたかい声の女性が電話に出てくれた。自己紹介をし、旅の目的を話し、単刀直入に、「訪問したい」旨を伝えると、一瞬の間があった後、「Yes」という返事だった。
(ほんとに?!心の中で大喜び)
どの日がいいか聞いてくれたので、希望の日程(6月の終わり頃夏休み直前)を伝えると、それでOKとのこと・・・やった〜!!
「ほんとに嬉しい。訪問を楽しみにしています。またご連絡します」と言って、電話を切った。やっぱり直接電話してよかった〜(^0^)
次は、サマーヒルだった。
水曜日現在、すでに次の月曜にデンマークのオーフスに向かうべく予約をしていて、予定を組んでいたのだが、どうしても2週間後の訪問日に戻るのは効率が悪く、しかもスイスの予定がはっきりした今、そのさらに次の訪問日となると、これもまた無理が生じるのだった。
こうなると直接交渉しかない。
電話をして、事情を説明すると・・・「あなたは今週の金曜日に来ることができる」と言われた。
「ええ?!ほんとに?!」これは声を大にして言ってしまった・笑
「本当にありがとう!」何度もお礼を言って、楽しみにしている旨を伝えて、電話を切った。
かなり急ぎ足の訪問にはなるけど・・・一番いい形になった・・・。
やっぱり「直接交渉」の威力は大きい。
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2017年06月15日
もしかして野宿?!(@_@;) イギリス、カントリーサイド、Devon州、Ashuburtonにて
夏のイギリスの日暮れは遅い。
だいたい22時くらいにやっとお日様が沈み、暗くなるのはもっと後である。
そんなワケで、仕事が終って家に帰った後でも十分明るくて、散歩や軽いハイキングを楽しむことができる。
その代わり、天気が悪い時は夏でもセーターを必要とするほど寒くなることもあるし、冬は逆のパターンということなのだろう。
2日目の訪問を終って19時頃に帰ってきた私は、あんまりいい天気なので、朝みつけたあの気持ちのいい草原にもう一度行ってみたくてたまらなくなった。
そこで、町のインド料理店でテイクアウトをして、ついでに小さなお店でバナナなどを買い足して、ルンルン気分であの場所に行ってみた(*゚∀゚)
すると、すでに何人かの町の人々が、草の上でくつろいでいた。中の一人が軽く手をあげて挨拶してくれた。
(遠めではっきりと分からなかったが、どうもサンド・スクールのスタッフの一人だったような・・・)
他にも犬を連れた人が何人も、気持ちよさそうに(犬がシアワセそうなこと!)側を歩いていった。
私はベンチに腰掛けて、持ってきたお弁当(?)を食べ始めた
・・・が・・・「あ、味がない・・・。」
節約のために、チャーハンらしき一品(500円くらい)しか買わなかったのだが、実はカレールーとセットで食べるご飯だったようだ(^^ゞ
・・・というワケで、途中でギブアップしてしまった。
まあ、景色がご馳走だ・・・と、そのまま1時間くらいぼーっっと、その景色に見とれながら日暮れを待っていた。
やっぱり、素敵な風景だな〜(*´ω`*)
しかし、なかなか日は沈まない上に、天気が良すぎて雲がない。
これでは、雲同士が染まる夕陽はのぞめないだろうと、20時半くらいに、あきらめて家に帰ることにした。
そして、いつものB&Bに辿り着き、入り口を開けようとしたが・・・カギが・・・ない・・・!!
どうやら自分の部屋に置いたまま出てきてしまったようだ。
いつもならご夫婦が中にいるはずだが、今日はどうも留守らしい。
しかも、夜はどこにいるとか何も知らない。
・・・なんてこったい・・・っっ(# ゚Д゚)
とりあえず、他に入り口がないかウロウロしてみたり、隣りの家の人に彼らがどこに行っているか、知らないかを尋ねてみたりしたが、やっぱり誰も知らない・・・。
このまま、明日の朝まで帰ってこなかったら・・・ど〜しよ〜。・゚・(ノД`)・゚・。
しかし、ジタバタしてもしかたがない。
例によって「神様は私に何をしろと言ってるのだろう?」(ちなみに普段は無宗教)と考えることにした。
そして、「ゆっくり夕陽を見てきなさいってことかも・・・」
と思うことにして、再びあの草原に向かった。
そこでしばらくゆっくりしていたが、さすがに夜22時ともなると風が冷たくなり、
しかもさっきあまり食べなかったので、お腹がすいてきた。
「まだあのお店開いてるかな?」と、今度は町のインド料理店に行った。
「おや、また来たのかい?」とおじさんは笑顔で迎えてくれた。
カレーを注文して、しばらく待った。小さなお店だけど、お客さんはけっこうきているようだった。
カレーの香ばしい匂いをプンプンさせながら、「そろそろ帰ってきてないかな?」とB&Bに向かったが、残念ながら変化なしだった。
また上に行くには少し寒すぎた。
ありがたいことには、一つ目のドアは開けることができる。問題は二つ目のドアなのだった。
しかし、全くの「外」ではないだけマシだった。いざとなったら、ここで寝ればいい。
「はあ、お腹すいた・・・」
仕方がないので、その小さなスペースに座って、カレーのふたを開け、一口・・・
その時、見慣れた車がやってきた!
大急ぎでカレーをしまい(さすがに恥ずかしい^^”)、私は、まるで子どものように出迎えたヽ(^。^)ノ
「さてはカギを忘れていったのね?」と奥さん・・・
「帰ってこないかと心配した。会えて本当に嬉しい!(≧▽≦)」と笑顔で答えると、
奥さんはカギをあけながら「今日は親戚の家に行っていたの。長い時間待った?」
「いいえ、ついさっき散歩から帰ってきたところだったから大丈夫」と答えた。
入った瞬間、奥さんに「あなたここでご飯食べてたの?」と聞かれた。(ばれたか・・・)
自分の部屋で続きを食べようと思っていたが「食べるなら、キッチンでゆっくり食べなさい」と、自分の子を叱るような調子で言われたので、おとなしくその通りにした。
奥さんは、飲み物も出してくれた。
しみじみと、屋根のあるところでふかふかのベッドに寝られるありがたみを感じながら
「家っていいな〜(*˘︶˘*).。.:*♡」と奥さんの優しさに涙が出そうな、そんな夜だった。
(ちなみに、カギはやはり自分の部屋にしっかりと置いてあった)
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そんなワケで、仕事が終って家に帰った後でも十分明るくて、散歩や軽いハイキングを楽しむことができる。
その代わり、天気が悪い時は夏でもセーターを必要とするほど寒くなることもあるし、冬は逆のパターンということなのだろう。
2日目の訪問を終って19時頃に帰ってきた私は、あんまりいい天気なので、朝みつけたあの気持ちのいい草原にもう一度行ってみたくてたまらなくなった。
そこで、町のインド料理店でテイクアウトをして、ついでに小さなお店でバナナなどを買い足して、ルンルン気分であの場所に行ってみた(*゚∀゚)
すると、すでに何人かの町の人々が、草の上でくつろいでいた。中の一人が軽く手をあげて挨拶してくれた。
(遠めではっきりと分からなかったが、どうもサンド・スクールのスタッフの一人だったような・・・)
他にも犬を連れた人が何人も、気持ちよさそうに(犬がシアワセそうなこと!)側を歩いていった。
私はベンチに腰掛けて、持ってきたお弁当(?)を食べ始めた
・・・が・・・「あ、味がない・・・。」
節約のために、チャーハンらしき一品(500円くらい)しか買わなかったのだが、実はカレールーとセットで食べるご飯だったようだ(^^ゞ
・・・というワケで、途中でギブアップしてしまった。
まあ、景色がご馳走だ・・・と、そのまま1時間くらいぼーっっと、その景色に見とれながら日暮れを待っていた。
やっぱり、素敵な風景だな〜(*´ω`*)
しかし、なかなか日は沈まない上に、天気が良すぎて雲がない。
これでは、雲同士が染まる夕陽はのぞめないだろうと、20時半くらいに、あきらめて家に帰ることにした。
そして、いつものB&Bに辿り着き、入り口を開けようとしたが・・・カギが・・・ない・・・!!
どうやら自分の部屋に置いたまま出てきてしまったようだ。
いつもならご夫婦が中にいるはずだが、今日はどうも留守らしい。
しかも、夜はどこにいるとか何も知らない。
・・・なんてこったい・・・っっ(# ゚Д゚)
とりあえず、他に入り口がないかウロウロしてみたり、隣りの家の人に彼らがどこに行っているか、知らないかを尋ねてみたりしたが、やっぱり誰も知らない・・・。
このまま、明日の朝まで帰ってこなかったら・・・ど〜しよ〜。・゚・(ノД`)・゚・。
しかし、ジタバタしてもしかたがない。
例によって「神様は私に何をしろと言ってるのだろう?」(ちなみに普段は無宗教)と考えることにした。
そして、「ゆっくり夕陽を見てきなさいってことかも・・・」
と思うことにして、再びあの草原に向かった。
そこでしばらくゆっくりしていたが、さすがに夜22時ともなると風が冷たくなり、
しかもさっきあまり食べなかったので、お腹がすいてきた。
「まだあのお店開いてるかな?」と、今度は町のインド料理店に行った。
「おや、また来たのかい?」とおじさんは笑顔で迎えてくれた。
カレーを注文して、しばらく待った。小さなお店だけど、お客さんはけっこうきているようだった。
カレーの香ばしい匂いをプンプンさせながら、「そろそろ帰ってきてないかな?」とB&Bに向かったが、残念ながら変化なしだった。
また上に行くには少し寒すぎた。
ありがたいことには、一つ目のドアは開けることができる。問題は二つ目のドアなのだった。
しかし、全くの「外」ではないだけマシだった。いざとなったら、ここで寝ればいい。
「はあ、お腹すいた・・・」
仕方がないので、その小さなスペースに座って、カレーのふたを開け、一口・・・
その時、見慣れた車がやってきた!
大急ぎでカレーをしまい(さすがに恥ずかしい^^”)、私は、まるで子どものように出迎えたヽ(^。^)ノ
「さてはカギを忘れていったのね?」と奥さん・・・
「帰ってこないかと心配した。会えて本当に嬉しい!(≧▽≦)」と笑顔で答えると、
奥さんはカギをあけながら「今日は親戚の家に行っていたの。長い時間待った?」
「いいえ、ついさっき散歩から帰ってきたところだったから大丈夫」と答えた。
入った瞬間、奥さんに「あなたここでご飯食べてたの?」と聞かれた。(ばれたか・・・)
自分の部屋で続きを食べようと思っていたが「食べるなら、キッチンでゆっくり食べなさい」と、自分の子を叱るような調子で言われたので、おとなしくその通りにした。
奥さんは、飲み物も出してくれた。
しみじみと、屋根のあるところでふかふかのベッドに寝られるありがたみを感じながら
「家っていいな〜(*˘︶˘*).。.:*♡」と奥さんの優しさに涙が出そうな、そんな夜だった。
(ちなみに、カギはやはり自分の部屋にしっかりと置いてあった)
(つづく)
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2017年06月13日
緑の芝生の上で、、、 〜 Sands School 訪問A 〜 イギリス、Devon州にて
2007年5月22日(火) サンドスクール訪問2日目
この日は、午前中の休み時間(11:00〜15分間)明けから訪問させてもらった。
学校に向かって町を歩いていると、サンドスクールの学生らしい2人組の女の子が「ハーイ!」と笑顔で挨拶してくれた。
どうやら町のお店に買い物に行っているようだった。
時間割では、ドラマ(劇)という授業があって、しかも初日で仲良くなったヘイゼル達のクラス(Y3:14歳くらい)だったから、じっくり見せてもらうつもりで早々にその部屋で待っていた。
しかし、なかなか始まらない。担当はメリルという年配の女性だった。(彼女も20年ほどこの学校で教師をしているらしい)
そのうち何人かが集まってきたが、最後の2人は10分ほど遅れて入ってきた。
それはまさにさっき町で出会った2人組だった。
そして、さらにそれから10分ほど・・・彼女らはメリルの怒りに満ちたお説教を聞くハメになった。
(この旅の中では、後にも先にも、お説教らしいお説教はこれ1回くらいだったと思う)
どうやら、あの2人はアイスクリームを買いに行っていたらしい。
そして、劇の方はというと・・・もうすぐ発表会をしなければならず、一刻の猶予もならないという感じだった。
「あなた達は事の重要さをわかっていない」と、メリルはしめくくった。
そして、それを間で聞いていた一人が「だったら、さっさと練習しよう。この時間がもったいないよ」と言って、練習は開始された。
さすが、それまでゆったりしていた雰囲気が、役に「入る」とともに真剣モードに切り替わった。
演じる人数は、6人、舞台はどうやら第二次世界大戦、ナチスドイツ支配下にある強制収容所らしかった。
「私は、私たち家族は幸せだった。戦争が、ナチスが来るまでは・・・」
ナチスの兵隊役のヘイゼルの演技は、特に見事なものだった。
堂々と、憎らしいまでにその悪役ぶりを表現してみせた。
そして、囚人役の子達もまた。自由をうばわれ、いつ死をむかえるか分からない悲痛さを、体いっぱいで表現していた。
メリルの指導は、なかなか手厳しかった。時には自ら、舞台に上がった。
私から見れば子ども達は十分がんばっていたように見えたが・・・メリルにとっては不満足な瞬間があった。
一人の子の「おなら」で、緊張の糸がゆるみ、みんなが笑い出してしまったのだ。
別にバカにするでもなく、ただ単に楽しんでいるように見えたが・・・メリルにとっては笑い事ではなかった。
「あなた達には真剣さが足りない」と、一喝・・・時間がきて、子ども達は不満そうに部屋を出て行った。
私自身の感想(子ども達の演技に圧倒されたこと)をメリルに伝えて、私も部屋を出た。
次は、その隣りの部屋でショーンを中心にミーテイングらしいものが開かれていた。
私が入ってもいいのかどうか少し迷ったが、大丈夫な様子だった。
メンバーは、いつものクラスの集まりではなく、ぞれぞれバラバラだった。
後で分かったことだが、これは「スクール・ミーテイング」の前の「どんな課題があるか」といった、事前討議だった。
さすがに何もなしでいきなりだと効率が悪いからとのこと・・・。つまりここにいたのは、各グループの代表ということになる。
内容がすべて理解できたわけではないが、なるほど、小さな学年の子も臆せず、言いたいことを言っていた。
そして、それぞれに「責任」というものをしっかり意識していた。時々、先生達のことも話題にのぼっていた。
ちなみにさっきのドラマの件も、Y3の代表の子がメリルに対する不満を打ち明けていた。
学校で起こっていることはみんなで共有できるというわけだ。
最後にショーンが、「だいたい内容はこれくらいかな」としめくくり、
「今日は天気がいいから、芝生を楽しんでおいで」とみんなに声をかけ、解散した。
この日は、本当にお天気がよくて、ランチはみんな外の芝生の上やテラスで食べていた。
空はどこまでも青く、時々白い雲が筋状に流れていて、上空の風の強さをうかがわせた。
ぽかぽかの陽気・・・芝生の上にお互いにもたれ合いながら横になったり、ギターを弾いている姿もある。
大地のあたたかさと、仲間の体温に触れることで、子ども達の心は安定しているように見えた。
あまりにシアワセそうなので、見ている私もうれしくなる光景だった。
さて、午後のアートの授業を見学していた時のことだった。
どうやら最近入ったばかりらしい女の子のそばに母親らしき女性が座っていた。
興味をひかれてじっと見ていると、彼女の方も、日本人である私の方に興味を示しているようではあった。
しばらく自分の娘の様子を見て、話をした後で、彼女は席をたって外に向かった。
私は、せっかくなので彼女の後を追って「ちょっとだけお話できますか?」とたずねると、「Yes」と言ってくれた。
単刀直入に、この学校のことをどう思っているかを聞いてみた。
「娘は気に入ったみたいだし、私もいい学校だと思うわ。」
たとえばどんなところがかを聞いてみた。
「ここでは何でもスクール・ミーティングで決められるの。先生も、生徒も平等な一票を持っているのよ」
そして彼女は、逆に私に、質問してきた。
私は、自分の旅のことを話した。
すると彼女は「すばらしい!」と言って、
「私も、娘のために色々な学校をまわって、見てみたの。そして、娘と二人でここに決めたのよ。
彼女がここを気に入ってくれてよかったわ。」
そして「シュタイナー学校にはもう行った?」と聞かれた。
「いいえ、知らなかった。ここにもあるの?」
と聞くと、彼女はうなずいて、住所と電話番号を書いたメモをくれた。お礼を言って、彼女とは別れた。
*切符と日程の都合で、ここでは訪問できなかったが、この後、ちょこちょこと耳にすることになる。
(つづく)
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学校に向かって町を歩いていると、サンドスクールの学生らしい2人組の女の子が「ハーイ!」と笑顔で挨拶してくれた。
どうやら町のお店に買い物に行っているようだった。
時間割では、ドラマ(劇)という授業があって、しかも初日で仲良くなったヘイゼル達のクラス(Y3:14歳くらい)だったから、じっくり見せてもらうつもりで早々にその部屋で待っていた。
しかし、なかなか始まらない。担当はメリルという年配の女性だった。(彼女も20年ほどこの学校で教師をしているらしい)
そのうち何人かが集まってきたが、最後の2人は10分ほど遅れて入ってきた。
それはまさにさっき町で出会った2人組だった。
そして、さらにそれから10分ほど・・・彼女らはメリルの怒りに満ちたお説教を聞くハメになった。
(この旅の中では、後にも先にも、お説教らしいお説教はこれ1回くらいだったと思う)
どうやら、あの2人はアイスクリームを買いに行っていたらしい。
そして、劇の方はというと・・・もうすぐ発表会をしなければならず、一刻の猶予もならないという感じだった。
「あなた達は事の重要さをわかっていない」と、メリルはしめくくった。
そして、それを間で聞いていた一人が「だったら、さっさと練習しよう。この時間がもったいないよ」と言って、練習は開始された。
さすが、それまでゆったりしていた雰囲気が、役に「入る」とともに真剣モードに切り替わった。
演じる人数は、6人、舞台はどうやら第二次世界大戦、ナチスドイツ支配下にある強制収容所らしかった。
「私は、私たち家族は幸せだった。戦争が、ナチスが来るまでは・・・」
ナチスの兵隊役のヘイゼルの演技は、特に見事なものだった。
堂々と、憎らしいまでにその悪役ぶりを表現してみせた。
そして、囚人役の子達もまた。自由をうばわれ、いつ死をむかえるか分からない悲痛さを、体いっぱいで表現していた。
メリルの指導は、なかなか手厳しかった。時には自ら、舞台に上がった。
私から見れば子ども達は十分がんばっていたように見えたが・・・メリルにとっては不満足な瞬間があった。
一人の子の「おなら」で、緊張の糸がゆるみ、みんなが笑い出してしまったのだ。
別にバカにするでもなく、ただ単に楽しんでいるように見えたが・・・メリルにとっては笑い事ではなかった。
「あなた達には真剣さが足りない」と、一喝・・・時間がきて、子ども達は不満そうに部屋を出て行った。
私自身の感想(子ども達の演技に圧倒されたこと)をメリルに伝えて、私も部屋を出た。
次は、その隣りの部屋でショーンを中心にミーテイングらしいものが開かれていた。
私が入ってもいいのかどうか少し迷ったが、大丈夫な様子だった。
メンバーは、いつものクラスの集まりではなく、ぞれぞれバラバラだった。
後で分かったことだが、これは「スクール・ミーテイング」の前の「どんな課題があるか」といった、事前討議だった。
さすがに何もなしでいきなりだと効率が悪いからとのこと・・・。つまりここにいたのは、各グループの代表ということになる。
内容がすべて理解できたわけではないが、なるほど、小さな学年の子も臆せず、言いたいことを言っていた。
そして、それぞれに「責任」というものをしっかり意識していた。時々、先生達のことも話題にのぼっていた。
ちなみにさっきのドラマの件も、Y3の代表の子がメリルに対する不満を打ち明けていた。
学校で起こっていることはみんなで共有できるというわけだ。
最後にショーンが、「だいたい内容はこれくらいかな」としめくくり、
「今日は天気がいいから、芝生を楽しんでおいで」とみんなに声をかけ、解散した。
この日は、本当にお天気がよくて、ランチはみんな外の芝生の上やテラスで食べていた。
空はどこまでも青く、時々白い雲が筋状に流れていて、上空の風の強さをうかがわせた。
ぽかぽかの陽気・・・芝生の上にお互いにもたれ合いながら横になったり、ギターを弾いている姿もある。
大地のあたたかさと、仲間の体温に触れることで、子ども達の心は安定しているように見えた。
あまりにシアワセそうなので、見ている私もうれしくなる光景だった。
さて、午後のアートの授業を見学していた時のことだった。
どうやら最近入ったばかりらしい女の子のそばに母親らしき女性が座っていた。
興味をひかれてじっと見ていると、彼女の方も、日本人である私の方に興味を示しているようではあった。
しばらく自分の娘の様子を見て、話をした後で、彼女は席をたって外に向かった。
私は、せっかくなので彼女の後を追って「ちょっとだけお話できますか?」とたずねると、「Yes」と言ってくれた。
単刀直入に、この学校のことをどう思っているかを聞いてみた。
「娘は気に入ったみたいだし、私もいい学校だと思うわ。」
たとえばどんなところがかを聞いてみた。
「ここでは何でもスクール・ミーティングで決められるの。先生も、生徒も平等な一票を持っているのよ」
そして彼女は、逆に私に、質問してきた。
私は、自分の旅のことを話した。
すると彼女は「すばらしい!」と言って、
「私も、娘のために色々な学校をまわって、見てみたの。そして、娘と二人でここに決めたのよ。
彼女がここを気に入ってくれてよかったわ。」
そして「シュタイナー学校にはもう行った?」と聞かれた。
「いいえ、知らなかった。ここにもあるの?」
と聞くと、彼女はうなずいて、住所と電話番号を書いたメモをくれた。お礼を言って、彼女とは別れた。
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(つづく)
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2017年06月12日
Devon州、Ashburton 〜 秘密のトンネル発見♪ 〜 これぞイギリス、カントリーサイド\(^o^)/ 〜
この町にはユースホステルはなくて、B&B(ベッド&ブレックファースト)に泊っていた。
体格のいいいかにもイギリス婦人という感じの奥さんに、いかにも厳格なイギリス紳士という感じのだんなさんが二人で、きりもりしていた。
ホテルというよりも、普通の家の子ども部屋という感じで、とってもアットホームだった(*´∀`)
着いたその日に「明日からサンドスクールを訪問する」ということは伝えた。
反応は・・・というと、ごく自然な感じだった。(訪問客は、私以外にもけっこう来ているようだ)
そして、1日目の訪問が終って帰って、居間でゆっくり話しをしている時に、奥さんの方が「訪問はどうだった?」と聞いてきた。
私は「とってもすばらしい学校だと思う。」と答えると、奥さんは嬉しそうな顔をして、だんなさんに伝えた。
すると、新聞を読んでいただんなさんの方は、少しフクザツな表情をして、「あの学校には規律がない」と一言、言った。
ふ〜む・・・そういう風にも見えるかもしれない・・・と思った。(特に、だんなさんは厳格そうだったから)
そして、奥さんの方は、「あの学校はお金がかかるの」と言った。
これまた、そうだろうな・・・と思った。そして、「確かに、いい先生がたくさんいたから、お金がかかっているのは仕方がないと思う」ということを言うと、二人とも「う〜ん」という感じだった。
「あの学校が好き?」と奥さんに聞かれたので「もちろん」と答えると、奥さんは母親のような表情で
「あなたがそう思うなら、それはいいことだ」と言ってくれた。
2日目の朝、午前中は学校ではなく町の散策にでかけるつもりで家を出た。
しかし、気分的には自然の中に出てみたい感じだったので、町の中心とは反対の方向に歩いて行った。
すると、少し歩いたところに「秘密のトンネルの入り口」のような所を発見した
「行ってみたい!」という気持ちがむくむくと起こり、ワクワクしながらそのまま登っていったʕ•̀ω•́ʔ✧
すると、いきなり目の前にすばらしい景色が広がった!(≧▽≦)
緑の草原、遠くまで見渡せる広々とした空間・・・!\(^o^)/
そして足元には無数の花々・・・(*^^*)
本当に嬉しくて、しばらくのんびりとその辺りを散歩して、それから、2日目の訪問に出かけた。
(つづく)
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体格のいいいかにもイギリス婦人という感じの奥さんに、いかにも厳格なイギリス紳士という感じのだんなさんが二人で、きりもりしていた。
ホテルというよりも、普通の家の子ども部屋という感じで、とってもアットホームだった(*´∀`)
着いたその日に「明日からサンドスクールを訪問する」ということは伝えた。
反応は・・・というと、ごく自然な感じだった。(訪問客は、私以外にもけっこう来ているようだ)
そして、1日目の訪問が終って帰って、居間でゆっくり話しをしている時に、奥さんの方が「訪問はどうだった?」と聞いてきた。
私は「とってもすばらしい学校だと思う。」と答えると、奥さんは嬉しそうな顔をして、だんなさんに伝えた。
すると、新聞を読んでいただんなさんの方は、少しフクザツな表情をして、「あの学校には規律がない」と一言、言った。
ふ〜む・・・そういう風にも見えるかもしれない・・・と思った。(特に、だんなさんは厳格そうだったから)
そして、奥さんの方は、「あの学校はお金がかかるの」と言った。
これまた、そうだろうな・・・と思った。そして、「確かに、いい先生がたくさんいたから、お金がかかっているのは仕方がないと思う」ということを言うと、二人とも「う〜ん」という感じだった。
「あの学校が好き?」と奥さんに聞かれたので「もちろん」と答えると、奥さんは母親のような表情で
「あなたがそう思うなら、それはいいことだ」と言ってくれた。
2日目の朝、午前中は学校ではなく町の散策にでかけるつもりで家を出た。
しかし、気分的には自然の中に出てみたい感じだったので、町の中心とは反対の方向に歩いて行った。
すると、少し歩いたところに「秘密のトンネルの入り口」のような所を発見した
「行ってみたい!」という気持ちがむくむくと起こり、ワクワクしながらそのまま登っていったʕ•̀ω•́ʔ✧
すると、いきなり目の前にすばらしい景色が広がった!(≧▽≦)
緑の草原、遠くまで見渡せる広々とした空間・・・!\(^o^)/
そして足元には無数の花々・・・(*^^*)
本当に嬉しくて、しばらくのんびりとその辺りを散歩して、それから、2日目の訪問に出かけた。
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2017年06月10日
理想を追いつつ、現実と向き合う学校 〜 Sands School 訪問@ 〜 イギリス、Devon州にて
自分がずっと前からそこにいたように、
そして、これからも当たり前にそこにいるように感じる空間がたまにある。
Sands Schoolは、まさにそんな場所だった。
運命とはおもしろい。予定通りの行動ではなくて、イレギュラーな時の方が楽しい出会いが待っている。でも、感じる。自分を引き寄せる引力のようなもの。何かが、あの町とあの学校にある。
それは多分、1987年創立時の創立メンバーの存在にあるのだろう。
サマーヒルスクールを創り出したニール氏も、フレネ学校のフレネ氏も、もうこの世にはおられない。そう、創立メンバーというのはそうそう会うことはできない。だから、あのメンバーに惹かれるのだろう。
訪問する前に、ホームページを見た時、まさに自分が創るとしたら、こんな学校を創りたいと思うような、そんな内容だった。
さて、実際は、、、?(^^)
2007年5月21日(月)
朝の九時くらいに、ワクワクしながらの訪問・・・車で通勤してきた先生達から笑顔で大歓迎を受けた(*^^*)
嬉しいメールの返事をくれた「ジョアンナ」は、どの女性だろうと思いながら、何はともあれ流れにまかせていると、そのうち「ヘイゼル」という名前の女性に紹介された。
人懐っこいチャーミングな笑顔だった。
しっかりと握手を交わし、自己紹介をした後で彼女が学校中を案内してくれた。
建物は、たくさんあった。みんなが集まる棟にはいくつもの部屋(教室)があって、ミーテイングルームから音楽室、キッチンもあり、ランチは大人と生徒が協力して作る。
キッチンから外にテラスがつながっていて、お天気のいい日は外の芝生やベンチでランチを楽しむことができる。
そこから外に出ると、芸術棟、
科学棟、木工などの作業棟、グラウンド、
畑、みんなで作ったというビオトープや
自然いっぱいの遊び場や
トム・ソーヤに出てくる木の上の小屋など・・・ʕ•̀ω•́ʔ✧
本当に楽しい環境だった(≧▽≦)
ヘイゼルは、いかにもこの学校のことが大好きという感じでほこらしげに自分が関わって創った色々なモノについての説明をしてくれたヽ(^o^)丿
あまりに堂々と生き生きとしていて、私はてっきりこの学校の教師なのだろうと思っていたら・・・実は、まだ中学生だった(びっくり)。Σ(゚Д゚)
もっとも、かなりの精鋭のようで、大人からも子どもからも信頼されているようだった。私にとっても、このサンドスクールでの思い出の中で最も印象的な出会いだったと言える。
ひととおり案内された後で、キッチンに案内されて、お茶を出してくれた。(・・・というか、出そうとしてくれたが、朝から3杯のお茶を飲んできた私は丁重にお断りした)
そして、創立メンバーの一人であるショーンという先生が、朝食を食べながら色々と質問してくれたり、逆にこちらの知りたいことに答えてくれたりした。
初対面なのに、なんだか前から会った事があるような、安心感を感じて、それでいて一貫性というか、自分の信念を持った凛とした力強さを持った人物だった。
彼は、日本の「きのくに子どもの村学園」と「東京シュ−レ」(IDEN登録校)について、よく知っていた。
なぜなら、彼らが以前ここに来たことがあるとのこと・・・なるほど、納得!
その後は、メールに返事をくれたジョアンナに会うことができた。彼女もまた、包容力とあたたかさを持った、「生きる」ための教育がなんたるかを語ってくれる「同志」だった。
彼女から、時間割とメンバーリストを渡され、「好きなように見学してくれていい」という許可と写真を撮る許可をもらい(撮る前に本人に確認することが条件)、「授業見学」はスタートした。
簡単に概要を記すと・・・
グループ(学年)は、11歳から17歳までのY1〜Y3・O1〜O3(おそらくYoungとOldの略?)の6グループあり、一番多いグループでも14人。
その町に住んでいる子もいれば、遠くの町から通ってくる子ども達もいるとのことで、朝は比較的ゆっくり始まる。
基本は30分1こま。必要な教科は2こま続いて1時間とる。午前に6こま、午後は2〜3こまに、全員で行なう何かが曜日ごとに入れられている(金曜日には、スポーツや旅行などの時も)
今、何があるのかを確認しながら、階段を上がっていると上から降りてくる少し小柄な男の子に出会った。
彼は、好奇心旺盛な表情で「どこから来たの?」と聞いてきた。
「日本から」と言うと、うれしそうな顔をして「いいね」と言ってくれた。
「今は授業じゃないの?」と聞くと、
「そうだけど、今は日本について勉強したい」といたずらっぽい顔で笑った。
ちなみにこの学校では授業に出ることは「強制」されない。
子ども達の「意思」が尊重される。・・・集中して取り組んでいる時もあれば、ふらっと外に出て行く時もあり、騒音をたてるなどの、周りに迷惑をかけない限り、それは「特に何でもないこと」として、見守られる。
その男の子はチャーリーという名前で「いつまでいるの?」と言う。
一応長居すると迷惑になるだろうと思って、2日のつもりでいたので「明日」と言うと、いきなり「スクール・ミーティングには出るべきだよ」と言われた。
時間割を見ると、水曜日の午後(2日後)だった。そして「じゃあね」と手をふって、授業にもどっていった。
そうか・・・「出るべき」か・・・すごい説得力!あんな幼い感じだけど、みんなで運営する会のことをあんな風にきっぱりとアピールできるなんて・・・!
しばし感動・・・!
(迷うまでもなく、ジョアンナにそのことを伝え、訪問を3日間にしてもらった。その代わり、トータルの時間が同じになるように、2日目の午前中は町の散策に出かけることにした)
その日は、英語(ここでは国語にあたる)・数学・フランス語・アート・科学・IT・歴史・ミュージックなどを各15分ずつくらい見学させてもらった。
そして分かってきたことは・・・単なる「理想」を理由に「強制」しないのではなく、「現実」に対応したら、こうすることが最もベストだと思えることだった。
つまり、「普通の学校社会」になじめない個性的なタイプの子ども達が、ここには多くいるということだ。
つらい経験をしてこの学校に来た、という子も多くいるらしく、他人と交わることが苦手だというオーラを感じる子が少なくない。
そして同時に、「信頼できる大人との関わり」を求める、そんな心も見えた。もっとも多感で感受性の強い年頃の集まりなだけに、その中で過ごすには、かなりのエネルギーと人徳を必要とするように思え、「これは大変だ」というのが正直な感想だった。
まさに、今の現実社会の「受け皿」的要素を持った「必要とされる」学校だと・・・。
ランチは、ジョアンナとショーンが交代で担当をつとめ、子ども達が授業や、それ以外でも「有志」が手伝ったりして、毎日作られているらしい。
ジョアンナは、「食を自分の手で作ることは、生きていく上でとても大切なことだから」と語ってくれた。
大賛成!(*´∀`)
おいしくいただいた後で、私も子ども達と一緒に食器洗いを手伝った。
(つづく)
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Sands Schoolは、まさにそんな場所だった。
運命とはおもしろい。予定通りの行動ではなくて、イレギュラーな時の方が楽しい出会いが待っている。でも、感じる。自分を引き寄せる引力のようなもの。何かが、あの町とあの学校にある。
それは多分、1987年創立時の創立メンバーの存在にあるのだろう。
サマーヒルスクールを創り出したニール氏も、フレネ学校のフレネ氏も、もうこの世にはおられない。そう、創立メンバーというのはそうそう会うことはできない。だから、あのメンバーに惹かれるのだろう。
訪問する前に、ホームページを見た時、まさに自分が創るとしたら、こんな学校を創りたいと思うような、そんな内容だった。
さて、実際は、、、?(^^)
2007年5月21日(月)
朝の九時くらいに、ワクワクしながらの訪問・・・車で通勤してきた先生達から笑顔で大歓迎を受けた(*^^*)
嬉しいメールの返事をくれた「ジョアンナ」は、どの女性だろうと思いながら、何はともあれ流れにまかせていると、そのうち「ヘイゼル」という名前の女性に紹介された。
人懐っこいチャーミングな笑顔だった。
しっかりと握手を交わし、自己紹介をした後で彼女が学校中を案内してくれた。
建物は、たくさんあった。みんなが集まる棟にはいくつもの部屋(教室)があって、ミーテイングルームから音楽室、キッチンもあり、ランチは大人と生徒が協力して作る。
キッチンから外にテラスがつながっていて、お天気のいい日は外の芝生やベンチでランチを楽しむことができる。
そこから外に出ると、芸術棟、
科学棟、木工などの作業棟、グラウンド、
畑、みんなで作ったというビオトープや
自然いっぱいの遊び場や
トム・ソーヤに出てくる木の上の小屋など・・・ʕ•̀ω•́ʔ✧
本当に楽しい環境だった(≧▽≦)
ヘイゼルは、いかにもこの学校のことが大好きという感じでほこらしげに自分が関わって創った色々なモノについての説明をしてくれたヽ(^o^)丿
あまりに堂々と生き生きとしていて、私はてっきりこの学校の教師なのだろうと思っていたら・・・実は、まだ中学生だった(びっくり)。Σ(゚Д゚)
もっとも、かなりの精鋭のようで、大人からも子どもからも信頼されているようだった。私にとっても、このサンドスクールでの思い出の中で最も印象的な出会いだったと言える。
ひととおり案内された後で、キッチンに案内されて、お茶を出してくれた。(・・・というか、出そうとしてくれたが、朝から3杯のお茶を飲んできた私は丁重にお断りした)
そして、創立メンバーの一人であるショーンという先生が、朝食を食べながら色々と質問してくれたり、逆にこちらの知りたいことに答えてくれたりした。
初対面なのに、なんだか前から会った事があるような、安心感を感じて、それでいて一貫性というか、自分の信念を持った凛とした力強さを持った人物だった。
彼は、日本の「きのくに子どもの村学園」と「東京シュ−レ」(IDEN登録校)について、よく知っていた。
なぜなら、彼らが以前ここに来たことがあるとのこと・・・なるほど、納得!
その後は、メールに返事をくれたジョアンナに会うことができた。彼女もまた、包容力とあたたかさを持った、「生きる」ための教育がなんたるかを語ってくれる「同志」だった。
彼女から、時間割とメンバーリストを渡され、「好きなように見学してくれていい」という許可と写真を撮る許可をもらい(撮る前に本人に確認することが条件)、「授業見学」はスタートした。
簡単に概要を記すと・・・
グループ(学年)は、11歳から17歳までのY1〜Y3・O1〜O3(おそらくYoungとOldの略?)の6グループあり、一番多いグループでも14人。
その町に住んでいる子もいれば、遠くの町から通ってくる子ども達もいるとのことで、朝は比較的ゆっくり始まる。
基本は30分1こま。必要な教科は2こま続いて1時間とる。午前に6こま、午後は2〜3こまに、全員で行なう何かが曜日ごとに入れられている(金曜日には、スポーツや旅行などの時も)
今、何があるのかを確認しながら、階段を上がっていると上から降りてくる少し小柄な男の子に出会った。
彼は、好奇心旺盛な表情で「どこから来たの?」と聞いてきた。
「日本から」と言うと、うれしそうな顔をして「いいね」と言ってくれた。
「今は授業じゃないの?」と聞くと、
「そうだけど、今は日本について勉強したい」といたずらっぽい顔で笑った。
ちなみにこの学校では授業に出ることは「強制」されない。
子ども達の「意思」が尊重される。・・・集中して取り組んでいる時もあれば、ふらっと外に出て行く時もあり、騒音をたてるなどの、周りに迷惑をかけない限り、それは「特に何でもないこと」として、見守られる。
その男の子はチャーリーという名前で「いつまでいるの?」と言う。
一応長居すると迷惑になるだろうと思って、2日のつもりでいたので「明日」と言うと、いきなり「スクール・ミーティングには出るべきだよ」と言われた。
時間割を見ると、水曜日の午後(2日後)だった。そして「じゃあね」と手をふって、授業にもどっていった。
そうか・・・「出るべき」か・・・すごい説得力!あんな幼い感じだけど、みんなで運営する会のことをあんな風にきっぱりとアピールできるなんて・・・!
しばし感動・・・!
(迷うまでもなく、ジョアンナにそのことを伝え、訪問を3日間にしてもらった。その代わり、トータルの時間が同じになるように、2日目の午前中は町の散策に出かけることにした)
その日は、英語(ここでは国語にあたる)・数学・フランス語・アート・科学・IT・歴史・ミュージックなどを各15分ずつくらい見学させてもらった。
そして分かってきたことは・・・単なる「理想」を理由に「強制」しないのではなく、「現実」に対応したら、こうすることが最もベストだと思えることだった。
つまり、「普通の学校社会」になじめない個性的なタイプの子ども達が、ここには多くいるということだ。
つらい経験をしてこの学校に来た、という子も多くいるらしく、他人と交わることが苦手だというオーラを感じる子が少なくない。
そして同時に、「信頼できる大人との関わり」を求める、そんな心も見えた。もっとも多感で感受性の強い年頃の集まりなだけに、その中で過ごすには、かなりのエネルギーと人徳を必要とするように思え、「これは大変だ」というのが正直な感想だった。
まさに、今の現実社会の「受け皿」的要素を持った「必要とされる」学校だと・・・。
ランチは、ジョアンナとショーンが交代で担当をつとめ、子ども達が授業や、それ以外でも「有志」が手伝ったりして、毎日作られているらしい。
ジョアンナは、「食を自分の手で作ることは、生きていく上でとても大切なことだから」と語ってくれた。
大賛成!(*´∀`)
おいしくいただいた後で、私も子ども達と一緒に食器洗いを手伝った。
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