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2017年07月07日
あこがれの北欧へ! 〜 深夜の天使たち 〜 ロンドンから、デンマーク・オーフスへ
2007年5月28日(月)
〜夜8時・ロンドンSTN空港からデンマークのオーフスへ向けて出発した飛行機の中での記録〜
正直私はかなりぐったりだった。その日は朝4時起きだったし、気持ち的にもかなりブルーだった(;_;
(*なぜかは、前回の記事を参照ください)
でも、外の景色は濃いブルーが美しかった。夏のヨーロッパは、その時間でも十分明るく、ちょうど日がくれていくところだった。
やっと憧れの北欧に行ける!(・∀・)
そういえば、白夜が見れるかな?
(なんて、実は北欧の中でも白夜が見れるのは北部の方のかなり限られた地域だけだったのだが・・・^^”)
到着予定時刻は、10時40分・・・ということはオーフスの街に着くのは11時過ぎ・・・ロンドンの空港で散々待ち時間があったため、幸いにも宿をさがすことができた。
でもそんな時間(深夜)にチェックインって・・・はああ・・・(*_*)(ユースは相部屋のため、寝てる人を起こすことになる)
そうは言っても仕方がない。なんにしろ疲れた・・・3時間近くあるし、今のうちに眠っておこう(-_-)zzz
・・・と、ほどなくして飛行機は着陸態勢に入った。
外はすでに真っ暗だった。
「あれ?(゜o゜)」
時計を見ると、まだ9時半・・・出発して1時間半しか経っていないのに・・・またどこかに途中寄航?!
???状態のまま、飛行機は着陸し、みんなゾロゾロとおりていく。
時間は、9時40分・・・???
空港の時計を見て、謎が解けた。10時40分。
「そっか〜時差があったんだ〜( ;∀;)」
地図をよくよく見ても、イギリスとデンマークはけっこう近い。3時間もかかる距離ではなかったのだ。
それはさておき、オーフス市街に向かうバスが空港の前に止まって待っていてくれた。運転手は、なんと女性だった。(こんな時間に?!)
料金は前払いで80Dkr(1Dkr=約23円:約1840円)高い!Σ(゚Д゚)
ユーロ〜£(ポンド)〜Dkr(デンマーククローネ)ときて、計算が苦手な私は正直通貨の切り替えが少し苦痛になってきた^^”
真っ暗で何も見えない中を、バスは市街に向けて走り、30分ほどだっただろうか街の明かりが見え、さらに15分ほど街の中を走り、駅に到着した。すでに11時はまわっている。
さて予約したユースは・・・運転手さん曰く「歩いて20分くらい」とのこと、他の客はとっくにいなくなっている。暗い中を、地図をたよりに重い荷物を引きつつとぼとぼと歩く。
途中のライトアップされた建物が美しかった(残念ながらこの時撮った写真は、バックアップされておらず消えてしまった)
ほどなく明るい路地から暗い道にさしかかり、周りには誰も人がいない。本当にこの方向でいいのか不安になってきた。
荷物は重いしお腹はすいたし(@_@)(その日は前述した事情でプチ断食)・・・ちょうどそこに公園があり、その辺りの地図が表示されていた。
しかし、なんともよく分からず、それどころか反対方向に歩いてきたのでは?との疑いが湧き起こってきた(TT)誰か〜(つд⊂)エーン
・・・とちょうどそこに、女性2人連れの天使が舞い降りてきた(・・・ように見えた)
どこに行きたいの?と尋ねられ、「スリープ・イン」と答えると、「それならちょうど私たちもその近くの店に行くところだから案内してあげる」とのこと。
正直泣きそうなほど嬉しかった(≧▽≦)
しかも、自転車に荷物を積んでくれた。
ゆっくり歩きながら、どこから来たのか、どこへ行くのか・・・などとたあいもない話をしながら、10分ほど歩くと、大きな道に出て「この道を左に行くと、明るい看板があって、そこがあなたの行きたい所よ」と、教えてくれた。
その上彼女達は「もしもお腹がすいたら、よかったら私達のお店に来てね。」と言ってくれた。
「本当にありがとう!!」と、握手でお別れをし、
「デンマークの人はなんて心優しいんだろう・・・(•ө•)♡」と感激しながら、言われた通り看板をみつけ、無事、チェックインすることができた。
ほぼ12時近かった。
知らない国で、周りも何も分からず、途方にくれている時に助けてもらった時のあの感激は、一生忘れないだろうと思う(*´∀`)
(つづく)
ホステル、アパートメント、高級ホテル、、、国内、国外どこでも、ご予算とご要望にお応えします^^
実際の旅に役立つ情報編へは、こちら
ヨーロッパの自由学校訪問記 〜情報編〜
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〜夜8時・ロンドンSTN空港からデンマークのオーフスへ向けて出発した飛行機の中での記録〜
正直私はかなりぐったりだった。その日は朝4時起きだったし、気持ち的にもかなりブルーだった(;_;
(*なぜかは、前回の記事を参照ください)
でも、外の景色は濃いブルーが美しかった。夏のヨーロッパは、その時間でも十分明るく、ちょうど日がくれていくところだった。
やっと憧れの北欧に行ける!(・∀・)
そういえば、白夜が見れるかな?
(なんて、実は北欧の中でも白夜が見れるのは北部の方のかなり限られた地域だけだったのだが・・・^^”)
到着予定時刻は、10時40分・・・ということはオーフスの街に着くのは11時過ぎ・・・ロンドンの空港で散々待ち時間があったため、幸いにも宿をさがすことができた。
でもそんな時間(深夜)にチェックインって・・・はああ・・・(*_*)(ユースは相部屋のため、寝てる人を起こすことになる)
そうは言っても仕方がない。なんにしろ疲れた・・・3時間近くあるし、今のうちに眠っておこう(-_-)zzz
・・・と、ほどなくして飛行機は着陸態勢に入った。
外はすでに真っ暗だった。
「あれ?(゜o゜)」
時計を見ると、まだ9時半・・・出発して1時間半しか経っていないのに・・・またどこかに途中寄航?!
???状態のまま、飛行機は着陸し、みんなゾロゾロとおりていく。
時間は、9時40分・・・???
空港の時計を見て、謎が解けた。10時40分。
「そっか〜時差があったんだ〜( ;∀;)」
地図をよくよく見ても、イギリスとデンマークはけっこう近い。3時間もかかる距離ではなかったのだ。
それはさておき、オーフス市街に向かうバスが空港の前に止まって待っていてくれた。運転手は、なんと女性だった。(こんな時間に?!)
料金は前払いで80Dkr(1Dkr=約23円:約1840円)高い!Σ(゚Д゚)
ユーロ〜£(ポンド)〜Dkr(デンマーククローネ)ときて、計算が苦手な私は正直通貨の切り替えが少し苦痛になってきた^^”
真っ暗で何も見えない中を、バスは市街に向けて走り、30分ほどだっただろうか街の明かりが見え、さらに15分ほど街の中を走り、駅に到着した。すでに11時はまわっている。
さて予約したユースは・・・運転手さん曰く「歩いて20分くらい」とのこと、他の客はとっくにいなくなっている。暗い中を、地図をたよりに重い荷物を引きつつとぼとぼと歩く。
途中のライトアップされた建物が美しかった(残念ながらこの時撮った写真は、バックアップされておらず消えてしまった)
ほどなく明るい路地から暗い道にさしかかり、周りには誰も人がいない。本当にこの方向でいいのか不安になってきた。
荷物は重いしお腹はすいたし(@_@)(その日は前述した事情でプチ断食)・・・ちょうどそこに公園があり、その辺りの地図が表示されていた。
しかし、なんともよく分からず、それどころか反対方向に歩いてきたのでは?との疑いが湧き起こってきた(TT)誰か〜(つд⊂)エーン
・・・とちょうどそこに、女性2人連れの天使が舞い降りてきた(・・・ように見えた)
どこに行きたいの?と尋ねられ、「スリープ・イン」と答えると、「それならちょうど私たちもその近くの店に行くところだから案内してあげる」とのこと。
正直泣きそうなほど嬉しかった(≧▽≦)
しかも、自転車に荷物を積んでくれた。
ゆっくり歩きながら、どこから来たのか、どこへ行くのか・・・などとたあいもない話をしながら、10分ほど歩くと、大きな道に出て「この道を左に行くと、明るい看板があって、そこがあなたの行きたい所よ」と、教えてくれた。
その上彼女達は「もしもお腹がすいたら、よかったら私達のお店に来てね。」と言ってくれた。
「本当にありがとう!!」と、握手でお別れをし、
「デンマークの人はなんて心優しいんだろう・・・(•ө•)♡」と感激しながら、言われた通り看板をみつけ、無事、チェックインすることができた。
ほぼ12時近かった。
知らない国で、周りも何も分からず、途方にくれている時に助けてもらった時のあの感激は、一生忘れないだろうと思う(*´∀`)
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2017年07月06日
こんなはずでは〜(TT) のんのん、バチが当たる 〜 イギリスからデンマーク・オーフスへ 〜
2007年5月28日(月)
この日の予定は、イギリススタンステッド(STN)空港からデンマーク、ユラン半島のオーフス空港に向けて朝7時25分発の飛行機に乗って、10時5分に到着というものだった。
出発の40分前までにチェックイン・・・ということは、6時45分がタイムリミット。
少なくとも6時半には着きたかった。
しかしロンドンから空港まではけっこう遠く、約2時間くらいは見ておかないといけない。
そうなると4時台のバスには乗らなければ・・・と、逆算して4時くらいにハイストリートケンジントンの地下鉄の駅に向かった。
天気は、前日からの雨が止まず、どしゃぶり・・・持ってきていたカサは、10日前に入った中華料理のお店に忘れてきてしまったので、仕方なくカッパを着て、荷物にはゴミ用の大きな袋をもらって、例によって朝食のパックをもらって、暗い中の出発だったが、気分的にはそう悪いわけではなかった。
駅に着くと・・・なんと入り口のシャッターが閉まっている!?Σ(゚Д゚)
考えてみれば、日本でもこんな時間はまだ動いていない。
ロンドンバスが24時間だからとつい甘くみていたが・・・なんてこったいっっ
列車に乗り遅れてもなんとかなるが(前歴あり)、さすがに飛行機はまずい・・・(# ゚Д゚)
その前日・・・出会った友人との別れ際に交わした会話が頭の中に蘇った。
「STN空港の早朝便に乗るって人が、前の日から行って仮眠を取るって言ってましたよ(๑•̀ㅂ•́)و✧」
「う〜ん、でもなるべくベッドで寝たいし、1回来た場所だから大丈夫でしょ、、、(*´ω`*)」
なんてお気楽な自分・・・ヤバイよこれは・・・
パニック寸前だったが、
「いやここでパニくってはいけない・・・」と自分で自分に言い聞かせ、ひとまず周りを見渡した。
すると近くにバス停があった。バスは動いているはず・・・しかし、目的地につながるような行き先ではなさそうだった。
あちこちウロウロしたい気持ちを押さえて、しばらく待ってみると・・・15分ほどしてシャッターは開いた。
よかった〜っっ (^O^;)
しかし、時間的にすでに予定を切っている。バスに乗るつもりの駅を変更して、ちょっと高いがバスよりも早く鉄道で行けるリバプールストリート駅に向かった。
そこからなら40分で行けるから、十分間に合うはず・・・
着いてすぐ電光掲示板を見るも・・・すぐに発車する電車はなかった。 が〜ん(TT)
そこでその時間のうちにオイスターカード(デポジット式の割引カード)を処分してしまおうと、窓口に行った。
まず、空港への路線に使えるかを聞くと、予想していた通り、「ノー」。
では払い戻ししてもらえるかどうかを聞くと、「地下鉄の窓口に行ってくれ」と言われたので、行くと、カードの5ポンドと残金6ポンド、計11ポンドが戻ってきた。
カードを使い始める時点で、返ってくるのか分からなくて不安だったが、その心配は必要なかった。
なにしろ地下鉄初乗り4ポンド(約1000円)が、1.5ポンド(約280円)になるのだからかなり便利!
*2017年現在は、約2ポンドに、、、
・・・てこんなにのんびりしていて大丈夫なのかい?と思うが、ないものはないのだから仕方がない(;^ω^)
そして、着いて30分後くらいだったろうか?6時10分、ようやく空港行き列車に乗ることができた。
やきもきしながらも、とことん楽天的な私は、「出発は7時25分だから、まだ大丈夫!」と自分に言い聞かせつつ、通り過ぎる景色を見ていた。
6時50分・・・すでに規定の45分を5分過ぎて空港に到着・・・
ライアンエアーのカウンターに向かうも、既にオーフス行きは閉じられていた_| ̄|○
これはいよいよ覚悟しないと・・・しかし、ダメで元々・・・と並んでみる。
こんな時の時間はほんとに長く感じるものだった。
並ぶ人も、受付の人も殺気立っている・・・とても割って入れる雰囲気ではない。
仕方なくそのまま列の後ろにいて、順番を待ってようやく受付にたどり着いたのは、出発の10分前だった。
事情を説明すると、「今からは無理、今日の夜の便に乗ってもらうしかない」と、金額を提示された。
なんと変更料50ポンド!(約12500円)(TT)
迷ったが、やはり今日行かないと困るし、いつにしたところで、料金が下がることはない。涙をのんで、そうすることにした。
カウンターの人は、満足げな笑みを浮かべ、周りでは「ぼくはリッチじゃないから・・・」などとあからさまな皮肉が聞こえてきた。(あちらの人は日本人はみんなリッチだと思っているのだ)
なんのために、ほとんど外食もせずに節約しているのか・・・と、まったく情けない気持ちになり、友人の忠告を聞かなかった自分のお気楽さにしみじみと腹が立ち・・・滅多なことでは落ち込まない私が、この時ばかりは、ズドーンと落ち込んだ・・・。・゚・(ノД`)・゚・。
そして、たいてはすぐに立ち直るのだが、この時ばかりは、自分に罰を加えないと気持ちがおさまらなかった(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
それで、「今日は、プチ断食デーにしよう・・・」と、持っていた朝食パックの残り以外は、ほとんど何も買わないことに決めた(; ・`д・´)
夜までの時間・・・空港近くにあるホテルのインターネットを使わせてもらって、メールを書いたり、北欧の旅の予約をしたり・・・それはそれで次につながる貴重な時間となった。
そして、夜8時・・・オーフスに向けて、出発したのだった。
ため息をつきながら・・・のイギリス出国となった。
2週間以上前に予約をすれば、へたしたら3000円くらいで目的地に行ける格安航空会社、「ライアンエアー」・・・ものはためしで使ってみたが、自分自身の予定変更や、こういった失敗などもあって、結局は追加料金が高くついた。
安さの代わりに「無理な時間帯の出発」や、「遠い空港」・・・など、あまりオススメはできない気がする。まあ、「ものは使いよう」かもしれないが・・・
はい、時が流れて客観的に見ても、、、この時はあくまで自分自身の行動が起こした事態でした( •̀ㅁ•́;)
(つづく)
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この日の予定は、イギリススタンステッド(STN)空港からデンマーク、ユラン半島のオーフス空港に向けて朝7時25分発の飛行機に乗って、10時5分に到着というものだった。
出発の40分前までにチェックイン・・・ということは、6時45分がタイムリミット。
少なくとも6時半には着きたかった。
しかしロンドンから空港まではけっこう遠く、約2時間くらいは見ておかないといけない。
そうなると4時台のバスには乗らなければ・・・と、逆算して4時くらいにハイストリートケンジントンの地下鉄の駅に向かった。
天気は、前日からの雨が止まず、どしゃぶり・・・持ってきていたカサは、10日前に入った中華料理のお店に忘れてきてしまったので、仕方なくカッパを着て、荷物にはゴミ用の大きな袋をもらって、例によって朝食のパックをもらって、暗い中の出発だったが、気分的にはそう悪いわけではなかった。
駅に着くと・・・なんと入り口のシャッターが閉まっている!?Σ(゚Д゚)
考えてみれば、日本でもこんな時間はまだ動いていない。
ロンドンバスが24時間だからとつい甘くみていたが・・・なんてこったいっっ
列車に乗り遅れてもなんとかなるが(前歴あり)、さすがに飛行機はまずい・・・(# ゚Д゚)
その前日・・・出会った友人との別れ際に交わした会話が頭の中に蘇った。
「STN空港の早朝便に乗るって人が、前の日から行って仮眠を取るって言ってましたよ(๑•̀ㅂ•́)و✧」
「う〜ん、でもなるべくベッドで寝たいし、1回来た場所だから大丈夫でしょ、、、(*´ω`*)」
なんてお気楽な自分・・・ヤバイよこれは・・・
パニック寸前だったが、
「いやここでパニくってはいけない・・・」と自分で自分に言い聞かせ、ひとまず周りを見渡した。
すると近くにバス停があった。バスは動いているはず・・・しかし、目的地につながるような行き先ではなさそうだった。
あちこちウロウロしたい気持ちを押さえて、しばらく待ってみると・・・15分ほどしてシャッターは開いた。
よかった〜っっ (^O^;)
しかし、時間的にすでに予定を切っている。バスに乗るつもりの駅を変更して、ちょっと高いがバスよりも早く鉄道で行けるリバプールストリート駅に向かった。
そこからなら40分で行けるから、十分間に合うはず・・・
着いてすぐ電光掲示板を見るも・・・すぐに発車する電車はなかった。 が〜ん(TT)
そこでその時間のうちにオイスターカード(デポジット式の割引カード)を処分してしまおうと、窓口に行った。
まず、空港への路線に使えるかを聞くと、予想していた通り、「ノー」。
では払い戻ししてもらえるかどうかを聞くと、「地下鉄の窓口に行ってくれ」と言われたので、行くと、カードの5ポンドと残金6ポンド、計11ポンドが戻ってきた。
カードを使い始める時点で、返ってくるのか分からなくて不安だったが、その心配は必要なかった。
なにしろ地下鉄初乗り4ポンド(約1000円)が、1.5ポンド(約280円)になるのだからかなり便利!
*2017年現在は、約2ポンドに、、、
・・・てこんなにのんびりしていて大丈夫なのかい?と思うが、ないものはないのだから仕方がない(;^ω^)
そして、着いて30分後くらいだったろうか?6時10分、ようやく空港行き列車に乗ることができた。
やきもきしながらも、とことん楽天的な私は、「出発は7時25分だから、まだ大丈夫!」と自分に言い聞かせつつ、通り過ぎる景色を見ていた。
6時50分・・・すでに規定の45分を5分過ぎて空港に到着・・・
ライアンエアーのカウンターに向かうも、既にオーフス行きは閉じられていた_| ̄|○
これはいよいよ覚悟しないと・・・しかし、ダメで元々・・・と並んでみる。
こんな時の時間はほんとに長く感じるものだった。
並ぶ人も、受付の人も殺気立っている・・・とても割って入れる雰囲気ではない。
仕方なくそのまま列の後ろにいて、順番を待ってようやく受付にたどり着いたのは、出発の10分前だった。
事情を説明すると、「今からは無理、今日の夜の便に乗ってもらうしかない」と、金額を提示された。
なんと変更料50ポンド!(約12500円)(TT)
迷ったが、やはり今日行かないと困るし、いつにしたところで、料金が下がることはない。涙をのんで、そうすることにした。
カウンターの人は、満足げな笑みを浮かべ、周りでは「ぼくはリッチじゃないから・・・」などとあからさまな皮肉が聞こえてきた。(あちらの人は日本人はみんなリッチだと思っているのだ)
なんのために、ほとんど外食もせずに節約しているのか・・・と、まったく情けない気持ちになり、友人の忠告を聞かなかった自分のお気楽さにしみじみと腹が立ち・・・滅多なことでは落ち込まない私が、この時ばかりは、ズドーンと落ち込んだ・・・。・゚・(ノД`)・゚・。
そして、たいてはすぐに立ち直るのだが、この時ばかりは、自分に罰を加えないと気持ちがおさまらなかった(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
それで、「今日は、プチ断食デーにしよう・・・」と、持っていた朝食パックの残り以外は、ほとんど何も買わないことに決めた(; ・`д・´)
夜までの時間・・・空港近くにあるホテルのインターネットを使わせてもらって、メールを書いたり、北欧の旅の予約をしたり・・・それはそれで次につながる貴重な時間となった。
そして、夜8時・・・オーフスに向けて、出発したのだった。
ため息をつきながら・・・のイギリス出国となった。
2週間以上前に予約をすれば、へたしたら3000円くらいで目的地に行ける格安航空会社、「ライアンエアー」・・・ものはためしで使ってみたが、自分自身の予定変更や、こういった失敗などもあって、結局は追加料金が高くついた。
安さの代わりに「無理な時間帯の出発」や、「遠い空港」・・・など、あまりオススメはできない気がする。まあ、「ものは使いよう」かもしれないが・・・
はい、時が流れて客観的に見ても、、、この時はあくまで自分自身の行動が起こした事態でした( •̀ㅁ•́;)
(つづく)
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2017年07月04日
「トラブルが出会いを作る?!」 〜 イギリス・ロンドンYHAホーランドパークにて
だいたい午後四時半頃、サマーヒルのあるレイストンから、例のユースホステルに戻ってきた。
帰り際に、スーパーに寄って、残っている食材との組み合わせから考えて、またもやシチューを作ることにした。
前回のメインは、サーモン。
今回は、さすがにもうイギリスにいる時間はそんなにないので、小さくて美味しいもの・・・ホタテの貝柱を選んだ。
かなり高かったが、必要なだけを秤売りで買えるからほんの少しだけをありがたく買った。
チェックインして、預かってもらっていた荷物をロッカーから出した。今回の旅は、荷物が少なかったのが本当に楽だった。(1日1ポンド=約250円)
3回目の部屋は、前回までとは違う部屋で、人数は少なくなったが、ちょっと騒々しい団体が一緒で、しかも公園の敷地にある演芸ホールのようなところから、ひっきりなしにオペラか何かの練習の演奏と声が聞こえてきた。
初めのうちは、「タダで聴けるから、これはこれでいいか」と思っていたが、しばらくすると飽きてきて、さすがに逃げ出したくなってきた。
ちょうどいいから、キッチンに行って夕食でも作ろうと、別棟のキッチンに行ってシチューを作り・・・
その隣りにある研修ルームのような場所に行って、手紙でも書こうと、買いためた絵葉書や、住所録を机の上に並べた。
そして、バックの中で何やら金属に触れたので、見てみると・・・なんとどこかの部屋のカギ!
(>_<)
・・・Ashburtonで泊ったB&Bのカギだった・・・!
一度しめだされたもんで、大事に持ち歩き過ぎたあげく、持ってきてしまったのだった。
手紙で送るしかない・・・。やれやれ(;一_一)
その部屋には、私以外にも2人ほど何か書き物をしている人がいて、1人は、小柄な英国婦人(?)、もう一人は日本人かもしれないアジア系の若い男性だった。
私は、平穏無事な時は、特に自分からは話しかけないタイプなので、この時も特に誰に話しかけることもなく、自分のやりたいことに集中していた。
するとしばらくたって、急に入り口のドアが開き、メガネをかけた体格のいい小柄な男性が英語で
「誰か日本語が話せる人はいますか?」と何か困っているという調子で言ったので、
「Yes」と返事をした。
「ちょっと通訳をしてもらいたい」ということだった。
歩きながら事情を聞くと、どうやら彼は自分の部屋に入ることができないでいて、同室の日本人男性が、部屋の中にいるのだが、カギが壊れているのか、外からはもちろん中からも開かない。
そして、どうやら中にいる日本人は英語が話せないらしく、私に彼の言いたい事を伝えてほしいというわけだった。
入り口に着くと、他にも中に入れなくて立ち往生している人がいた。
その時点で、「考えてみたらここ男性部屋だよ・・・(^^”)」とは思ったが、この場合いたしかたない。
そして、私たちの部屋は、カード式だが、この部屋だけはどうやら違うらしく、ガチャガチャと触ってみたが、びくともしない。
中に向かって、「もしも〜し、大丈夫ですか?」っと声をかけると、「あ〜日本人の方ですか?」と、若い声がする。
「ちょっと頼まれたので来たんですが、どんな感じですか?ドアのどっかに、なんか開けられそうなのってあります?」と言うと、
ずっと待っていた男性の方が、「中に、小さなピンがあるはずなんだ。それを動かせば開くはずだ」と言うので、それを伝えると・・・
「あの〜、もしかして僕が開けられないだけで、本当はカンタンに開くのかもしれないですけど・・・」と、いかにも小さくなった声がして、何だかいつもの自分のキャラみたいだ・笑・・・と親近感が湧いた。
しばらく、お互いに色々やりとりをしてみたものの、どうも前進しない。
「やっぱり壊れてるんですかね」
いきなり後ろで日本語が聞こえた。さっき研修ルームで一緒だった男性、やはり日本人だった。
続いて、フロントの男性がやってきた。・・・が開かない。
次にフロントの女性がやってきた。
「あなたは女性なのになぜここに?」と聞いてきたので、さっき頼んできた男性が説明してくれた。
フロントの男性が、さらにレストランの男性を連れてきた。
(何だか「大きなカブ」みたいな展開だった・笑)
そして、結論として「防火扉を使って開けよう」ということになり、入り口とは別の方向からスタッフが部屋に入って開けてくれた。
こうしてカギ騒動はおさまった。
ほっとしておなかがすいた私は、キッチンに行って、自分で作ったシチューをいただいた。
カギは、壊れていたのか?
・・・というと、そうではなかった。
中には、中から閉められる小さな取り付きがあり、彼はそれと知らず、閉めてしまっていたのだった・・・まさに私もやらかしそうなカギ事件・・・(^^)
後々・・・落ち着いた頃、私たちが3人で語りまくったことは言うまでもない。
書き物をしていた男性は、私と同じように3ヶ月間ヨーロッパを旅するバックパッカーで、彼の旅にもまたしっかりとした目的意識があった。建築関係の仕事をしていて、専門知識も資格もあり、自分の将来の夢につなげるための旅だという。
私が写真を撮ったりブログを書いたりしているように、彼もまた風景画を描いたり、出会った人々の写真を撮っていた。
事件の時、初めから私のようにしゃしゃり出なかったところを見ても分かるように、控えめで穏やかな、それでいてしっかりと言うべきことは言うというタイプの人柄だった。
そして、「事件」の当人はというと・・・芸術関係の大学に在学中の学生で、芸術志向の男性同志すっかり意気投合して、絵の話などをしていた。
「英語が話せない」と聞いたが、コミュニケーション能力はバツグンにあり、誰からも好かれそうなその人柄は、言葉の壁を越えられそうな雰囲気をかもし出していた。
何か困ったことがあっても、周りが気付いて助けてくれそうな?それがまた出会いを作っていく、しょっちゅう何事かやらかしては誰かに助けてもらう私とよく似たタイプの人柄だった。
やはり将来のために「とにかくヨーロッパを見てみたい」と、単身飛び込んできたらしい。
すごいのはその行動力!
あの広いロンドン中を、バスも地下鉄も使わず「自分の足」で歩き回ったという。
私たち3人は、お互いの「夢」を語り合って楽しいひと時を過ごした。
宿で日本語で語りまくったのは、本当に久々だった。
そして、お互いの持っている旅に関する情報を交換し合い、私はそれまで知らなかった、日本語入力ソフトについて教えてもらい、その後とても助かった。以下参照。
http://ajaxime.chasen.org/
次の日、残念ながら天気は「雨」
2人は、それぞれ次の旅と、帰国のために空港に出発する日だった。チェックアウトを終え、名残惜しくも宿を旅立っていった。
カギ事件の当人は「もうその話はしたくありません!勘弁してください」と言い続けていたが、その事件がきっかけで、同じユースにいながら話もしていなかった日本人3人が出会えたわけで・・・思えば貴重な事件だった(^^)
「トラブルが出会いを作る」これぞ人生の醍醐味?!
(つづく)
ホステル、アパートメント、高級ホテル、、、国内、国外どこでも、ご予算とご要望にお応えします^^
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帰り際に、スーパーに寄って、残っている食材との組み合わせから考えて、またもやシチューを作ることにした。
前回のメインは、サーモン。
今回は、さすがにもうイギリスにいる時間はそんなにないので、小さくて美味しいもの・・・ホタテの貝柱を選んだ。
かなり高かったが、必要なだけを秤売りで買えるからほんの少しだけをありがたく買った。
チェックインして、預かってもらっていた荷物をロッカーから出した。今回の旅は、荷物が少なかったのが本当に楽だった。(1日1ポンド=約250円)
3回目の部屋は、前回までとは違う部屋で、人数は少なくなったが、ちょっと騒々しい団体が一緒で、しかも公園の敷地にある演芸ホールのようなところから、ひっきりなしにオペラか何かの練習の演奏と声が聞こえてきた。
初めのうちは、「タダで聴けるから、これはこれでいいか」と思っていたが、しばらくすると飽きてきて、さすがに逃げ出したくなってきた。
ちょうどいいから、キッチンに行って夕食でも作ろうと、別棟のキッチンに行ってシチューを作り・・・
その隣りにある研修ルームのような場所に行って、手紙でも書こうと、買いためた絵葉書や、住所録を机の上に並べた。
そして、バックの中で何やら金属に触れたので、見てみると・・・なんとどこかの部屋のカギ!
(>_<)
・・・Ashburtonで泊ったB&Bのカギだった・・・!
一度しめだされたもんで、大事に持ち歩き過ぎたあげく、持ってきてしまったのだった。
手紙で送るしかない・・・。やれやれ(;一_一)
その部屋には、私以外にも2人ほど何か書き物をしている人がいて、1人は、小柄な英国婦人(?)、もう一人は日本人かもしれないアジア系の若い男性だった。
私は、平穏無事な時は、特に自分からは話しかけないタイプなので、この時も特に誰に話しかけることもなく、自分のやりたいことに集中していた。
するとしばらくたって、急に入り口のドアが開き、メガネをかけた体格のいい小柄な男性が英語で
「誰か日本語が話せる人はいますか?」と何か困っているという調子で言ったので、
「Yes」と返事をした。
「ちょっと通訳をしてもらいたい」ということだった。
歩きながら事情を聞くと、どうやら彼は自分の部屋に入ることができないでいて、同室の日本人男性が、部屋の中にいるのだが、カギが壊れているのか、外からはもちろん中からも開かない。
そして、どうやら中にいる日本人は英語が話せないらしく、私に彼の言いたい事を伝えてほしいというわけだった。
入り口に着くと、他にも中に入れなくて立ち往生している人がいた。
その時点で、「考えてみたらここ男性部屋だよ・・・(^^”)」とは思ったが、この場合いたしかたない。
そして、私たちの部屋は、カード式だが、この部屋だけはどうやら違うらしく、ガチャガチャと触ってみたが、びくともしない。
中に向かって、「もしも〜し、大丈夫ですか?」っと声をかけると、「あ〜日本人の方ですか?」と、若い声がする。
「ちょっと頼まれたので来たんですが、どんな感じですか?ドアのどっかに、なんか開けられそうなのってあります?」と言うと、
ずっと待っていた男性の方が、「中に、小さなピンがあるはずなんだ。それを動かせば開くはずだ」と言うので、それを伝えると・・・
「あの〜、もしかして僕が開けられないだけで、本当はカンタンに開くのかもしれないですけど・・・」と、いかにも小さくなった声がして、何だかいつもの自分のキャラみたいだ・笑・・・と親近感が湧いた。
しばらく、お互いに色々やりとりをしてみたものの、どうも前進しない。
「やっぱり壊れてるんですかね」
いきなり後ろで日本語が聞こえた。さっき研修ルームで一緒だった男性、やはり日本人だった。
続いて、フロントの男性がやってきた。・・・が開かない。
次にフロントの女性がやってきた。
「あなたは女性なのになぜここに?」と聞いてきたので、さっき頼んできた男性が説明してくれた。
フロントの男性が、さらにレストランの男性を連れてきた。
(何だか「大きなカブ」みたいな展開だった・笑)
そして、結論として「防火扉を使って開けよう」ということになり、入り口とは別の方向からスタッフが部屋に入って開けてくれた。
こうしてカギ騒動はおさまった。
ほっとしておなかがすいた私は、キッチンに行って、自分で作ったシチューをいただいた。
カギは、壊れていたのか?
・・・というと、そうではなかった。
中には、中から閉められる小さな取り付きがあり、彼はそれと知らず、閉めてしまっていたのだった・・・まさに私もやらかしそうなカギ事件・・・(^^)
後々・・・落ち着いた頃、私たちが3人で語りまくったことは言うまでもない。
書き物をしていた男性は、私と同じように3ヶ月間ヨーロッパを旅するバックパッカーで、彼の旅にもまたしっかりとした目的意識があった。建築関係の仕事をしていて、専門知識も資格もあり、自分の将来の夢につなげるための旅だという。
私が写真を撮ったりブログを書いたりしているように、彼もまた風景画を描いたり、出会った人々の写真を撮っていた。
事件の時、初めから私のようにしゃしゃり出なかったところを見ても分かるように、控えめで穏やかな、それでいてしっかりと言うべきことは言うというタイプの人柄だった。
そして、「事件」の当人はというと・・・芸術関係の大学に在学中の学生で、芸術志向の男性同志すっかり意気投合して、絵の話などをしていた。
「英語が話せない」と聞いたが、コミュニケーション能力はバツグンにあり、誰からも好かれそうなその人柄は、言葉の壁を越えられそうな雰囲気をかもし出していた。
何か困ったことがあっても、周りが気付いて助けてくれそうな?それがまた出会いを作っていく、しょっちゅう何事かやらかしては誰かに助けてもらう私とよく似たタイプの人柄だった。
やはり将来のために「とにかくヨーロッパを見てみたい」と、単身飛び込んできたらしい。
すごいのはその行動力!
あの広いロンドン中を、バスも地下鉄も使わず「自分の足」で歩き回ったという。
私たち3人は、お互いの「夢」を語り合って楽しいひと時を過ごした。
宿で日本語で語りまくったのは、本当に久々だった。
そして、お互いの持っている旅に関する情報を交換し合い、私はそれまで知らなかった、日本語入力ソフトについて教えてもらい、その後とても助かった。以下参照。
http://ajaxime.chasen.org/
次の日、残念ながら天気は「雨」
2人は、それぞれ次の旅と、帰国のために空港に出発する日だった。チェックアウトを終え、名残惜しくも宿を旅立っていった。
カギ事件の当人は「もうその話はしたくありません!勘弁してください」と言い続けていたが、その事件がきっかけで、同じユースにいながら話もしていなかった日本人3人が出会えたわけで・・・思えば貴重な事件だった(^^)
「トラブルが出会いを作る」これぞ人生の醍醐味?!
(つづく)
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2017年07月03日
予期せぬ再会と、3度目の、ロンドンへの旅〜イギリス東部・サフォーク州にて〜
ところで、レイストンを出発する前に、気になっていることが一つあった。
サマーヒルスクールの昨日のランチ代を払っていなかったことである。
一番初めに訪問したフレネ学校では、きっちりと請求され、美味しい給食をいただいた。
2回目のサンド・スクールでは「働かざるもの、食うべからず」といったようなことがホームページにも書いてあったので、ありがたくいただいた後で、食器洗いを手伝った。
しかし、サマーヒルではその必要がなかったし、お金を払おうにも事務所が閉まってから出てきたので払えなかった。
節約旅行をしている私だったが、バランス的に「甘え過ぎる」ことも「自己犠牲」的なこともどちらも嫌いな私は、払うべきものは払っておきたかった。
しかし、もう一度行くとしても今日は土曜日だから事務所は閉まっているだろう。帰ってからゆっくりお礼を送ることにするか・・・という結論に達した。
今日の予定は、レイストンを10時50分発のバスで出発。
サクスマンダム発 11時40分の列車に乗って、ロンドンのリバプールストリートには3時頃到着というものだった。
・・・ということは、4時にはまたあのユースに戻れるだろう。
この時点で時間は9時15分くらい。
前の日に、図書館で道を聞いた時にパソコンがあるのを目ざとくチェックしていた私は、バスに乗る前に図書館に行きたかった。
ホテルのチェックアウトの時間を聞くと、11時ということだったので荷物はそのまま置いて図書館に出かけた。
この学校訪問の旅は、常にどこかの学校や関係者とメールで連絡を取りながらの旅だったから、どうしてもインターネットは不可欠だった。
そして、イタリア、フランスでは無料だったネット料金が、ここイギリスのユースでは15分1ポンド(約250円)という状況だったから、無料で使える図書館などはとてもありがたい存在なのだった。
期待通り、通りすがりの一旅行者でも、使うことを許可してくれた。この時は、次のデンマークから始まる北欧の旅の下調べをすることができた。
1時間後、気がつくとバスの時間まであと20分という状況だった。図書館の親切なおばさんにお礼を言って、ホテルに戻り、荷物をまとめてチェックアウトした。例の金髪の彼女は、とてもいい笑顔で手をふってくれた。
バス停には45分に着き、ほっとひと息・・・ぼーっとしながらバスを待った。
すると、何だか見覚えのある姿が道の向こうから走ってきた。
「あれ〜っ?誰かと思ったら」と驚いた顔をしている。
なんと昨日の飛行機少年・シービ君(ネット名)だった。
「ここから出発するんだね」
「そう、あともう2・3分だからすごい偶然!町には用事で来たの?」
「うん、買い物にね。あと頼まれ物も」
それを聞いて、私もピンっとひらめいて、急いでごそごそと荷物を探って、自分で作った絵葉書と書くものを取り出して、
サマーヒルの事務室あてにメッセージを書き、2ポンド硬貨をその中に入れた。
「昨日のランチ代払ってなかったからって、伝えて渡してくれる?」とお願いした。
「別にそんなのいいのに」
「だって、みんなの親御さんはたくさん、学費とか払ってるんだし・・・ただ食いは私の主義に反するからね」
「そっか・・・わかった。今日はよく頼まれ物をする日だなあ」と、笑った。
サマーヒルの子ども達は、休みの日なんかにこうやってよく町に出てくるらしい。
50分になったが、バスはまだ来ない。
話は、またしても昨日のように「夢」の話になり、なんと「もしも日本に学校を作るんだったら、そっちの学校に行こうかな?」と言ってくれた。
彼は、サマーヒルに来ていることで、親御さんに経済的に負担をかけていることをかなり気にしていたから、なおさらだった。
「ただ、今はまだ無理だから早くても5年後か、もしかしたら10年後か・・・」
「そっか・・・じゃあもう大人になってるから無理か・・・」
「ところがね・・・私の夢の学校というか村はね、何歳からでも何歳まででも学べる場なの・笑
だから来たい時に来れる、そんな村が夢なのね。」
「そっか〜、じゃ大丈夫だ」
「うん、ここでこうして偶然また会えたでしょう?こういうのって絶対何か意味があるっていう気がするの。絶対きっとまた会えると思うから」
「かもね」と、言ったちょうどその時、バスが来た。
私は急いでカメラを取り出して、この偶然の再会を記念して写真を撮り、バスに乗り込んだ。
「またね!」と手を振り、彼はしばらく見送ってくれていた。
バスはのどかな田舎道を、来た道とは少し違うルートを取りながら、サクスマンダムの駅に向かい、来た時とは違うバス停で降ろされた。
まだ出発の時間まで30分近くあったので、少し寄り道をしながら駅に向かった。
自然食品のお店、電器店、昔の道具のミニ博物館のような所にも立ち寄りながら、お昼ご飯になりそうなものをさがしたが、なかなかみつからない。
駅のすぐそばのピザ屋さんをのぞいてみたが、10ポンド(約2500円)からしかない(^^”)
とても手が出ない。
あと10分しかないのに、もう少し遠くに行ってみようと少し道をそれたのが間違いだった。
あと3分という時に、まだ駅からだいぶ離れたところにいた私は、またしてもダッシュで駅に向かうハメになった。
ギリギリセーフ!しかし、まったく学習しないヤツだなあと、我ながらあきれてしまった。
帰りの列車は、行きのように直通ではなく、途中で乗り換えが2回もあった。
しかも、何だかよく分からないが、列車の切符を買ったはずなのに、もらった確認のメールには、、「by BUS」という表示があるのが不思議だった。
しかし、特に気にはしていなかった。
さらにおかしなことには、イプスウィッチ到着13:10
出発 13:04となっていた。どういうこっちゃ?
まあ、こういう時は乗客の流れを見て、必要なら聞けばいいかと思い、流れにまかせて動いていた。
すると、イプスウィッチで乗り換えて、次にたどり着いたコーチェスターという所で、やっとみつけたパン屋さんで、リンゴとクロワッサンをみつけて買っていると、構内アナウンスを聞いて乗客がみんな一斉に駅の外に走り出した。
私も、一緒に外に出て、見てみると、赤やら青やら色々な色のバスがたくさんいた。
一番近いバスの運転手さんに「リバプールストリートへは?」と聞くと、「あっちの赤いのがそうだ」と教えてくれた。
乗る前に確認すると、確かに間違いなかった。なんでバスかは不思議だったが、この際ロンドンにたどり着ければそれでいい。
乗り込むと、すでに乗っている乗客の視線が一斉に注がれる、この辺りでは日本人は珍しいのかな?
確かに、ガイドブックには載ってない地方だし・・・その視線をかわしながら、後ろの方の座席にどっかと座った。
やれやれ、これで再三のコメディにはならなくて済んだようだ。と安心して、お腹がすいていた私はさっき買ったお昼ご飯に手をつけ、座ってものの何分もしないうちにバスは発車した。(あぶないあぶない)
そして、心地よい眠りにおちたまま、バスはロンドンに到着した。ここ2週間で、3度目のロンドン到着だった。
(つづく)
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サマーヒルスクールの昨日のランチ代を払っていなかったことである。
一番初めに訪問したフレネ学校では、きっちりと請求され、美味しい給食をいただいた。
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しかし、サマーヒルではその必要がなかったし、お金を払おうにも事務所が閉まってから出てきたので払えなかった。
節約旅行をしている私だったが、バランス的に「甘え過ぎる」ことも「自己犠牲」的なこともどちらも嫌いな私は、払うべきものは払っておきたかった。
しかし、もう一度行くとしても今日は土曜日だから事務所は閉まっているだろう。帰ってからゆっくりお礼を送ることにするか・・・という結論に達した。
今日の予定は、レイストンを10時50分発のバスで出発。
サクスマンダム発 11時40分の列車に乗って、ロンドンのリバプールストリートには3時頃到着というものだった。
・・・ということは、4時にはまたあのユースに戻れるだろう。
この時点で時間は9時15分くらい。
前の日に、図書館で道を聞いた時にパソコンがあるのを目ざとくチェックしていた私は、バスに乗る前に図書館に行きたかった。
ホテルのチェックアウトの時間を聞くと、11時ということだったので荷物はそのまま置いて図書館に出かけた。
この学校訪問の旅は、常にどこかの学校や関係者とメールで連絡を取りながらの旅だったから、どうしてもインターネットは不可欠だった。
そして、イタリア、フランスでは無料だったネット料金が、ここイギリスのユースでは15分1ポンド(約250円)という状況だったから、無料で使える図書館などはとてもありがたい存在なのだった。
期待通り、通りすがりの一旅行者でも、使うことを許可してくれた。この時は、次のデンマークから始まる北欧の旅の下調べをすることができた。
1時間後、気がつくとバスの時間まであと20分という状況だった。図書館の親切なおばさんにお礼を言って、ホテルに戻り、荷物をまとめてチェックアウトした。例の金髪の彼女は、とてもいい笑顔で手をふってくれた。
バス停には45分に着き、ほっとひと息・・・ぼーっとしながらバスを待った。
すると、何だか見覚えのある姿が道の向こうから走ってきた。
「あれ〜っ?誰かと思ったら」と驚いた顔をしている。
なんと昨日の飛行機少年・シービ君(ネット名)だった。
「ここから出発するんだね」
「そう、あともう2・3分だからすごい偶然!町には用事で来たの?」
「うん、買い物にね。あと頼まれ物も」
それを聞いて、私もピンっとひらめいて、急いでごそごそと荷物を探って、自分で作った絵葉書と書くものを取り出して、
サマーヒルの事務室あてにメッセージを書き、2ポンド硬貨をその中に入れた。
「昨日のランチ代払ってなかったからって、伝えて渡してくれる?」とお願いした。
「別にそんなのいいのに」
「だって、みんなの親御さんはたくさん、学費とか払ってるんだし・・・ただ食いは私の主義に反するからね」
「そっか・・・わかった。今日はよく頼まれ物をする日だなあ」と、笑った。
サマーヒルの子ども達は、休みの日なんかにこうやってよく町に出てくるらしい。
50分になったが、バスはまだ来ない。
話は、またしても昨日のように「夢」の話になり、なんと「もしも日本に学校を作るんだったら、そっちの学校に行こうかな?」と言ってくれた。
彼は、サマーヒルに来ていることで、親御さんに経済的に負担をかけていることをかなり気にしていたから、なおさらだった。
「ただ、今はまだ無理だから早くても5年後か、もしかしたら10年後か・・・」
「そっか・・・じゃあもう大人になってるから無理か・・・」
「ところがね・・・私の夢の学校というか村はね、何歳からでも何歳まででも学べる場なの・笑
だから来たい時に来れる、そんな村が夢なのね。」
「そっか〜、じゃ大丈夫だ」
「うん、ここでこうして偶然また会えたでしょう?こういうのって絶対何か意味があるっていう気がするの。絶対きっとまた会えると思うから」
「かもね」と、言ったちょうどその時、バスが来た。
私は急いでカメラを取り出して、この偶然の再会を記念して写真を撮り、バスに乗り込んだ。
「またね!」と手を振り、彼はしばらく見送ってくれていた。
バスはのどかな田舎道を、来た道とは少し違うルートを取りながら、サクスマンダムの駅に向かい、来た時とは違うバス停で降ろされた。
まだ出発の時間まで30分近くあったので、少し寄り道をしながら駅に向かった。
自然食品のお店、電器店、昔の道具のミニ博物館のような所にも立ち寄りながら、お昼ご飯になりそうなものをさがしたが、なかなかみつからない。
駅のすぐそばのピザ屋さんをのぞいてみたが、10ポンド(約2500円)からしかない(^^”)
とても手が出ない。
あと10分しかないのに、もう少し遠くに行ってみようと少し道をそれたのが間違いだった。
あと3分という時に、まだ駅からだいぶ離れたところにいた私は、またしてもダッシュで駅に向かうハメになった。
ギリギリセーフ!しかし、まったく学習しないヤツだなあと、我ながらあきれてしまった。
帰りの列車は、行きのように直通ではなく、途中で乗り換えが2回もあった。
しかも、何だかよく分からないが、列車の切符を買ったはずなのに、もらった確認のメールには、、「by BUS」という表示があるのが不思議だった。
しかし、特に気にはしていなかった。
さらにおかしなことには、イプスウィッチ到着13:10
出発 13:04となっていた。どういうこっちゃ?
まあ、こういう時は乗客の流れを見て、必要なら聞けばいいかと思い、流れにまかせて動いていた。
すると、イプスウィッチで乗り換えて、次にたどり着いたコーチェスターという所で、やっとみつけたパン屋さんで、リンゴとクロワッサンをみつけて買っていると、構内アナウンスを聞いて乗客がみんな一斉に駅の外に走り出した。
私も、一緒に外に出て、見てみると、赤やら青やら色々な色のバスがたくさんいた。
一番近いバスの運転手さんに「リバプールストリートへは?」と聞くと、「あっちの赤いのがそうだ」と教えてくれた。
乗る前に確認すると、確かに間違いなかった。なんでバスかは不思議だったが、この際ロンドンにたどり着ければそれでいい。
乗り込むと、すでに乗っている乗客の視線が一斉に注がれる、この辺りでは日本人は珍しいのかな?
確かに、ガイドブックには載ってない地方だし・・・その視線をかわしながら、後ろの方の座席にどっかと座った。
やれやれ、これで再三のコメディにはならなくて済んだようだ。と安心して、お腹がすいていた私はさっき買ったお昼ご飯に手をつけ、座ってものの何分もしないうちにバスは発車した。(あぶないあぶない)
そして、心地よい眠りにおちたまま、バスはロンドンに到着した。ここ2週間で、3度目のロンドン到着だった。
(つづく)
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2017年07月02日
朝食おあずけ?!(TT) 〜 イギリス東部 サフォーク州・レイストンにて 〜
美味しいカレーを食べて満腹になった私は、さっきまでの落ち込んだ気持ちはどこへやら、すっかり元気になってサマーヒル訪問が終った達成感にひたっていた。
出会った子ども達や、同志のことを考え・・・いつものように「自分の夢」を想い描いて、出会った人々がその中で生き生きと活躍していた。
そして、2週間ぶりのお湯を溜めた「お風呂」を満喫した。ずっとシャワーばかりだったガチガチの体がじわ〜っとほぐれていく気がした。ああ、お風呂ってすばらし〜(^^)
疲れていた私は、下のパブの騒音にも負けず眠りに落ちたが・・・夜中に何度か目が覚めた。
そして次の日、天気は快晴!今日は急ぐこともないから電車もゆっくりとした時間のものを予約していた。バスの時間も、昨日のうちにバス停で見ておいた。時間はたっぷりある。
お腹がすいて、朝ごはんのために下におりて行くと昨日の女性が
「いつもいるコックが、改装のために今はいないから朝食はない」と言われた。
今度ばかりは私は本当に泣きそうになり、悲壮な顔で「B&B(ベッド&ブレックファースト)なんでしょう?それに料金に含まれているんじゃないの?(;O;)」と言うと、
さすがに悪いと思ったらしく
「・・・トーストでいい?」と言ってくれた。
大事な朝食がおあずけかもと思っていた私は顔を輝かせて「Yes!」と言ったもんで、彼女は私のためにキッチンに行って、普段はコックのやる仕事を自分でやって、トーストの他に目玉焼きも作ってくれた。
話している時に気がついたのだが、彼女も英語はあまりしゃべれないようだった。
何となく外国なまりも感じられた。しかもこのホテルはずっと一人で切り盛りしているようだった。
大変なんだろうな・・・('・ω・')
そして、あたたかい紅茶と一緒に、トーストと目玉焼きセットが出てきた。
おいしそう!!
「ありがとう!(≧▽≦)」
と笑顔で言うと、昨日からの気まずさもどこへやら・・・とっても嬉しそうな顔で照れ笑いをして、となりの部屋に行った。
やっと、彼女のことを好きになれそうだった。
しかし、正直なところ私は、半熟の卵は苦手だった。その目玉焼きは見事にトロトロ状態の卵だったが、これ以上は何も言うまいと、パンと一緒に食べると、意外に美味しかった。
食べ終わって外の庭に出ると、緑の芝生の上に子ども達用の遊具などもあって、何だかワクワクした。しばらくそこでボーっとしながら、物想いにふけっていた。
「わざと料金を偽ったわけじゃないかもしれないな」英語に苦労している彼女の姿を見て、そんな気もしたのだった。まあ、真実はどうかわからないが・・・
(つづく)
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出会った子ども達や、同志のことを考え・・・いつものように「自分の夢」を想い描いて、出会った人々がその中で生き生きと活躍していた。
そして、2週間ぶりのお湯を溜めた「お風呂」を満喫した。ずっとシャワーばかりだったガチガチの体がじわ〜っとほぐれていく気がした。ああ、お風呂ってすばらし〜(^^)
疲れていた私は、下のパブの騒音にも負けず眠りに落ちたが・・・夜中に何度か目が覚めた。
そして次の日、天気は快晴!今日は急ぐこともないから電車もゆっくりとした時間のものを予約していた。バスの時間も、昨日のうちにバス停で見ておいた。時間はたっぷりある。
お腹がすいて、朝ごはんのために下におりて行くと昨日の女性が
「いつもいるコックが、改装のために今はいないから朝食はない」と言われた。
今度ばかりは私は本当に泣きそうになり、悲壮な顔で「B&B(ベッド&ブレックファースト)なんでしょう?それに料金に含まれているんじゃないの?(;O;)」と言うと、
さすがに悪いと思ったらしく
「・・・トーストでいい?」と言ってくれた。
大事な朝食がおあずけかもと思っていた私は顔を輝かせて「Yes!」と言ったもんで、彼女は私のためにキッチンに行って、普段はコックのやる仕事を自分でやって、トーストの他に目玉焼きも作ってくれた。
話している時に気がついたのだが、彼女も英語はあまりしゃべれないようだった。
何となく外国なまりも感じられた。しかもこのホテルはずっと一人で切り盛りしているようだった。
大変なんだろうな・・・('・ω・')
そして、あたたかい紅茶と一緒に、トーストと目玉焼きセットが出てきた。
おいしそう!!
「ありがとう!(≧▽≦)」
と笑顔で言うと、昨日からの気まずさもどこへやら・・・とっても嬉しそうな顔で照れ笑いをして、となりの部屋に行った。
やっと、彼女のことを好きになれそうだった。
しかし、正直なところ私は、半熟の卵は苦手だった。その目玉焼きは見事にトロトロ状態の卵だったが、これ以上は何も言うまいと、パンと一緒に食べると、意外に美味しかった。
食べ終わって外の庭に出ると、緑の芝生の上に子ども達用の遊具などもあって、何だかワクワクした。しばらくそこでボーっとしながら、物想いにふけっていた。
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2017年06月30日
またやられた〜・゚・(ノД`)・゚・。〜旅の事件簿(あくまでも10年前) 〜 料金変動国イギリス
サマーヒル訪問を終えた私は、前の日に電話で予約したB&Bに向かった。
日帰りで帰ってもよかったのだが、レイストンの町がどんなところか興味があったので、1泊して次の日に帰ることにしたのだった。
朝、降りたバス停のすぐ近くだったから、すぐにみつけることができた。
しかし着いて入り口を開けようとしたが閉まっていた。他に入るところはないか周りを見回してみたが、やはり他に入り口はない。
再び、閉まったドアをたたいて「Hello!」と大きな声で呼んだが、返事はない。「おかしいな〜」と近くの店で、自分がかけた電話番号が、確かにここのものであることを確認して、もう一度入り口に向かうと、一人のおじさんが中に入ろうとしていた。
ものすごい大声で中に向かって叫び、中から金髪の女性が出てきた。よかった〜。
古い木造のいい雰囲気のホテルだったが、どうやら一階がパブになっているらしい(いやな予感)。
そしてチェックイン時、電話では25ポンド(約6250円)と聞いていたのに「35ポンド(約8750円)」と言われる( ゚д゚)
電話で聞いたことに間違いはない自信はあった。
なにしろ、ここを含む4ヶ所に電話をしてメモを取りながら料金を聞いた上で、一番安かったここに決めたのだから・・・メモには確かに「25」とある。
「確かに25と聞いた」とくいさがっても「35」だと言い張る相手に、強行スケジュールで疲れていた私は何も言う気が起きなくなった。
ショックで泣きそうになりながら、脱力感におそわれながら、ホテルの階段を昇っていった。
「またやられた〜(怒)(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)」
実は、こんなことはこれが初めてではなく、イギリスに入って4度目だった。
「この国の常識は一体どうなっとるんじゃ〜!」と、しみじみと悲しくなった。
なぜこんなに悲しい気持ちになるのか・・・それはお金の問題というよりも、「信頼関係」の問題だった。
疲れて部屋のベッドに横になりながら、これまでのケースを思い出していた。
ケース1
1番初めのユースホステルでの宿泊料。
ネットで予約したのだから、本来なら予約金を差し引いた額になるはずなのに、なぜか、さらに追加料金を取られていた。
しかも証明書があるのだが、同じ部屋なのに毎日料金は変わり、わけの分からない理由づけも毎日違っていた。(この時は、あまり意思疎通がうまくできていなかったから何も言わなかった)
ケース2
アッシュバートンに行く時のタクシー代
乗る前は、「本来なら20だけど、15におまけするよ」と言われて、実際に着くと「やっぱり思ったより遠かったから20にしてくれ」となった。
(確かにこの時は少し余分に時間がかかったし、メーターもそれなりの料金をさしていた)
ケース3
アッシュバートンのB&Bの宿泊代
ロンドンから電話で聞いた時は、
「日曜日は、20。月曜は22。火曜は25。」
・・・とこと細かに指定されたのに、いざ出発の時には、「全て25」だと言ってきた。
この時も、「電話では違った」と抗議したが、「25だ」と言われた。
結局、お金のことで言うならほんの数ポンドの違いだし、「それ相応」のサービスを受けている。
このレイストンのホテルも、部屋はツインルームで広くて、お湯を溜めて入れるお風呂まで着いていた。
料金としては、結局不満はない。
「初めにいい顔をして後で人を欺く」
という結果になっていることが頭にくるのだった。
しかも、ケース2と3の場合はいずれも、けっこうたくさん話をして、打ち解けた相手だったからこそ、余計に悲しかった。
それも私が「日本人」であることが、その原因の1つでもあるようだった。
「初めから、そう言ってくれれば・・・」同じお金を取られても、こんな気持ちにはならなかっただろう。
普段、ユースばかり泊り歩いている私がホテルに泊るのはこういう時くらいだったから、それなりに楽しもうとしていただろう。
もっとも、そんな自分が甘いのだということも十分承知していた。
料金交渉などは、「証明」できる書類が残るメールやFaxなどが確実であり、「口約束」である電話がもっとも不確実なのだということも。
ため息をつきながら、「外に出て、気分転換がてら夕ご飯を食べてこよう」と、部屋を出てレイストンの町を散歩することにした。
小さい、こじんまりとした通りだった。さっき行った小さなお店で、大好きなショートブレッドを発見!
メーカー品よりも、なんの印もない袋の方が安くておいしそうだったので、こちらを購入。
そして、ピザのお店とインド料理のお店とで迷ったが、カレーの匂いに惹かれてふらふらとインド料理のお店の方にに入っていくと、とっても陽気なお兄さんが歓迎してくれた。
「ほんとにインド料理のお店って、どんな所にもあるんですね」と感心して言うと、
「カレーはカレーでもイギリスのインドカレーはひと味違うよ!絶対食べてみるべきだよ」
しかし、この時の私は、かなりのローテンションだった。
何しろ、料金は高い。あまり食欲はない。・・・どうしよう・・・(._.)
と虚ろにじっとメニューを見て、そう説明すると、
「よしっっ、じゃあ量を減らして特別料金にしてあげよう!」と言ってくれ、
8〜10ポンドくらいのものをなんと5ポンドにしてくれた。
「ほんとに?」私は、その優しさに少し元気が出て、目を輝かせた(°ー°〃)
料理ができるのを待っている間に、サマーヒルのことが話題になり「彼らは、うちのお得意さんなんだ」と嬉しそうに語ってくれた。
さて、いよいよ料理ができあがった。
それはそれはとってもきれいなカレーで、しかも減らしてくれた割にたっぷり入っていた。
私は「わあ!きれい!(≧▽≦)」とカメラを持ってこなかったことを悔やんだ。
しかし、ふっと普段は使わない携帯電話を持っていることを思い出し、カバンから取り出し、「カシャッ」と音をたてて写真を撮った。
その瞬間、さっきまで親しげに接してくれていたお兄さんの顔色が変わった。
そして、それから私が食べ終わって出て行くまで、一貫して態度は冷たかった。
どうやらみすぼらしく元気のない私の様子を見て、「きっとあまりお金がないんだろう」と優しい気持ちからサービスしてくれたのに、
「携帯電話を持っているリッチなやつ」
に変身してしまったためだったようだ。
またしても、何だか悲しかった。
「携帯電話を持っている」とは言っても「使わなかったら980円」ですむ安いサービスであり、
1日24ポンド(約6000円)で旅をしている決してリッチとはいえない、
しかし、世界的に見て結局「リッチでないとも言えない」この状況・・・
こういうこともけっこうよくあることだった。
だから、携帯はあまり人に見せないようにしていたのだが・・・
でも、その逆の態度を取られるよりはマシだと思った。
(お金持ちにいい顔をして、貧乏人に冷たくするような)
弱い立場の人に優しい態度で接してくれたあのお兄さんのおかげで、それまで悲しかった心が、少しあったかくなった。
「カレー、とっても美味しかった!」って言いたかったな・・・(そういう雰囲気ではなかった)
(つづく)
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日帰りで帰ってもよかったのだが、レイストンの町がどんなところか興味があったので、1泊して次の日に帰ることにしたのだった。
朝、降りたバス停のすぐ近くだったから、すぐにみつけることができた。
しかし着いて入り口を開けようとしたが閉まっていた。他に入るところはないか周りを見回してみたが、やはり他に入り口はない。
再び、閉まったドアをたたいて「Hello!」と大きな声で呼んだが、返事はない。「おかしいな〜」と近くの店で、自分がかけた電話番号が、確かにここのものであることを確認して、もう一度入り口に向かうと、一人のおじさんが中に入ろうとしていた。
ものすごい大声で中に向かって叫び、中から金髪の女性が出てきた。よかった〜。
古い木造のいい雰囲気のホテルだったが、どうやら一階がパブになっているらしい(いやな予感)。
そしてチェックイン時、電話では25ポンド(約6250円)と聞いていたのに「35ポンド(約8750円)」と言われる( ゚д゚)
電話で聞いたことに間違いはない自信はあった。
なにしろ、ここを含む4ヶ所に電話をしてメモを取りながら料金を聞いた上で、一番安かったここに決めたのだから・・・メモには確かに「25」とある。
「確かに25と聞いた」とくいさがっても「35」だと言い張る相手に、強行スケジュールで疲れていた私は何も言う気が起きなくなった。
ショックで泣きそうになりながら、脱力感におそわれながら、ホテルの階段を昇っていった。
「またやられた〜(怒)(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)」
実は、こんなことはこれが初めてではなく、イギリスに入って4度目だった。
「この国の常識は一体どうなっとるんじゃ〜!」と、しみじみと悲しくなった。
なぜこんなに悲しい気持ちになるのか・・・それはお金の問題というよりも、「信頼関係」の問題だった。
疲れて部屋のベッドに横になりながら、これまでのケースを思い出していた。
ケース1
1番初めのユースホステルでの宿泊料。
ネットで予約したのだから、本来なら予約金を差し引いた額になるはずなのに、なぜか、さらに追加料金を取られていた。
しかも証明書があるのだが、同じ部屋なのに毎日料金は変わり、わけの分からない理由づけも毎日違っていた。(この時は、あまり意思疎通がうまくできていなかったから何も言わなかった)
ケース2
アッシュバートンに行く時のタクシー代
乗る前は、「本来なら20だけど、15におまけするよ」と言われて、実際に着くと「やっぱり思ったより遠かったから20にしてくれ」となった。
(確かにこの時は少し余分に時間がかかったし、メーターもそれなりの料金をさしていた)
ケース3
アッシュバートンのB&Bの宿泊代
ロンドンから電話で聞いた時は、
「日曜日は、20。月曜は22。火曜は25。」
・・・とこと細かに指定されたのに、いざ出発の時には、「全て25」だと言ってきた。
この時も、「電話では違った」と抗議したが、「25だ」と言われた。
結局、お金のことで言うならほんの数ポンドの違いだし、「それ相応」のサービスを受けている。
このレイストンのホテルも、部屋はツインルームで広くて、お湯を溜めて入れるお風呂まで着いていた。
料金としては、結局不満はない。
「初めにいい顔をして後で人を欺く」
という結果になっていることが頭にくるのだった。
しかも、ケース2と3の場合はいずれも、けっこうたくさん話をして、打ち解けた相手だったからこそ、余計に悲しかった。
それも私が「日本人」であることが、その原因の1つでもあるようだった。
「初めから、そう言ってくれれば・・・」同じお金を取られても、こんな気持ちにはならなかっただろう。
普段、ユースばかり泊り歩いている私がホテルに泊るのはこういう時くらいだったから、それなりに楽しもうとしていただろう。
もっとも、そんな自分が甘いのだということも十分承知していた。
料金交渉などは、「証明」できる書類が残るメールやFaxなどが確実であり、「口約束」である電話がもっとも不確実なのだということも。
ため息をつきながら、「外に出て、気分転換がてら夕ご飯を食べてこよう」と、部屋を出てレイストンの町を散歩することにした。
小さい、こじんまりとした通りだった。さっき行った小さなお店で、大好きなショートブレッドを発見!
メーカー品よりも、なんの印もない袋の方が安くておいしそうだったので、こちらを購入。
そして、ピザのお店とインド料理のお店とで迷ったが、カレーの匂いに惹かれてふらふらとインド料理のお店の方にに入っていくと、とっても陽気なお兄さんが歓迎してくれた。
「ほんとにインド料理のお店って、どんな所にもあるんですね」と感心して言うと、
「カレーはカレーでもイギリスのインドカレーはひと味違うよ!絶対食べてみるべきだよ」
しかし、この時の私は、かなりのローテンションだった。
何しろ、料金は高い。あまり食欲はない。・・・どうしよう・・・(._.)
と虚ろにじっとメニューを見て、そう説明すると、
「よしっっ、じゃあ量を減らして特別料金にしてあげよう!」と言ってくれ、
8〜10ポンドくらいのものをなんと5ポンドにしてくれた。
「ほんとに?」私は、その優しさに少し元気が出て、目を輝かせた(°ー°〃)
料理ができるのを待っている間に、サマーヒルのことが話題になり「彼らは、うちのお得意さんなんだ」と嬉しそうに語ってくれた。
さて、いよいよ料理ができあがった。
それはそれはとってもきれいなカレーで、しかも減らしてくれた割にたっぷり入っていた。
私は「わあ!きれい!(≧▽≦)」とカメラを持ってこなかったことを悔やんだ。
しかし、ふっと普段は使わない携帯電話を持っていることを思い出し、カバンから取り出し、「カシャッ」と音をたてて写真を撮った。
その瞬間、さっきまで親しげに接してくれていたお兄さんの顔色が変わった。
そして、それから私が食べ終わって出て行くまで、一貫して態度は冷たかった。
どうやらみすぼらしく元気のない私の様子を見て、「きっとあまりお金がないんだろう」と優しい気持ちからサービスしてくれたのに、
「携帯電話を持っているリッチなやつ」
に変身してしまったためだったようだ。
またしても、何だか悲しかった。
「携帯電話を持っている」とは言っても「使わなかったら980円」ですむ安いサービスであり、
1日24ポンド(約6000円)で旅をしている決してリッチとはいえない、
しかし、世界的に見て結局「リッチでないとも言えない」この状況・・・
こういうこともけっこうよくあることだった。
だから、携帯はあまり人に見せないようにしていたのだが・・・
でも、その逆の態度を取られるよりはマシだと思った。
(お金持ちにいい顔をして、貧乏人に冷たくするような)
弱い立場の人に優しい態度で接してくれたあのお兄さんのおかげで、それまで悲しかった心が、少しあったかくなった。
「カレー、とっても美味しかった!」って言いたかったな・・・(そういう雰囲気ではなかった)
(つづく)
ホステル、アパートメント、高級ホテル、、、国内、国外どこでも、ご予算とご要望にお応えします^^
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ヨーロッパの自由学校訪問記 〜情報編〜
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2017年06月29日
子ども達との楽しい時間と、またまた同志との出会い 〜サマーヒルスクール訪問A 〜 イギリス、サフォーク州、レイストンにて
こと細かに、親切に案内してくれた楽しい「サマーヒル・ツアー」の終盤、
「ゾーイの話が始まるよ」
と言われたので、子ども達に「ありがとう」とお礼を言って、小さな講堂らしき所に行くと、
他の20人くらいの訪問者達はすでに集まって待っていた。
体験入学のような形も混じっていたらしく、子ども達の姿もちらほらと見える。
ここで生活している子ども達いわく
「自分達にとっては普通の人」
という、創立者ニイルの娘さんであるゾーイ校長の話は、恥ずかしくてあまり書きたくはないが・・・
あまりの早口についていけずほとんど理解できなかった(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
こんなことなら、さっきの子ども達に通訳をお願いした方がよかったかも・・・と後悔したが、まあ、主役は子ども達なんだし・・・ホームページもあるし、と潔くあきらめることにした(^^ゞ
サマーヒルの子ども達は、どんな子ども達だろう?
サンドスクールで、かなり個性的な子ども達に出会ってきた私は、その後、興味津々で子ども達を見ていた。
いたって自然体で、今どきの普通の子ども達・・・
というのが最初の印象だった。
特に気負いもなく、自分が特別なところにいるという意識は感じなかった。みんな人懐っこくて、かわいい。
日本人が多いといっても、ふだんはなるべくお互いに他の国の子ども達と一緒にいるようにしているらしい。
たまたま日本人の私が来て、どうしてもその日一日は、みんなで過ごす時間が多かったが、まあ、そうそうあることじゃないし、たまには・・・と、気にしないことにした。
正直なところ、「学校訪問」に行ったというよりも「遊びに行った」という感じだった。
子ども達は、自分の行動を自分で決めるから、興味がある対象があればそちらに行き、別に行くところ(授業など)があれば好きな時に、そこに行っているという感じ。
そう、日本の公立学校の子ども達との違いはまさにそこだった。
「自分がすることを自分で決める」
そして、どこか大人びた口調と表情・・・
「自分の責任で行動する」という環境が、彼(女)らにしっかりとした意識をもたせているように見えた。
責任の伴う「自由」の中で長い時間過ごすことで、その環境に見事に順応し、生き生きとしていた。
そして、その中の一人の男の子(13歳)が、自転車に乗って、その日一日よく私の側に来てくれた。
彼は最近授業には出ていないが「自分の飛行機を作る」ことに熱中しているという。
聞いたその時頭の中に浮かんだのは、子どもの頃によく作った紙飛行機・・・
しかし、彼の言う飛行機は、そんなチャチなものではなかった。
動力は基本的にゴムで引っ掛ける方式のもので、どんな形のものがよく飛ぶか、研究された軌跡のよく分かる、いくつもの模型飛行機が、教室の台の上にぶらさがっていた。
「飛びすぎてよく木にひっかかっちゃうんだ」と彼は笑った。
「そっか〜、将来は飛行機の整備士とかになったりして?」などと、話をしながら教室の中を見せてもらった。
ここに来てはじめの頃は、英語もよく話せなかったけど、半年くらいすると「ある日突然」分かるようになったそうだ。
それから、数字が1から20までを、順番通りに並べるおもちゃのような教具(真ん中の水色の部分がくるくると回る)
・・・を見せてくれて、「これも初めはできなかったけど、最近は簡単!」
私もチャレンジしてみたが、10分かかってもできなかった(^^”)
さらに彼は、自分でブログを書いているという。
「まさかプログラミングなんかできないよね?」と
聞くと、
「ちょっとはできるよ」とのこと
「ええ?!Σ(゚Д゚)」
パソコンルームに行って、
彼のブログを見せてもらい、ついでに私の当時のブログのことも教えると、何やらワケの分からない画面をカチャカチャと扱って、あっという間にリンクしてしまった。
おお〜!( ゚д゚)
お昼ご飯は、学校の外で食べるべきかと思っていたが、
「別にみんなここで食べてるよ」
ということだったので、一緒にご馳走になることにした。(後で、何か手伝うか、お金を払おう)
食堂があって、メニューは肉と魚を選ぶことができ、私は魚を選んだ。
フルーツまでついている。美味!
でも、そういえば最初に案内してくれたベテラン君は、
「食べ物だけは、絶対日本の方がいい!」と力説してたっけ・(ノ´∀`*)
その後は、子ども達の写真を撮らせてもらったり、一緒に遊んだりした。
体験入学中の子ども達も一緒になって、木登りやトランポリンをしている。
それから、広い広場で、みんなでフリスビーをやった。
これがまた楽しい!あまりさわっていない子に、ちゃんと投げてあげたり、自分の番なのに譲ってあげたりといった、子ども達の優しい一面がかいま見えた。
みんな笑顔いっぱいだった(^^)
二時前くらいから「スクール・ミーティング」が始まり、フリスビーに熱中していた私たちは、気がつくと一番最後に講堂に入ることとなった。
サマーヒルオフィスからのメールには、「まれに訪問者が参加できない時がある」となっていたが、今日は大丈夫なようだった。
しかし、ちょうど入り口近くの見えにくい位置に座ってしまって、司会者が見えない(^^”)
そこから眺める限り、ほとんどの子ども達が参加している様子だった。
実は、事前に案内してくれた子ども達にミーティングについて聞いてみたが、「たいくつで眠くなる」という実に正直な見解だった(^^)
そして、ちょっとためらったが「いじめ」についても聞いてみた。
「最近はないけど以前にあった」らしいということ
「え?そんなのあったの?」と周りで聞いていた子も知らなかったようだ。
集団ではなく個人間のもので、その時もスクールミーティングで話し合われて、何らかのペナルティが与えられ、今は、もう大丈夫だそうだ。
この時のミーティングの内容は、正直なところあまり覚えていない。
形式と雰囲気などは、サンドスクールとよく似ていたことを思い出す。(どちらかといえば向こうがこちらをモデルにしていると思うが)
言うまでもなく、ファーストネームで呼ばれる大人と、子ども達の1票は同等であり、違いといえば、誰かが何かを発言して、それに呼応して掛け声がかかるのが独特だった。
会が終ると、入り口のところでゾーイ校長が、訪問者集団に挨拶をしてくれて、一応訪問の流れはひととおり済んだようだった。
他の訪問客は帰っていったが、4時まではまだ見学可能と聞いていたので、私はもう少し残ることにした。
最初に行った事務室の女性から、「台湾から来ている教師がいるから、話してみたら?」ということを聞いていたので、さっきの男の子・シービ君(ネット名)に聞いて、その人をさがしたが、どうやら彼女は午後から校外にでかけているらしく、話はできなかった。
しかし、その途中でアメリカから来ているという白ひげのおじいさん先生と少しだけ話しができた。
子ども達も彼を慕っていて、ここでの生活を楽しんでいるようだった。
そして、最後の時間はやっぱり子ども達と・・・と思って、他の国の子ども達にも話し掛けてみた。
ドイツから来たという自転車に乗った少年に「 Do you like this school ? 」(この学校が好き?)
と聞くと少しはにかんで 「 Yes ! 」と元気に答えてくれた。
トランポリンの上では、韓国人の女の子と、金髪の女の子が弾むように跳んでいて、「 May I take a picture of you ? 」(写真撮ってもいい?)と聞くと、とってもいい笑顔をしてくれた。
そして、日本人の子ども達(特に女の子)がたくさん集まってきて、トーテンポールを囲んで写真を撮っていると、
少し年長っぽい男の子が通りかかり、
「お兄ちゃん!」と一人の子が声をかけた。
「兄弟で来てるんだ〜!いいね〜こんなステキな所で・・・」と言うと、
「うちの母もそうやってうらやましいって言ってますよ」と、笑った。
そのうち、木の遊具の上でみんなで遊ぶことになった。その名も・・・何だっけ〜??(お〜いシービ君、教えて〜)
久々に大爆笑して、ものすごく楽しかったのは覚えているのに名前が思い出せない(^^”)日本から伝わった(?)遊びらしいのだが、私自身は見たことのない遊びだった。
・・・と、こうして遊びに熱中している間に時間は4時を過ぎていた。
荷物が置いてある事務所の方に戻る途中で、日本人らしき大人の男性をみかけた。
話が聞けるかもと思って見ていると、彼の方でも私をみつけてくれて「日本人ですよね」と話しかけてくれた。
これまた、シービ君は親しげだ。(っていうか、中にいる人同士みんな親しげだった)
彼は、実はここサマーヒルの卒業生で、一度日本に帰って就職したのだが、今は、ここの寮母ならぬ寮父さんをしているということだった。
私は、自分の旅のこれまでやこれからのことを話した。
すると、つい昨夜のようなことが起きた。
「実はぼく、日本にサマーヒルみたいな学校を作りたいと思っているんです。」
「ええ?( ゚д゚)」
またも「同志」がいた〜!(もっともここならいても不思議はないが)
彼はTOMOさんといって、そのまま時間が経つのも忘れ、寒くなってくるのも忘れ、しばらく話し込んでしまった。
彼の知っていることや、考えていることの多くが、私自身のそれとリンクしていて、ほんとに不思議な感じだった。
ちなみに年齢は、私とほとんど同じくらいだった。
日本にもたくさん同志がいるとのことで、ただ「時期」を見て動きたいとのこと・・・
そこにちょうどさっきの「お兄ちゃん」が用事で通りかかり、私は時計を見た。
なんと5時前!
さすがにちょっと図々しすぎ・・・(^^”)
事務所を見ると、金曜日だし当たり前に閉まっていた。私の荷物〜っっ!
(まさしく時間を守らない自分が悪いわけだが)
ありがたいことにTomoさんとシービ君が、カギを持ってきて事務所を開けてくれた(感謝!)
そして、ちょうどそこに忙しそうなゾーイ校長がタイミングよく登場!
私は、彼女に「メッセージ」をお願いし・・・断られそうな雰囲気のところTomoさんが一声かけてくれたおかげで、貴重な一言をもらうことができた。
「 I hope you enjoyed your visit to Summerhill 」
(あなたがサマーヒル訪問を楽しんでくれたことを願います)
そして、あわただしく学校を後にしたのだった。
結局のところ、前もって考えていた通りの訪問になったわけだが・・・それ以上にすばらしかったのは、たくさんの子ども達と楽しい時間を過ごせたことと、貴重な「同志」に出会えたことだった。
Tomoさんの別れ際の言葉は、「じゃあ、いつか学校を作る時にまた」というもので、それがごく自然な印象として、心に残っている。
昨日のビルの言葉といい、この彼の言葉といい、「夢」が「現実」になるかもしれない・・・
可能性がどんどんふくらんでいく感覚を、これまで以上に大きく感じながら、レイストンの町を歩いて行った。
(つづく)
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「ゾーイの話が始まるよ」
と言われたので、子ども達に「ありがとう」とお礼を言って、小さな講堂らしき所に行くと、
他の20人くらいの訪問者達はすでに集まって待っていた。
体験入学のような形も混じっていたらしく、子ども達の姿もちらほらと見える。
ここで生活している子ども達いわく
「自分達にとっては普通の人」
という、創立者ニイルの娘さんであるゾーイ校長の話は、恥ずかしくてあまり書きたくはないが・・・
あまりの早口についていけずほとんど理解できなかった(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
こんなことなら、さっきの子ども達に通訳をお願いした方がよかったかも・・・と後悔したが、まあ、主役は子ども達なんだし・・・ホームページもあるし、と潔くあきらめることにした(^^ゞ
サマーヒルの子ども達は、どんな子ども達だろう?
サンドスクールで、かなり個性的な子ども達に出会ってきた私は、その後、興味津々で子ども達を見ていた。
いたって自然体で、今どきの普通の子ども達・・・
というのが最初の印象だった。
特に気負いもなく、自分が特別なところにいるという意識は感じなかった。みんな人懐っこくて、かわいい。
日本人が多いといっても、ふだんはなるべくお互いに他の国の子ども達と一緒にいるようにしているらしい。
たまたま日本人の私が来て、どうしてもその日一日は、みんなで過ごす時間が多かったが、まあ、そうそうあることじゃないし、たまには・・・と、気にしないことにした。
正直なところ、「学校訪問」に行ったというよりも「遊びに行った」という感じだった。
子ども達は、自分の行動を自分で決めるから、興味がある対象があればそちらに行き、別に行くところ(授業など)があれば好きな時に、そこに行っているという感じ。
そう、日本の公立学校の子ども達との違いはまさにそこだった。
「自分がすることを自分で決める」
そして、どこか大人びた口調と表情・・・
「自分の責任で行動する」という環境が、彼(女)らにしっかりとした意識をもたせているように見えた。
責任の伴う「自由」の中で長い時間過ごすことで、その環境に見事に順応し、生き生きとしていた。
そして、その中の一人の男の子(13歳)が、自転車に乗って、その日一日よく私の側に来てくれた。
彼は最近授業には出ていないが「自分の飛行機を作る」ことに熱中しているという。
聞いたその時頭の中に浮かんだのは、子どもの頃によく作った紙飛行機・・・
しかし、彼の言う飛行機は、そんなチャチなものではなかった。
動力は基本的にゴムで引っ掛ける方式のもので、どんな形のものがよく飛ぶか、研究された軌跡のよく分かる、いくつもの模型飛行機が、教室の台の上にぶらさがっていた。
「飛びすぎてよく木にひっかかっちゃうんだ」と彼は笑った。
「そっか〜、将来は飛行機の整備士とかになったりして?」などと、話をしながら教室の中を見せてもらった。
ここに来てはじめの頃は、英語もよく話せなかったけど、半年くらいすると「ある日突然」分かるようになったそうだ。
それから、数字が1から20までを、順番通りに並べるおもちゃのような教具(真ん中の水色の部分がくるくると回る)
・・・を見せてくれて、「これも初めはできなかったけど、最近は簡単!」
私もチャレンジしてみたが、10分かかってもできなかった(^^”)
さらに彼は、自分でブログを書いているという。
「まさかプログラミングなんかできないよね?」と
聞くと、
「ちょっとはできるよ」とのこと
「ええ?!Σ(゚Д゚)」
パソコンルームに行って、
彼のブログを見せてもらい、ついでに私の当時のブログのことも教えると、何やらワケの分からない画面をカチャカチャと扱って、あっという間にリンクしてしまった。
おお〜!( ゚д゚)
お昼ご飯は、学校の外で食べるべきかと思っていたが、
「別にみんなここで食べてるよ」
ということだったので、一緒にご馳走になることにした。(後で、何か手伝うか、お金を払おう)
食堂があって、メニューは肉と魚を選ぶことができ、私は魚を選んだ。
フルーツまでついている。美味!
でも、そういえば最初に案内してくれたベテラン君は、
「食べ物だけは、絶対日本の方がいい!」と力説してたっけ・(ノ´∀`*)
その後は、子ども達の写真を撮らせてもらったり、一緒に遊んだりした。
体験入学中の子ども達も一緒になって、木登りやトランポリンをしている。
それから、広い広場で、みんなでフリスビーをやった。
これがまた楽しい!あまりさわっていない子に、ちゃんと投げてあげたり、自分の番なのに譲ってあげたりといった、子ども達の優しい一面がかいま見えた。
みんな笑顔いっぱいだった(^^)
二時前くらいから「スクール・ミーティング」が始まり、フリスビーに熱中していた私たちは、気がつくと一番最後に講堂に入ることとなった。
サマーヒルオフィスからのメールには、「まれに訪問者が参加できない時がある」となっていたが、今日は大丈夫なようだった。
しかし、ちょうど入り口近くの見えにくい位置に座ってしまって、司会者が見えない(^^”)
そこから眺める限り、ほとんどの子ども達が参加している様子だった。
実は、事前に案内してくれた子ども達にミーティングについて聞いてみたが、「たいくつで眠くなる」という実に正直な見解だった(^^)
そして、ちょっとためらったが「いじめ」についても聞いてみた。
「最近はないけど以前にあった」らしいということ
「え?そんなのあったの?」と周りで聞いていた子も知らなかったようだ。
集団ではなく個人間のもので、その時もスクールミーティングで話し合われて、何らかのペナルティが与えられ、今は、もう大丈夫だそうだ。
この時のミーティングの内容は、正直なところあまり覚えていない。
形式と雰囲気などは、サンドスクールとよく似ていたことを思い出す。(どちらかといえば向こうがこちらをモデルにしていると思うが)
言うまでもなく、ファーストネームで呼ばれる大人と、子ども達の1票は同等であり、違いといえば、誰かが何かを発言して、それに呼応して掛け声がかかるのが独特だった。
会が終ると、入り口のところでゾーイ校長が、訪問者集団に挨拶をしてくれて、一応訪問の流れはひととおり済んだようだった。
他の訪問客は帰っていったが、4時まではまだ見学可能と聞いていたので、私はもう少し残ることにした。
最初に行った事務室の女性から、「台湾から来ている教師がいるから、話してみたら?」ということを聞いていたので、さっきの男の子・シービ君(ネット名)に聞いて、その人をさがしたが、どうやら彼女は午後から校外にでかけているらしく、話はできなかった。
しかし、その途中でアメリカから来ているという白ひげのおじいさん先生と少しだけ話しができた。
子ども達も彼を慕っていて、ここでの生活を楽しんでいるようだった。
そして、最後の時間はやっぱり子ども達と・・・と思って、他の国の子ども達にも話し掛けてみた。
ドイツから来たという自転車に乗った少年に「 Do you like this school ? 」(この学校が好き?)
と聞くと少しはにかんで 「 Yes ! 」と元気に答えてくれた。
トランポリンの上では、韓国人の女の子と、金髪の女の子が弾むように跳んでいて、「 May I take a picture of you ? 」(写真撮ってもいい?)と聞くと、とってもいい笑顔をしてくれた。
そして、日本人の子ども達(特に女の子)がたくさん集まってきて、トーテンポールを囲んで写真を撮っていると、
少し年長っぽい男の子が通りかかり、
「お兄ちゃん!」と一人の子が声をかけた。
「兄弟で来てるんだ〜!いいね〜こんなステキな所で・・・」と言うと、
「うちの母もそうやってうらやましいって言ってますよ」と、笑った。
そのうち、木の遊具の上でみんなで遊ぶことになった。その名も・・・何だっけ〜??(お〜いシービ君、教えて〜)
久々に大爆笑して、ものすごく楽しかったのは覚えているのに名前が思い出せない(^^”)日本から伝わった(?)遊びらしいのだが、私自身は見たことのない遊びだった。
・・・と、こうして遊びに熱中している間に時間は4時を過ぎていた。
荷物が置いてある事務所の方に戻る途中で、日本人らしき大人の男性をみかけた。
話が聞けるかもと思って見ていると、彼の方でも私をみつけてくれて「日本人ですよね」と話しかけてくれた。
これまた、シービ君は親しげだ。(っていうか、中にいる人同士みんな親しげだった)
彼は、実はここサマーヒルの卒業生で、一度日本に帰って就職したのだが、今は、ここの寮母ならぬ寮父さんをしているということだった。
私は、自分の旅のこれまでやこれからのことを話した。
すると、つい昨夜のようなことが起きた。
「実はぼく、日本にサマーヒルみたいな学校を作りたいと思っているんです。」
「ええ?( ゚д゚)」
またも「同志」がいた〜!(もっともここならいても不思議はないが)
彼はTOMOさんといって、そのまま時間が経つのも忘れ、寒くなってくるのも忘れ、しばらく話し込んでしまった。
彼の知っていることや、考えていることの多くが、私自身のそれとリンクしていて、ほんとに不思議な感じだった。
ちなみに年齢は、私とほとんど同じくらいだった。
日本にもたくさん同志がいるとのことで、ただ「時期」を見て動きたいとのこと・・・
そこにちょうどさっきの「お兄ちゃん」が用事で通りかかり、私は時計を見た。
なんと5時前!
さすがにちょっと図々しすぎ・・・(^^”)
事務所を見ると、金曜日だし当たり前に閉まっていた。私の荷物〜っっ!
(まさしく時間を守らない自分が悪いわけだが)
ありがたいことにTomoさんとシービ君が、カギを持ってきて事務所を開けてくれた(感謝!)
そして、ちょうどそこに忙しそうなゾーイ校長がタイミングよく登場!
私は、彼女に「メッセージ」をお願いし・・・断られそうな雰囲気のところTomoさんが一声かけてくれたおかげで、貴重な一言をもらうことができた。
「 I hope you enjoyed your visit to Summerhill 」
(あなたがサマーヒル訪問を楽しんでくれたことを願います)
そして、あわただしく学校を後にしたのだった。
結局のところ、前もって考えていた通りの訪問になったわけだが・・・それ以上にすばらしかったのは、たくさんの子ども達と楽しい時間を過ごせたことと、貴重な「同志」に出会えたことだった。
Tomoさんの別れ際の言葉は、「じゃあ、いつか学校を作る時にまた」というもので、それがごく自然な印象として、心に残っている。
昨日のビルの言葉といい、この彼の言葉といい、「夢」が「現実」になるかもしれない・・・
可能性がどんどんふくらんでいく感覚を、これまで以上に大きく感じながら、レイストンの町を歩いて行った。
(つづく)
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2017年06月28日
「自由」というもの 〜サマーヒルスクール訪問@ 〜 イギリス、サフォーク州、レイストンにて
2007年5月25日(金)
緑の芝生に覆われた広い敷地の中を、入り口から一番近い建物に向けて歩いていくと、事務所らしき所に辿りついた。
中の女性に訪問の約束をしている旨を伝えると、笑顔で歓迎してくれた。
そして、日本のどこから?と聞かれたので「大阪」だと答えると、なぜか目を輝かせて喜んでくれ、歓迎ぶりにさらに熱が入ったようだった。
そして「日本人の生徒がいるから呼んで来る」と言って、すでに近くにいた小さな女の子に「それまで相手しててね」と頼んでどこかへ行った。
その女の子も日本人で、なんとなく9歳くらいかな?という感じだった。
それで彼女に「日本人は何人いるの?」と尋ねたところ「16人います」とのことだった。
「16人!!」・・・( ゚д゚)
「学校全部で何人いるの?」
「だいたい70人〜80人くらい」
・・・ということは5分の1が日本人ということになる・・・ビックリ!
後で聞いたところによると地元イギリス人も同じくらいだとのこと・・・なんだかフクザツな心境だった。
やがて、2人の男の子を連れて、さっきの女性が戻ってきた。
どうやら年長らしい一人はサマーヒルのベテランという感じのさわやかな少年、主に彼が色々説明をしてくれた。
もう一人は、落ち着いた優しい感じで、主にサポート&フォローという形で、「サマーヒルツアー」が始まった(๑•̀ㅂ•́)و✧
途中で、他の日本人の子ども達が何人かそのツアーに加わって、学校中を案内してくれた。
結論から言うと、これなら、世界中の人がこの学校を理想とし、モデルにしようとするのもまったく納得がいった(≧▽≦)
気持ちのいい緑の芝生、そこらじゅうにある大きな木々、
手づくりの遊具、さらにプールや広いグラウンド、などのそろった広い敷地。
その中には、教室に加えて子ども達の寮や、先生方の住んでいる家もあった。
中には古い列車か車みたいな家もあって「窓際のトットちゃん」を思い出した。
基本的に、高い建物はほとんどなくて、横に長い木造の建物が多く、周囲の自然に見事にマッチしていた。
全体として、居心地がよさそう。
開放的で、閉じた感じがまったくない。
木の上の居場所やバーベキューの道具とベンチなど、あちこちに「楽しむための道具」が用意されていた。
教室の中も見れるところは見せてくれた。
木工のための道具、数や図形などに関するおもしろそうな道具などなど・・・。
まったく、自分が子どもだったらとっても楽しいだろう環境だった(*゚∀゚)
実際、案内してくれた子ども達はみんな、とてもいい表情をしていて「ここは何でも自由なの」と、生き生きと語ってくれた。
さて、その自由についてだが、、、今の日本の教育現場に立っている人の中で、「自由」と聞いて「すばらしいもの」と感じる人は、もしかしてそれほど多くないかもしれない。
かくいう私も、その当時は「自由」と聞くと何かしら不安な気持ちにさせられていた。それは、過去の現場経験によるものからかもしれない。
今の子ども達には、安易には「自由」を与えることができない。
いざ与えられると、「何をしていいのか分からない」それは、大人にとっても同じこと。
まったく無くせば、子どもはそれを求めて何らかの動きを起こすし、また、それがその時すぐとは限らない。
子どもも相手を見て行動する術を知っているから、反抗して危険だと感じる相手には無理には動かない。
「この相手なら大丈夫そうだ」と感じる相手に行動を起こすのである。
また、与えすぎると今度は、とどまるところを知らない。自分を制御することができないのである。
もしくは、どこまでかの線引きがわからない。
かくして、それを「力」で押さえつけざるをえなくなってしまう。
さらにほんのちょっとのケガでも「責任」がどうのとクレームが来る時代なのだ。
ちょっと自由にさせると、ケンカ、ケガということは日常茶飯事。
安全に気を使えばつかうほど、子ども達から「自由」をうばうことになってしまう。
実際のところ、日本で今「木登り」が自由な学校など、どれくらいあるだろうか。
「自由」の与え方次第で学級運営が決まると言ってもいいくらいかもしれない。
もちろん、その加減をとてもうまくされて、子どもが生き生きしている学級はたくさんある。
そして、今の現場の厳しさが「自由」の与え方だけで決まるものでもないことも当たり前の事実である。(色々な要素が絡み合っている)
しかし、ある一つのキーワードになっていることは確かなような気がする。どこで、どのようにして「自由」を与えるか・・・。
そして、現実問題として「カリキュラム」というものがある。自由な時間を少しでも多く与えてあげたいと思っても、「こなさなければならないノルマ」が存在する。
さらに通知表での「評価」というものが、1年中、子ども達と先生をありとあらゆる角度から、がんじがらめにしている。
だからこそ、カリキュラムもなく「授業にでることすらも自由(自己責任)」というこのサマーヒルを実際に見てみたいと思ったのだった。
(つづく)
自由な「学び」を選べるなら、、、何を選びますか?
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中の女性に訪問の約束をしている旨を伝えると、笑顔で歓迎してくれた。
そして、日本のどこから?と聞かれたので「大阪」だと答えると、なぜか目を輝かせて喜んでくれ、歓迎ぶりにさらに熱が入ったようだった。
そして「日本人の生徒がいるから呼んで来る」と言って、すでに近くにいた小さな女の子に「それまで相手しててね」と頼んでどこかへ行った。
その女の子も日本人で、なんとなく9歳くらいかな?という感じだった。
それで彼女に「日本人は何人いるの?」と尋ねたところ「16人います」とのことだった。
「16人!!」・・・( ゚д゚)
「学校全部で何人いるの?」
「だいたい70人〜80人くらい」
・・・ということは5分の1が日本人ということになる・・・ビックリ!
後で聞いたところによると地元イギリス人も同じくらいだとのこと・・・なんだかフクザツな心境だった。
やがて、2人の男の子を連れて、さっきの女性が戻ってきた。
どうやら年長らしい一人はサマーヒルのベテランという感じのさわやかな少年、主に彼が色々説明をしてくれた。
もう一人は、落ち着いた優しい感じで、主にサポート&フォローという形で、「サマーヒルツアー」が始まった(๑•̀ㅂ•́)و✧
途中で、他の日本人の子ども達が何人かそのツアーに加わって、学校中を案内してくれた。
結論から言うと、これなら、世界中の人がこの学校を理想とし、モデルにしようとするのもまったく納得がいった(≧▽≦)
気持ちのいい緑の芝生、そこらじゅうにある大きな木々、
手づくりの遊具、さらにプールや広いグラウンド、などのそろった広い敷地。
その中には、教室に加えて子ども達の寮や、先生方の住んでいる家もあった。
中には古い列車か車みたいな家もあって「窓際のトットちゃん」を思い出した。
基本的に、高い建物はほとんどなくて、横に長い木造の建物が多く、周囲の自然に見事にマッチしていた。
全体として、居心地がよさそう。
開放的で、閉じた感じがまったくない。
木の上の居場所やバーベキューの道具とベンチなど、あちこちに「楽しむための道具」が用意されていた。
教室の中も見れるところは見せてくれた。
木工のための道具、数や図形などに関するおもしろそうな道具などなど・・・。
まったく、自分が子どもだったらとっても楽しいだろう環境だった(*゚∀゚)
実際、案内してくれた子ども達はみんな、とてもいい表情をしていて「ここは何でも自由なの」と、生き生きと語ってくれた。
さて、その自由についてだが、、、今の日本の教育現場に立っている人の中で、「自由」と聞いて「すばらしいもの」と感じる人は、もしかしてそれほど多くないかもしれない。
かくいう私も、その当時は「自由」と聞くと何かしら不安な気持ちにさせられていた。それは、過去の現場経験によるものからかもしれない。
今の子ども達には、安易には「自由」を与えることができない。
いざ与えられると、「何をしていいのか分からない」それは、大人にとっても同じこと。
まったく無くせば、子どもはそれを求めて何らかの動きを起こすし、また、それがその時すぐとは限らない。
子どもも相手を見て行動する術を知っているから、反抗して危険だと感じる相手には無理には動かない。
「この相手なら大丈夫そうだ」と感じる相手に行動を起こすのである。
また、与えすぎると今度は、とどまるところを知らない。自分を制御することができないのである。
もしくは、どこまでかの線引きがわからない。
かくして、それを「力」で押さえつけざるをえなくなってしまう。
さらにほんのちょっとのケガでも「責任」がどうのとクレームが来る時代なのだ。
ちょっと自由にさせると、ケンカ、ケガということは日常茶飯事。
安全に気を使えばつかうほど、子ども達から「自由」をうばうことになってしまう。
実際のところ、日本で今「木登り」が自由な学校など、どれくらいあるだろうか。
「自由」の与え方次第で学級運営が決まると言ってもいいくらいかもしれない。
もちろん、その加減をとてもうまくされて、子どもが生き生きしている学級はたくさんある。
そして、今の現場の厳しさが「自由」の与え方だけで決まるものでもないことも当たり前の事実である。(色々な要素が絡み合っている)
しかし、ある一つのキーワードになっていることは確かなような気がする。どこで、どのようにして「自由」を与えるか・・・。
そして、現実問題として「カリキュラム」というものがある。自由な時間を少しでも多く与えてあげたいと思っても、「こなさなければならないノルマ」が存在する。
さらに通知表での「評価」というものが、1年中、子ども達と先生をありとあらゆる角度から、がんじがらめにしている。
だからこそ、カリキュラムもなく「授業にでることすらも自由(自己責任)」というこのサマーヒルを実際に見てみたいと思ったのだった。
(つづく)
自由な「学び」を選べるなら、、、何を選びますか?
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2017年06月27日
「自由学校を作りたい」という夢の原点 〜 サマーヒルスクールに惹かれる理由 〜
そもそも、私が「自分で学校を作りたい」と思い始めたのは大学生の頃・・・その当時から10年ほども前のことになる。
正直なところ、「大学」という場所は私にとって「学問をする」ところではなかった。
初めはそういう志がなかったワケではないが、あまりにも講義がつまらなかったし、実用性があると思えなかったのだ。
結果、私の大学生活の半分はワンダーフォーゲル部の活動。
そして4分の1は、生活費のためのアルバイト。
残りがかろうじて勉強・・・という感じで、それはそれなりに充実していた。
そんな中でたった一人だけ、私が毎回夢中になって講義を受けた先生がいた。
その先生は、毎日のように「不登校」や「いじめ」で苦しむ子ども達から相談を受け、「生」の声を聴いては、勇気付け、はげましておられる方だった。
今の子ども達の苦しみ、悲しみ、絶望・・・時には自殺に到るまでの精神状態が、一体、なぜなのか・・・そして、私達がどうすればいいのか・・・そうしたことを、講義の始めに必ず語ってくださった。
私だけでなく、そこにいる学生みんなの心に響いていることが、その表情からうかがえた。時には、涙をうかべている姿さえ見た。
なぜかは分からないけれど、その先生の話を聞いていると、「自分で学校を作りたい!」という想いがもくもくと湧いてきた感覚を、今でも覚えている。
(ちなみに、広木克行先生といって、数多くの著書も書いておられる)
それは、講義を受けては私の胸に現れ、時間が経てばうすれ、また講義を聴いては現れ・・・の繰り返しだった。
そして、とうてい実現不可能なように思われるこのまさしく「夢」は、最終的な私の人生の目標として、心の中で、歩いていく道の向こう側に常に意識されることとなった。
和歌山にある「きのくに子どもの村」学園を訪問したのは、大学を卒業して、大分の由布院で働いている頃だった。
「まちづくり」で、全国的にも有名なあの町では、私にとって興味のあるあらゆる分野のあらゆる情報を、その実践者からダイレクトに入手することができ、あの3年間で学んだことは、今の私にとって欠かすことができないものとなっている。
何しろ、月に1度は必ず誰かの講演会が開かれたり、何かのイベントが行なわれていて、とにかく色々な出会いがあった。
その中の一つが、「きのくに」との出会いだった。
1992年開校。日本で唯一、私立小学校の認可を受けた「手づくりの自由学校」。
テストも通知表もなく、「先生」と呼ばれる大人もいない。学年もない。
畑を耕したり、建物を建てたり「ラーニング・バイ・ドゥ−イング」(為すことによって学ぶ)が実践されている、寄宿生の学校。
普通の公立学校に通い、普通に卒業した私からすれば、「こんな学校があるんだ〜っっ」と、本当に感動したのを覚えている。
ただ、私達が訪問した時はまだ開校して間もない(3年目か4年目)頃で、子ども達の顔が期待したほどのいい表情でなかったことが印象的だった。
もっとも、「木曜日」は「訪問日」であり、外部からの見学者に対して緊張していただけなのかもしれない。最近、テレビで見た時は、子ども達の表情はとてもいいものだったように思う。(今度、もう一度行って見てみたい)
しかもこの15年の間に、中学校、高等専修学校、福井県かつやまでの小・中学校開校、さらにさらに・・・と勢いは衰えないようだ。
その「きのくに」のモデルとなっている学校がイギリスの「サマーヒル・スクール」そしてスコットランドにあった「キルクハニティ・ハウス・スクール」であった。
実は、今回の旅でキルクハニティにも是非行ってみたかったのだが、残念なことに「閉校」になっていた。なぜだか、事情は分からない。
そんなワケで、サマーヒルだけを訪問することにしたのだった。
ただ、私の中で「注目され過ぎることでいいことはあまりない」ということを経験上よく知っていたので、正直なところ、「期待し過ぎるのはやめておこう」というような気持ちもあった。
その気持ちは以前に書いたブログにもあるメールのやりとりの中から生まれたものだった。
サマーヒルは今、次から次へとやってくる訪問客の対応に追われているようだった。
1日だけで本質を理解するのはまず不可能だし、逆にサマーヒルについての書物はたくさんある。注目すべきは、その時しか見れない「環境」と「子ども達の表情」だという結論に達した。
・・・とはいえ、楽しみなことに変わりはなかった。ワクワクする気持ちを押さえつつ、中に歩いていった。
(つづく)
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初めはそういう志がなかったワケではないが、あまりにも講義がつまらなかったし、実用性があると思えなかったのだ。
結果、私の大学生活の半分はワンダーフォーゲル部の活動。
そして4分の1は、生活費のためのアルバイト。
残りがかろうじて勉強・・・という感じで、それはそれなりに充実していた。
そんな中でたった一人だけ、私が毎回夢中になって講義を受けた先生がいた。
その先生は、毎日のように「不登校」や「いじめ」で苦しむ子ども達から相談を受け、「生」の声を聴いては、勇気付け、はげましておられる方だった。
今の子ども達の苦しみ、悲しみ、絶望・・・時には自殺に到るまでの精神状態が、一体、なぜなのか・・・そして、私達がどうすればいいのか・・・そうしたことを、講義の始めに必ず語ってくださった。
私だけでなく、そこにいる学生みんなの心に響いていることが、その表情からうかがえた。時には、涙をうかべている姿さえ見た。
なぜかは分からないけれど、その先生の話を聞いていると、「自分で学校を作りたい!」という想いがもくもくと湧いてきた感覚を、今でも覚えている。
(ちなみに、広木克行先生といって、数多くの著書も書いておられる)
それは、講義を受けては私の胸に現れ、時間が経てばうすれ、また講義を聴いては現れ・・・の繰り返しだった。
そして、とうてい実現不可能なように思われるこのまさしく「夢」は、最終的な私の人生の目標として、心の中で、歩いていく道の向こう側に常に意識されることとなった。
和歌山にある「きのくに子どもの村」学園を訪問したのは、大学を卒業して、大分の由布院で働いている頃だった。
「まちづくり」で、全国的にも有名なあの町では、私にとって興味のあるあらゆる分野のあらゆる情報を、その実践者からダイレクトに入手することができ、あの3年間で学んだことは、今の私にとって欠かすことができないものとなっている。
何しろ、月に1度は必ず誰かの講演会が開かれたり、何かのイベントが行なわれていて、とにかく色々な出会いがあった。
その中の一つが、「きのくに」との出会いだった。
1992年開校。日本で唯一、私立小学校の認可を受けた「手づくりの自由学校」。
テストも通知表もなく、「先生」と呼ばれる大人もいない。学年もない。
畑を耕したり、建物を建てたり「ラーニング・バイ・ドゥ−イング」(為すことによって学ぶ)が実践されている、寄宿生の学校。
普通の公立学校に通い、普通に卒業した私からすれば、「こんな学校があるんだ〜っっ」と、本当に感動したのを覚えている。
ただ、私達が訪問した時はまだ開校して間もない(3年目か4年目)頃で、子ども達の顔が期待したほどのいい表情でなかったことが印象的だった。
もっとも、「木曜日」は「訪問日」であり、外部からの見学者に対して緊張していただけなのかもしれない。最近、テレビで見た時は、子ども達の表情はとてもいいものだったように思う。(今度、もう一度行って見てみたい)
しかもこの15年の間に、中学校、高等専修学校、福井県かつやまでの小・中学校開校、さらにさらに・・・と勢いは衰えないようだ。
その「きのくに」のモデルとなっている学校がイギリスの「サマーヒル・スクール」そしてスコットランドにあった「キルクハニティ・ハウス・スクール」であった。
実は、今回の旅でキルクハニティにも是非行ってみたかったのだが、残念なことに「閉校」になっていた。なぜだか、事情は分からない。
そんなワケで、サマーヒルだけを訪問することにしたのだった。
ただ、私の中で「注目され過ぎることでいいことはあまりない」ということを経験上よく知っていたので、正直なところ、「期待し過ぎるのはやめておこう」というような気持ちもあった。
その気持ちは以前に書いたブログにもあるメールのやりとりの中から生まれたものだった。
サマーヒルは今、次から次へとやってくる訪問客の対応に追われているようだった。
1日だけで本質を理解するのはまず不可能だし、逆にサマーヒルについての書物はたくさんある。注目すべきは、その時しか見れない「環境」と「子ども達の表情」だという結論に達した。
・・・とはいえ、楽しみなことに変わりはなかった。ワクワクする気持ちを押さえつつ、中に歩いていった。
(つづく)
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2017年06月24日
やってもた〜っっε≡≡ヘ( ´Д`)ノ 〜サマーヒル、訪問当日の朝! 〜 イギリス、ロンドンにて
2007年5月25日(金)
サマーヒル・スクールは、ロンドンから北東のサフォーク州のレイストンという町にあり、イプスウィッチという港町の近くだった。
この日の予定は、ハイストリート・ケンジントン〜リバプールストリート駅:地下鉄
リバプールストリート駅〜イプスウィッチを経由して、サクスマンダム駅:列車
そこからバスに乗ってレイストンへ・・・というものであった。
約束の時間は、10時半。そして、サクスマンダムから先は、バスの時刻も分からなければ、レイストンの駅から学校までの道も時間も分からない。
1日だけの訪問だから、絶対に遅刻できない。早めに行くに越したことはない。(しかも、早い時間だと切符も安かった。)
・・・というワケで、列車の駅であるリバプール・ストリート駅発6時に乗るつもりでいた。
そうすると、4時半には出発しないといけない。
・・・ということは、起床は4時・・・なんて迷惑な客なんだ!
しかし、仕方が無い・・・。アラームを一番小さい音にして、4時にセット・・・。
就寝・・・(。-ω-)zzz. . .
(。゚ω゚) ハッ!っと目が覚めて、外を見ると、何となく空が明るく見える・・・
時計を見ると・・・
なんと既に5時!
(✽ ゚д゚ ✽)
ぎええ〜やってもた〜っっ!
この大事な日に限って・・・っっ!
超特急で、荷物をまとめてダッシュでフロントに行ったε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
(この時の私の姿はかなり滑稽だったことと思う。何しろ髪も解いてなかった)
チェックアウトして、荷物を預けて・・・朝食分のお弁当を受け取り
(こんな時でも食べ物のことは忘れない)・・・
地下鉄の駅に猛ダッシュ!!
走りながら、なんでこんなに遠いんだ〜っ・・・と、さすがに途中からは、力つきて歩いて行った。
地下鉄に着いて乗ろうとすると、オイスターカード(デポジット制の割引カード;初乗り4ポンドが1・5ポンドになる)の残高が足りない!
初の「チャージ」とやらに挑戦・・・これがなかなかよく分からず、またしても時間をくう。
何とか10ポンド入金することができて一件落着。
急いで入り口に向かった。その時点で既に5時40分。
座っている女性の係員さんに「リバプール・ストリートへは?!(@@;)」と、聞くと・・・
すごい勢いだったらしく、たじたじとしながら右方向を指差してくれた。
転がりそうになりながら降りると、まさしく目の前でドアが閉まった・・・(TT)
次の列車は、約10分後。
これはもう無理か・・・と思った途端、向かいのホームに列車が入ってきた。
これだとどうかな?
ちょうどそこにいた人に聞くと、「行ける」ということなので、乗ってみることにした。
しかし、3駅ほど行くと止まって、どうやら「乗り換え」の指示がでているが、ぼーっとしていた私はよく聞き取れなかった(゜゜)
それで、そこにいた他の乗客に聞くと、ちょうど向かいのホームに止まっている列車に乗ればいいと言われた。
それで、乗り換えると・・・
なんと、今来た方向に戻っている!(TT)
もう絶望的だ〜・・・(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
がっくりきて、一つ行った駅で降りた・・・
これはもう腹をくくるしかない・・・と、やっと冷静になってきた(´・ω・`)
そしてよくよく地下鉄の路線図を見ると・・・
出発駅のハイストリート・ケンジントンと目的のリバプール・ストリートは、ちょうど大阪の環状線や東京の山手線のように、輪になっている地下鉄の中で向き合う位置の関係にあった。
つまりは右に行っても、左に行っても、辿り着くことはできる。
ただ、微妙に近いのは北に向かって走る方だった。
・・・ということは、アドバイスしてくれた人達は、みんな間違ってはいないわけだ。
どっちに行っても着くことは着くのだから・・・。
しかし、列車によっては途中から違う方向にそれるものがあり、それさえ気をつければ、だいたいどの列車に乗っても大丈夫のようだった。
気を取り直して、確実につける列車を選んで乗ると、だいたい30分くらいだったろうか?目的の駅に到着した。
時間は6時半・・・。当たり前だが、予約した6時の列車はもうすでに出ていた。
よっぽど訪問日を変えてもらおうか?ということも考えたが、もともと早目に予約したのだから、まだあきらめるのは早い。
次の列車が何時かを聞いてみた。
すると、8時16分!あと2時間近くもある。しかし、サクスマンダムには9時40分頃に着くという。
運良くバスがあれば、なんとか10時半に間に合うかもしれない。
よし!大丈夫!(๑•̀ㅂ•́)و✧
安心したら、お腹がすいてきた。ユースで用意してくれた、お弁当を食べることに・・・。
中身は、クロワッサン2つにジャム・バター、リンゴ、チーズ、オレンジジュース・・・といったもの。
ここのクロワッサンは本当に美味しくて、大好きだったので、とっても嬉しかった٩(♡ε♡ )۶
ひと息ついて、ネットで購入した切符を入手すべく機械にチャレンジしたが、さっぱり分からない(・・;)
システムとしては、予約した番号を指定した駅の指定された機械に入力すれば、切符が出てくるというもの。
(お金はすでにクレジットで払っている)
これは、ちょっと私には高度すぎたかも・・・というワケで、仕方なく窓口に行って聞いてみた。
すると、何だかよく分からないが「何か」が必要だと、さかんに言っている。
何だろう?(?_?)
私がまったく理解しないもんで、係員の声が次第にボリュームアップしてくる。
(しかもだんだん額に怒りマークが現れてきた)
どうやら、顧客管理ナンバーみたいなものが必要だったらしく、確かに予約した時に送られてきたメールには、それらしきものが書いてあったように思う。
しかし、私は予約ナンバーだけで何とかなると思っていたので、そのナンバーは控えてなかった。
仕方が無いので、提示できるありとあらゆる情報を紙に書いて提示した。
名前、往復の列車の時間とルート。
係員は、「まったくもう・・・(-_-;)」
という表情をしながらも、カチャカチャと機械を操作して、何とか私の情報を見つけ出して、切符を渡してくれた。
よかった〜!\(^o^)/
心から「本当にありがとう!」と言うと、何だか照れ笑いのような表情で「いいんだよ」と言ってくれた。
それにしても・・・時間と値段はネットで調べておいて、切符は窓口で買うのが一番ベストなやり方だとしみじみ思った。(今回は駅が遠かったから仕方が無かったが)
ちなみに今の私なら、ヨーロッパ鉄道旅行
のページ(日本語)から路線検索しますけどね^^
8時16分。
2・3両くらいの小さな列車に乗り、ようやくロンドンを出発することができた。
さすがに、早朝ランニングした私は、一気に気が緩んで、1時間くらいはぐっすり眠っていた(-_-)zzz
そして、何やら後ろで争う声がして目が覚めた。
どうやら、切符を買わずに乗ったお客と車掌さんが、言い争っているようで、結局そのお客は罰金25ポンド支払わされていた。
車掌さんが去った後・・・しばらくその客はブツブツと毒づいていた。
次は私の番だった。実は私は、行きの切符は6時の切符のままだったから、少しドキドキしたが・・・(催促されたらその時はその時、、、とのんびりかまえていた)
ラッキーなことに何も言われなかった!
(多少心は痛むが・・・まあ、間違いなくその区間の料金は払っているわけだし・・・よしとしよう)
車窓は、のどかなカントリーサイド・・・
しかし、残念ながら天気はそれほどよくはなかった。雨が降らないだけまだいいかという感じ。
そして、いよいよ列車はサクスマンダムに到着した。
小さな駅で、インフォメーションもなく、周りにも情報板らしきものも何もない・・・
「どうすればいいんだ〜(;^ω^)」
と、ウロウロしていると、駅に沿った道の向こう側に立っているイギリス青年が
「どうしたの?」と、聞いてくれた。
「レイストンに行くバスを探してるんだけど・・・」と言うと、
「ああ、それならここで待っていたら、もうすぐ来るよ」と教えてくれた。
感じのいい人で、何だか荷物に見覚えがあった。
「もしかして、さっきの列車で、私のななめ前に座ってた人?」
「Yes」
私がいつも持ち歩いている登山用の赤いザックとよく似ている荷物だったから、
「登山をする人かな?」と思って印象に残っていたのだった。
そう聞くと、「今回は登山ではなかったけど、旅には便利だから」と軽く笑った。
ところで、私は、10時半にサマーヒルに着けるかどうかが、かなり心配だったので、45分を過ぎてバスが来ないので不安になって聞いてみた。
すると彼は「大丈夫!」と言うので、安心してゆっくり待つことにした。
「サマーヒルに行くつもりなんだけど・・・知ってる?」
「ああ、普通の学校とは違うおもしろいタイプの学校だよね」
彼は、レイストンのもう一つ向こうの町に住んでいて、奥さんは公立の小学校の先生をしているという。
「とっても大変な仕事だけど、彼女は楽しんでるよ。」とのこと。何だか嬉しかった^_^
そして、55分、待ちわびたバスが来た!
彼は、切符を買う時もアドバイスしてくれ、乗ってる間、今か今かと落ち着かない私に
「降りる所に着いたら教えてあげるから」と言ってくれた。
バスは、のどかな田舎道を右に左に走っていく・・・。
もうすぐだ・・・。もうすぐ・・・。
10時20分。
「このバス停で降りて、右に行くと町の図書館があるから、そこで聞くときっと教えてくれる。」と言って、
「よい旅を」と手を振ってくれた。
私は「ありがとう!」と手を振って急いで、図書館に向かった。
小さなかわいい図書館で、受付の人も親切に丁寧に教えてくれた。
「情報化社会」と言われる今の時代でも、旅をして、知らない土地、しかも田舎に行けば行くほど、情報は「人」からしか得られない。
しみじみと、困っている時の、その土地の人の親切というのは、本当に心に染みた。
そして、そこから歩いて、約5・6分。右に森を見ながら歩いて行くと・・・あった!
うっかり通り過ぎそうになったけれど、垣根っぽい塀の下の方に「SUMMERHILL」の文字・・・
ずっとずっと、来てみたかった、あのサマーヒルについに、辿り着いたのである。
時間は、10時半ジャスト・・・!
よかった〜!(≧▽≦)
さあ、どんな子ども達に会えるかな?ワクワクしながら、まずは事務室に向かった。
*当時1ポンド=約250円
(つづく)
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サマーヒル・スクールは、ロンドンから北東のサフォーク州のレイストンという町にあり、イプスウィッチという港町の近くだった。
この日の予定は、ハイストリート・ケンジントン〜リバプールストリート駅:地下鉄
リバプールストリート駅〜イプスウィッチを経由して、サクスマンダム駅:列車
そこからバスに乗ってレイストンへ・・・というものであった。
約束の時間は、10時半。そして、サクスマンダムから先は、バスの時刻も分からなければ、レイストンの駅から学校までの道も時間も分からない。
1日だけの訪問だから、絶対に遅刻できない。早めに行くに越したことはない。(しかも、早い時間だと切符も安かった。)
・・・というワケで、列車の駅であるリバプール・ストリート駅発6時に乗るつもりでいた。
そうすると、4時半には出発しないといけない。
・・・ということは、起床は4時・・・なんて迷惑な客なんだ!
しかし、仕方が無い・・・。アラームを一番小さい音にして、4時にセット・・・。
就寝・・・(。-ω-)zzz. . .
(。゚ω゚) ハッ!っと目が覚めて、外を見ると、何となく空が明るく見える・・・
時計を見ると・・・
なんと既に5時!
(✽ ゚д゚ ✽)
ぎええ〜やってもた〜っっ!
この大事な日に限って・・・っっ!
超特急で、荷物をまとめてダッシュでフロントに行ったε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
(この時の私の姿はかなり滑稽だったことと思う。何しろ髪も解いてなかった)
チェックアウトして、荷物を預けて・・・朝食分のお弁当を受け取り
(こんな時でも食べ物のことは忘れない)・・・
地下鉄の駅に猛ダッシュ!!
走りながら、なんでこんなに遠いんだ〜っ・・・と、さすがに途中からは、力つきて歩いて行った。
地下鉄に着いて乗ろうとすると、オイスターカード(デポジット制の割引カード;初乗り4ポンドが1・5ポンドになる)の残高が足りない!
初の「チャージ」とやらに挑戦・・・これがなかなかよく分からず、またしても時間をくう。
何とか10ポンド入金することができて一件落着。
急いで入り口に向かった。その時点で既に5時40分。
座っている女性の係員さんに「リバプール・ストリートへは?!(@@;)」と、聞くと・・・
すごい勢いだったらしく、たじたじとしながら右方向を指差してくれた。
転がりそうになりながら降りると、まさしく目の前でドアが閉まった・・・(TT)
次の列車は、約10分後。
これはもう無理か・・・と思った途端、向かいのホームに列車が入ってきた。
これだとどうかな?
ちょうどそこにいた人に聞くと、「行ける」ということなので、乗ってみることにした。
しかし、3駅ほど行くと止まって、どうやら「乗り換え」の指示がでているが、ぼーっとしていた私はよく聞き取れなかった(゜゜)
それで、そこにいた他の乗客に聞くと、ちょうど向かいのホームに止まっている列車に乗ればいいと言われた。
それで、乗り換えると・・・
なんと、今来た方向に戻っている!(TT)
もう絶望的だ〜・・・(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
がっくりきて、一つ行った駅で降りた・・・
これはもう腹をくくるしかない・・・と、やっと冷静になってきた(´・ω・`)
そしてよくよく地下鉄の路線図を見ると・・・
出発駅のハイストリート・ケンジントンと目的のリバプール・ストリートは、ちょうど大阪の環状線や東京の山手線のように、輪になっている地下鉄の中で向き合う位置の関係にあった。
つまりは右に行っても、左に行っても、辿り着くことはできる。
ただ、微妙に近いのは北に向かって走る方だった。
・・・ということは、アドバイスしてくれた人達は、みんな間違ってはいないわけだ。
どっちに行っても着くことは着くのだから・・・。
しかし、列車によっては途中から違う方向にそれるものがあり、それさえ気をつければ、だいたいどの列車に乗っても大丈夫のようだった。
気を取り直して、確実につける列車を選んで乗ると、だいたい30分くらいだったろうか?目的の駅に到着した。
時間は6時半・・・。当たり前だが、予約した6時の列車はもうすでに出ていた。
よっぽど訪問日を変えてもらおうか?ということも考えたが、もともと早目に予約したのだから、まだあきらめるのは早い。
次の列車が何時かを聞いてみた。
すると、8時16分!あと2時間近くもある。しかし、サクスマンダムには9時40分頃に着くという。
運良くバスがあれば、なんとか10時半に間に合うかもしれない。
よし!大丈夫!(๑•̀ㅂ•́)و✧
安心したら、お腹がすいてきた。ユースで用意してくれた、お弁当を食べることに・・・。
中身は、クロワッサン2つにジャム・バター、リンゴ、チーズ、オレンジジュース・・・といったもの。
ここのクロワッサンは本当に美味しくて、大好きだったので、とっても嬉しかった٩(♡ε♡ )۶
ひと息ついて、ネットで購入した切符を入手すべく機械にチャレンジしたが、さっぱり分からない(・・;)
システムとしては、予約した番号を指定した駅の指定された機械に入力すれば、切符が出てくるというもの。
(お金はすでにクレジットで払っている)
これは、ちょっと私には高度すぎたかも・・・というワケで、仕方なく窓口に行って聞いてみた。
すると、何だかよく分からないが「何か」が必要だと、さかんに言っている。
何だろう?(?_?)
私がまったく理解しないもんで、係員の声が次第にボリュームアップしてくる。
(しかもだんだん額に怒りマークが現れてきた)
どうやら、顧客管理ナンバーみたいなものが必要だったらしく、確かに予約した時に送られてきたメールには、それらしきものが書いてあったように思う。
しかし、私は予約ナンバーだけで何とかなると思っていたので、そのナンバーは控えてなかった。
仕方が無いので、提示できるありとあらゆる情報を紙に書いて提示した。
名前、往復の列車の時間とルート。
係員は、「まったくもう・・・(-_-;)」
という表情をしながらも、カチャカチャと機械を操作して、何とか私の情報を見つけ出して、切符を渡してくれた。
よかった〜!\(^o^)/
心から「本当にありがとう!」と言うと、何だか照れ笑いのような表情で「いいんだよ」と言ってくれた。
それにしても・・・時間と値段はネットで調べておいて、切符は窓口で買うのが一番ベストなやり方だとしみじみ思った。(今回は駅が遠かったから仕方が無かったが)
ちなみに今の私なら、ヨーロッパ鉄道旅行
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8時16分。
2・3両くらいの小さな列車に乗り、ようやくロンドンを出発することができた。
さすがに、早朝ランニングした私は、一気に気が緩んで、1時間くらいはぐっすり眠っていた(-_-)zzz
そして、何やら後ろで争う声がして目が覚めた。
どうやら、切符を買わずに乗ったお客と車掌さんが、言い争っているようで、結局そのお客は罰金25ポンド支払わされていた。
車掌さんが去った後・・・しばらくその客はブツブツと毒づいていた。
次は私の番だった。実は私は、行きの切符は6時の切符のままだったから、少しドキドキしたが・・・(催促されたらその時はその時、、、とのんびりかまえていた)
ラッキーなことに何も言われなかった!
(多少心は痛むが・・・まあ、間違いなくその区間の料金は払っているわけだし・・・よしとしよう)
車窓は、のどかなカントリーサイド・・・
しかし、残念ながら天気はそれほどよくはなかった。雨が降らないだけまだいいかという感じ。
そして、いよいよ列車はサクスマンダムに到着した。
小さな駅で、インフォメーションもなく、周りにも情報板らしきものも何もない・・・
「どうすればいいんだ〜(;^ω^)」
と、ウロウロしていると、駅に沿った道の向こう側に立っているイギリス青年が
「どうしたの?」と、聞いてくれた。
「レイストンに行くバスを探してるんだけど・・・」と言うと、
「ああ、それならここで待っていたら、もうすぐ来るよ」と教えてくれた。
感じのいい人で、何だか荷物に見覚えがあった。
「もしかして、さっきの列車で、私のななめ前に座ってた人?」
「Yes」
私がいつも持ち歩いている登山用の赤いザックとよく似ている荷物だったから、
「登山をする人かな?」と思って印象に残っていたのだった。
そう聞くと、「今回は登山ではなかったけど、旅には便利だから」と軽く笑った。
ところで、私は、10時半にサマーヒルに着けるかどうかが、かなり心配だったので、45分を過ぎてバスが来ないので不安になって聞いてみた。
すると彼は「大丈夫!」と言うので、安心してゆっくり待つことにした。
「サマーヒルに行くつもりなんだけど・・・知ってる?」
「ああ、普通の学校とは違うおもしろいタイプの学校だよね」
彼は、レイストンのもう一つ向こうの町に住んでいて、奥さんは公立の小学校の先生をしているという。
「とっても大変な仕事だけど、彼女は楽しんでるよ。」とのこと。何だか嬉しかった^_^
そして、55分、待ちわびたバスが来た!
彼は、切符を買う時もアドバイスしてくれ、乗ってる間、今か今かと落ち着かない私に
「降りる所に着いたら教えてあげるから」と言ってくれた。
バスは、のどかな田舎道を右に左に走っていく・・・。
もうすぐだ・・・。もうすぐ・・・。
10時20分。
「このバス停で降りて、右に行くと町の図書館があるから、そこで聞くときっと教えてくれる。」と言って、
「よい旅を」と手を振ってくれた。
私は「ありがとう!」と手を振って急いで、図書館に向かった。
小さなかわいい図書館で、受付の人も親切に丁寧に教えてくれた。
「情報化社会」と言われる今の時代でも、旅をして、知らない土地、しかも田舎に行けば行くほど、情報は「人」からしか得られない。
しみじみと、困っている時の、その土地の人の親切というのは、本当に心に染みた。
そして、そこから歩いて、約5・6分。右に森を見ながら歩いて行くと・・・あった!
うっかり通り過ぎそうになったけれど、垣根っぽい塀の下の方に「SUMMERHILL」の文字・・・
ずっとずっと、来てみたかった、あのサマーヒルについに、辿り着いたのである。
時間は、10時半ジャスト・・・!
よかった〜!(≧▽≦)
さあ、どんな子ども達に会えるかな?ワクワクしながら、まずは事務室に向かった。
*当時1ポンド=約250円
(つづく)
実際の旅に役立つ情報編へは、こちら
ヨーロッパの自由学校訪問記 〜情報編〜
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