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2017年09月05日
勉強も運動もできたのに…自信がなかった理由
ブログ名のことですがなぜ
誰の為でも誰のものでもないかけがえのない僕の人生
にしたと思いますか…?
私は人のことばかり考え、人のことを優先にと心がけてきました
人に好かれたかったのかもしれません
大きな人間になりたかったのかもしれません
親や先生に言われたことを忠実に守らなければと思っていたのかもしれません
親に頼れなかった私は友だちを大切にしてきました
私はいい子にしてないと人に好かれない
嫌われるという意識が残っているのかもしれません
うちの母がそうでした
何かいいことをしないと気に入られなかったからです
褒められなかったからです
そんなの親として当たり前なんじゃないの?
普通なんじゃない?
と思っている人、危険です️
自己肯定力という言葉を知ってますか?
これがないと自分に自分のすることに自信が持てなくなってしまいます
正しいかどうか自信を持てなくなってしまいます
特に決断をするときとかに迷ってしまいます
小さいうちはまだいいかもしれませんが大きくなって仕事をするときとかに
迷ってしまいます。悩んでしまいます
何かいいことをしないと褒めない相手にしないというのは
子供の自己肯定力を奪ってしまいます
子供は人間は本能的に無償の愛を求めています
見かけがいいとか、いいことをしたとか、テストの点数が良かったとか
試合に勝ったとか負けたとか関係なしに「ただ生きているだけでありがたい」
と思って欲しいんです
私のことにも書きましたが私の両親とも何かいいことをしないと認めてくれない人でした
小さい頃はそうだったのかもしれませんが褒められた記憶が残っていません
学年の中間期末テストで一番になっても褒められず
逆にけなされたくらいですから。
詳しくは私のことや他の記事を見てみてください
人間なのでいろいろな欲や感情がありますがそれに流されないで
子供の存在自体を認めてあげてください^ ^
もちろん、子供の性格によって強弱をつける必要がありますが
必要に応じて叱咤激励は必要です
自慢したいのではありません。説明のために言いますが
私はなんで友達と比べてもその辺の人たちと比べても
頭も運動も達者なのに自信が持てないのかな
とずっと不思議に思っていました
例えば、野球も小さいときからやっていてその辺の普通の人たちと比べたら
実力も上のはずです
見られて恥ずかしいなんてことはないはずです
ですが、バッティングセンターで後ろで順番を待っていると
気になってしょうがありません
何かけなされているんではないか、悪いことを言われているんではないかと。
自分のコーチなら話はわかるんですが。
普通の人はそんなことに興味があるはずがありません
私がそうだったからです
私はスポーツのコーチになりたかったくらいいろいろ知識もあるし
見る目もあります
だから、人のスポーツをしている姿を見るとどこを直したらいいか
教えてあげたら上達するか
そんなことばかり考えていました
職業病です
自意識過剰です
そんなことばかり気にしていたから、バッティングセンターに行っても楽しくありませんでした
そのため、人のいない少ない夜遅くに行っていました
話を戻して、私が実力があるのになぜ自信を持てなかったのか
ということについてですが
私のクラスメートの中に大した自信もないのに堂々と胸を張って
自信を持って何事にも取り組んでいる人がいました
不思議だと思いませんか?
私は実力があって本来自信を持っていいことに自信を持てない
に対して
クラスメートの一人は特に実力もないのに前向きに胸を張って
やっている
おかしいと思いませんか?
私は私のこの疑問の裏にはきっと何か原因になっているものがあるに違いない!
何か今までに親に教育されたしつけられた
あるいは気づかないけどトラウマになっているものがあるに違いないと
確信していました
不自然なことが多すぎるからです
やがて、それは間違いでなかったことに気がつきます
誰の為でも誰のものでもないかけがえのない僕の人生
にしたと思いますか…?
私は人のことばかり考え、人のことを優先にと心がけてきました
人に好かれたかったのかもしれません
大きな人間になりたかったのかもしれません
親や先生に言われたことを忠実に守らなければと思っていたのかもしれません
親に頼れなかった私は友だちを大切にしてきました
私はいい子にしてないと人に好かれない
嫌われるという意識が残っているのかもしれません
うちの母がそうでした
何かいいことをしないと気に入られなかったからです
褒められなかったからです
そんなの親として当たり前なんじゃないの?
普通なんじゃない?
と思っている人、危険です️
自己肯定力という言葉を知ってますか?
これがないと自分に自分のすることに自信が持てなくなってしまいます
正しいかどうか自信を持てなくなってしまいます
特に決断をするときとかに迷ってしまいます
小さいうちはまだいいかもしれませんが大きくなって仕事をするときとかに
迷ってしまいます。悩んでしまいます
何かいいことをしないと褒めない相手にしないというのは
子供の自己肯定力を奪ってしまいます
子供は人間は本能的に無償の愛を求めています
見かけがいいとか、いいことをしたとか、テストの点数が良かったとか
試合に勝ったとか負けたとか関係なしに「ただ生きているだけでありがたい」
と思って欲しいんです
私のことにも書きましたが私の両親とも何かいいことをしないと認めてくれない人でした
小さい頃はそうだったのかもしれませんが褒められた記憶が残っていません
学年の中間期末テストで一番になっても褒められず
逆にけなされたくらいですから。
詳しくは私のことや他の記事を見てみてください
人間なのでいろいろな欲や感情がありますがそれに流されないで
子供の存在自体を認めてあげてください^ ^
もちろん、子供の性格によって強弱をつける必要がありますが
必要に応じて叱咤激励は必要です
自慢したいのではありません。説明のために言いますが
私はなんで友達と比べてもその辺の人たちと比べても
頭も運動も達者なのに自信が持てないのかな
とずっと不思議に思っていました
例えば、野球も小さいときからやっていてその辺の普通の人たちと比べたら
実力も上のはずです
見られて恥ずかしいなんてことはないはずです
ですが、バッティングセンターで後ろで順番を待っていると
気になってしょうがありません
何かけなされているんではないか、悪いことを言われているんではないかと。
自分のコーチなら話はわかるんですが。
普通の人はそんなことに興味があるはずがありません
私がそうだったからです
私はスポーツのコーチになりたかったくらいいろいろ知識もあるし
見る目もあります
だから、人のスポーツをしている姿を見るとどこを直したらいいか
教えてあげたら上達するか
そんなことばかり考えていました
職業病です
自意識過剰です
そんなことばかり気にしていたから、バッティングセンターに行っても楽しくありませんでした
そのため、人のいない少ない夜遅くに行っていました
話を戻して、私が実力があるのになぜ自信を持てなかったのか
ということについてですが
私のクラスメートの中に大した自信もないのに堂々と胸を張って
自信を持って何事にも取り組んでいる人がいました
不思議だと思いませんか?
私は実力があって本来自信を持っていいことに自信を持てない
に対して
クラスメートの一人は特に実力もないのに前向きに胸を張って
やっている
おかしいと思いませんか?
私は私のこの疑問の裏にはきっと何か原因になっているものがあるに違いない!
何か今までに親に教育されたしつけられた
あるいは気づかないけどトラウマになっているものがあるに違いないと
確信していました
不自然なことが多すぎるからです
やがて、それは間違いでなかったことに気がつきます