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八幡浜Diving
ダイビングを初めて40余年になります。ダイビングに関することは何でも紹介します。人生において役に立つことも紹介したいと思います。
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急激で広範囲 地域一体化進まず

 合併から歳月が流れても尚、周縁部の住民が疎外感を抱き、感情的なしこりが残っていると言う事実を浮き彫りにしている。
松山大の市川虎彦教授は「急激且つ広範囲過ぎた合併が、その後の地域の一体化を進み難くさせた」と指摘する。
広過ぎる合併は地域独自の施策や対応の実行を難しくした面もあると言う。
「政争の具となった事もあり、地域融和の遅れに繋がった」と見る。
市川氏はそうなれば道州制の議論が再燃する可能性があると予測する。
平成の大合併は周縁部の衰退を齎したと分析。
導かれる教訓として「単独で生き残れる県を目指す重要性が増した」と主張する。
持続可能で自立した愛媛作りの取り組みを加速させていくべきだと提言した。
                                愛媛新聞 平成の大合併20年から
自民党政権の大合併は失敗だったらしい。
自民党は政権運営を止めた方が良い。
今までも碌な事がない。

地域の祠 行員が守り人

 八幡浜市中心部の昭和通に「八幡浜発祥の地」とも呼ばれる祠がある。
「須崎八幡」(同市須崎1丁目)で、隣接する高知銀行八幡浜支店は出店以来70年近く、清掃や祭礼行事などの世話を続けてきた。
支店は7月下旬に松山支店に移転されたが、7月30日と31日も幟を立てるなど祭礼を支え、「地域の大切な宝。これからも世話を続けていきたい」としている。
須崎八幡は717(養老元)年頃、漁師が千丈川の干潟で霊光を放つ八幡様の御神像を見付け、これを祭ったとの言い伝えが残る。
昨年に地番整理されるまでは「八幡浜市1番地」で、八幡浜の名の所縁の地とされる。
1957年の地域新聞「八幡浜新聞」「伊予毎日新聞」によると、須崎八幡は35年頃まで住民による祭典が行われていたがその後途絶え、社殿も荒れ果て物置の様になっていた。
須崎八幡を含む土地を高知銀行が購入し、55年に支店を出店。
敷地内に社殿を修築し、住民に働き掛け2年後の57年に祭典も復活させたと言う。
以来、行員らは周囲の事業所などの協力も受け毎朝、祠を清掃。
今後の対応を考えあぐねていた今春、八幡浜支店内の金庫から思わぬものが出てきた。
祠復興に関する覚書「八幡宮綴り」で、八幡浜出店時の支店長らが「将来、店舗の移転又は新築などで神社の存続並びに祭礼が中止になる様な事がない様に」などと記していた。
今後は松山支店が管轄して清掃や祭礼を継続する事が決まった。
                                       愛媛新聞 記事から
須崎八幡が八幡浜発祥の地らしい。
ずっと昔は八幡神社の下まで海が迫っていたらしい。