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八幡浜Diving
ダイビングを初めて40余年になります。ダイビングに関することは何でも紹介します。人生において役に立つことも紹介したいと思います。
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2024年09月17日

根幹問い直す絶好機に

 別の言い方をすれば、作者と言う権利の独占者である人間の側からすれば、人工知能( A I )が勝手に進化してくれればくれる程利用価値は増す。
それなら A I はアートにとっての脅威である所か、何処まで行ってもアートの僕になるしかない。
この様に、アートは生産性を第一に据える今日の社会的な領野とは異なり、作者と言う大変古臭い概念によって成り立っている。
例えば、昆虫の巣作りや大気圏内の雲の動きが如何に見事であっても、私たちはそれを作品と見做さない。
虫や空は人間(作者)ではないからだ(従って著作権も生じない)。
けれども、虫の巣作りや空の雲の動きを取り入れたアートは十分にあり得る。
だがその時、虫や空の( A I 以上に)驚嘆に値する能力は人間(作者)によって易々と利用されてしまう。
A I とアートとの関係も基本的にはこれと同じだと思う。
見方を変えれば、作者と作品と言う概念を切り離す必要がある。
具体的には、作品を作者に帰属させるのを止めるのだ。
分かり易く言えば、先の例における虫の巣や空の雲の様な物となる。
だが、それで困る事があるだろうか。
私は虫の巣や空の雲よりも見事な「作品」にお目に掛かった事がない。
その気になれば十分に鑑賞の対象となる。
お金も一切掛からない。
空極的には A I の作り出す物もこれと同じ様な事になるのではないかと思う。
アートでは兎角創造性が強調されるが、「創造(クリエーション)」は元々神の為す術で、故に天地は神と言う「作者」の創造物と言う意味で「作品」と見做される。
だが、作者だけが作品を作り出せると言うのは、かなり驕った考えではないか。
私にしてみれば、自然に作者など存在しないと考えた方が遥かに自然だ。
この意味で、非人間としての能力を無際限に開放した時、A I はアートと言うよりも「自然」に近付いていくのだと思う。
 美術評論家  椹木 野衣氏  1962年埼玉県生まれ。  同志社大卒。 
 「反アート入門」などの著書多数。
                                      愛媛新聞 視標から
A I が本質的に新規性のある物を生み出す事はないらしい。

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