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2018年01月22日

行動

 帰宅するとき、デパートにテナントで入った家電量販店を通ることがあります。
(近道のため出入りするのではありません。あくまで通路が家電量販店なのです。^^)

こっちは普通に、あくまで普通に歩いているだけなのですが、よく邪魔になる家族連れがいます。
彼らは必ず何かを話しています。それが中国語なのはすぐにわかります。

まだ春節でもないのに、正月からよくもまあ、いるのです。
かつての爆買いをしている様子はありません。
しかし辺りには日本語でなく、中国語しか聞こえないのではないかと思うときもあります。
そして彼らはなぜか、必ず通行人の邪魔になるところに立ち止まり、話をしています。

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 かつてはひと目で中国人だというのがわかりました。
着ている服に、100%日本ではあり得ない色があったからです。
色というのはピンク、赤、または紫。
そんな赤系の色が、靴であったりジャンパーであったり、手袋だったり。
絶対になくてはいけないの?
と思うくらい、必ずあったのです。

共産圏だから?
いやいや、そうではないでしょう。

最近では赤系の色がないケースも増えて、外見で判断するのが難しくなりました。
それでも通り道を邪魔していることで判断できます。

日本人にはいないと言い切ることはできません。
でも、日本人でそれをするのはまず、若いニイチャン・ネエチャンです。
ニイチャン・ネエチャンだって道徳や常識を身に付けるとしなくなるでしょう。
ここで立ち止まることが他の人たちにどんな迷惑になるか考えるようになるからです。

そう考えると彼ら中国人の多くは道徳や常識に欠けているのでしょう。
中国国内ではまかり通っているのかも知れませんが、日本では浮いてしまいます。

 それでも最近、韓国語はまず聞こえなくなりました。
4~5年前だったと思います。
観光地へ行くと、大型観光バスが何台も止まり、大勢の団体が歩道を占領して聞こえてくるのは半分が韓国語、半分は中国語。あとはたま〜に日本語というときもありました。

「旅の恥は搔き捨て」という言葉があります。
知る人もなく、長くいることもない場所だから「恥ずかしいことをしてもその場限り」ということでしょう。

でも「恥」と「迷惑」は違います。
ついやっちゃったのが「恥」で、「迷惑」は無神経です。
「恥」はしたくないこと。でも「迷惑」はしたくないことには見えません。

 最近、アメリカのユーチューバーが日本に来て好き放題にやっていた動画が問題になっていましたね。
彼のチャンネルを見たことはありませんが、本国アメリカであんな馬鹿げた動画は撮らなかったでしょう。

よく着ぐるみを着けると別人になった気がするとか言います。または変身願望とか。
また、コスプレとか、秋田なら“なまはげ”の衣装を着けると別な人格にトランスできるかも知れません。
いずれも自身という存在から解放されたいという願望を多かれ少なかれ、人間はみな持っているのかも知れません。別な言い方をすると、自分が誰か知られなければ、人間は好き勝手にしたいのかも知れないです。

中国人はどうなのでしょう。
知らない土地だからしているとは思いづらいです。
かといって、知らない土地でも強く自分の人格を貫いているとも思えません。
おそらくは自国でも旅行先でも関係なく、自分ファーストでいる結果が、あれなのでしょうね。

 自分が誰か、知られなければ良いかといえば、そうでない場合もあります。
反社会的な動画をYouTubeなどにアップロードする輩たちです。
彼らは、なりふり構わず自分の顔をさらけ出します。

そして
「俺はこんなにすげぇんだぜ!」
と言わんばかりに、日常ではほとんど見ることのできない行動を撮影します。
ただ、その行動は明らかに、バカじゃない?
ということばかり。
車のボンネットに座って走る。コンビニのおでんを指でつっつく。警察に麻薬と誤解させて逃げる。
古いところだと、コンビニ店員に土下座させる。商品の上に寝転がる。
まるで体だけ大人になった子供のすることばかり。
自分の存在を知って欲しいのか。

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人格から解放されたい人間と、自分という存在を知って欲しい人間たち。

どんなときでも強く自分を曲げない強さが欲しいと思います。





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2018年01月21日

故障の不思議

 電化製品でもストーブでもパソコンでも、機械である以上「故障」に悩まされたことがあると思います。
また、故障すると自分で直せるに越したことはありませんが、大抵の場合、修理に出すか、サービスを呼ぶことが多いと思います。

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そんなとき、修理に出したのに「異常ありません。」と返ってきたこと、誰しも経験があるのではないですか。
サービスを呼んだときも、ついさっきまでまったく動かなかったのが、サービスが来た途端、何事もなかったように動き出すということも。

 まるで機械に意識があって、しかも悪戯にふるまっているのではないかと思うほどに。

また、修理に携わる職業に就いたことのある方も、修理する前に異常なかった経験をお持ちだと思います。
私もコピー機の保守や、パソコンの保守をしたことあるのですが、異常なしに出くわすことがありました。

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お客様は当然、故障している現場を見ているのですから、「いや、絶対に壊れている。」とおっしゃいますが、目の前で正常に動いているのをそれ以上、どうすることもできません。
「異常なし」で返ってくるのも仕方がないでしょう。
修理に出した方は頭に来るんですけどね。

よく「当たり外れ」とか言います。
故障する機械は、しょっちゅう壊れます。
修理に出すと通常は3か月間、再修理の補償期間が付いてきます。
その3か月の間に故障して修理に出し、異常なしで返ってくると、何か損をした気になります。

修理をする立場でお客様のもとへ伺うと、故障の手掛かりとして何か変わったことはなかったか聞くことがあります。
よくあったのが、こちらから聞く前に、お客様から「何もしてないのに。」という申告。
聞くたびに私は
「そうなんだ。で?」
と思いました。

「私は悪くないよ!」
そう言いたかったのでしょうか。
壊れるものは勝手に壊れるので、別にお客様を疑ったりはしていないのに。

昔は「SONYタイマー」とか、「Macタイマー(Appleコンピュータ)」という言葉がありました。
そろそろ新製品に買い替えなさいと促すように、自動的に故障するタイマーが仕掛けられているという逸話。

また機械って、初心者に厳しいと思うことがあります。
パソコンとか初心者の操作は見ていると、危ないというか、「無理〜!」というのがあります。

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そんなとき、きちんとリカバリーしなければならないはずのパソコンは、まるで予期しない動きをすることもあります。
修理をする側でも、修理する初心者の頃は、なかなか直ってくれない。そう思うこともありました。
機械も相手を見るというのか、生き物的なふるまいを感じることがあります。
どうも理屈では説明できない不思議な現象です。





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2018年01月19日

Guiter

 最近、またギターを弾きたくなっているんです。
平成元年に結婚して以来、ほぼギターを弾くことはなくなりました。

結婚後もたまにテレビでギターを弾いているのを見ると、弾きたくなるというのはありました。
でも、バンドも解散状態だったので必要に迫られることもなく、すぐに飽きてしまいました。

ライブを見に行っても同様に影響を受けて、また弾きたいと思いました。
が、テレビにしてもライブにしても日常、そうあることではありません。

今ならYouTubeでいつでも、見たいときにギター演奏を見ることができます。
しかしYouTubeがなかったら、、、

テレビ(今なら地上デジタル放送)でギター演奏を見る機会がほぼ、ないことは想像に難くないと思います。

いま、通勤時にスマホで曲を聞いています。
だいたい2000曲をシャッフルで再生しています。

シャッフルだから(忘れていて)ビックリする曲も聞こえて楽しいんです。
今朝だったら、
ロッド・スチュアート → スティング → 岩崎宏美 → チャイコフスキー → ウィングス → 沢田研二
など、ロック、歌謡曲、クラシックなどジャンルもバラバラ(笑)

 でも中には特にロックなどギターソロになると、かなりな割合で「むかし弾いたよな」
というのがあるんです。
ところがバンドではそうそうレパートリーを増やすことが容易にはできません。
いつも仕事が終わったあと、一人で弾いていたことを多く思い出します。

そう考えると、もったいないんです。

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そこへ、今いるブースには“ギタリスト”が何人かいます。
テレビでなく、ライブでもなく、新しい形に影響されてまた、弾いてみたいと思っています。

ギターは押入れに入っているので取り出すのはすぐにできます。
あとは、なるべく飽きないように、、、


 今日、ブログを休もうかと思っていました。
どんな記事を書こうかという前に、疲れていました。

しかし、アクセスを見ると閲覧してくださる方は何人もいらっしゃるんですね。
では、何か話題にとYouTubeを見ても、あまり、、、

そこでYouTubeの「お気に入り」を見ていたら、またも私に「ギターを弾け!」
という題材が出てきました。

宮澤 佑門(みやざわ ゆうと)くん。
2000年生まれのギタリストです。
(私の子供より若い^^;)
世界最年少でプロギタリストになりギネスに登録されたとか。

 オジー・オズボーン

ご存知ですか?
ヘヴィメタルバンド、「ブラック・サバス」を立ち上げ、後に「オジー・オズボーンバンド」を結成。
世界的なバンドです。

メンバーの交代はよくある業界にせよ、ギタリスト、ランディ・ローズも世界的に“信者”が多くいます。
またランディ・ローズは、不幸にも1982年、飛行機事故で25歳のとき亡くなっています。

宮澤 佑門くんは2009年、オジー・オズボーンバンドの歌、「クレイジートレイン」を弾いています。
オジー・オズボーンと一緒にです。

そのビデオを見て、明日にでもまたギターに触りたいと思っています。

↓ 9歳の宮澤 佑門くんです。

(YouTube:JABProductions916)
:





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2018年01月18日

写真の今昔物語

 私の中で古い記憶というのは、3〜4歳頃で当時、八戸市に住んでいました。

ある日、家の前で子供用のスコップを手に遊んでいると叔母が歩いてくるのが見えました。
叔母は、
「いくつになったの?」
と聞きます。
私は慣れない手つきで指を三本立て、三つになったと伝えました。

また、母に連れられ買い物に行った思い出もあります。
大きな建物の中に、テナントでいくつも店が入っており、ドーナツを焼く機械が置いてありました。
大きさは食卓テーブルの上に4面ガラスを張ったくらいで、流れ行程でドーナツが作られていくのを見られるようになっていました。
私はそれを飽きずにずっと見ているのが好きでした。きっと母は待たされ困ったろうと思います。

そのテナントにはおもちゃ屋もあり、タグボートのおもちゃや、ブリキ製のバスを買ってもらいました。

“ブルーチップ”ってありました。
今でいう、ポイントの先祖です。

郵便切手をひと回り小さくしたサイズで、例えば10円のお買い物ごとに1枚といったもの。
まとまった買い物をすると、縦横5×5枚のシートでもらい、貯めたブルーチップは小冊子になった台紙に貼ります。その貼っていく作業というのは、小さなタオルを濡らして下に敷き、ブルーチップの糊面を湿らせては貼っていくという地味な作業でした。今のポイントとは大違いです。
一冊貯まると商品券代わりに買い物ができるというものです。

先ほどのブリキ製バスは、「買おうね」となってから実際に手に入るまで少し期間があった気がします。
おそらくブルーチップで交換したのではないかと思います。

また駅近くの商店街の看板で、私は日本の形を初めて見たと思います。
その商店街は歩道に屋根がかかっていた景色を思い出すのですが、母に聞くとそんな通りはなかったと言います。

どれも記憶にある風景はおぼろげで、実際とは違う部分が多いと思います。
悔しいのは、当時の景色を再現する手段が何もないということ。
インターネットで探してもまったく見つかりません。

もし今、3〜4歳の子供だったら、Googleのストリートビューがあります。
過去に遡る機能もあるので、大人になっても大丈夫でしょう。
まして、店の中まで見えるのです。

これらは写真や動画が身近になったことが大きな理由だと思います。
ニュースでも事故や火災現場等は「視聴者撮影」というのが、当たり前になりました。

 昔は違いましたね。
動画は8ミリ。
8ミリフィルムを買って専用のカメラで撮影。
現像に出して何日も待たされ、出来上がったフィルムは専用の映写機で見る。
しかも見る部屋は光を遮断して真っ暗にし、スクリーンを用意して映し出さなくてはなりません。
さらに8ミリフィルムに「音」はありません。

何より私の育った一般家庭にはない贅沢品でした。

 写真にしてもそうです。
電話を外に持ち出すなんて考えもしない頃。
電話にカメラが付いて動画まで撮れるようになるとは思いませんでした。

小学生当時、鉄ちゃんだった私は知人から頂いた“バカチョンカメラ”を大事にしていました。

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※鉄ちゃんの記事は
2018/1/15「じゅらくビル」を参照してください。


写真を撮りに行くときは、まずフィルムを買います。
フィルムには12枚撮り、24枚撮り、36枚撮り、72枚撮りがあり、小学生の私はいつも24枚撮り。
フィルムは金属製の筒、内部にフィルムが巻いてあり、24枚撮りなら24〜25枚を撮り切ってから現像します。
仮にまだ10枚で現像しても構いません。
しかしそうすると、残りの14枚分は無駄になってしまいます。

もし20枚撮ったところで早く写真を見たければ現像に出さなくてはなりません。
そんなときは無駄になるのを承知で、残りの4〜5枚は必要もない写真を撮ることがありました。

フィルムは現像に出します。
仕上がるまでに昔は4〜5日待たされました。
仕上がるまで楽しみだった半面、出来上がった写真を見てガッカリということも。

その点、今のスマホや携帯なら、その場ですぐに確認できます。

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また、当時はフィルムも現像もタダではありません。

鉄ちゃんだった頃の金額は憶えていませんが、憶えている限り確か
平成元年頃、24枚撮りのフィルムが800円くらい。24枚の現像は1500円くらいだったと思います。

すると、写真1枚を撮るのに100円くらいかかっていたんですね。
今のようにスマホで“パシャパシャ”という感覚はありませんでした。
今、写真も動画もお金がかかるという意識は通常ないのだと思います。

だから、昔の八戸市の写真がネットでも見られないのは仕方がないのでしょう。

ただ昭和50年当時、すでにカセットテープはありました。
一般家庭にある、記録と消去ができる唯一の媒体として。

鉄道写真を撮りながら、このカセットテープに写真を記録できればいいのにと考えたことがあります。

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2018年01月15日

じゅらくビル

 私は子供の頃、鉄ちゃん(てっちゃん)でした。鉄道ファンのことです。

ひとこと「鉄ちゃん」といっても、「撮り鉄」や「乗り鉄」「録り鉄(音)」「車両鉄」「収集鉄」「駅鉄」など、さまざまに分類されるようです。
私は「撮り鉄」でした。

 小学2年生になるとき、親の仕事で宇都宮市に引っ越しました。
父は仕事の部下に、
「子供(私)におもちゃを買ってやれ。」
と、お金を渡しました。

私は連れられてデパートに行き、鉄道模型を買ってもらいました。
HOゲージというサイズで、キハ系の気動車を2両。
楕円形に敷いたレールをただ、グルグル回るだけ。
なのに私は大人たちが飽きれるまでジーっと見ていて楽しかったのです。

また、連れて行って下さった人が「鉄ちゃん」だったのでしょう。
「鉄道ファン」という雑誌を数冊、くれたのです。

私が子供の頃にはまだSL(蒸気機関車)が走っていました。
今でもそうですが、幼児の本、特に男の子の本は鉄道や車の本が多いと思います。

その土台があったからか、いただいた「鉄道ファン」も飽きずに見ていました。
写真の中には単に車両を撮るのではなく、景色も一体に感傷的なのもありました。

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以来、鉄道が好きになったのだと思います。

 周りにも鉄道好きがいて、、、
親戚にもらった写真を見せてくれた同級生がおり、私も撮りたいと思い撮り鉄になりました。
ただし、当時のバカチョンカメラを持つ、鉄道小僧です。(笑)

小学4年生くらいだと友達に付き合ってもらい、近くの駅へ撮りに行く程度でした。
それが5〜6年になると、単独でも行動範囲が少し広まってきます。
東京駅にも行きましたが、上野駅がほとんどでした。

月〜土曜日の放課後は友達と外で遊び、日曜日は撮り鉄になっていました。

ローカルな話ですが、当時の最寄り駅だった総武線、新小岩駅から秋葉原で山手線(京浜東北線)に乗り換え、上野駅へ。
できれば夜に寝台特急列車も撮りたいところ。でも私はまだ小学生。

中には仙台発の寝台特急がありました。
仙台発だと近いので早朝にはもう上野駅に着きます。
それでも深夜3時頃、早々に起きて撮りに行くこともありました。

そんな鉄ちゃんだった小学校時代。
生意気なガキが、上野駅は自分の“庭”だと勘違いしていました。(笑)


 上野駅から帰るとき、必ず見ていた光景があります。


今日のタイトル、「じゅらくビル」です。

台東区上野4-1にありました。
上野駅から帰りの山手線に乗ると行く手、
右側に“アメ横”を挟むようにして建っていました。

立地条件から少し変わった建物になっています。
薄っぺらいというのか、
でも、その形状が山手線の車内から見ると先端がカーブしていて特徴的です。
さらに、昭和11年建造という歴史のある建物だったので、デザインも目を引くものでした。
帰りにその「じゅらくビル」を見ることで妙に満足感というか、子供心に安心感を感じていたのです。

“名所”だったんだと思います。
1976年ころ「三男三女婿一匹」というドラマがありました。
そのオープニングには、確か東京の名所がイラストで、スライドのように切替わっていました。

そのイラストの一枚に「じゅらくビル」がありました。
オープニングの主題歌は、“杉田二郎さん”の「僕たちの箱舟」。

小学生の私にとってはそのドラマ自体、興味のないものでしたが、
必ずオープニングの歌を聞きイラストを見ていました。
そして安心感を得て、満足していたのです。

そんな「じゅらくビル」もなくなります。
昭和11年に建てられたのではしょうがありません。

なくなった跡地を見たのはNHKのテレビ番組でのこと。
仕方ないと思いながら、まるで「東京」がなくなったくらいに衝撃でした。
もうすでに東京に住んでいませんでしたので、テレビなどで情報を得るしかありません。

今はヨドバシカメラの店舗になっているようです。

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 この写真は“大東京 ビフォー&ナウ様”より許可を得て掲載しました。

このサイトでは昭和時代の写真と現在の写真を対比させ、懐かしむことができるようになっています。
昔と今の比較というのは、例えば“安藤広重”さんの「名所江戸百景」にもあるように、深い感慨を覚えます。

よろしければ是非、ご訪問下さい。



「じゅらくビル」は、私にとって大切な大切な思い出の場所です。

写真の掲載許可をいただきました、“大東京 ビフォー&ナウ様”に感謝申し上げます。






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2018年01月14日

100円ライター

 タバコを吸わない方にはあまり馴染みがないかも知れないですが。

 ライターといえば、100円ライターを思いつく人が大半ではないでしょうか。
小さな子供がいたずらに火を点けるからといって、ボタン(?)を押すのに強い力が必要になったり、そのままでは押し込めないよう細工がされたりと今では作りの凝ったものに変わってきました。

100円ライターが登場したのはいつ頃でしょうか。
私が二十歳になるころには既にありましたから、もう30年以上は軽く経過しているものと思います。

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 しかし今では当たり前の100円ライターも、斬新的な物だったんです。
それまでライターといえば、どれだけ高価なものを使っているかで競い合っていたのです。
カルティエとかダンヒルとかジッポーとか、ときにガスやオイルを補充し、それから点火に使う発火石を入れたりとメンテナンスが必要なものばかり。

 それが100円で、しかも使い捨て。

100円ライターをなくしてもさほどショックはないと思います。
でもそれ以前には大切なライターをなくしたときのショックは大変、せつないものでした。

100円ライターの登場は、それまでの常識を覆すようなものだったのです。
おまけにケースは透明だから、中のガス残量も一目瞭然です。

 今では100円ライターといいながら、100円という価格もあってないようなもの。
タバコを10個買えば、ひとつおまけに付いてくる。
タバコを10個吸っても、ライターのガスはまだなくなりませんから、ライターは余る。
前までならライターかゴミ袋、どちらか選べたのに、最近はライターしかもらえなくなりました。

100円ショップでも3個入って108円という場合があると思います。

100円ライターが出始めた頃、小売店の原価(仕入れ値)は50~60円くらいだったと思います。
昔、タバコは日本専売公社が製造、販売。専売法で規制され、値引き販売はもちろん禁止。
また、10個まとめ買いしても、ライターを付けるといった行為も禁止されていました。

私の知っている限り、100円ライターの原価は最終的に29円くらいだったと思います。
これなら粗利益が10%しかないタバコにサービスで付けても、さほど痛くない価格です。

 100円ライターといえば、いろいろな“遊び方”がありました。
今のように電子着火ではない当時、石で点火していた頃は、石をこするローラー部分を人差し指と親指でつまみ、上に投げ上げると、「カタカタカタ」と音を立てて飛んだり、
タバコのセロファン(?)部分を抜き取り、その中へライターの火を点けずガスだけ溜め、セロファンを逆さにしてテーブルに置きます。
角にライターの火を近づけると、中のガスが一気に燃え、セロファンが「ポン」と飛び上がったり。

他にもライターの火を口で吸うとか、
ガス量の調整を最大以上に大きくして20pくらいの炎にし、遊ぶこともありました。
これは、「探偵物語」の松田優作さんがやっていて有名ですね。

他にも販促品やキャラクター商品、スナック、旅館などの宣伝媒体に使われることもありました。
色や柄が豊富で大きさも手頃だから、なしえたのでしょう。

また、Bicのライターは誰でも知っていたでしょうし、小さなBicのライターは観光土産でカバーが作られ、誰しも一度は見たことがあるのではないでしょうか。

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ただ、Bicのライターはたくさん流通していたため、カバーが作られることは多かった半面、スペアが手に入りづらかったという欠点がありました。

100円ライターだけでこれだけ話題になります。
意外に大きな存在ですね。100円ライターって。






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2018年01月12日

懐かしい文具 2点

 文房具って、好きなが人が多くいますね。
皆、小学生や中学生だった頃に必ず文房具には接しています。

今日は2点、取り上げてみます。

・マジックインキ

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1953年に寺西化学工業株式会社が発売した油性のマーカーです。
「マジックインキ」という名前は、この寺西化学が発売した油性マーカーの商品名ですが、油性マーカーを総じていまだに「マジック」と呼ぶことが多いと思います。
今では当たり前の文房具です。しかし発売当時は「何にでも書ける」という革命的な商品だったそうで、マジックインキ本体には「どんなものにも書ける魔法のインキ」って書いてあります。
当時は、魔法のようなインキだから、マジックインキだったのですね。
また、クエスチョンマーク「?」が特徴的でもありました。

 ただし欠点がひとつありました。キャップが取りづらいこと。
経験あるのではないですか?
しばらく使っていないと、固くなり小さなキャップは手が滑り、歯で開ける人もいたようです。

その点、他社から発売された油性マーカーはキャップが大きくなっており、手で開けるのも容易でした。
写真はシャチハタのアートラインです。↓

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もし、「どっちを買いますか?」と聞かれたら、私ならシャチハタを買うと思います。
キャップが取りづらいことを知っていれば皆そうすると思います。

なぜ、寺西化学は改善しなかったのか。
このキャップが小さいデザインで意匠登録していたからだそうです。
革命的な商品だったからこそ、そうしたのでしょう。それが仇になったと考えられます。

でも、いつの間にかキャップが大きくなったようです。

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・ダーマトグラフ

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 確か先生が採点をするのに赤を使っていた。それを見た記憶があります。
鉛筆は通常、芯の周りが木の軸になっています。しかしこれは木ではなく紙で、先端から糸が出ており、糸を引くと紙が剥けていくものでした。

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鉛筆削りがいらない。
また、削りカスが出ないので、なぜか高級感を感じました。

でも一度、買った気がするくらいで、継続して使ったことはありません。
多分、一回やってみて「ああ、こんなもんか」と、ガッカリしたんだと思います。
そもそも赤鉛筆自体、そんなに使う機会がありませんでした。

このダーマトグラフは三菱鉛筆が発売しており、別名は「皮膚鉛筆」です。
病院では特にそのように呼ばれていて、由来は手術を行う際、メスを入れる箇所に印を書いたことから。

“Dermatograph”の「Dermato」はギリシャ語で「皮膚」。「graph」は「記録」だそうです。





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2018年01月11日

嫌い → 好き

 人間関係ってつくづく大変だと思います。
本をただせば、その人が「好き」か「嫌い」かの二者択一だと思います。

人を好きになるのも嫌いになるのも、それぞれ理由があると思います。
私は追いかけてきてくれた人を好きになる傾向があります。
どういうことかというと、
例えば電車で通勤していた場合、帰りに同じ列車に間に合うよう、
駅まで走って追いかけてきてくれた。とか、
飲み会を解散して次の店に移動したとき、追いかけてきてくれた。
そんな状況に弱いのです。
女の子だったら、なお嬉しいのですが、男の場合がほとんどです。(笑)

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また
「何となく嫌い」とか「生理的に嫌い」だって、きちんとした理由です。

 私は以前に、その好き、嫌いについて面白い経験をしたことがあります。

もうだいぶん昔のことです。
コールセンターは大抵、ビルにテナントとして入っています。
そしてそのビルには専属で清掃をする会社があります。

いま入っているビルは、あまり清掃の現場を見ることがありません。
早朝に行っているとか、また夜にやっているのかも知れません。
もしかしたら、ほとんどやっていないのかも知れません。

清掃会社にもよると思うのですが、中にはしょっちゅう清掃しているところがあります。
小休憩で喫煙室へ一服しに行くと、休憩室の床を掃除機掛けしている。
一服していると灰皿を清掃に来るとかいろいろ。
喫煙室は休憩室の中にあります。

もう昔のことなので、名前を出しても良いでしょう。
石田さんというおばちゃんです。

当時、勤務していたビルで一服していると、よく灰皿の清掃に来ていました。
そういうケースだと、好きでも嫌いでもないというのが普通だと思います。
しかし、
その石田のおばさんは、私が一服している目の前で灰皿を清掃します。
普通、
「ちょっとすいません。」
とか、一言あってするものだと、私は思います。
しかし無言で、あたかも一服しているのが掃除の邪魔だと言いたげに感じます。

そこで私は「何だ?」と思ったのが第一印象でした。
次に、それが二回目なると「失礼だな」に変わり「嫌い」になりました。
さらにそれが、たび重なると「またか、もう見たくもない」になってしまいました。

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またさらに、小休憩で一服しに行くと、休憩室を掃除機掛けしています。
そのとき、掃除機を移動させるところで、掃除機の電源コードがちょうど私の足にさし掛かりました。
私にとっては電源コードが邪魔。
石田さんにとっては私が邪魔な状態です。

どっちが偉いという話ではありません。
どっちが譲るかという話。

石田さんは私が譲る以前に、明らかに迷惑そうな顔で私を見ました。
そもそも私は石田さんに悪い印象しか持っていませんでしたので、お互い嫌な思いの上塗りです。

はっきりいうと、
「キレた」
もうそこまで行っていました。

第一印象で
「何だ?」
  ↓
「失礼だな」
  ↓
「嫌い」
  ↓
「もう見たくもない」
  ↓
「キレた」

果たしてその先は、、

いくら嫌いになっても、同僚ではない。
ケンカにもならない。お互い利害関係がないから。

はけ口がなくなると、急転回して興味が沸いてきました。

 そしてなんと、良いおばちゃんだと思うようになりました。

それからはよく話をするようになり、
最終的には突然の雨の日に置き忘れの傘をくれるというお世話にもなりました。

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もう7年くらい前の話です。
今どうしているのでしょうか。石田さん。

 何だ? → 失礼だな → 嫌い → もう見たくもない → キレた → 好き

こういう経緯をたどった人間関係。
好きと嫌いは、意外にも紙一重なんですね。





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2018年01月01日

〜 今年もよろしくお願いいたします。〜


新年あけましておめでとうございます。

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 このブログを始めたのが昨年の1月3日です。早いもので1年になろうとしています。
ご訪問くださいまして、本当にありがとうございます。

“コールセンターおじさんのブログ” なので、当初はコールセンターの話が多くなる予定でした。
しかし いざ始めてみると、

・固有名詞は出せない
・企業名も書けない

など、いろいろな制約から、コールセンター話は少なくなり、その分「随想」や「音楽」などコールセンターとは関係のない話題が多いブログになってしまいました。


 私の書いたネタとアクセス数の関係を見て思うに、多分ここを訪れて下さる方々というのは、私に年齢の近い人が多いのではないか。
最近そのように考えています。もちろん、外れていたら申し訳ありません。


 ひとつの話題を書いていても、すぐに話がそれてしまいます。
的を絞り切れていないようで、書いている私自身、後ろ髪を引かれる思いがよくあります。
しかし、お判りの方もいらっしゃるでしょう。
それた話の中にも、せっかく訪れてくださる方に、
「読んでよかったな。」
そう思っていただければと思いながら書いています。

私など、何か優れた技術を持っているわけでなければ、特殊な情報ルートを持っているわけでもありません。
でも、せっかく読んで下さった方々には、読んで良かった。時間の無駄ではなかった。
そのように思っていただける話を書いて行ければと考えています。


そんなオヤジの呟くブログですが、また一年、よろしくお願いいたします。

2018年元旦
コールセンターおじさん


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posted by CSおじさん at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2017年12月30日

ビクターワンちゃん

本来、会社は業績を上げ、規模を拡大して社員を募集、どんどん大きくなっていくべきです。
しかし、リストラはこの逆。経費を削減し規模を小さくします。

音響メーカーの主だったものには、アイワ、オンキョー、クラリオン(日立グループ)、三洋電機、ソニー、ダイヤトーン(三菱電機)、ティアック、Technics(松下電器産業)、パイオニア、マランツ、ヤマハなどがります。

昭和45年、日本ビクターのVTR事業部に高野鎭雄部長が配属されました。
VTR事業部は「会社のお荷物」と呼ばれるリストラ寸前の部署。

本社が開発した業務用ビデオを組立て、企業やホテル相手に販売するが故障が多く、半分は返品されたとか。
本社と切り離され、独立採算制をとっていたというので、かなり深刻な部署だったのでしょう。

その頃は各社、家庭用VTRの開発が盛んで、中でもソニーは技術力を活かし世界企業まであと少し。
昭和47年、業績が悪くなっていた日本ビクターはリストラを。本社のVTR開発部門を廃止、今後は改良と販売のみを行うことになりました。
開発部門にいた50人の技術者たちは高野さんのVTR事業部に配属されてきます。
高野さんはこれを願ってもいないチャンスととらえます。

というのも大正15年、世界で初めてブラウン管に「イ」の字を映し出した天才技術者、「テレビの父」と呼ばれた高柳健次郎さんは戦後、日本ビクターの技術顧問に就任。
配属されてきた技術者50人は、高柳さんの教え子だったのです。

それでも本社は高野さんの部署へ30人のリストラを要求。高野さんの部下は水増しした計画書の提出、また新たな営業部門を作り、20名の技術者に慣れない営業をさせ、本社をごまかします。
しかし、この営業から技術者たちは消費者のVTRに対する生の要望、声を聞くことになります。

ソニーがベータマックスの家庭用ビデオを発売開始してから遅れること3ヵ月。日本ビクターの最終試作機が出来上がります。
しかし高野さんは試作機の発表には慎重でした。
まず試作機の評価を、日本ビクターの親会社である松下電器の創設者、松下幸之助さんに託します。
試作機を見た松下幸之助さんは言います。
「ソニーのベータマックスは100点満点だ。しかしこの試作機は150点だ」
と。
さらに高野さんは4年かけて作り上げた試作機を、無条件で他社に貸し出します。

これは遅れを取ったソニーや、海外メーカーに対して極めて有効な戦略でした。
ソニーから遅れること約1年、1976年9月、日本ビクターはようやく新製品を発表します。
VHS第一号機です。
ソニーのベータ方式は最長1時間録画に対して、VHSは2時間。さらに3倍録画で6時間。

テープを機械上面からでなく、前面から装填できる「フロントローディング」はシャープ。
これでビデオデッキの収納は場所を選ばずに済みます。映像を早送りできる機能は三菱電機が。
無条件の貸し出しでVHSは各社の技術が追加され、さらにはアメリカ、ヨーロッパの企業にも無条件で貸し出しを続けたことから、7年後にはついにソニーのベータマックスの市場を抜き、世界標準規格になりました。

こうしてかつては「窓際」と言われたVTR事業部を、一人もリストラすることなく270名、全員を守り抜いたのです。


ところで
「ビクターワンちゃん」
って聞いたことありませんか?

ビクターのマーク、犬が蓄音機に耳を傾ける姿には意味があります。
実在した犬をモデルにしているのです。

logo_victor.png

この犬、“ニッパー”について、時間がありましたら以下をご残照下さい。

わんちゃんホンポ
https://wanchan.jp/osusume/detail/2804






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