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2018年02月25日

考え中

 昔、学校へ通っていた頃、といっても小・中学生の頃。
とても便利な言葉がありました。

 「考え中です。」

 勉強がよくでき、挙手して回答したい子供もいれば、大抵は黙っている子が多いと思います。

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黙っている理由は、
「わかるけど発表するのは恥ずかしい。」「良い子ぶりたくない。」「間違っていたら恥ずかしい。」「わからない。」などいろいろあったでしょう。

教諭にもよりますが、自ら回答する子がいなければ、指名して回答させるときもあったと思います。
そんなとき「わからない。」や、「間違っていたら恥ずかしい。」または本当に思案中の場合「考え中です。」と言えば、指された回答をパスできるという、大変便利な言葉でした。

今でも使われているんでしょうか?

子供だから許されたのでしょう。
これがもし、仕事で価格交渉を受けた場合、
「明日までには必ず返事します。」
といった猶予を取り付けることはよくあることと思います。
しかし、
「考え中です。」
が、まかり通るなら、なんて楽なんでしょう。

その代わり、社会では権限というか、通常各課に責任者がいて「上の判断」とか「稟議」とか自分では判断できないという逃げ場は作ることができますよね。
とはいえ、本当に上の判断を待っているのか、それ以前に本当に上に相談しているのか?
それは担当者のみが知る・・・ということも往々にしてあると思いますが。
これは「考え中です。」の社会人版ともいえるのでしょう。

コールセンターで私は何の役職も持たない、いわゆる「ぺいぺい」です。
まだ40代の頃はリーダーとかさせられたこともありますが、今のように1年足らずでセンターをあちこち移動して、とうに50代になってしまうと何のお声もかかりません。

もっともそれで良いんです。
コールセンターは100人いる部署でも正規社員というのは数名で、あとは時給で働く契約社員ばかり。
20代、30代の管理者が多い世界で50代の人間を管理者に加えたらやりづらくて仕方がないでしょう。
そんな20代、30代の管理者たちが作り上げる環境だから、ツッコミどころも満載です。

コールセンターで管理者の役目とは、オペレーターたちが働きやすい環境を作り上げることだと思いますが。





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2018年02月24日

北海道のことば@

 平昌オリンピック、女子カーリング、残念でした。
カーリングって初めて見たのはいつですか?

私はテレビで見たのがまだ子供の頃だったと思います。
テレビで見たといっても、CMでちょこっと映ったくらい。
スポーツというより、
「何しているんだ?」
という感覚で見ていました。

その後、カーリングという名前を知り、スポーツとして認知しました。
その頃に比べると、もう比較にならないほどメジャーになりましたね。

平昌オリンピックでは日本女子チームの会話が電波に乗り、かわいいと話題になったそうですね。
「そだねー」「そだねー」
というのが。

今日も中継を見ていると、
「〇〇じゃないかい?」
という北海道弁が聞こえて思わずほっこりとします。

私はもともと北海道育ちではないので、区別はついているつもりでいますが、北海道での生活がもう長くなってしまったので、私自身、染まっていても半分は気付かないでいるでしょう。

それでも仕事で発信、受信をしていると、仮に現住所が横浜であっても北海道出身の人はすぐにわかるときがあります。

北海道弁と北海道訛りとでは違います。
文字で読んでもわかるのが北海道弁で、聞いてわかるのが北海道訛りですね。

「そだねー」というのは北海道弁だと思いませんでした。
もちろん私が日常で使うことはありません。また周りからも「そだねー」と聞こえてくることはありません。
でも、何かで覚えがあります。
十年以上前にチャットで使っていた気がします。
相手は神奈川の人だったような、、、

記憶が確かならば、女子カーリングチームがたまたま使っていたのを北海道弁だと、またマスコミに吹かれてしまったとも思います。
北海道に限らず、「そだねー」という言葉は日本国中、仲間内で流行る可能性があるからです。

でも、北海道弁でもどこでも、方言というのは良いものだと思いませんか?
昔なら東京発、標準語が良いとされ、方言はバカにされる対象だった時期もあります。
しかし、メディアが充実してインターネットで地理的な距離感がなくなってきた今、方言も重んじられるようになってきたと思います。

 方言って、その土地になじんでいて、その土地ならばこそ的確に言い表す個性を持っています。
例えば

「しばれる」

言葉として日本人ならきっと誰でも知っているでしょう。
でも、本当のしばれを知らない人が、この言葉を的確に説明できるでしょうか。

零下3度で「しばれる」とは言いません。「寒い」です。

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夏の街を走る救急車の音と、冬の音、同じく聞こえますか?
冬の方が乾いて聞こえませんか?

松任谷由実さんの言葉と聞いています。
「冬の都会には黄色い信号機がよく似合う」
と。
そんなように日本人は五感をしっかりと使い、季節を感じているんだと思います。

外国語でも「インターフェイス」という言葉をひとことで的確に日本語にできますか?
たぶん、インターフェイスの示す範囲が広すぎて、ひと言で日本語に当てはめるのは不可能と思います。

「しばれる」
ですが、きっと零下20度を体験した人間が身に染みて体得した感覚なのだと思います。

零下20度になると、息をすればまず鼻毛が凍ります。そして少し息苦しいです。
何より音が変わって聞こえます。無音の「シーン」というのが聞こえてきそうです。
吐く息はもちろん白く、見えてくる世界になにか奥行きを感じます。

しばれを体験した人は、それに近い感覚を得たとき、「しばれた」といいます。
でも最近では地球温暖化の影響か、零下20度になることはありません。北海道でもごく一部の地域を除いて。

「しばれる」は寒い地方で必要な言葉だと思います。
でもそうではないのに、便利な北海道弁もあります。また後日、触れたいと思います。

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2月はダメです。
運気が下がるというか、悪い出来事は大抵2月に起きます。

肝臓、また悪くしたようです。
肝臓が悪いときはいくらでも眠れますね。

せっかくこのブログを見に来てくださっている方に更新が滞り、申し訳ありません。




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2018年02月21日

“時代”と“ことば”

 時代によって「ことば」は変容しますね。

何を隠そう、私の世代はテレビで「新人類」と言われた一期生です。二十歳頃にです。
私よりたった二つしか歳の離れていない先輩とも、私たちは違うんだと思い暮らしてきました。

そんな私ですが、50代になると、今の若い人たちはまた違う人たちに感じて見えてしまいます。
素行とかファッションとか変わっていくのも普通のことだし、「ことば」だって変わって当然なのでしょう。

思うと、「とても」とか「かなり」「非常に」「ひどく」といった言葉(「程度副詞」というんですね)は特に、その時代時代の若い人たちからイジられる傾向にあったと思います。

私が高校の頃は、「爆」を付けて呼ぶことがありました。「爆笑」から来ているのかも知れません。
例えば、とても悲惨なことを「爆惨(ばくさん)」。懐かしいことは「爆懐(ばくなつ)」。
あと、北海道なので「なまら」というのは使いましたね。「なまら痛い」とか「なまらおかしい」など。

今では「めっちゃ」といいますね。
私は使うことありませんけど。

何となく関西風な響きを感じる「めっちゃ」ですが、例えばお笑いの“ダウンタウン”とか、いい歳の人たちはやはり使っていないと思います。

 いま私はどうなんだろう、、、
「爆惨」も「なまら」も使うことはありません。「とても」や「やたら」で済ませます。

あと、「ヤバい」の使い方も変わりました。
私が思う「ヤバい」とは、「ヤバい、逃げよう!」というように必ず悪い状況で使っていました。

でも今は違いますよね。
良いことにも使っていますね。
その感覚が伝わりません。悪いものが良いものだと言われても、ピンとこないように。

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「この刺身、ヤバい!」と言われたら、食べては体に危険だと思ってしまいます。

 このように「ことば」が時代とともに変化していくのは、自然の成り行きだし、私たち自身も変化させてきた一因だと思います。
しかし最近の動向として思うのには、新しい言葉を作るのではなく、使い方を変えている気がするのです。

「感覚」や「フィーリング」というのは大切なことで、コミュニケーションには必要だと思っています。
でも「感覚」や「フィーリング」で言葉が持つ、本来の意味を置き去りにされている気がして焦ります。

先日も、
2018/2/3「もっとも重要なひとつ?」にも書いたように、「世界でもっとも偉大な発明家のひとり」は、「もっとも」といった時点で一人のはずなのに、もっとも偉大な人たちが何人もいる状況になっています。

また、よく来るメールに
「───イチオシその1───」
「───イチオシその2───」
というのもおかしな話。「イチオシその2」だったら、すでにイチオシではないのでは?

 言葉が自由に変遷するのは時代を映しているのでしょう。
でも今は自由になり過ぎだと心配しているのは私だけでしょうか。





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2018年02月20日

スクリーンセーバー

 今ではもうあまり聞かなくなりましたが「スクリーンセーバー」というソフトがありました。

まだパソコンやワープロ専用機の画面がCRT、ブラウン管だった頃に画面の焼き付きを防ぐため、画面に動きを与えるソフトでした。
WindowsやMacintoshのパソコンが世に出る前、ワープロ専用機や銀行のATMなどブラウン管に、待機時にはいつも同じ画面を映し出していることがありました。

例えばワープロ専用機なら、

 新規作成
 更新
 印刷

といったメニューの文字であるとか、ATMなら

 ご入金
 お引出し
 お振込み

といった文字が表示されているといった具合です。

実際に操作しているときには違う画面になりますが、大抵は待機画面がずっと続きます。
そうするといつの間にか、待機時間の表示内容がそのまま電源を切った状態でも画面に焼き付いてしまうことがありました。

古いワープロや昔のATMで見たという方もいらっしゃるのではないですか?

それを防ぐため、待機時の画面には動画を表示させておいて、メニュー画面に特定の焼き付きをさせないソフトとして使われたものです。
実際には5分間とか10分以上、操作のない状態が続くと、画面が動画になるという仕掛けです。

また、離席時には動画に切り替わることで、画面の内容が他人から見られないようになるというセキュリティにもなっていました。

 ところが今では画面も性能がよくなり、まして今だとブラウン管でなく液晶です。
さらには情報漏洩に厳しくなった今では、スクリーンセーバーよりも席を立つときにはモニターを消すという場合が多くなっていると思います。
だからスクリーンセーバーも役目を終えたように思います。

皮肉なことにそんな過渡期に一時、スクリーンセーバーが地味に活躍していたと思うのです。

 スクリーンセーバーは動画であれば良く、内容は何でも構いません。
昔はWindowsに標準で付属するスクリーンセーバーがよく使われていたと思います。
それらにはタイトルがあり「宇宙飛行」とか「ロゴ」なんていうのはご存知の方も多いと思います。

でもその前に、AppleコンピュータのMacintoshシリーズ用に売られていた“After Dark”というスクリーンセーバーがありました。あとからWindows用に移植されたものも売り出されていました。
初めは画面の焼き付きを防止するためのソフトが見ていて楽しいために、それ自体が商品として売れているという時期があったのです。

 このAfter Darkにはいくつものテーマがあり、古くは画面の中を魚が泳ぎ、PCがあたかも水槽であるようにしたもの。また、トースターや様式便座に翼が生えて飛んでいくもの。トラクターで芝を刈っていくいく先から、芝が伸びていくもの。いろいろありました。

 中でも好きだったのが、この「You Bet Your Head」です。
横で博士らしき人が軽快な音楽で回答者にクイズを出します。正解だと「That's Right!」。
不正解だと「Wrong!」、時間切れでは「Time's Up!」で横にいる金づちが
「んっ!」っと回答者を叩き潰します。

(YouTube:Cippykins)



 また、他にも“Bad Dog”があります。
犬が画面を壊していくというものです。
パソコン画面の壁紙を「ビリ!」っと破っては内部に入り込み、配線に噛みついてショートさせたり、足で体を掻いて画面に毛を散らかしたり。

ときどき飼い主に「Bad Dog!」と叱られ、「クーン、、」としょげて歩いて行きます。
そうかと思うと、「ワンワン!」と元気よく画面を走り回り、また怒られてしょげたりと犬の憎めない性格が見えてくる気がします。

(YouTube:Mario Martino)



大好きなのは、犬が画面を滑り、に右下にある「ゴミ箱(Trash)」にぶつかると、ゴミ箱が倒れて本当のゴミが散乱します。犬は笑ってごまかすというアニメーションです。

(YouTube:Infinisys)


見づらい画質ですが、12’48”にゴミ箱を倒しています。

今でも手に入るのなら、ぜひ欲しいソフトです。




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2018年02月04日

「継承」

 昔、トイザらスで子供のおみやげを探していたときです。
すぐ近くで小さな女の子がカートを倒してしまいました。私は当然のこととして起こしてあげました。
すると間もなくして少し大きな女の子が近づいてきて、こちらに
「ありがとうございました!」
と言います。

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きっと姉妹だったのでしょう。どちらも金髪の欧米人でした。
見た感じからして姉は小学校の低学年。妹はまだ小学校へ入学していない年齢です。

そのとき思ったのは、何としっかりしているか、ということ。
悔しいかな、日本よりも海外は家族関係が密で、教育もしっかりしており、自立も早いと感じます。

日本の学校というのは教科書が主体で、教師から学生、生徒への一方通行である場合が多く、その点も海外ではディスカッション系が多いと聞きます。これも自立を助けているのではないかと思います。
教える者から教わる者へ、しっかりと継承されているのだと思います。

 私はこのブログでよく愚痴っています。
その大半はバス停で割り込みをする者、子供を叱れない親、バスの中で食べ物を食い散らかす者、人の目前に手を伸ばし降車ボタンを押す者、など殆どがマナー違反です。
でも大部分は、今まで叱られたことがないから、悪いことをしているとさえ気づいていないのでしょう。

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マナーに厳格で規律正しいと世界から評価を受けている日本人はきっと、過去の話になるんじゃないかという焦りが消えません。


 今では週休二日制が当たり前になり、サマータイム制の導入もあり、少しずつ仕事時間から解放されてきているはずなのに、本当にそうなのでしょうか。家族と過ごす時間に充てる余暇はできたのでしょうか。

もともと真面目な日本人は、「労働は宝だ。」などと家族を犠牲にして仕事に打ち込むのが当たり前でした。
小さな島国で資源にも恵まれず、食糧や燃料、原材料などを輸入に頼るしかない日本では、技術で勝つしかないと、苦学をして頑張って高度経済成長期を迎え、過去には世界第二位の経済大国にまでなりました。

その結果、家族間での教育が行きわたらず子供を叱れない親ができて、叱られたこともない子供が今では子をもつ親になっています。
学校教育では「暴力はいけない!」と声高に、愛情のある体罰も、そうでないものも一緒くたに否定され、挙句に教師が生徒から暴力を受ける始末。

体罰が必要だとは思いませんが、諭しでは正せない生徒がいることも事実です。
愛情を持って生徒に接することができれば、生徒だって心を開くでしょう。
しかし、指導する教師も叱られた経験のない子供だったかも知れません。

ただでさえ長い時間拘束される教師に、時間をかけて一人ひとりの生徒と向き合えというのは無理難題です。
かといって時間もかけず愛情も注がずに体罰を加えたのでは反感を買うだけで、体罰を受けた生徒はいつか誰かに暴力を振るうようになる危険が伴います。

もし体罰なしで規律を教えることのできる施設があるとすれば、それは刑務所でしょう。
体罰のない代わりに独居房生活です。


 私は中学時代に体育会系の部活に入っていました。
体育会系だから上下関係に厳しく、今では絶対にタブーな体罰を先輩たちから毎日受けていました。

3年生が部活を終えるとき、下級生にビンタという「みやげ」を置いていきます。
それを「焼き入れ」と呼んでいました。

普段ビンタを受けるのは1年生ばかりで、2年生が受けるのを見たことがありません。
初めて3年生を見送るとき、先輩である2年生がビンタを受けるのを目の当たりにしました。

そういうのが嫌いだった私たちは、3年になり部活を終えるとき、皆で相談して
「焼き入れはやめよう。」
と決めました。

でも今になって思います。
やめてよかったんだろうか?と。

もちろん私たちの代で止めなかったとしても、体罰が今も続いているとは思えません。
だけど、何かしらの形で残すべきではなかったか、継承できなかったか、この歳になって考えてしまいます。

あってはいけないはずの体罰を受けてきた我々は、怖いもの、絶対に逆らえないものがあるのを知っています。その上で今の規律を自分の中に作っていると言って良い。

しかし、いろいろな主義主張が飛び交い、
「こうするのが一番!」と解決策が見いだせなくなってしまった世の中。

どうも日本人は「継承」が苦手な民族になってしまったと思います。







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2018年02月03日

もっとも重要なひとつ?

 テレビで特によく聞く言葉なんですが、「世界でもっとも偉大な発明家のひとり」とか、日本語として成り立っていない言葉が気になります。

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いったいいつ頃からこんな表現が始まったのでしょうか。よく憶えていませんが、そんなに昔ではないと思います。十数年くらい前からでしょうか。

けど「もっとも」と言った時点で一人じゃないですか。
英語でいうと「Best」なんですから。

ただ、そういわれてみると昔からある「ベスト10」というのもおかしな言葉です。
もしかしたらベスト10というのは日本だけの表現かと思い、いま思いついた言葉でググってみると、
「best places to travel 」
という語句を含んだ海外のサイトが、苦労することなく見つかりました。

「旅するのにもっとも素晴らしい場所たち」ということでしょうか。

 私見としてテレビは信ぴょう性を問われるというイメージがあります。
「公共の電波」を使う責任みたいなもの。

20年以上前、オカルトなビデオを借りたときです。
かなり有名なVTRで、野外のロケで旧日本軍の軍服をきた半透明の兵士が数名、映ってしまったというもの。
撮影し、放映するか協議になったとき「信ぴょう性」という言葉が遣われていました。

オカルトと一緒にして話すのは違うのかも知れません。
ですが、もし公共の電波で「世界で最も偉大な発明家」と断言しようものなら、それは放送局の私見かと思います。やはり「信ぴょう性」ということにつながるのかと思います。

私としては「もっとも」という、言葉を使わなければ良いと思います。それだけで十分。
使うから面倒になっていると思うのです。

使わなければ、「世界で偉大な発明家のひとり」となります。
しかしこれでは少し変ですね。
なら、
「世界の偉大な発明家」これで良いと思います。

けど、これでは盛り上げが足りないかも知れないですね。
なるほど!
ならばたとえ間違った日本語になろうとも、「世界でもっとも偉大な発明家のひとり」とした方が聞く側にも説得力を与えるのかも知れません。

 テレビって日常と違うところがありますね。
演歌歌手とかが着ている派手な衣装を日常も着ていたら明らかに不自然です。
カメラ、レンズを通してテレビで見るから、それなりに見えるというのも数々あるシーンだと思います。

同時に、テレビは「脚色」も得意ですね。
若い頃、わかりやすく言うと「町おこしの若者たち」をしていたことがあり、ミニ独立国ブームの頃でした。
ある日、その私たちのミニ独立国を取材したいと、ローカルのテレビ局が来たときです。

スケジュールの関係か、それとも意図的だったのか、私たちは夜に海水浴場へ集められました。
また、もともとの企画か思い付きだったのか、夜の浜辺で焚火をしようとなりました。
焚火をしただけでは画になりません。そしてテレビ局からの依頼で、
「焚火の上を一人ひとり跳び越えていこう!」
というのです。

私は跳ばなかったと思いますが、あっという間に収録が終わってしまいました。
それではほとんど尺が足りなかったと思います。
挙句にテレビ局は誰かがフォークギターを弾いて、歌を歌おうと言い出す始末。

 ♪ 君の〜ゆく〜 道は 〜
 ♪ 果てし〜なく〜 遠い〜
 ♪ なのに〜 な〜 ぜ〜

と。
結局これもボツになりました。

ちょっと待って下さい!と、
町おこしはやってますけど、私たちは焚火をした集団ではないし、みんなで歌を合唱したこともありません。
きっとプロデューサーの頭には、若者たちというだけで焚火を飛ぶとか、合唱するという決めつけたイメージで、テレビの映像に私たちをはめ込もうとした。

もしテレビ局の要望どおり焚火の上をみんなで跳んで、輪になって「若者たち」を歌ったら、それはそれで画になったかも知れません。演歌歌手の衣装が映えるように。

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でも、私たちはまったくそういう集まりではなかった。
単に意気投合した明るい集団ではないし、「イエーイ!」なんてノリもないし。
もっと切羽詰まって何とかしなければという現実派集団でしたから。

以来、私はマスコミってあくまで映像を作りたいだけなんだという意識を持ちました。






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2018年02月02日

道路交通法

 スマホ、携帯電話を使いながら自動車を運転した場合、罰則が強化されるそうですね。
操作したために交通の危険を生じさせた場合、現行の「3月以下の懲役または5万円以下の罰金」から「1年以下の懲役または30万円以下の罰金」に引き上げ。他にも

・軽微な交通違反を犯した際に、反則金を納付すれば刑事訴追されない交通反則通告制度の対象から除外
・直接交通の危険を生じない場合でも「5万円以下の罰金」から「6月以下の懲役または10万円以下の罰金」

と、それぞれあるようです。
そもそもスマホを操作しながらの運転など、私が思うにはもってのほかだと思います。
反面、メールやメッセージが届くと、スマホの画面が一時的に立ち上がり、送信主とタイトルが表示されるので、「どこからだろう?」「何だろう?」と気になるのも理解できなくはありません。

ただ、きっとゲームをしている輩もいるのでしょう。
歩行者として歩いていると、運転手の態度が目に入ってしまいます。
片足をシートの上に上げ、半分あぐらのような格好で運転している者とか、およそとっさの対応はできないだろうという運転手が相当数いるのも事実のようです。
そんな人たちにしてみればスマホでゲームをすることだって何ともないのかも知れません。

また、運転中の携帯電話使用(通話)の多いこと。
仮に10人に一人としても、かなり目立ちます。

 長い目で見ると、道路交通法もいろいろと変わっているようですね。
昔は交差点内でのUターンて禁止ではなかったですか?(交差点内は転回禁止)それがいつの間にか良いことになっています。

きっと今、学科問題のテストをされたら合格できないかと思います。

 街中を走っていると目にするのが「矢印信号」です。
赤なんだけど右折は良いとか、直進は良いとかいうヤツです。

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細かいことなんですが、あれ、現在は青信号が黄色になり、赤になると同時に矢印の青信号が点灯。
しばらくのち、また黄色になって赤になると矢印信号が消えます。
しかし、一時は黄色にならずに矢印信号がただ消えるだけだったの、憶えていませんか?

もっと古くは現在と同じく、黄色になってから矢印信号が消えていたのに。
それにもきっと理由があるのでしょうね。

昔はドアミラーでなく、フェンダーミラーで、扁平率60パーセントのタイヤは違反ですが、シートベルトは高速道路以外は着用しなくてよし。
自動二輪は中型免許(400ccまで)で大型(400cc超)を運転しても無免許ではありません。免許条件違反のみ。原動機付自転車もヘルメット着用が義務ではありませんでした。

 そういえば最近聞かなくなった気がします。
歩行者用信号機で「通りゃんせ」の歌が電子音で流れていましたね。

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2018年01月30日

 私の母はまだ生きていて現在、特別養護老人ホームに入居しています。

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誰しも母から産まれ、愛情を注がれて育つものだと思います。
また、男の子でも女の子でも初めて意識する異性は母であり、父であるとか。

しかし成長していく過程でどうしても「親離れ」が必要だから、女の子であれば父の匂いが嫌いだとか、男の子でも母親に近づきたくないといった時期を経て大人になっていくのでしょう。

娘は「洗濯物を父と一緒に洗わないで!」とか、息子も母親と一緒にいる自分を想像するだけで嫌気がさすという、育ててくれた親に対して何とも皮肉な行動をとる時代があるのだと思います。
私は中学生時代にその時期を過ごしました。

 私が母といえば、思うことはいつも同じで昔、ひどいことをしてしまったという思い出です。

中学を卒業して私は工業系の専門学校へ進学させてもらいました。
有名な専門学校です。学校祭と呼ばず○○祭と呼ぶ学校。
父母の面談を兼ねて、○○祭に合わせて母が田舎からやってきました。

中学は卒業していたのに、まだ母を避けたいという気持ちが残っていたとき、いつ同級生に見られているかわからない校舎を、母と一緒に歩いている自分は恥ずかしい。そんな思いがあったのでしょう。

 面談の終わった母を、いかにも面倒くさそうに校舎内を案内したのだと思います。
もっとも私自身、○○祭にはまったく思い入れもなかったので、見て欲しい何物もありませんでした。
そそくさと校内を案内し、帰りを送った私。

 寮生活でした。
仲の良い友達に母を見送ったことを報告します。

すると友人は、バス停まで送ったかい?
と聞きます。
いえ、私は校門のところで見送ってサヨナラしたのです。

 その友人というのは優しいヤツで、とても母思いでした。
友人はせめてバス停までは送ってやるべきだったと言いたかったのでしょう。

確かにそうです。
校門からバス停まで数百メートルはあったと思います。
まして母は、きっと朝早く起きて長い時間を汽車に揺られ、何時間もかけて学校へ。
面談は必須だったとはいえ、半日かけてここまで来てくれたのに、私はそそくさと学校を案内しただけ。

さらに校門でサヨナラとは。

考えが足りなかったことを後悔しました。
今日一日、母の行動を考えたなら私はバス停で、母がバスに乗り込むまで見送るべきだったと思いました。

そんな当たり前のことを友人のひと言が理解させてくれました。
以来、母に対する嫌悪感をやっと脱ぎ捨てることができた私。
それでも親孝行するまでには程遠いものだったと思います。

今、私は親孝行をできているのか。
ときどき考えます。

難しいんですよね。
金銭的に裕福であれば他にできることもあるでしょう。
でも、金銭的にも時間的にも余裕がないと、できることも限られます。

休日には父に電話を、母には手紙を書くようにしています。
電話なら簡単です。が、特別養護老人ホームに電話をするわけにはいきません。

食事以外、寝たきりの母はすることもない。
手紙なら何とかなるかと、昨年11月から始めました。

また、手紙なら手書きに限る。
これは私のこだわりです。

でもキーボードの方が早いし、校正も簡単です。
なので、一度ワープロで書いて印刷し、それを原稿に手書きします。

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これで一通の手紙を書くのに3時間はかかります。
今年になってからまだ1通も書いていませんでした。
ようやく今日、今年初めての手紙を投函してきました。

皆忙しい中、3時間をかけるのは難しい。
でも絶対に不可能か?というと、そうではない。
何とか専門学校時代の失礼を取り返したいと思っています。






タグ: 手紙
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2018年01月26日

引っ越しと冷蔵庫

 いま住んでいるここは2年前に越してきました。
前は戸建てでしたが、いくつかの理由から、次は集合住宅にしようねという計画で。

 そもそもマンションとアパートの違いって何でしょう。
ネットで調べると、木造や軽量鉄骨造の建物を「アパート」。 それ以外(鉄筋や鉄骨)を「マンション」。
と書いてあります。なら、ここはマンションです。

集合住宅に住んで思うのは、まず冬に温かいことです。暖房費も助かります。
ただ、収容には困ります。引っ越すにあたり、かなりのものを捨ててきました。
確か、重量で600kgだったと思います。

 それから、昔は田舎に住んでいたという話をしたことがあります。
田舎では「向こう三軒両隣」のような意識があり、引っ越しも友人や親せきが手伝ってくれました。
トラックは貸してもらえるし、人手も「お互い様」の感覚がありました。

2年前は初めて経験した世間一般の引っ越しです。
業者はどこにするか、3社くらい見積もりを取りました。
2社は受注用紙に家の広さ、家財の点数などを書き込んでいきます。
1社は目見当で〇〇万円とどんぶり勘定です。どんぶり勘定は信用できません。

また1社は、他社に比べて保険の実績があるといいます。
家電・家財が引っ越しで壊れることは意外に多いというのです。
しかも安い。
また、その会社の営業は昔、東京都江戸川区に住んでいたと言います。
私も住んだことがあり、しかも松島1丁目と3丁目の違い。
同郷というか、仲間意識というか、それも大きくて決めました。(笑)

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 そして引っ越しも無事に終わった、
と思ったのですが、冷蔵庫の調子がおかしい。

使っているのは勝手に製氷する冷蔵庫です。
私は寝酒をします。ウィスキーの水割りだから、氷は欠かせません。

もちろん保険請求をしましたが、修理に来るまでコンビニで氷を買いました。
コンビニの氷は1kg入りでだいたい200円だと思います。
それが二日でなくなりますから、単純計算で毎日100円ずつかかります。

そんなに大きな額ではありません。
しかし、冷蔵庫さえ壊れていなければまったく必要のないお金。
何より、一日おきに買ってくるのも面倒です。

10日ほど経って、やっと修理に来ました。
忘れもしない佐〇木という人間。

修理を始めて間もなく、
「これは衝撃が原因ではありませんね。」
と言います。
つまり、引っ越しが原因ではないので、自費での修理になると。

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なんだか、氷が出来上がったのを温度で感知するセンサーが壊れたというのです。
そのため氷ができたのに、いつまでも落ちてこないと。

温度センサーなので素子になっており可動部分がない。したがって振動など引っ越しが原因ではないという。
だから引っ越しの保険は適用にならないと。

「待て!」
現在も使っている冷蔵庫。
引っ越し当時ですでに10年使っていました。

1年365日。
それが10年間なんでもなかったのに。
引っ越しが原因でないとすれば、
365日×10年 = 3,650日
3,650分の1の確立が、たまたま引っ越しと重なったのか?

修理屋はそうだと譲りません。
しかもそれを「しゃあしゃあ」と言うのです。
私は納得がいかず、言い争い。

パーセントでいうと、0.0003%
10年に1回といえば、航空機事故より少ない。
航空機事故は交通事故よりもはるかに少ないのにです。

納得いかない私は、修理屋とは一言も口をきかず修理代金、約10,600円を投げつけました。
帰りも無言のまま玄関まで送りました。修理屋は逃げるように帰っていきました。

 ところが何日か後、引っ越し会社から保険金請求書が送られてきました。
請求書には修理代金の領収書添付欄があります。
私はそのまま請求しました。
領収書を貼って。

保険金は何も問題なく、振込まれてきました。
なら「めでたし、めでたし」とお考えでしょうか。
私は、そうは思えませんでした。

結局、保険金請求はその修理屋の範疇じゃなかったのです。
保険屋に文句を言うわけにもいかないし、引っ越し屋に言ってもしょうがないし。

ただ、修理屋にケチをつけられた気がして。
かといって修理屋にザマ見ろという話でもありません。
修理代金は一時、立替払いになると、ひとこと説明が欲しかった。

修理屋と保険金の勉強をしたと思えば授業料。
しかし、釈然としない授業料でした。







posted by CSおじさん at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2018年01月24日

普通の大きさ?

 昔、営業の仕事をしていたときです。
普段は営業で外回りをしていました。が、店舗があり小売りもしていたので人出が足りないとき、店舗売りもしていました。

店舗で売る商品は小さなものがほとんどです。
珍しいものでは、マージャン牌やマット、トランプ、花札、百人一首、国旗、筆、輪ゴム、カミソリなども置いていました。かなり昔だと国旗は定番商品のようによく売れていました。

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国旗の布地だけのもの、掲げるポール、ポールの付いたセット。ポールには玄関の柱に取り付ける金具がセットになって同梱されていました。

今では珍しくなってしまいましたが、その昔は祝日になると、玄関に国旗を掲げる民家がたくさんありました。旗日(はたび)というと、今の若い人には「え?」っと聞かれてしまいますが、昔は祝日 = 祭日 = 旗日 でした。

 また、のし紙や祝儀袋(しゅうぎぶくろ)など日本古来のものも売っていました。
のし紙にはいろいろなサイズがあります。大きなものだと一枚50円とか、小さなのだと一枚5円というようにバラ売りもしていました。

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のし紙をバラで買いに来るのはまず、年配者がほとんどです。

「のし紙ちょーだーい!」

って来ます。
私は「大きさは?」と聞きます。
すると、よくあったのが、
「普通のさ!」
という返事。

その方たちはのし紙に色々なサイズがあること、それらをどのように呼んでいるのか、きっとわかっていません。

今だったら、のし紙はパソコンで印刷したり、コピーしたりというのが主体だと思います。
ならばサイズもA4とか、B4、A3というサイズが使いやすいと思います。
しかし、当時は手書きです。
大抵どこにも筆字の達者な人がいて、書いてもらうこともできたのです。

そして、のし紙が日本古来のものなので本来、サイズもコピー用紙大ではありません。
主なものは小さい順に、切手判、半紙判、美濃判(みのばん)、反物判といったもの。
コピー用紙に例えると、だいたいB5、A4、B4、A3判に近いと考えて下さい。

すると大体、半紙判か美濃判が中間くらいの大きさです。
私はお客様へ美濃判を見せることが多くありました。

ところが、それを見たお客様は
「そんな大きいのじゃなくてさ!」
と言います。

最終的に切手判より、さらに小さなものを買っていくことも、よくありました。
美濃判といえば、日本酒の一升瓶が2本入る箱にちょうど良くかかる大きさです。
といっても、今では一升瓶自体が特殊でしょうか??

きっとお客様は普段、のし紙を付けて贈るものが決まっていて、それがあくまで普通の大きさと捉えていたのでしょう。

祝儀袋は婚礼など、おめでたいことでお祝いを包む封筒です。
これも考え方は様々で、包む金額が少ないから祝儀袋も質素なので良いという考え。

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逆に、金額が少ないのなら外身は立派にという考え。

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金額が大きくても、同様に考え方は人それぞれです。
しかし、「普通のさ!」という言葉には悩まされました。(笑)







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