2018年02月04日
「継承」
昔、トイザらスで子供のおみやげを探していたときです。
すぐ近くで小さな女の子がカートを倒してしまいました。私は当然のこととして起こしてあげました。
すると間もなくして少し大きな女の子が近づいてきて、こちらに
「ありがとうございました!」
と言います。
きっと姉妹だったのでしょう。どちらも金髪の欧米人でした。
見た感じからして姉は小学校の低学年。妹はまだ小学校へ入学していない年齢です。
そのとき思ったのは、何としっかりしているか、ということ。
悔しいかな、日本よりも海外は家族関係が密で、教育もしっかりしており、自立も早いと感じます。
日本の学校というのは教科書が主体で、教師から学生、生徒への一方通行である場合が多く、その点も海外ではディスカッション系が多いと聞きます。これも自立を助けているのではないかと思います。
教える者から教わる者へ、しっかりと継承されているのだと思います。
私はこのブログでよく愚痴っています。
その大半はバス停で割り込みをする者、子供を叱れない親、バスの中で食べ物を食い散らかす者、人の目前に手を伸ばし降車ボタンを押す者、など殆どがマナー違反です。
でも大部分は、今まで叱られたことがないから、悪いことをしているとさえ気づいていないのでしょう。
マナーに厳格で規律正しいと世界から評価を受けている日本人はきっと、過去の話になるんじゃないかという焦りが消えません。
今では週休二日制が当たり前になり、サマータイム制の導入もあり、少しずつ仕事時間から解放されてきているはずなのに、本当にそうなのでしょうか。家族と過ごす時間に充てる余暇はできたのでしょうか。
もともと真面目な日本人は、「労働は宝だ。」などと家族を犠牲にして仕事に打ち込むのが当たり前でした。
小さな島国で資源にも恵まれず、食糧や燃料、原材料などを輸入に頼るしかない日本では、技術で勝つしかないと、苦学をして頑張って高度経済成長期を迎え、過去には世界第二位の経済大国にまでなりました。
その結果、家族間での教育が行きわたらず子供を叱れない親ができて、叱られたこともない子供が今では子をもつ親になっています。
学校教育では「暴力はいけない!」と声高に、愛情のある体罰も、そうでないものも一緒くたに否定され、挙句に教師が生徒から暴力を受ける始末。
体罰が必要だとは思いませんが、諭しでは正せない生徒がいることも事実です。
愛情を持って生徒に接することができれば、生徒だって心を開くでしょう。
しかし、指導する教師も叱られた経験のない子供だったかも知れません。
ただでさえ長い時間拘束される教師に、時間をかけて一人ひとりの生徒と向き合えというのは無理難題です。
かといって時間もかけず愛情も注がずに体罰を加えたのでは反感を買うだけで、体罰を受けた生徒はいつか誰かに暴力を振るうようになる危険が伴います。
もし体罰なしで規律を教えることのできる施設があるとすれば、それは刑務所でしょう。
体罰のない代わりに独居房生活です。
私は中学時代に体育会系の部活に入っていました。
体育会系だから上下関係に厳しく、今では絶対にタブーな体罰を先輩たちから毎日受けていました。
3年生が部活を終えるとき、下級生にビンタという「みやげ」を置いていきます。
それを「焼き入れ」と呼んでいました。
普段ビンタを受けるのは1年生ばかりで、2年生が受けるのを見たことがありません。
初めて3年生を見送るとき、先輩である2年生がビンタを受けるのを目の当たりにしました。
そういうのが嫌いだった私たちは、3年になり部活を終えるとき、皆で相談して
「焼き入れはやめよう。」
と決めました。
でも今になって思います。
やめてよかったんだろうか?と。
もちろん私たちの代で止めなかったとしても、体罰が今も続いているとは思えません。
だけど、何かしらの形で残すべきではなかったか、継承できなかったか、この歳になって考えてしまいます。
あってはいけないはずの体罰を受けてきた我々は、怖いもの、絶対に逆らえないものがあるのを知っています。その上で今の規律を自分の中に作っていると言って良い。
しかし、いろいろな主義主張が飛び交い、
「こうするのが一番!」と解決策が見いだせなくなってしまった世の中。
どうも日本人は「継承」が苦手な民族になってしまったと思います。
すぐ近くで小さな女の子がカートを倒してしまいました。私は当然のこととして起こしてあげました。
すると間もなくして少し大きな女の子が近づいてきて、こちらに
「ありがとうございました!」
と言います。
きっと姉妹だったのでしょう。どちらも金髪の欧米人でした。
見た感じからして姉は小学校の低学年。妹はまだ小学校へ入学していない年齢です。
そのとき思ったのは、何としっかりしているか、ということ。
悔しいかな、日本よりも海外は家族関係が密で、教育もしっかりしており、自立も早いと感じます。
日本の学校というのは教科書が主体で、教師から学生、生徒への一方通行である場合が多く、その点も海外ではディスカッション系が多いと聞きます。これも自立を助けているのではないかと思います。
教える者から教わる者へ、しっかりと継承されているのだと思います。
私はこのブログでよく愚痴っています。
その大半はバス停で割り込みをする者、子供を叱れない親、バスの中で食べ物を食い散らかす者、人の目前に手を伸ばし降車ボタンを押す者、など殆どがマナー違反です。
でも大部分は、今まで叱られたことがないから、悪いことをしているとさえ気づいていないのでしょう。
マナーに厳格で規律正しいと世界から評価を受けている日本人はきっと、過去の話になるんじゃないかという焦りが消えません。
今では週休二日制が当たり前になり、サマータイム制の導入もあり、少しずつ仕事時間から解放されてきているはずなのに、本当にそうなのでしょうか。家族と過ごす時間に充てる余暇はできたのでしょうか。
もともと真面目な日本人は、「労働は宝だ。」などと家族を犠牲にして仕事に打ち込むのが当たり前でした。
小さな島国で資源にも恵まれず、食糧や燃料、原材料などを輸入に頼るしかない日本では、技術で勝つしかないと、苦学をして頑張って高度経済成長期を迎え、過去には世界第二位の経済大国にまでなりました。
その結果、家族間での教育が行きわたらず子供を叱れない親ができて、叱られたこともない子供が今では子をもつ親になっています。
学校教育では「暴力はいけない!」と声高に、愛情のある体罰も、そうでないものも一緒くたに否定され、挙句に教師が生徒から暴力を受ける始末。
体罰が必要だとは思いませんが、諭しでは正せない生徒がいることも事実です。
愛情を持って生徒に接することができれば、生徒だって心を開くでしょう。
しかし、指導する教師も叱られた経験のない子供だったかも知れません。
ただでさえ長い時間拘束される教師に、時間をかけて一人ひとりの生徒と向き合えというのは無理難題です。
かといって時間もかけず愛情も注がずに体罰を加えたのでは反感を買うだけで、体罰を受けた生徒はいつか誰かに暴力を振るうようになる危険が伴います。
もし体罰なしで規律を教えることのできる施設があるとすれば、それは刑務所でしょう。
体罰のない代わりに独居房生活です。
私は中学時代に体育会系の部活に入っていました。
体育会系だから上下関係に厳しく、今では絶対にタブーな体罰を先輩たちから毎日受けていました。
3年生が部活を終えるとき、下級生にビンタという「みやげ」を置いていきます。
それを「焼き入れ」と呼んでいました。
普段ビンタを受けるのは1年生ばかりで、2年生が受けるのを見たことがありません。
初めて3年生を見送るとき、先輩である2年生がビンタを受けるのを目の当たりにしました。
そういうのが嫌いだった私たちは、3年になり部活を終えるとき、皆で相談して
「焼き入れはやめよう。」
と決めました。
でも今になって思います。
やめてよかったんだろうか?と。
もちろん私たちの代で止めなかったとしても、体罰が今も続いているとは思えません。
だけど、何かしらの形で残すべきではなかったか、継承できなかったか、この歳になって考えてしまいます。
あってはいけないはずの体罰を受けてきた我々は、怖いもの、絶対に逆らえないものがあるのを知っています。その上で今の規律を自分の中に作っていると言って良い。
しかし、いろいろな主義主張が飛び交い、
「こうするのが一番!」と解決策が見いだせなくなってしまった世の中。
どうも日本人は「継承」が苦手な民族になってしまったと思います。
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