2018年01月15日
じゅらくビル
私は子供の頃、鉄ちゃん(てっちゃん)でした。鉄道ファンのことです。
ひとこと「鉄ちゃん」といっても、「撮り鉄」や「乗り鉄」「録り鉄(音)」「車両鉄」「収集鉄」「駅鉄」など、さまざまに分類されるようです。
私は「撮り鉄」でした。
小学2年生になるとき、親の仕事で宇都宮市に引っ越しました。
父は仕事の部下に、
「子供(私)におもちゃを買ってやれ。」
と、お金を渡しました。
私は連れられてデパートに行き、鉄道模型を買ってもらいました。
HOゲージというサイズで、キハ系の気動車を2両。
楕円形に敷いたレールをただ、グルグル回るだけ。
なのに私は大人たちが飽きれるまでジーっと見ていて楽しかったのです。
また、連れて行って下さった人が「鉄ちゃん」だったのでしょう。
「鉄道ファン」という雑誌を数冊、くれたのです。
私が子供の頃にはまだSL(蒸気機関車)が走っていました。
今でもそうですが、幼児の本、特に男の子の本は鉄道や車の本が多いと思います。
その土台があったからか、いただいた「鉄道ファン」も飽きずに見ていました。
写真の中には単に車両を撮るのではなく、景色も一体に感傷的なのもありました。
以来、鉄道が好きになったのだと思います。
周りにも鉄道好きがいて、、、
親戚にもらった写真を見せてくれた同級生がおり、私も撮りたいと思い撮り鉄になりました。
ただし、当時のバカチョンカメラを持つ、鉄道小僧です。(笑)
小学4年生くらいだと友達に付き合ってもらい、近くの駅へ撮りに行く程度でした。
それが5〜6年になると、単独でも行動範囲が少し広まってきます。
東京駅にも行きましたが、上野駅がほとんどでした。
月〜土曜日の放課後は友達と外で遊び、日曜日は撮り鉄になっていました。
ローカルな話ですが、当時の最寄り駅だった総武線、新小岩駅から秋葉原で山手線(京浜東北線)に乗り換え、上野駅へ。
できれば夜に寝台特急列車も撮りたいところ。でも私はまだ小学生。
中には仙台発の寝台特急がありました。
仙台発だと近いので早朝にはもう上野駅に着きます。
それでも深夜3時頃、早々に起きて撮りに行くこともありました。
そんな鉄ちゃんだった小学校時代。
生意気なガキが、上野駅は自分の“庭”だと勘違いしていました。(笑)
上野駅から帰るとき、必ず見ていた光景があります。
今日のタイトル、「じゅらくビル」です。
台東区上野4-1にありました。
上野駅から帰りの山手線に乗ると行く手、
右側に“アメ横”を挟むようにして建っていました。
立地条件から少し変わった建物になっています。
薄っぺらいというのか、
でも、その形状が山手線の車内から見ると先端がカーブしていて特徴的です。
さらに、昭和11年建造という歴史のある建物だったので、デザインも目を引くものでした。
帰りにその「じゅらくビル」を見ることで妙に満足感というか、子供心に安心感を感じていたのです。
“名所”だったんだと思います。
1976年ころ「三男三女婿一匹」というドラマがありました。
そのオープニングには、確か東京の名所がイラストで、スライドのように切替わっていました。
そのイラストの一枚に「じゅらくビル」がありました。
オープニングの主題歌は、“杉田二郎さん”の「僕たちの箱舟」。
小学生の私にとってはそのドラマ自体、興味のないものでしたが、
必ずオープニングの歌を聞きイラストを見ていました。
そして安心感を得て、満足していたのです。
そんな「じゅらくビル」もなくなります。
昭和11年に建てられたのではしょうがありません。
なくなった跡地を見たのはNHKのテレビ番組でのこと。
仕方ないと思いながら、まるで「東京」がなくなったくらいに衝撃でした。
もうすでに東京に住んでいませんでしたので、テレビなどで情報を得るしかありません。
今はヨドバシカメラの店舗になっているようです。
この写真は“大東京 ビフォー&ナウ様”より許可を得て掲載しました。
このサイトでは昭和時代の写真と現在の写真を対比させ、懐かしむことができるようになっています。
昔と今の比較というのは、例えば“安藤広重”さんの「名所江戸百景」にもあるように、深い感慨を覚えます。
よろしければ是非、ご訪問下さい。
「じゅらくビル」は、私にとって大切な大切な思い出の場所です。
写真の掲載許可をいただきました、“大東京 ビフォー&ナウ様”に感謝申し上げます。
ひとこと「鉄ちゃん」といっても、「撮り鉄」や「乗り鉄」「録り鉄(音)」「車両鉄」「収集鉄」「駅鉄」など、さまざまに分類されるようです。
私は「撮り鉄」でした。
小学2年生になるとき、親の仕事で宇都宮市に引っ越しました。
父は仕事の部下に、
「子供(私)におもちゃを買ってやれ。」
と、お金を渡しました。
私は連れられてデパートに行き、鉄道模型を買ってもらいました。
HOゲージというサイズで、キハ系の気動車を2両。
楕円形に敷いたレールをただ、グルグル回るだけ。
なのに私は大人たちが飽きれるまでジーっと見ていて楽しかったのです。
また、連れて行って下さった人が「鉄ちゃん」だったのでしょう。
「鉄道ファン」という雑誌を数冊、くれたのです。
私が子供の頃にはまだSL(蒸気機関車)が走っていました。
今でもそうですが、幼児の本、特に男の子の本は鉄道や車の本が多いと思います。
その土台があったからか、いただいた「鉄道ファン」も飽きずに見ていました。
写真の中には単に車両を撮るのではなく、景色も一体に感傷的なのもありました。
以来、鉄道が好きになったのだと思います。
周りにも鉄道好きがいて、、、
親戚にもらった写真を見せてくれた同級生がおり、私も撮りたいと思い撮り鉄になりました。
ただし、当時のバカチョンカメラを持つ、鉄道小僧です。(笑)
小学4年生くらいだと友達に付き合ってもらい、近くの駅へ撮りに行く程度でした。
それが5〜6年になると、単独でも行動範囲が少し広まってきます。
東京駅にも行きましたが、上野駅がほとんどでした。
月〜土曜日の放課後は友達と外で遊び、日曜日は撮り鉄になっていました。
ローカルな話ですが、当時の最寄り駅だった総武線、新小岩駅から秋葉原で山手線(京浜東北線)に乗り換え、上野駅へ。
できれば夜に寝台特急列車も撮りたいところ。でも私はまだ小学生。
中には仙台発の寝台特急がありました。
仙台発だと近いので早朝にはもう上野駅に着きます。
それでも深夜3時頃、早々に起きて撮りに行くこともありました。
そんな鉄ちゃんだった小学校時代。
生意気なガキが、上野駅は自分の“庭”だと勘違いしていました。(笑)
上野駅から帰るとき、必ず見ていた光景があります。
今日のタイトル、「じゅらくビル」です。
台東区上野4-1にありました。
上野駅から帰りの山手線に乗ると行く手、
右側に“アメ横”を挟むようにして建っていました。
立地条件から少し変わった建物になっています。
薄っぺらいというのか、
でも、その形状が山手線の車内から見ると先端がカーブしていて特徴的です。
さらに、昭和11年建造という歴史のある建物だったので、デザインも目を引くものでした。
帰りにその「じゅらくビル」を見ることで妙に満足感というか、子供心に安心感を感じていたのです。
“名所”だったんだと思います。
1976年ころ「三男三女婿一匹」というドラマがありました。
そのオープニングには、確か東京の名所がイラストで、スライドのように切替わっていました。
そのイラストの一枚に「じゅらくビル」がありました。
オープニングの主題歌は、“杉田二郎さん”の「僕たちの箱舟」。
小学生の私にとってはそのドラマ自体、興味のないものでしたが、
必ずオープニングの歌を聞きイラストを見ていました。
そして安心感を得て、満足していたのです。
そんな「じゅらくビル」もなくなります。
昭和11年に建てられたのではしょうがありません。
なくなった跡地を見たのはNHKのテレビ番組でのこと。
仕方ないと思いながら、まるで「東京」がなくなったくらいに衝撃でした。
もうすでに東京に住んでいませんでしたので、テレビなどで情報を得るしかありません。
今はヨドバシカメラの店舗になっているようです。
この写真は“大東京 ビフォー&ナウ様”より許可を得て掲載しました。
このサイトでは昭和時代の写真と現在の写真を対比させ、懐かしむことができるようになっています。
昔と今の比較というのは、例えば“安藤広重”さんの「名所江戸百景」にもあるように、深い感慨を覚えます。
よろしければ是非、ご訪問下さい。
「じゅらくビル」は、私にとって大切な大切な思い出の場所です。
写真の掲載許可をいただきました、“大東京 ビフォー&ナウ様”に感謝申し上げます。
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