2018年11月11日
スマホアプリにも踊らされ
昨夜はポイントに踊らされている話を書きました。
他にスマホのアプリにも踊らされています。
セブンイレブンのアプリです。
2018/7/31「専売法とスマホアプリ」にも書いてあります。
私のような性格は、この機能にまんまと嵌められています。
アプリにはバッチというのがあり、「お弁当」「おにぎり・寿司」「パン」「おでん」「スイーツ」「セブンカフェ」などのバッチが、はじめは何もないところから、目標数を達成するごとに「銅」→「銀」→「金」→「プラチナ」へと昇格していきます。
このバッチを貯めるのが楽しくて、おにぎりはローソンでもファミマでもなく、セブンイレブンで買うようになってしまいました。
バッチには他にも「アプリ起動」「都道府県制覇」「お店巡り」といったのがあり、地道に頑張っています。
「都道府県制覇」というのが私には難しい関門です。
北海道は他の都道府県と陸続きではないこと。また、ときどき行く東北は青森では都道府県制覇につながりますが、私の行く岩手県県北に、セブンイレブンがありません。
ただ、派遣先がよく変わる私に「お店巡り」はあっている気がします。
「お店巡り」はその名の通り、行って買い物をした軒数で目標を達成していきます。
同じセブンイレブンには何度行っても初めにひとつ加算されただけです。
派遣先が変わると、派遣先の近所にあるセブンイレブンへ行くわけですから現在の派遣先、まだ6日しか通っていないにもかかわらず、新たに5軒のセブンイレブンが追加されました。
とはいえ、5軒のセブンイレブンを巡るのはそれなりに大変です。歩いて巡るのですから。
中には病院の建物内にあるセブンイレブンもありました。
昨夜、仕事帰りに見つけたセブンイレブン。仕事が終るのは19:30。
病院はすでに終わっており、張り紙には19時に閉鎖と書いてあります。
朝の出勤は遅いので今朝、行ってみることにしました。
その病院へ寄るには遠回りすることになるので15分、早く家を出ました。
しかし今日は日曜日。
なんと正面の入り口は閉まっています。
時間外出入口が奥にあると書いてあったので、奥へ回ります。
すると、門番?守衛?が受付のようなところに座っています。
見舞ではないのですが、面会者名簿に名前を書き込み、用事は空欄。
本当の用事はセブンイレブンに寄るだけなのです。
用事は買い物だけなので、すぐに終わります。
いま病院に入ったばかりの私が、すぐに出ていったのを守衛は不思議に思ったでしょう。
また、私が仕事中に飲む、欲しいお茶は決まっています。
ローソンに売っている900ml、108円のお茶です。セブンイレブンにはありません。
ローソンにも寄る必要があるのです。
今朝は回り道をしたため、いつものローソンに寄ることができません。
スマホアプリの“コンビニ検索”で近くのローソンを探します。
さらにわずか遠回りになりますが寄ってみました。
入るとき、小さなローソンだと思うと同時に不安が。
小さなローソンでは欲しいお茶を置いていない場合があります。
いやな予感で店に入ると、、、やはり欲しいお茶は売っていませんでした。
仕方なく1リットルのお茶を買うと、184円。
金額の差はわずかとはいえ、セブンイレブンのアプリのために余計な支出と思います。
このように昨夜書いたポイントと、スマホアプリにも踊らされているのです。
ポイントカード
昨晩、ウォッカを飲みました。
ポーランド製の“シュタルカ”という、オールド・ウォッカです。
15年物で、アルコール度数は50%です。
これは10数年前、酒好きな叔父から頂いたものです。
私はほぼ毎晩、寝酒をしています。
まだ10代の頃から続けています。
初めは安い焼酎から始めました。
思うと可愛いもので、720ml入りの瓶を2〜3日かけて飲んでいました。
当時は720ml入りの瓶を自動販売機で500円くらいで購入。
やがて体も慣れてくるのか、一晩で720mlを飲んでしまうようになります。
そうすると毎晩500円というのはもったいない気がしてきます。
そこで、今度は4リットル入りのペットボトルに手を出します。
4リットルなら当時1本1,500円くらい。これで1週間持たせることができました。
7日で1,500円なら、一日あたり200円ちょっとで済みます。
ある親戚は夫婦そろって毎晩、焼酎を飲んでいました。
夫婦で飲むと4リットルでも足りないのでしょう。
話によれば18リットル入りの容器で購入し、灯油ポンプでシュポシュポと瓶に移して飲んでいると聞きます。
ただ、酒にも相性があります。
深酒を続けると、私の場合は年月をかけて焼酎が記憶力を破壊しました。
そもそもウィスキーの水割りが好きなのです。
そこで「待てよ?」と考えます。
高いと考えていたウィスキーの4リットルペットボトルは当時3,000円とちょっと。
買っていた焼酎のペットボトルはアルコール度数が20%。
でもウィスキーなら38%です。約倍。
なら、ウィスキーは少しだけ高いけれども、焼酎と大して変わりません。
そこで、ウィスキーの4リットル入りを買い、2週間かけて飲むようにしました。
今から7年前のことです。以来、記憶障害はなくなりました。
家を引越すと買い物に行く店も変わります。
ウィスキーはニッカブラック、クリアを飲んでいます。
近所で一番安く売っている店を探し、そこで買うようになります。
あと、なかなか魅力なのがポイントです。
ウィスキーの4リットルなら、ポイントもなかなかです。
ただし、毎日ではありません。
店によっては毎月1・2・3日だったり、土・日だったりします。
いま使っている店は平日10ポイントですが、土・日だと110ポイントです。
ニッカブラックの4リットルは3,650円なので、34本買うとポイントで1本と交換できます。
2週間で1本だから、だいたい1年と少しごとにポイントで1本交換できます。
ただ、1本が必ず2週間持つとは限りません。
昨日、飲む酒が途中でなくなってしまいました。
今日が土曜日なので、昨日買ってしまうとポイントは10ポイントしか付きません。
今日まで買うのを待たなくてはなりません。
もし、今日の110ポイントを獲得するため、昨日600円の小さなボトルを買っては本も子もありません。
そこで、冒頭のウォッカに手を付けたのでした。
少しもったいない気がしました。
でも背に腹は代えられず、ネットで価値を調べると、そう高くはありません。
「なら飲んじゃえ!」
と。ロックにして2杯くらい飲みました。
味は泡盛に近いと思います。
しかし、
つくづくポイントに踊らされているなぁと思います。
2018年11月09日
ルネ・シマール
名前はきっと忘れていたのでしょう。いま聞いてもピンときません。
STVラジオという、ニッポン放送系、北海道ローカルのラジオ局があります。
その局で夜7時から10時までの3時間、プロ野球中継のない曜日に放送されている歌番組があります。
今はプロ野球もシーズンオフなので、火曜日から金曜日までオンエアです。
1970〜90年代の邦楽をランダムに流しています。
それにしても、どっから出てくるの?
というくらい、忘れていた古い歌が流れます。
私の世代にはぴったりなのです。
今夜、流れた歌に、意表を突いた歌がありました。
「何か、とても懐かしい歌だなぁ。」
と思い聞いていました。
聞いているうちにだんだんと思い出してくるもので、外人の男の子がずいぶん上手い日本語で歌っていたなぁとか、歌詞はこうだったなぁ、とか。
早速ネットで歌詞から探してみました。
するとタイトルが“ミドリ色の屋根”とわかり、歌手名はルネ・シマールとわかり、YouTubeで検索します。
1974年の歌というからけっこう昔ですね。カナダの歌手です。
歌詞はここにあります。
http://www.kget.jp/lyric/130012/%E3%83%9F%E3%83%89%E3%83%AA%E8%89%B2%E3%81%AE%E5%B1%8B%E6%A0%B9_%E3%83%AB%E3%83%8D
今なら絶対に流行らない歌詞ですね。(笑)
7分の動画ですが、私はこれを見てルネ・シマールさんの人柄に好感を持ちました。
もしよかったらどうぞ。
(YouTube:ex250c1)
合わない
人と人。
合わない相性は絶対にあります。
今日(昨日)受けた入電です。
お客様はせっかちなのか、こちらが聞いたことに足早に答えます。
電話番号も間を空けず、書き留める間もないほど。
住所すら郵便番号は「お前が調べろ!」。
郵便番号を言ってくれたら、郵便番号からほぼ住所を選んでいけるシステムなのに。
しかも番地まで言ったあとに、付け加えのようにアパート名を付け足してくる。
もうすでにアパート名なしで登録してしまった。また聞き直し。
だんだんお客様もヒートアップ。
仕方ないとはいえ、原因はあんただよ。
年齢は私より三つ上。
おお、私のように説教ぶってくる年齢か?(笑)
思うに生きてくると、どの世代でもそれぞれ自分の世代に満足と同時に焦りを感じると思います。
満足とは、生きてきた歴史と自分が長く培ってきた道徳観。
それに合わないことがあると不満、怒り、同時に焦りになっていくと思います。
お客様は早くしろという。
しかしお客様の発言でタイミングを逸したり、また早口では嫌がらせとも感じる。
でも同世代。
うるさい親父になってきた頃。
相手は私を同世代と思ったか、わかりません。
人によってはきっと、コールセンターの受付は若僧と決めつけている人もいるでしょう。
それも老化の一つなんですけどね。(笑)
いちいち私の言葉に難癖をつけ、私も相手に媚びることもなく対応は終わりました。
が、
思うに相手は私と同年代。
もしかしたら私の悪い鏡を見ているような気がしました。
2018年11月08日
そば食ってます。
私は中性脂肪値が高いので、血液がドロドロ。
血管にかかわる病気が心配です。
中性脂肪値を下げるため、かかりつけの医師から炭水化物の摂取を控えるよう、指示されました。
そのため、
夕食は米、ライスを食べないようにしました。
かといって炭水化物をまったく摂らないわけにはいきません。
また、朝食は食べた方が良いでしょうから、朝食にそばを食べるようにしています。
このそば、
はじめから茹でてあるものです。
でも、そのまま食べるわけにはいきません。
一度、鍋にお湯を入れ温まってからそばを入れます。
そしてキッコーマン“めんみ”を5倍に希釈したつゆに、きざみ海苔を振りかけたそばをつけ、ざるそばにして食べています。
この一食分、ひと袋が27円なんです。
コスト的には茹でていないそばで、もっと安いものがあるかも知れません。
が、
朝食なので、時間の制限があります。
ゆっくり茹でている時間がないので、この“ゆでそば”で満足しています。
付けつゆにはチューブの“ねりわさび”を入れます。
やはり、つゆにわさびは欠かせないものと思っています。
食べ始めの頃は、ひと袋、一食分だけ食べていました。
でも最近は2食分を食べるようになりました。
ですが、それで太った気はしていません。
むしろ痩せてきたような・・
朝食にはふさわしい、軽い食品の気がします。
2018年11月07日
酒と肝臓
“酒”と“肝臓”に対する意識が変わってきました。
前なら「酒を飲むとアルコールを分解するため肝臓に負担をかける。」
負担をかけすぎるとやがて肝臓は“肝炎” → “肝硬変” → “肝癌”
そういった道を辿るのだ。そんな考えでいました。
私は十代の頃からほぼ毎晩、寝酒をしています。
寝酒が必要になったのはきっと、私の神経質な性格のせいでしょう。
たぶん私は他の人より日常、常に気持ちを張り詰め、尖っている。そんな気がします。
だから夜くらい、ひとりの時間が欲しくて、そんなときはアルコールの力を借りてリラックスする。
そのために酒を飲んできました。
早く睡眠できるし。
でも“生活習慣病”。
避けようがありません。
アルコールのせいで高血圧症になり、あるときは肝炎。
少し自重すると肝炎ではないと診断される。
そんな日常が続いているところ。
無二の親友がおり、大の酒好き。
その親友と行動を共にすれば、こちらの肝臓も相当なダメージを受けます。
昔は医師から「肝臓に毛が生えている。」とお墨付きを頂いた肝臓も悲鳴を上げます。
でも、そうこうしているうちに、「ここまではやって良いけど、これ以上はダメ。」という、
デッドラインが見えてきました。
若い頃から何となく思っていたこと。
「毎晩の寝酒までは良いが、休日、朝から酒を飲むようになったら終わり。」
どうもその思いは正解だった気がします。
朝から飲む酒は特別、肝臓に負担をかけます。
朝から酒を飲むと、間違いなく酔いは早く回り、そのまま起きてはいられません。
若い頃は違いました。
トライアスロン国際大会の実行委員をしていたときには閉会式の担当で、閉会式のビールを振舞うコーナーで閉会式の始まる前、朝6時から飲み続けても大丈夫だったのに、、
2017/10/10「睡眠」で、
私は人の“体”は寝る必要がないと書きました。
冒頭の“変わった意識”とは、睡眠を欲しているのは“体”で、さらには“肝臓”であろうこと。
次に脳かな?
毛の生えた私の肝臓も若い頃に比べれば大分、くたびれました。
それだから酒を飲むと肝臓が、
「寝なさい。(寝て)休ませてくれ!」
そう言っている気がします。
昔は緊張から解放され、気持ちよくなるために飲んでいた寝酒。
それが今は、
〜 酒を飲むことで(わざと)肝臓に負担をかける。→ 眠たくなる。肝臓をいたわるために眠る。〜
初めは緊張感からの開放が、今は睡眠薬の代わり。
このように変化しました。
2018年11月05日
研修でビックリ
実は今日、また新たなセンターで研修でした。
ここ数日、書いてきた通り10/22にお見舞いで岩手に行き、10/24に帰ってきました。
本当なら翌25日の夜から新たなセンターで研修が始まる予定でした。
しかし
その25日の朝、亡くなったという連絡でまた岩手に行かなくてはならない。
そもそも25日からの研修は私の都合に合わせてくれたもの。
その私がいなくなったのでは、研修自体成り立ちません。
まして私がいつ帰ってくるのかも分からないのでは次の研修を決めることもできません。
その後、私は10/28の夜に帰ってきました。
翌29日に派遣会社に電話をしましたが、次の研修は11/8からと言います。
それでは少し間が空きすぎます。
その間、11/1から、つい先日の10/22まで働いていたセンターで1か月の短期募集があるといいます。
でもそこに研修まで1週間だけ勤めるのは悪い気がしたのと、時給が低いこと。また11/8から始まる研修は確か19時から23時までという、夜勤に近いスケジュールだったのでどちらもお断りすることにしました。
そんなことから、しばらく仕事の予定がありませんでした。
また葬儀後のことで用事がたくさんあり、仕事どころでなかったのも事実。
10/30には新たにコールセンター探しを始めたものの、今日11/5にようやく新たな研修が始まりました。
なんと2週間ぶりの出勤でした。
それでも昨日の4日まで休むことができて体調的にも良かったと思っています。
そんな今日から始まった研修。
今日は午後から4時間だけ。
が、ビックリしました。
普通、研修といえば1時間か1時間半ごとに休憩があるものと思っています。
しかし今日は違いました。
4時間研修のうち、小休憩は途中1回のみ。
さらにはその1回の10分休憩も、携帯を見に行ってはダメ。タバコもダメといいます。
理由は10分休憩も時給は発生しているからとのこと。
金銭的な理由に不満はないものの、人の行動まで管理されることにものすごいストレスを感じました。
そのため私だけ、無給で喫煙OKになりました。
時給換算で約150円の喫煙です。
このことから大体、このセンターがどんな空気か想像できます。
2018年11月04日
冬支度
北海道はもう寒いです。
例年からすると、たぶん今月中に一度は積雪があります。
すると車はタイヤ交換が必要になるわけで、そろそろ交換しなければなりません。
私が免許を取ったのは北海道へ来てからなので、冬タイヤへの交換は毎年、当たり前の行事です。
タイヤ交換は業者にしてもらうのと、自分でするのとありますが、今の車は少し大きいので自分でする気にはなれません。
業者に頼めばタイヤ一本、5〜600円かと思います。
しかしディーラーなら1,500円くらいしますから、驚きです。
この料金は昔から変わっていません。
若い頃は自分で交換するのが当たり前でした。
しかも、タイヤ4輪を何分で交換できるか、計りました。
最短は15分だったと思います。
4輪のボルトを足で蹴って緩め、一本ずつジャッキアップ。
ボルトを外し、タイヤを抜き夏タイヤ、或いは冬タイヤをはめ、ボルトを付けレンチで締める。
あとはジャッキを下ろし、足で増し締めして一本完了。
これを4本します。
全部で15分ということは、一本当たり3分強。
決してできないことではないです。
でも今は信じられない時間。
何年か前、日産マーチのタイヤ交換を自分でしたときのこと。
40分かかりました。
ここにも体力の衰えというのを猛烈に感じます。
1本600円がもったいないかどうかは別にして、交換は業者に頼むのが日常になりました。
そんなとき、先日近所のスタンドで
「タイヤ交換300円」
という広告を見つけました。
半額です。
いつもは行きつけのスタンドで交換してもらっているので、300円に釣られては“浮気”かな?
そう思いながらも、4本で1,200円の違いは大きいと思いました。
ある日、何となく仕事の帰りに一本300円のスタンドに寄ってみました。
「300円でいいんですか?」
と。
すると
「車種は何ですか?」
と聞きます。
○○○○と答えると、なんと全部で3,600円という。
それでは一本当たり900円ではないか。
実は300円というのは軽自動車に限ったことだったのです。
最近、そういった宣伝が多いと思いませんか?
私がコールセンターを移るとき、電話の紹介とかリクルート誌の広告を見ます。
リクルート誌の場合、時給1,200~1,500円という見出しがあります。
でも実際に聞いてみると大抵下限の1,200円です。
しかしそれはまだ良い方で、受けてみると1,000円とか聞くこともあります。
では虚偽?誇大広告ではないですか。
これだけコンプライアンスに厳しい世界になったとはいえ、例外があるんですね。当たり前のように。
しかし冬タイヤには交換しなければなりません。
昔ありました。
まだ若い頃、妻と結婚する前、付き合い初めの頃。
小樽市へドライブに行きました。3月でした。
当時、小樽市へは200キロくらい距離があります。
行きは朝だったのですが、帰りは夜。
まだ3月だったので雪が降り始めました。
今では4月になるまで夏タイヤには交換しません。
でも若かったから重たい冬タイヤから早く夏タイヤにしたくて交換済みだったのです。
200キロの帰り道であること。また、若かったため積雪の始まった道を、時速80〜90キロで走っていました。
遥か先の信号が黄色から赤に変わります。
ブレーキを軽く踏むと、タイヤがロック。
まだ当時、ABSはありません。
時速80〜90キロでのタイヤロックは“ゾッ”とします。
ノーサイド
人が死ぬというのは大変なことです。
帰宅してもすることが減らず、それでも今日、どうにか落ち着いたと思いゆっくり寝ていたら、起きるともう昼過ぎの3時でした。旅の疲れがまだ取れていなかったのですね。
“ノーサイド”という言葉があります。
ラグビーで「試合の終わり」を差しますね。
戦いが終ったら敵味方関係なく、同じ仲間になることを意味しています。
故人が亡くなったことで、例えば故人、兄弟間のケンカは終了します。
また、故人のことで私は故人の住む市と闘っていました。市長あてに手紙で抗議し故人が本来、もらうべきだった給付金を請求していました。
これもノーサイドです。
今回私は故人の周囲の方々から、故人の功績と言っては大げさですが、お褒めの言葉をいただき安心しました。例えば、週に3回通うデイサービスセンターのムードメイカーになっていたとか、別の人からは良い話相手であったとか。
兄弟ゲンカしていた故人の兄弟からも香典をいただき、お礼の電話をすると、故人を偲ぶ話題になります。
もう、亡くなったんだからノーサイドなんです。
でも、人が亡くなったとき、
「引っ張られる」
という話を聞くことがあります。
今日は久しぶりに“不思議な体験”カテゴリです。
今は少子高齢化社会で、子供の数も減少し、小・中学校一学年の生徒は100人未満と聞きます。60人とか。
私の時代は小・中学校それぞれ一学年200人弱だったと思います。
それだけ人数がいると、早ければ中学生、高校生のときに事故で亡くなったという話もあります。
その後、30代でガンで亡くなるとか、40代でもガンやクモ膜下出血など。
30代で友人が亡くなったときです。
葬儀のあと、少しして「〇〇も亡くなった」と聞きました。
「○○は(亡くなった友人と)仲良かったからなぁ、引っ張られたんじゃないか?」
そんなことがありました。急死だったそうです。
しかし世の中には「恨みつらみ」があるものです。
「亡くなったらノーサイド」というのをできないこともあるようです。
私が祖母を亡くしたのは16歳のときでした。
祖母は8人の子供を儲けました。私から見れば叔父、叔母たちです。
それが叔父だった場合、嫁をもらいます。すると嫁、姑の関係ができあがるのです。
父方の祖母だったので、私の母も嫁の立場です。
葬儀では親戚一同が集まり、故人を偲ぶ話題になります。
しかし嫁の立場となれば、そう綺麗ごとばかり並べることができるとは限らないのでしょう。
葬儀のあと、恐らく嫁の立場の人、私からすると叔母たちが故人を偲ぶ話をしているときのこと。
ある叔母が、祖母の悪口を言ったといいます。
その後まもなくしてその叔母は体調を崩します。
そしてあっという間に亡くなってしまいました。
これは母から聞いた話です。
母は叔母の話を聞いて、「そこまで悪く言う必要はないと思った」と言います。
何をどう言ったのかは知りません。
もし聞いても母が話すことはなかったでしょう。
また、聞いてしまったら母まで急死してしまうような気がして聞けませんでした。
さらに恐ろしいのはつい数年前まで私は、その亡くなった叔母の名前さえ思い出せなかったのです。
もしこれが祖母の恨みだったなら、孫である私の記憶からも叔母の存在を消したかったのかも知れません。
2018年10月29日
帰還
帰ってきました。
実は身内で不幸がありました。
容体が好くないというので、22日の月曜日、深夜に苫小牧港から娘とフェリーに乗りました。
夜、苫小牧港を発つと翌朝に八戸港へ着きます。フェリーで寝ている間に移動できるので、効率的です。
火曜日、八戸港で車を下ろすと、そのまま岩手に向けて走ります。
身内は容体が好くないので、なかなか見舞うことができません。
その間、特別養護老人ホームに入っている別の身内を訪ねます。
そして親戚を挨拶に回ったり、食事を摂ったりしている間に時間はどんどん過ぎていきました。
見舞うことができたのは午後から。
医師の説明を聞いてから身内を見舞うと、辛いのか会話ができません。
用事を済ませている間に、その日は暮れてしまいました。
それでも20時には入浴できたので、その後はゆっくりすることができて幸いでした。
水曜日、仕事の関係でこの日に帰らなければなりません。
それでもなるべく遅くにと、午後からのフェリーを予約していました。
私は一般的な2等船室で娘はレディースルーム。
それでもロビーで話しをして、親子水入らずの旅ができました。
夜、札幌に着くと娘をマンション前で降ろし、私が帰宅したのは22時30分頃でした。
はじめ、翌日は朝9時から仕事の予定でしたが、派遣先の都合で夜からの勤務に変更。
旅の疲れもあり、朝9時からの勤務は心配でしたが、この変更はありがたいもの。
ときどき感じることがあります。
このように、偶然のような変更は誰かに守られているのかと思ってしまいます。
木曜日、朝10時過ぎ。
岩手の親戚から電話で、身内が危篤といいます。
その奥でもう一本、着信音が鳴り出します。
親戚からの電話が終ると、もう着信音はありませんでしたが、またすぐにかかってきました。
いま、呼吸と脈拍が止まったといいます。
病院からでした。
妻に連絡すると妻は仕事を早退。
今度は息子もつれて3人で再び岩手に向かいます。
娘は行けません。そう何度も休みを取れるわけではないようです。
私たちが着くまで、亡きがらには親戚に付いていてもらいます。
一刻を争う状況。
しかし、現地で車は必要。
旅先でレンタカーを借りるのも一案です。
しかし、フェリーに車を積んで行った方が安い。
“イツモレンタカー”という、一日数千円で借りることができるレンタカーもあります。
でも、レンタカーは何かと不便なもの。
今まで気づかなかったのですが、苫小牧と青森航路のフェリーって、早朝と夜しか出港便がないんです。
午前中に訃報を知らされても夜まで出発できないということです。
でも、北海道から東北へ行くのは、その辺に買い物しに出るのと訳が違います。
なので、
付いていていただく親戚には悪いのですが、出発は夜の便で仕方がない状況でした。
急いでも21:15発のフェリーに乗るしかありませんでした。
金曜日、朝4:45、八戸港に到着。まだ暗い中、車を走らせます。
6時頃に目的地に着いた頃には夜が明け、晴天に美しい朝もやがかかっていました。
が、着いてからは手続きの嵐。
またよくあることですが、手続きの中には“無駄足”も出てきます。
市役所のありがたい助言で手続き先に行ってみたものの、必要のない動きであること。
猛烈な手続きを進めながら、1時間半を無駄に使いました。
今回改めて思ったことです。
冠婚葬祭の“葬”は、相当良い収入なのでしょう。
葬儀場も斎場も、どちらも、とてもとても立派なものでした。
葬儀場は8年前、親戚の葬儀で使ったことがありました。
8年前だから、詳しくは憶えていません。
でも、今回訪れたその葬儀場は、8年経った古さを全く感じさせず、逆に空調、トイレ、風呂どれも申し分のない、素晴らしい装備になっていました。
この日は葬儀場に泊まりました。
疲れたときの風呂は、癒してくれますね。
貧乏人の私には縁のない、とても良い風呂でした。
浴室の壁にあるコントローラーの、「入/切」ボタンを押して「入」にし、「自動」ボタンを押すと、設定通りの温度で適量のお湯が張るのですね。
土曜日、火葬です。
今回、身内だけの極々慎ましい葬儀でした。
故人は晩年のみ特別な縁があり東北で過ごした者です。
なので、地元に知人、縁者も少なく、しめやかに執り行いました。
火葬場も8年前のものでなく、新しく立派な施設になっておりました。
火葬場というと一本、高く煙突が立っているイメージですが、今は煙突がないんですね。
焼きあがった遺骨も、きれいなものでした。
その後、今回のクライマックスが訪れます。
故人が住んでいたサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)の退去です。
前例があるのかどうか、、
「家具等、すべてきれいに撤去しなくても良いよ」的なサ高住の職員から聞き、それであれば甘えようかと思った次第。それでも一応、形にはしなくてはならないでしょう。
でも時間がない。
目標は3時間。
動きに動いて3時間半で一応、形にすることはできました。
思うのですが、こういうとき女性はすごいですね。
すいません。
私の妻ですが、私が遺品の選別を行っている横で、ものすごいパワーで片づけていきます。
私の選別も、決してもたもたしているわけではありません。
しかしそれ以上にすごい速度で片づけていくのは男性にはできないと思いました。
もっとも、今回は私の身内だったから、、というのもいくらかあるのかも知れませんが。
目標3時間のところ、3時間半でどうにか形にすることができました。
あとは息子を連れて夕食。そして今朝の朝食とフェリーでの昼食の買い物。
昨夜は旅館に入ってまた入浴。
この旅館も風呂が良いのです。
先日、娘と泊まったところ。
ドラマ「北の国から」であった、
「足の伸ばせる風呂」なのです。
日曜日、今日です。妻は明日から仕事です。
なので今日はなるべく早く帰りたいといいます。
だから一昨日、今日のフェリーを予約しました。
朝8:45八戸港発です。
フェリーは1時間半前までに乗船手続きを済ませて下さいというのがフェリー会社の希望です。
すると7:15までに手続き。
岩手から八戸まで車で1時間強。
すると6時には宿を発たなくてはなりません。
5時起きで、6時に宿を発ちました。
今日、家に着いたのは午後6時過ぎ。
なんとか、帰ってきました。
疲労困憊