2018年11月04日
ノーサイド
人が死ぬというのは大変なことです。
帰宅してもすることが減らず、それでも今日、どうにか落ち着いたと思いゆっくり寝ていたら、起きるともう昼過ぎの3時でした。旅の疲れがまだ取れていなかったのですね。
“ノーサイド”という言葉があります。
ラグビーで「試合の終わり」を差しますね。
戦いが終ったら敵味方関係なく、同じ仲間になることを意味しています。
故人が亡くなったことで、例えば故人、兄弟間のケンカは終了します。
また、故人のことで私は故人の住む市と闘っていました。市長あてに手紙で抗議し故人が本来、もらうべきだった給付金を請求していました。
これもノーサイドです。
今回私は故人の周囲の方々から、故人の功績と言っては大げさですが、お褒めの言葉をいただき安心しました。例えば、週に3回通うデイサービスセンターのムードメイカーになっていたとか、別の人からは良い話相手であったとか。
兄弟ゲンカしていた故人の兄弟からも香典をいただき、お礼の電話をすると、故人を偲ぶ話題になります。
もう、亡くなったんだからノーサイドなんです。
でも、人が亡くなったとき、
「引っ張られる」
という話を聞くことがあります。
今日は久しぶりに“不思議な体験”カテゴリです。
今は少子高齢化社会で、子供の数も減少し、小・中学校一学年の生徒は100人未満と聞きます。60人とか。
私の時代は小・中学校それぞれ一学年200人弱だったと思います。
それだけ人数がいると、早ければ中学生、高校生のときに事故で亡くなったという話もあります。
その後、30代でガンで亡くなるとか、40代でもガンやクモ膜下出血など。
30代で友人が亡くなったときです。
葬儀のあと、少しして「〇〇も亡くなった」と聞きました。
「○○は(亡くなった友人と)仲良かったからなぁ、引っ張られたんじゃないか?」
そんなことがありました。急死だったそうです。
しかし世の中には「恨みつらみ」があるものです。
「亡くなったらノーサイド」というのをできないこともあるようです。
私が祖母を亡くしたのは16歳のときでした。
祖母は8人の子供を儲けました。私から見れば叔父、叔母たちです。
それが叔父だった場合、嫁をもらいます。すると嫁、姑の関係ができあがるのです。
父方の祖母だったので、私の母も嫁の立場です。
葬儀では親戚一同が集まり、故人を偲ぶ話題になります。
しかし嫁の立場となれば、そう綺麗ごとばかり並べることができるとは限らないのでしょう。
葬儀のあと、恐らく嫁の立場の人、私からすると叔母たちが故人を偲ぶ話をしているときのこと。
ある叔母が、祖母の悪口を言ったといいます。
その後まもなくしてその叔母は体調を崩します。
そしてあっという間に亡くなってしまいました。
これは母から聞いた話です。
母は叔母の話を聞いて、「そこまで悪く言う必要はないと思った」と言います。
何をどう言ったのかは知りません。
もし聞いても母が話すことはなかったでしょう。
また、聞いてしまったら母まで急死してしまうような気がして聞けませんでした。
さらに恐ろしいのはつい数年前まで私は、その亡くなった叔母の名前さえ思い出せなかったのです。
もしこれが祖母の恨みだったなら、孫である私の記憶からも叔母の存在を消したかったのかも知れません。
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