2013年02月07日
「他人の生活」を欲しいと思ったことはあるか?
果たして、自分が望んでいるモノを手に入れる為の生活とは何か?
このブログの読者は、有名人のブログを閲覧したり、友人や知人のフェイスブックを覗いたりした時に、
「他人の生活」を欲しいと思ったことがあるのか?
今年の直木賞では、平成生まれの早稲田大学卒業生が、男性最年少で受賞に選ばれたが、
文学賞が欲しい若者がたくさんいたとしても、
彼と同じ生活をしてみたいと思う人は、ごく僅かなのではないだろうか?
私は、その受賞者の作品を全く読んでいないので、書かれてあることを推し量ることは出来ないのだが、
例えば、就職活動期間中の大学生が、フェイスブックで、自分たちの自意識について書き込んでいる、その生の日常が写実的に作品の中に描かれていたとして、
私は既に、彼等の世代を通り過ぎてしまった年齢になりつつあるし、
フェイスブックなんか面倒臭いだけで、絶対に登録しようとは思わない。
ツイッターも最初は、絶対に登録しないつもりでいたのだが、
名前を聞いたことのあるプロの批評家や知識人が多数、アカウントを所有していた為、
彼等の公式の発言を読んでみたいばっかりに、遅ればせながら、登録したという経緯がある。
私は、石原慎太郎の著書を十冊以上、所有しているが、
彼の本を読んだからといって、自分もヨットが欲しいとか、海に行きたいとは思わない。
同じように、知人のフェイスブックに、スキーやスノボの記事が掲載されていても、
私は、そんなことで自分の欲望を触発されたりはしない。
テレビでも、有名人の食べ歩きをグルメ番組として特集していることは多いが、あんなものを観て、
自分も同じ店で食事したいと思ったことは、私の場合は、一度もない。
それでは、当の私が、「他人の生活」を手に入れたいと思った瞬間があるなら、それは一体、どんな時か?
今、そんなものはない。
既に就職している世間の男たちの中には、自分の年収が他と比べて、少ないのではないか? と、気にしている輩も多いらしいが、
果たして、年収が低いからといって、何なのだろう?
自分が満足して食べていけるだけの収入があれば(私にとっては、自分の趣味を満喫できるだけの収入があれば)、それ以外に何の不足があるだろうか?
年収が低いのではないか? と、思い悩んでいる男たちの多くは、きっと、結婚し、家庭を持つことを人生の視野に入れているに違いない。
しかし、それなら、彼等の年収とは、自分の女房と子供を満足させるための分け前として、機能するだろうことを自ら認めているようなものだ。
私は、元々グルメに関心がないので、女房や子供を美味しい店に連れて行きたいとも思わないし、車で、家族をどこかのテーマパークまで連れ出して、レジャーを楽しもうという気分にもなれない。
そんなものは所詮、他人の欲望でしかないから、結婚に対する関心も湧かない。
結婚し、子供を育てようという意志がなければ、男の収入とは、自分を満足させるためのモノとしてしか機能しない。
それさえ分かっていれば、無職の身であっても、自分の収入が低いことに頭を悩ませる男の数は、グンと少なくなる筈だ。
機会があれば、また書きます。
このブログの読者は、有名人のブログを閲覧したり、友人や知人のフェイスブックを覗いたりした時に、
「他人の生活」を欲しいと思ったことがあるのか?
今年の直木賞では、平成生まれの早稲田大学卒業生が、男性最年少で受賞に選ばれたが、
文学賞が欲しい若者がたくさんいたとしても、
彼と同じ生活をしてみたいと思う人は、ごく僅かなのではないだろうか?
私は、その受賞者の作品を全く読んでいないので、書かれてあることを推し量ることは出来ないのだが、
例えば、就職活動期間中の大学生が、フェイスブックで、自分たちの自意識について書き込んでいる、その生の日常が写実的に作品の中に描かれていたとして、
私は既に、彼等の世代を通り過ぎてしまった年齢になりつつあるし、
フェイスブックなんか面倒臭いだけで、絶対に登録しようとは思わない。
ツイッターも最初は、絶対に登録しないつもりでいたのだが、
名前を聞いたことのあるプロの批評家や知識人が多数、アカウントを所有していた為、
彼等の公式の発言を読んでみたいばっかりに、遅ればせながら、登録したという経緯がある。
私は、石原慎太郎の著書を十冊以上、所有しているが、
彼の本を読んだからといって、自分もヨットが欲しいとか、海に行きたいとは思わない。
同じように、知人のフェイスブックに、スキーやスノボの記事が掲載されていても、
私は、そんなことで自分の欲望を触発されたりはしない。
テレビでも、有名人の食べ歩きをグルメ番組として特集していることは多いが、あんなものを観て、
自分も同じ店で食事したいと思ったことは、私の場合は、一度もない。
それでは、当の私が、「他人の生活」を手に入れたいと思った瞬間があるなら、それは一体、どんな時か?
今、そんなものはない。
既に就職している世間の男たちの中には、自分の年収が他と比べて、少ないのではないか? と、気にしている輩も多いらしいが、
果たして、年収が低いからといって、何なのだろう?
自分が満足して食べていけるだけの収入があれば(私にとっては、自分の趣味を満喫できるだけの収入があれば)、それ以外に何の不足があるだろうか?
年収が低いのではないか? と、思い悩んでいる男たちの多くは、きっと、結婚し、家庭を持つことを人生の視野に入れているに違いない。
しかし、それなら、彼等の年収とは、自分の女房と子供を満足させるための分け前として、機能するだろうことを自ら認めているようなものだ。
私は、元々グルメに関心がないので、女房や子供を美味しい店に連れて行きたいとも思わないし、車で、家族をどこかのテーマパークまで連れ出して、レジャーを楽しもうという気分にもなれない。
そんなものは所詮、他人の欲望でしかないから、結婚に対する関心も湧かない。
結婚し、子供を育てようという意志がなければ、男の収入とは、自分を満足させるためのモノとしてしか機能しない。
それさえ分かっていれば、無職の身であっても、自分の収入が低いことに頭を悩ませる男の数は、グンと少なくなる筈だ。
機会があれば、また書きます。
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