2018年04月05日
おいで、おいで、幼い娘・・・その朝、彼女は悪魔と旅に出た・・・・
皆さん
こんばんは
最近、ピエロが登場するホラー映画ばかり見る機会が多く、気が付けばピエロの歴史まで調べるほどハマってしまいいつの間にか、僕のスマホの待ち受けが、マクドナルドの「ドナルド」に変更されていたぐらいにピエロに夢中になり過ぎている自分に多少なりとも恐怖感を覚え始めている僕がお送りすNO,movie NO,life!!のお時間です。
さて、今回の映画ブログは前振りであったピエロが登場する怖い映画ではなく、2連続続けての邦画でございます。邦画は邦画でも今回はかなり古い作品で、少しトラウマ要素が入った作品。
それは、1980年に公開されました「震える舌」でございます。
この作品はもともと三木卓さんが1975年に発表した小説で、その後映画として公開されました。
いや〜、見た感想は当時だからこそありえる身近な恐怖を描写している、ある意味素晴らしい映画だなと思いました。
さて、今作をご説明するに当たり書いておかないといけないワードが「破傷風」という病気(感染症)です。
この症状を簡単に説明しますと、土壌中に生息する嫌気性の破傷風菌 が、傷口から体内に侵入することで感染を起こし、その影響で痙攣などの発作、この激しい痙攣により呼吸困難などが併発し最悪死亡してしまう恐ろしい感染症なんです。
正直、僕はこの作品を見るまでこの「破傷風」という感染症を知らなかったんですが、感染の仕方が泥遊びで人体に入ってくる・・・というのが怖かったですね。
今は、時代が進み、泥などで遊ぶ機会も少なくなったと思うんですが、僕が小さい頃は泥んこ遊びは普通だったので、過去の自分と照らし合わせると、何かこみあげてくる?ものがありましたね。
てか、僕も結構な頻度で、泥んこ遊びをしていたので、僕自身が「破傷風」にならなかったのが不思議なくらいでした。
それでは、ここである平凡な家族を突然襲った感染症との闘病生活を描いた「震える舌」のあらすじをご紹介しましょう。
ある普通うの夕暮れ時、マンモス団地の近くで、いつものように泥んこ遊びをしていた三好昌子が、落ちていた小さな釘で手にケガをしてしまう。
昌子は、手の怪我を母・邦江に見せ、よくある軽い怪我だと思い自宅で一般的な消毒を行い治療をしたが、その数日後、娘の奇妙な歩き方・行動が気になった邦江と父・昭は娘にその不自然な行動について聞いてみると、昌子は「歩けるけど、歩きたくないの」と答えるのだった。
さらに、話し方もどこかおかしく、この異変を心配した二人は、念のため病院へと連れて行く。
しかし、、「何処も問題ない、大したことはない」と診断されてしまい、やりきれない気持ちで病院を門前払いされるのだった。
その夜、昌子は突然自分の舌を噛み切り、痙攣を起こしながら激しく苦しみ始めた。
この異常な娘の状態に、二人はすぐさま救急車を呼び大学病院へ向かう。
そして、緊急の処置もあって痙攣も治まり安堵につく二人に専門医が検査の結果を告げられた病名は「破傷風」という感染症だった。
破傷風とは、泥などによく含まれている菌であり、それが傷口から侵入し潜伏期間を経て、軽い言語の障害・身体の不自由・痙攣が起こり最悪の場合は死亡してしまうという恐ろしい感染症である。
この信じがたい事実を知った二人は愕然とするものの、隔離された病室に入院し必死に生きようとする娘の姿を見て二人は、娘が侵されている病気と闘う事を決意する。
そして、このごく平凡な家族は、娘の症状を通して「破傷風」という恐ろしい悪魔の実態を思い知らされるのであった。
さて、今夜ご紹介している「震える舌」という作品ですが、冒頭でも書いたんですが、普通に怖い映画でしたね。
ホラー映画ではないんですが、感染症にかかってしまったら・・・というリアルな描写が描かれていて久々に、心の中で「もやもや感」と「土足に刻み込まれる」という解決できない感情が今でも残る作品だったと思います。
僕自身、映画を見てこんな気持ちになったのは初めてなんですが、雰囲気で言うとエクソシストにやや似ている?と思いますね、でもエクソシストほどグロテスクなシーンもあまりなく、上手く例えられないです。
ごめんなさい
さて、僕が思う今作の見どころを独断と偏見で書いていきたいと思うんですが、やはり映像描写ですね。
最近の映画など映像技術が飛びぬけて進化しているのが当たり前なんですが、今作の映画は1980年に制作されたものですから、映像が今と違って「古い」んですね。(ここの古いはあくまでも褒めているのであって悪口を言っている訳ではありませんwww)
なので、病院での描写が主な舞台なんですが、この映像の古さと病院という少し異質な空間が作品自体のクオリティーを上げ、今作のメインワードでもある「破傷風」という感染症の恐ろしさを生々しく表現するには、最高?の映像クオリティーなんですね。
(その他にも、昌子が感染症に感染する場面や夕暮れに照らされた一般の団地を映し出したシーンなども、これも同じく味のあるシーンでした)
もし、これが現代版としてリメイクされたらこの「破傷風」という恐ろしさは、映像技術では迫力のあるものになるかもしれませんが、リアリティーのある世界観は、もしかしたら半減してしまうのではないか?と思います。
個人的には・・・・
勿論、役者の方の演技が一番だと思うんですが、やはり昭和だからこそのクオリティー。そして、そのシーンに重ねられていく日本独特の不気味さ・・・これは当時の機材・環境がなければ完成はされないと思いましたね。
リメイクはリメイクで面白そうですが・・・(笑)
僕がこの作品を見て感じた「もやもや感」と「土足に刻み込まれる」という解決できない感情の答えは何なのだろう?とこの記事を書きながら考えていたのは、漠然と今の映像と当時の映像の違い・・・かなと思ったんです。
上記と内容が被るんですが、今現在は映像が凄く進化している訳ですが、当時はそこまで進化もしてなく、「今ある機材・環境」で何とかしよう・・・良い作品を作ろう・・・という気持ちがはるかに強かったと思うんです。
その想いの強さと今作の「破傷風」を巡ってのリアルなまでの描写・生々しさ、さらにこの最悪の状況で描かれる家族内での人間関係、これらを彩り古臭さを感じさせる何処かリアリティーのある映像・環境・・・これらが見事なまでに融合されて完成された「震える舌」は見る人を何とも言えない感情にさせてしまうのかもしれません。
正直、一応上記で言いたい事はまとめたつもりなんですけど・・・上手く言えてない、伝えられていないような気がします。言い換えれば、凄く第三者に伝えるには難しい映画なのかもしれません。
そして、この「破傷風」に娘が侵されてしまい必死に看病していく両親なんですが、今作の見どころでもある娘だけではなく、両親も含む親族など家族全体も、この絶望的な状況の中で「傷ついていく」という事なんです。
この危機的な状況は、自然になってしまうのか・・・それとも人間の心の弱さなのか、多分この二者択一だと個人的には思うんですが、勿論今回の病名が「風邪」とかなのであれば、大事ではないんですが、昨日まで元気だった娘がいきなり痙攣して病院に運ばれて、生存率が50%とか言われたら正気ではいられませんよね。
この緊張感の張りつめた状況で、いつもなら気にしない細かい事でもイライラして、どこか咎める所を見つけては不満ばかりおおきくなり、家族が危機的崩壊をしてしまう場合もあるんですね。
僕が思ったのが、この「家族崩壊」という結果が=「感染症での死」という意味で例えてみると、このじわじわと侵されていく壊れていくという部分が、病気に感染されてなくても、共に苦しんで過ごしていくという描写では一緒なのかなと感じたんですね。
なので、今作は「破傷風」という大きなテーマの中に潜んでいる、様々なメッセージ性が印象的で、これらが映画というフィクションというあからさまに作られたものではなく、この状況で起こり得るありとあらゆる人間の感情・本性を上手く描写し続け、さらに病気に掛かってしまい、命の危険にさらされている中での闘病生活という誰もが容易に想像できるであろう「シンプル」な演出に感情移入しやすくしている事で、見ている観客も何とも言えない虚無感と娘を必死に看病する家族内の人間関係で描かれる描写シーンの1つ1つが印象的に残っていく作品だと思いましたね。
上記の内容と被るんですが、今のご時世「泥んこ遊び」というモノは、僕の中で死語のような存在で、当時1980年には普通にあったという事実を映像を通して感じた時に、昔に比べ今は、ちゃんと「時代は進化」しているんだなぁ〜と感じました(笑)
街の変化や、人間、家族の身近さなど・・・全編を通して映像から伝わってくる当時の雰囲気、僕自身幼少の時だったのであまり感覚と記憶がないんですが、何処か懐かしい映画でもありました。
最近のCGを多用したアクション、ホラーもいいですが、今作のようなレトロ?さを感じる映画も、また一味違って素晴らしいと思うし、今作「震える舌」もこの時代じゃないと、ここまで印象に残る映画にはならなかったのかなぁ?と思えたりします。
ある平凡な家族を襲った感染症「破傷風」の恐怖をリアルに描いた作品「震える舌」
是非、ご覧くだされ。
タグ:松竹 震える舌
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