2018年03月20日
身近にある程、その大切さに気づきにくいモノ!! とある平凡な家族が平凡な日常を求めサバイバルするサバイバルコメディー
みなさん
こんにちは
先週から風邪をひいてしまい治ったと感じて安心しきっていたら、今度は頭が痛くなり色々な総合的判断をしてみると蓄膿症という事実が発覚し、苦しみながらも「風邪は万病の元」といった人物に心から「同感です」と伝えてあげたいのと同時に、蓄膿症の恐怖よりも、病気に掛かってしまうほど自分の身体に衰えをまざまざと実感させられている僕がお送りすNO,movie NO,life!!のお時間です。
さて、鼻づまりによりいつも以上にテイッシュが手放せない僕がお送りする作品は久々の邦画!!
「サバイバルファミリー」でございます。
このサバイバルファミリーという作品ですが、以前このブログでも紹介した??かもしれない・・・・「ハッピーフライト」の監督・矢口史靖監督の作品なのであります。
どんな、内容かと言うと一言で言えば「電気」がある日突然使えなくなってしまい、ある一家が「普通に暮らせる場所」を求め自転車やら何やらでサバイバルしながら目的地へと向かうお話であります。
いや〜みなさん、電気無くなったらどうですか??
大変ですよね?? どこにも行けないし・・・直に言われて考えてみたら僕らの生活の90%以上は電気がないと満たせないモノばかりでは無いでしょうか??
それでは、ここで突如生活の中で「電気」というモノを失いその中で必死にサバイバルする家族の様子を描いた「サバイバルファミリー」のあらすじをご紹介しましょう。
東京に暮らす平凡な一家、鈴木家。
何処か冴えない義之、天然な光恵、無口な息子・賢司、反抗期な娘・結衣。
一緒にいるのになんだかバラバラな、平凡な家族…。
そんな鈴木家に、ある朝突然、緊急事態発生してしまう。
テレビや冷蔵庫、スマホにパソコンといった電化製品ばかりか、電車、自動車、ガス、水道、乾電池にいたるまで電気を必要とする全てのものが完全に機能停止してしまった。
しかし、翌日には復旧するだろうと甘く考えていたのだが・・・事態は予想以上に深刻な問題となっており次の日も、その次の日も、さらに1週間たっても電気は全く復旧する兆しはなかった。
この緊急事態の状況で情報さえも断絶され、鈴木家は今まで経験のない突然訪れたサバイバル生活が始まる。
そんな緊急事態の中、父・義之がある一世一代の大決断を下すのであった。
さて、今回紹介している「サバイバルファミリー」なんですが、まず僕が感じたのが「この作品はフィクション」と言えないほど現実を帯びている作品だと感じました。
登場する家族は、アベンジャーズみたいに特別な能力を持っている訳でもなく、魔法が使える訳でもないただの一般人。
彼らが生活している様子は僕らが生活している風景とさほど変わりない状況に置かれていて、いつも通りの生活の中で「電気」が消えてしまうというこのフィクションは僕らの世界でも、当然のようにあり得てしまう・・・という考えにさせられてしまうんです。
なので、この映画はもし「電気」というものを失ってしまった場合、それを必要として生きていた人々の行動の一部をリアルに描いた作品でもあり、なぜ「電気を失う」「停電」というテーマにした映画を作ったんだろう?と僕個人的に考えたら、やはり最近で言えば熊本地震であったり東日本大震災が何処かしら作品のテーマに含まれているのかな?と思ったんです。
これらを踏まえ考えてみると、人々が当たり前に使用してきた「電気」という身近過ぎて気づけないこの存在の大切さも、改めて今作を盛り上げるテーマの一環として訴えているのではないでしょか?
上記では「電気」というものが無くなってしまったらデメリットしかないんですが、そこは映画(笑)
ちゃんと、電気が無いからこそ得る事が出来たメリットもあるんです。
それは、今まで擦れ違い?が多かった家族間において、この危機的な状況が発生してしまい家族が一致団結してこの困難を乗り越える。そして、単純に言ったら出来ない事ができるようになり、電気があれば知ることがなかった事を知る事ができ、そのありがたさを知ることができた・・・という事なんです。
このメリットの中で一番印象的だったのが、毎回魚を送ってくれるおじいちゃんの存在。
皆さんも一度は、経験がある?とは思うんですが、じいちゃんから荷物が届いて、お礼の電話して、ちょうどその場所に居合わせたから、電話を代わる事を強要させられて電話を受け取っても内心は「めんどくさい」とか思ってたりとか・・・・して
劇中でもそのシーンがコミカルに描かれているんですが、じいちゃんが「遊びにおいで」と言っても、「忙しい」「時間がない」とかでいつも後回しにしてしまうのが現状なんです。
鹿児島に行く目的は光恵の実家という事もあったんですが、電気を失いサバイバルな環境に放り出され、この予想もしなかった危機的な事がない限り、おじいちゃんがいる鹿児島までは、行く事がなかった・・・という少し悲しい現実も描かれていたのかな?とも感じたんですね。
少し、言い方が難しいんですが、台風が来ても、カミナリが鳴っても、最悪地震が起こっても・・・よっぽどでもない限り実家には帰る事はなく、この状況に陥って初めて今都会にいても何もできないから・・・と気づき「じゃ、鹿児島に行こう」という流れになっておじいちゃんに会いに行く。
まー、毎日色々な事に追われているいる日常ですから、「よっぽど」なんですよね、「よっぽど」。
でも、この停電のお陰?といったら変ですがこの影響で、悪い事も起これば、いい事もそこまでは多くはないけれど、このサバイバル生活の中で常日頃身近に感じる電気という存在の大切さを知ると同時に、これに派生して今まで気にはなっていたけど、なかなか立ち止まって向き合う事の無かった様々な出来事にも向き合えたメリットもあったんではないでしょか?
そして、今作はサバイバルという名前なので、物語が進むにつれてサバイバルしていく家族の成長も見どころの一つなんですね。
特に、その過程が分かるのが劇中で魚をさばく事の出来ない光恵。
最初は、素人同然のように「どこから手をつけていいのか?」と思うぐらい魚を見まわし、夫・義之にお願いするものの相手にされず結局は皿に乗せた状態で冷蔵庫に戻すんです。
でも、物語の終盤では別人のように魚を当たり前のようにさばき、調理する光恵の成長ぶりを見る事できるんです。
他には、スマホを常に所持していたスマホ人間?な義之の息子・賢司も、最初は大切そうに持っていたスマホなどの電子機械も物語が進むにつれ、それらを投げ出して己の技術と知識でその場を乗り越えようと奮闘している姿など、この過酷な運命の中で成長していく家族にも焦点を当てて見ていくのもおもしろいかもしれません。
勿論、義之や娘の結衣も頑張っておりました(笑)
上記でも書いたような家族がこのサバイバルな環境で成長して行く事は、人間は電気が無くても、まだまだ己の知恵と技術で生活していけるという可能性を含みそれを指しているような想いも感じ、この映画は誰にでも起こり得る状況の中で、様々な思い当たる身近なテーマ・感情を取り上げ観客に投げかけている作品だと感じましたんですね。
いや〜サバイバルな家族にここまで考えさせられるとは・・・・参りました(笑)
ある日突然、電気が無くなった生活で必死に希望を求め奮闘する家族の物語。
「サバイバルファミリー」是非、ご覧くだされ!!!
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この記事へのコメント
これも見ました!
このシーンが好き!とか
この場面に感動した!とかいう意味では
あまりないですけど、
どうにも考えさせられる映画ですよね。
ある日突然、電気がない!
映画以上、想像以上のことが起こしそう。
いつ起きてもおかしくない、おきて欲しくない地震みたいな災害ですよね。
とりあえず、田舎をしらないので夜の、明かりのない闇が怖い。
蓄膿症(詳しくは知らない病ですが)完治しますように陰ながら祈っております。