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悪魔に犯された娘への復讐を果たす為、今まで芽生える事の無かった「新たな正当化」が目を覚ました時、血の雨が降り注ぐ狂気に満ちた夜が今幕を開ける!!




みなさん
こんばんは

最近、普段の生活で自分はアクティブな生活を過ごせていると思い込んでみたんですが、とある何もない(一応なんかある)日に、布団にから目覚めて、起きようと試みても何もやる気がおこらず、「さぁ、やろう、さぁ、やろう」と決意を沸々と布団の中で燃やしていても、人間の三大欲求の一つでもある「睡眠」には勝てず、夕方過ぎぐらいまで寝てしまい、その時確信したのが「僕という人間は一度活動したら疲れるまで動けるけど、休みの日とか何もない日に関しては全く起動できない人間なんだなぁ〜」とい自己分析を台風が直撃している我が家で実感してしまった僕がお送りするNo.movie No.lifeのお時間でございます!!

さて、自虐ネタを踏まえつつ、一ヵ月ぶりのご無沙汰となりますが本日も僕の独断と偏見でお送りするこの映画ブログでも更新していこうかなと思います。
今回、ご紹介する作品はこの上記で書いた「何もしなかった日」にみた映画でございます。

それは、「THE LAST HOUSE ON THE LEFT−鮮血の美学−」でございます。
鮮血の美学・・・・明らかにファンタジーやら、ラブコメではない!!とタイトルから読み取れますが、ご察しのとおり今作はバイオレンス・ホラーのご紹介です。

一応ですが、今作はR18指定になっております。
作品全体にエロテックな描写がある訳でもないんですが・・・色々な意味でのR18指定でございます。

さて、今回の作品ですが、おおざっぱにご紹介いたしますと、自分の愛娘が街中で偶然出会った犯罪者達に拉致され暴行されてしまい、この犯罪者達を嵐の中、助けたのが愛娘の両親であり、我が子に起こった事実を知るやいなや次々と彼らに復讐をしていくというホラー?ホラーか・・・ホラー映画ですね。

実はこの作品なんですが、1972年製作の「鮮血の美学」をリメイクした作品でございまして、オリジナル版は数年前に見た記憶はあるんですが
今回たまたま見る機会があったのでご紹介しようかなと思いました。

いや〜個人的な感想になるんですが、一言で言ったら「おもしろかった」ですね。
ホラーと言えば、イメージ的に絶対的強者と絶対的弱者のこの位置関係が確立されて、このテーマを軸に物語が展開されているのが一般的かなと思うんですが、今作はこのテーマを壊し、殺される人間ではなく殺す側(復讐執行人)に感情移入ができる作品だなと感じました。

まぁ〜自分の娘が、どこの馬の骨か分からん人間に暴行されたんですから、これは復讐したくもなりますわ!!

それでは、ここで最愛の娘を拉致し暴行を働いた犯人たちに、娘の両親が復讐劇を繰り広げていく「THE LAST HOUSE ON THE LEFT−鮮血の美学−」のストーリーをご紹介しましょう。

医師のジョン・妻エマ、娘メアリーは、束の間の休暇を過ごすために森の別荘を訪れる。
別荘に到着し、少し間の後、メアリーは町で働く友達ペイジに会いに行こうとする。
娘の身を案じてかエマは反対するが、日頃の生活から解放されリラックスしたいという娘からの説得に渋々了承してしまうのだった。
街に到着後、ペイジとレジカウンターで会話を弾ませるメアリー。
ペイジとの会話の流れがいつしかマリファナの話題に変わっていく。
二人の会話を偶然にも聞いていた客であったジャスティンは、彼女達に「極上のマリファナがある」と告げ、二人を自宅へと招きいれた。

彼は、父親・彼の叔父、父の恋人との共同生活を送っており、各地を転々としていた。
ジャスティンは、「今日は誰も家には帰ってこない」という事で彼女らを招き入れたのだったが、運悪く彼の父・クルーグが帰宅してしまう。
場は一気に、恐怖に包まれメアリーとペイジは車に乗せられ、森の中に連れ込まれ無抵抗にも暴行されてしまうのだった・・・・

この数時間後、悪夢に犯された娘の悲しみと恐怖を知ったメアリーの両親が嵐の中で訪ねてきたクルーグ達に対し復讐執行人として1人づつ「娘の為」に殺していくのだった。

さて、今回ご紹介している「THE LAST HOUSE ON THE LEFT−鮮血の美学−」という作品なんですが、冒頭でも話したんですが、復讐執行人に感情移入ができるという点が僕の中で魅力的でもあったんです。


理由としては、まず復讐するほうも普通の人間であり強靭な怪物でないからです。
ま、当たり前ですが、もしこの両親が「ジェイソン」のような父親だったら、もう一方的に殺していくという描写の連続でしかないんですよね。これはこれで、スカッとする映画にもなるんですが・・・この両親が普通の人間であるから、犯人と戦うシーンでも娘の為に、やられてはやり返しそしてまた反撃・・・・この演出が存在しているからこそ、復讐執行人でもある両親に感情移入ができたのかなと感じたんです。

劇中の場面場面でお父さんが犯人にメチャクチャ痛めつけられていたシーンがあったんですが、このシーンだけお父さんが「ジェイソン」に変身してまるでスーパーサイヤ人みたいになってほしい!!というシーンは何か所かはありましたけどねwwww

そして、メアリーが拉致されているシーンで苦しんでいる様子と交互にメアリーの両親が楽しい会話と共に食事をしているシーンが描かれているんですが、僕は個人的にこのシーンというか演出が印象的でしたね・・・というかメアリーのご両親が可愛そ過ぎて・・・いたたまれなかったです。
やはり、このような細かな演出も映画後半の復讐劇の際に感情移入できるように・・・しやすいように必要な描写だったのかなと思いますね。

あとこれはもう、映画の感想ではない??かもしれないんですが、やはり「友達は考えて選ぶべき」だと思いました(笑)
この辺りは、僕の曲がり切った感想でしかなんですが、メアリーは水泳の選手という事もあり、いつも母エマに喜んでもらおうと、水泳の「記録・タイム」を伸ばそうと日々頑張っているんですね。

ザ・水泳版の教育ママ!!みたいなものです。

そんなメアリーからしたら、久々の休暇で友達・ペイジに会って街で遊ぶ為に出かけるんですが、この友達が凄くていきなり「最近、マリファナやってる?」とか言い出しちゃう子なんですよねwww
でも、メアリーは水泳選手なので、もうマリファナなんてご法度・・・なんですが・・・・いつも「記録・記録・記録!!」と言われ続けている日々の中、メアリーもつい、マリファナを吸ってしまうんですよ。

17歳ですからね・・・色々とやんちゃしたいという気持ちは分かりますが・・・

まぁ、この後の展開からしたら見方によっては「メアリーも友達もマリファナ吸ってんだから暴行されて当たり前だよ!!」と思っちゃう人もいるかもしれませんが・・・・それはそうなんですけど、もとはといえば、友達のペイジが「マリファナ吸っちゃう?」みたいな事を言うからwwww、まぁ、ペイジが全て悪いとはいいませんが、僕の中で「やっぱり友達は考えて選ばないとなぁ」と勉強になった映画でもありました。

もう、僕の年齢で友達・友達!!という事もありませんが・・・
もし、この作品を高校生の時に見ていたらかなり教訓に成り得た映画になっていたかもしれませんね(笑)


少し、映画の感想がコミカルな方向になってしまったので・・・・一応ホラー映画なので(笑)
やはり、この作品の見どころは、娘に暴行された人間に対して「殺人を正当化」していいのか?悪いのか?という部分が一番のテーマになるのかなと個人的には思いました。

一般的には、「殺人」という行為は法律ではダメなんですが、どなんでしょう??こんな状況の中、平然を装って嵐が収まった翌朝に普通な顔して送り出す事ができるんでしょうかね??

ん〜僕は無理ですねwww

このテーマって答えた人間の本質が剥き出しになるテーマでもあるんですよね。
いくら、口では「殺人は絶対ダメ!!」って公言していても、もし身内が同じ悲劇に合ってしまった時にやはり、心に秘めていた本心が出てすぐに気持ちがひっくりかえって犯人を憎みいつしか、殺人というものを正当化してしまうという流れになっちゃうんですよね・・・ここからは、僕の個人的な意見なんですが、、、、、

世の中には、「殺人事件が発生しました!!」というニュースを聞く事があると思うんですが、この時はやはり見ている僕らは所詮「他人事」なんですよね。ニュースを見ても「あ〜そうなんだ」「犯人捕まるといいな〜」「怖いな〜」という楽観的な気持ちでみているんです。

これはあくまでも、「自分には関係ない!!」とか「今住んでいる場所より遠い地域だな」とか大袈裟に言えば、「どこか異世界のようなパラレルワールドな出来事」のようにも錯覚してしまう場合があるんですね。

だから、「可愛そうだとは思うけど正直、僕たちには関係ないし・・・もし犯人が捕まったとしてもよっぽど最悪な犯行でなければ死刑はダメだと思う犯人もまた1人の人間だから・・・・」と、思う優しい方も存在すると思います。


しかし、その優しい方の家族・兄弟が突然犯罪に巻き込まれ殺されてしまった場合・・・それが故意ではない殺人であっても、昨日までは「死刑はダメ」って言っていても、その人の中では、「これはこれ、それはそれ」という全く別物の存在し変化してしまう可能性があるんです。

昨日まで「殺人事件」というものが、自身の中で半ばパラレルワールドで起こっていた事が、急に目の前の現実に現れてしまった訳ですから、それを受け止められない状態で、まず理性が働くとしたらこうなった「原因」=「犯人」に無意識の内に結びついてしまい、これらの感情は、今まで生まれてきて味わった事のない感情でもあるので、「殺人=正当化」という考えが新たに誕生してしまうのではないのかなと思えるんです。

僕はこの一連の感情は誰にでも存在すると思っていて、誰もがこの「トリガー」が外れれば皆同じような感情に到達すると思いますね。この到達した時点で、その人が「どう行動するのか?」「どう考えるか?」というのが、人間の本当の姿ではないのでしょうか?

なので、この両親も「我が身に起きた異次元の出来事」によって心のトリガーが外れてしまい、無意識の内に「殺人=正当化」という理論が誕生したのではないでしょうか?

この映画は、「他人にそこまで興味が無く、まず保身を第一優先に考えてしまう」という現代人の心の奥底に潜む、まだ自分でも気づく事の出来ない不安定な感情を、上手く家族愛というテーマを利用し、「復讐執行」という賛否両論の行為が作品を通して第三者に対して果たして「不当」なのか「正当」なのかという疑問を同時に訴えかけている隠れた社会的風刺を描いた作品ではないのかなと思いました。

そして、他にも個人的な見どころは、娘メアリーを暴行したのが、自分たちが招き入れた犯人という事実をいつ知るのか?この瞬間が一番、待ち遠しかったですね(笑)
この瞬間を境に、両親のトリガーが外れ、狂気に満ちた復讐執行人に変貌していくのですから・・・僕は犯人たちに制裁を加えている描写よりも、この「時間」が訪れるまでのシーンが個人的には見所のような気がします。

嵐の夜に訪れた若者4人を心良く迎え入れるも彼らは愛する娘に暴行を働いた凶悪犯だった、その事実を知った瞬間、穏やかな両親は悪魔に魂を売り正義の復讐執行人に変貌する「THE LAST HOUSE ON THE LEFT−鮮血の美学−」

是非、ご覧あれ!!


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