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2020年05月01日

コロナウイルス時代にデフォー『ペストの記憶』が教えて呉れる事




 コロナウイルス時代にデフォー『ペストの記憶』が教えて呉れる事

           〜現代ビジネス 武田 将明 5/1(金) 16:01配信〜


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            東京大学総合文化研究科准教授 武田 将明氏

 ロンドンの市民の不安
 
 世界を恐怖の渦に陥れて居る新型コロナウイルスは、日本にも牙を剝き、各自治体で新たに確認された感染者の数が連日報道されて居る。この光景に私は強烈な既視感を抱いて居る。
 2011年3月11日の東日本大震災後、東京電力福島第一原子力発電所が制御不能と為ってから、東日本の各地で計測した放射性物質の濃度が日々報道された。公表された数値への疑念が渦巻き、およそ相入れ無い解釈が飛び交う中、私達は何を信じれば好いか分からず不安に苛まれて居た。
 当時の事は、多くの方の記憶に残って居るだろうが、私自身に取って特別だったのは、この時偶然にもダニエル・デフォーの『ペストの記憶』(1722年 他に『ペスト』『疫病流行記』等の訳題もあるが、本稿では一貫して『ペストの記憶』と呼ぶ)の新訳に着手して居たからだ。

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 この作品は、ロンドン市民がオランダでのペスト流行に付いて噂話をする場面から始まり、やがてロンドンでもペストに依る死者が記録され始める。その数は週毎に増減するが、或る時点で人々は気付かされる。彼等は報告書の数字に騙されて居て「最早感染は収束する見込みが無い程広がって居る」事に。
 この冒頭部に描かれて居るロンドン市民の様子、最初は対岸の火事の様に思って居た事が急に身近に迫り、行政府の発表を心の底では信頼出来ず、過酷な現実に向き合わされる姿は、此処を訳して居た時の自分と重なり忘れられ無い刻印を脳裏に残した。

 今回のコロナウイルスを巡る報道に依って、この時の記憶が呼び覚まされたのである。私は、今回のコロナウイルス感染症の患者数や死者数に付いて、日本の政府や自治体が数値を低く誤魔化して居ると主張したいのでは無い。そうした批判も見られるが、感染が終息する迄真相を知るのは困難だろう。
 何れにしても、全国に非常事態宣言の発令された今「終息では無く、収束する見込みが無い程」感染が広がり兼ね無い、危険な状況に有る事は間違い無い。

 こうした極限状況の中、外出を制限された人々の間で静かに流行って居るのが読書である。公表された数字を見る限り、日本より遥かに深刻な状況にあるイギリスでは、3月23日に罰則を伴う外出制限が発表されたが、その二日後の3月25日付の英紙『ガーディアン』に依ると、イギリスに於けるペーパーバック版フィクションの売り上げが前週比で35%の伸びを示したと云う。
 世界中で、読み通すのに時間を要する長篇小説に挑戦する人が増えて居り、アメリカの人気作家であるスティーヴン・キングも、これを機にジェイムズ・ジョイスの前衛的作品『ユリシーズ』(1922年)を遂に読んだ事をツイッターで報告した。

 又、矢張りアメリカ在住の中国系英語作家イーユン・リーは、レフ・トルストイの大長篇『戦争と平和』(1869年)のヴァーチャル読書会を開いて居る。他方、ノンフィクションの売り上げは13%下落し「読者は〔外出制限中の〕慰めを架空の世界に求めて居る」と同記事はまとめて居る。

 カミュとデフォー

 最も、今人々がフィクションを手に取る理由の全てが、鬱屈とした現実からの逃避だと見做すのは誤って居るだろう。例えば、日本を初めとする各国で、アルベール・カミュの『ペスト』(1947年)がベストセラーと為って居る。もしも人びとがコロナウイルスの流行から目を逸らしたいので有れば、感染症を主題とする本書を敢えて手に取ることは無い筈だ。
 しかし同時に、現実と物語との表面的な類似だけでは『ペスト』がこれ程読まれる事は無かっただろう。疫病感染を扱った作品は、他にも多数有るからだ。

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 此処で注目したいのが、カミュの『ペスト』の冒頭に掲げられたエピグラフである。新潮文庫(宮崎嶺雄訳)から引用すると

 《或る種の監禁状態を他の或る種のそれに依って表現する事は、何で有れ実際に存在する或るものを、存在し無い或るものに依って表現する事と同じ位に理に適った事である。ダニエル・デフォー》
 
 「ダニエル・デフォー」とあるが、実はこの引用は『ペストの記憶』では無く、デフォーの別の著作『ロビンソン・クルーソーの敬虔な内省』(1720年)の序文から取られたものだ。ちなみにこの訳書には出典に関する注が無い。
 『ロビンソン・クルーソーの敬虔な内省』とは、前年に刊行された有名な『ロビンソン・クルーソー』の好評に乗じて刊行された作品である。上の引用でデフォーが言って居るのは、要するに、作者であるデフォー自身が孤独な人生で経験した出来事・・・或る種の監禁状態・・・が、ロビンソン・クルーソーの無人島に於ける冒険譚・・・他の或る種のそれへと置き換得られていると云う事だ。尚『ロビンソン・クルーソーの敬虔な内省』の詳しい説明は、拙訳『ロビンソン・クルーソー』(河出文庫)の解説を参照の事。同書には、この序文の全訳も収録されている。

 すると自ずから、この一節をカミュが引用した理由も見えて来る。第二次大戦の2年後に刊行された『ペスト』には、戦時中にナチス・ドイツへのレジスタンスに参加したカミュの体験が投影されて居ると言われて居る。詰り『ロビンソン・クルーソー』も『ペスト』も、夫々の作者が実際に直面した特異な状況を、フィクションの形で再現したものなのだ。
 この内『ペスト』は、アルジェリアのオランを舞台に、この実在する町をペストが襲ったと云う設定で書かれて居る。新潮文庫の訳者解説に依ると、カミュは本書を執筆するのに5年以上の歳月を捧げたと云うが、確かにその克明な描写は真に迫り、中心人物の苦悩は哲学的な問いへと高められ、物語も巧みに構築されて居る。

 この様な形で個人的な体験をフィクションに置き換える事で、カミュは極限状況の世界を客観的に観察する視点を提供して居る。同じ様に、現代の読者も『ペスト』を読む事で、コロナウイルス流行下の世界を客観的に眺め、現実に冷静に立ち向かう勇気を得る事が出来るだろう。此処にこそ、カミュの『ペスト』が現代人を感動させる真の理由がある。

 奇妙な作品『ペストの記憶』

 これと比べて、カミュの小説より200年以上前に刊行されたデフォーの『ペストの記憶』は、現代の読者からどう読まれるだろうか。恐らく、カミュの『ペスト』と同様の、疫病を主題にした哲学的なフィクションを期待すれば、聊か裏切られるだろう。
 カミュと異なり、デフォーは1665年にロンドンを実際に襲ったペストを題材に本書を執筆して居る。故に、先程紹介した冒頭の場面では、当時の資料に見られる死者の数がそのママ載って居る。他にはペスト流行時に出された法令も、殆ど変えずに引用されて居る。

 では『ペストの記憶』はノンフィクションかと云えば、そうとも言い切れ無い。「H・F」とイニシアルのみ示された架空の人物を主人公に、彼の見聞を紹介する形で書かれた本書には、可成り信憑性の低い噂も掲載されて居る。
 例えば、身内を失い「心が重荷に耐え兼ねてペシャンコに為った為に、首が段々胴体にめり込んで、肩の間に沈んで行き、遂には、肩の骨から頭の天辺がホンの僅か出て居るだけに為ってしまった」男の話。『ペストの記憶』とは、事実の記録の中にこうした怪しい逸話も取り込んだ、フィクションとノンフィクションのどちらにも属さ無い奇妙な作品なのである。

 どうしてデフォーはこの様な作品を書いたのか。詳細は別の機会に譲るとして、ひとつだけ事実を示すならば、1720年にフランスのマルセイユでペストが流行して居り、本書の刊行された1722年には、未だイギリスでペストへの警戒心が強かった・・・結局、この時イギリスはペストの難を逃れている。
 この状況を見て、ジャーナリストとしての才能にも恵まれて居たデフォーは、可成り急いで本書を執筆したらしい。その結果『ペストの記憶』は、多種多様なデータや逸話を未整理なママ寄せ集めて居る様に見えるのだ。

 しかしそのお陰で、返って本書には筋の通った客観的な記述だけでは到達出来無い、恐怖の根源に迫る瞬間が有るのみ為らず、疫病が人々の生活に与える影響を、様々な視点から見る事も可能に為って居る。本書で最も印象的な場面のひとつに、或る夜、ペストで亡く為った人々を埋葬する巨大な穴へと、馬車の荷台から遺体が投げ込まれる場面がある。
 馬車には十六か十七体の亡骸が収められて居たが、リンネルのシーツとかベッドの上掛けに包まれて居るものもあれば、殆ど裸のものも在った。と云うより、キチンと包まれて居なかった所為で、穴にブチ撒けられる時に、身体を覆う僅かなもの迄も剝がれてしまったのだ。こうして人びとは裸も同然で死体の山に落ちて行った。

 この時、穴の周りにはH・Fの他に一人の男が居た。彼は妻と子供達をペストで亡くし、その遺体を乗せた馬車の後を付いて来たのだが、上記の光景を見るや絶叫し気を失ってしまう。
 この場面の前後で、H・Fは繰り返しロンドン市当局に依る適切なペストへの対応を讃えて居り、全ての遺体を夜間に処理し、昼間に市民の目に触れ無い様にした手際の好さも高く評価されて居る。これは、遺体処理の残酷さを描く上の場面と矛盾する様にも見えるが、疫病を抑えるべく行政が指導力を発揮する影に、苦しみ藻掻く市民の姿が有る事は、今も昔も変わら無い現実に他なら無い。

 現代に通じる場面

 しかも『ペストの記憶』は市民の塗炭の苦しみだけに注目するのでは無く、行政の監視を擦り抜けてロンドンを脱出し、時に悪知恵も働かせながら安全な土地に移動して難を逃れる様な、逞しい民衆も描いて居る。この様に、一つの物語としてまとまら無い事で、返って安易な「正解」の見付から無いパンデミック下の社会を有りのママ描出する事に本書は成功して居る。
 他にも、本書には驚く程既視感の有る場面が頻出する。街を歩く人々は為るべく遠くでスレ違う様に神経を使い、買い物では釣り銭を貰わない様小銭を沢山用意し、店でも客が出す金には直接触れず、酢を満たした壺に入れさせ、更には、富裕層は早々に安全な場所へと避難するのに対し、貧しい人々は生活の為に商売を続け、次々と疫病の餌食に為ってしまう。

 今『ペストの記憶』を読む事は、こうした一致に驚かされながら、バランスの取れた「正しい恐れ方」へと導かれる経験と為る筈だ。本書には疫病を克服する為の答えも無いし、カミュの『ペスト』の様な深い思索も無いが、疫病が人間の身体と心に及ぼす影響に付いては、有りとアラユルことが書かれて居る。
 時折混ざって居る怪しい逸話に適切なツッコミを入れながら、本書を読み解く作業自体が、答えの見え無い事態の渦中に有る私達に取って、適切なサヴァイヴァル感覚を養って呉れるだろう。

 事実への信頼を喪失した時代

 此処で冒頭に戻りたいのだが、原発事故後の日本で、そして世界で起きたのは「事実」への信頼の喪失では無かったか。イギリスが国民投票でEU離脱を決め、アメリカでトランプ大統領が誕生した2016年には「ポスト真実(post-truth)」為る言葉が流行し、マルでアラユル事実は人為的に書き換え可能で有るかの如き錯覚が世に広まった・・・この事態を、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』に登場する「ニュースピーク」等を援用して解説した、川端康雄氏による本誌記事を参照。
 
 客観的な事実等有り得無いと云うシニカルな雰囲気が蔓延し、世の支配的な見解に反してでも真相を追及する人間は、幼稚な正義感から世の平穏を乱す厄介者との烙印を押され、統計や文書の改竄と恣意的な解釈が黙認された。
 日本に於けるコロナウイルス対策の迷走振りを見るに着け、このおよそ10年間、人々に安心を与えるべく機能して来た虚偽のシステムの底の浅さが露呈した様な感覚を抱かずには居られない。

 日々、医療現場で懸命の対応をされて居る方々には心から頭が下がる思いだが、感染症の検査を含む医療体制の不備は、どの様に統計を解釈しても覆い隠せるものでは無く、この局面の変化を行政が理解して居ない事を悲喜劇的に露呈したのが、世帯毎に布マスク二枚配布と云う奇策(?)であろう。
 勿論、私達が今経験して居るのは前例の無い事態であり、客観的に正しい答えを見出すのは極めて困難である。しかし、それだからコソ、答え等無いと開き直るのでは無く、適切な危機意識を研ぎ澄ませ、少しでも正解に近付こうと努めるべきだ。『ペストの記憶』は、正しく恐れ、事実を求める為の感性を、現代の読者に授けて呉れるだろう。


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 武田 将明 東京大学総合文化研究科准教授 言語情報科学専攻 英語 最終学歴 Ph.D. in English, Faculty of English, University of Cambridge.  学位・資格等名称 Ph.D. English 文学修士 英文学・言語態研究 British literature, Literary theory 研究テーマ 18世紀イギリス小説 Eighteenth-century British novels  海外研究活動・留学 ケンブリッジ大学(1999−2004)受賞歴 日本英文学会新人賞佳作(2005)群像新人文学賞評論部門(2008)

                   以上













危うし日本 中国に圧倒的差を着けられた教育




 危うし日本 中国に圧倒的差を着けられた教育

            〜JBpress 伊東 乾 5/1(金) 8:01配信〜



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             東京大学正門(撮影 川嶋諭)

 今回の「緊急事態宣言」何時迄続くのでしょうか。先ず以て、連休明け解除は無い様です。「1か月程度延長か?」と云った報道も流れ始めました。それが開けたら普通の生活に戻るのでしょうか? 残念ながら日本の教育に関しては、5月7日以降に平常の状態に戻る目算はホボありません。
 例えば、私の勤務する東京大学では、既に前期の授業を全て遠隔で行う事を決定して居ます。或いは東京藝術大学は今年1年間、合奏の授業は全て遠隔でのディスカッションやリポートで単位発給するとの通知を出したとの事です。
 小中高等の学校では、4月中の教育は自宅での自習プリント学習等で代替し、もし自習に不足が在っても5月以降、教室で補うから大丈夫と云った空気が少し前迄は有った様に耳にします。しかし、5月7日から普通通りの学校生活が戻ると期待するのはホボ不可能と言わざるを得ません。

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                  文 伊東 乾氏

 1学期、或いは前期はもう無理と諦める人も増え「9月入学説」等も流れ始めましたが、賞味期限2か月の風説と思います。7月には誰もそんな事言わ無く為るでしょう。東大を含め、一部にはカレンダー通りに進んで居る教育機関が有りますし、一部に9月にスタートする所が在っても、9月にコロナ収拾の目処等付いて居る訳が無いのは誰の目にも明らかだから。
 4月半ば以降「今から2週間の皆さんの行動が全てを決めます」と云ったセリフをメディアで目にしますが、単にミスリーディングと言うしか無い。ゴールデンウイークのウイルス蔓延を予防する必要が有るのは言うまでも有りません。しかし5月以降「1学期」に相当する時期に、学校を再開出来る見通しが立た無いのは3月時点で明確に予測の付いて居た事です。

 これから5月初頭の連休に、観光地に群がる日本人の残念な行動が観測され、そうした映像が報道される可能性が有るでしょう。しかし、それだから5月7日以降も学校を再開出来無く為った訳では決して無い事を予め指摘して置かねば為りません。

 ワザワザ検査数を減らして「行動変容」の効果が在った様に取り繕うのは、一つは休業させられて居る人達のガス抜き、それから「折角減って居るのだからGW中は出過ぎた真似をするな」と云う日本人の自粛・忖度メンタリティに訴え様とする代理店戦略と分別すべきです。
 自然科学的に落ち着いて考えれば、日本の現状は「真の感染者数」は鰻登りの一途としか判断されず、それに連れて死亡者も増えて居る筈です。しかし、それと認識されずに葬儀等が行われて居る事も在る筈で、ソコでも又、確実に人は新型コロナウイルスに罹患します。要するに、人の集まる所で、2020年5月の日本では感染者も死者も増え続けて居り、とても学校が再開出来る様な状況では在りません。

 日本を襲う「文化大革命」級教育崩壊

 世界は「テレ・エデュケーション」に大きく舵を切りつつあります。そんな中、日本は正味で「世界最低」の「テレ・エデュケーション」困難国で有る事がOECD・経済協力開発機構のリポートhttps://read.oecd-ilibrary.org/view/? ref=127_127063-iiwm328658&title=Learning-remotely-when-schools-close)で明確に示され、警鐘を鳴らされて居ます。

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 この報告は、OECDの教育評価事業「PISA」で重責を担う、星槎大学の北川達夫教授人差し指サインからご教示頂きました。私には40年来の幼馴染で、全幅の信頼を以て様々な情報をシェアしつつ対策を検討して居ます。

 そこで指摘されるのが「エデュケーション・ロス」教育の機会を失った世代の出現と、それに伴う社会経済の中長期的凋落・停滞・・・一言で云うと縮小・没落のリスクです。新型コロナウイルス感染症そのものも、それに伴う社会・経済恐慌「コロナ・ディプレッション」も恐るべきですが、並行して発生するこの教育破壊「エデュケーション・ロス」は、我が国では未だ全く広く認識されて居ません。そもそも教育現場が一番遅れて居ると、他ならぬOECDに指摘されて居ます。
 私の研究室では教育破壊がもたらす中長期的なGDP・国内総生産減少のシミュレーション等を進めて居ます。そのソースや、懸念される最悪のリスク等を記してみましょう。

 仮に学校教育が完全に無く為ってしまうと、何が起きるでしょう? 

 専門家が集まって議論した場で、H大学のI教授から、最大規模の影響として、中国で実施された「文化大革命」(1966-75)の例が指摘されました。「文化大革命」は、これに先立つ「大躍進」に失敗した毛沢東が、反対派を粛清する一種の「白色テロ」でした。その詳細に踏み込む紙幅は有りませんが「教育破壊」とその永続する影響に焦点を絞って検討してみましょう。

 「文革」期の中国では、通常の意味での学校教育はホボ完全に破壊され、子供達は教育を受ける機会を奪われました。学校の先生や大学教員等の知識人は「反革命修正主義者」等とレッテルを張られ、様々な形で弾圧を受け、命を落とす人も少なくありませんでした。学校は1966年から69年迄完全に機能停止、地域により差は在るものの1〜5年間授業が全く行われませんでした。
 1971年から再開された後も、毛沢東思想や階級闘争に関する授業や講義ばかりで、その後も毛沢東が死去する1976年迄真面な教育は施されませんでした。大学は5年間、大学院はマル12年間学生募集を行わず、海外との学術交流は断絶し、中国のサイエンスもテクノロジーも、国際水準から完全に脱落してしまいました。

 中国が文化大革命を完全に脱却するのは「4つの近代化」を掲げたケ小平体制が1978年以降「改革開放」を推進して以降の事で、教育制度は見掛け上、急速に元の中国に戻る様に見えました。しかし、その本質的な影響はボディーブローの様に延々と後を引き、上昇傾向を見せ始めるのは1990年代以降・・・本格的に経済成長が軌道に乗るのは2006年頃以降の事でした。
 2009年には日本と肩を並べ、2010年以降は日本を凌駕し、2010年代の第2ディケードでその国力は3倍程にも水を空けられて、現在のCOVIDパンデミックを迎えて居ます。1966年以降の時期に5〜10年間続いた教育破壊は、基本水準に復調するのに以後約15年、成長が本格的に再開するのに更に15年・・・詰り収束から30年、文化大革命そのものの発端からは実に40年の年月を要して居ます。

 これは国の栄枯盛衰ですが、モッと悲惨なのは個人の辿る歴史です。

 一般に中国で「文革世代」は1948〜57年生まれを指すとの事で、これは1966年時点で9〜18歳に相当します。この世代の人々が9歳⇒19歳、或いは18歳⇒28歳に相当する時期に教育を奪われた。その結果、最若年層で小学校高学年から高校卒業迄の中等教育、最高齢層では大学入学から大学院修了程度迄、中国全土の全人口規模で、高等教育が完全に失われてしまった事を意味します。
 文革の場合は影響が大き過ぎ、教育機会を失われた世代は十分に取り戻す事が出来ず、未来を子供達に託さざるを得ませんでした。

 1948〜57年生まれの「文革世代」が子供を設ける「解放」以降の時期は中国で「一人っ子政策」(1979〜2015)が敷かれたのと完全に重為って居ます。大きく見て1980年代以降に生まれた世代が大学を卒業する2003年以降に為って、完全為る「文革以降」の世代が社会で活躍し始める事に為ります。その結果2010年に日本は追い抜かれ、米中二大国対立と云う今日の基本構図が成立します。
 逆に云えば、教育を失う事は、下手をすれば半世紀近く国を失う事に等しい影響を及ぼし兼ねない、国家の一大事に他為りません。処が、今日の日本にはその様な危機感は殆ど無い事を指摘し無くては為りません。且つ2020年代、日本は間違い無く、一度は世界の教育から落ち零れてしまう危険性が非常に高い事を、先程リンクしたCOVID対策で行われたOECDの緊急リポートが警告して居ます。具体的に見てみましょう。

 遠隔教育世界最低レベルの日本

 2018年時点での、OECDが全世界で行って居る学力テストPISAの結果と、今年3月COVID危機に際して実施された緊急アンケート等から、COVID感染と蔓延が進む全世界で遠隔教育「テレ・エデュケーション」推進の必須不可欠性が、強く指摘されて居ます。子供が学校に集まれば、ソコが「クラスター」の発生源に為ります。必然的に、子供達が「3密」しない遠隔教育・・・テレ・エデュケーションが、感染予防と社会経済の収束に向けての全世界標準に為るのは誰の目にも明らかです。

 処が、こんな分かり切って居る事が、何故か日本だけでは如何にも受容されて居ない。北川達夫教授が紹介されるOECDのリポートで確認してみましょう。

 子供達が、学習に必要な落ち着いた静かな環境が確保されて居ると云う点では、日本は87%程度の達成度を保って居ます。これに対してインドネシアやフィリピン・タイ等では5〜6割程度の子供しか、勉強出来る環境を持って居ません。因みにOECD世界平均は91%程度で、日本はこの時点で既に下位国に属して居ます。
 学習の為にコンピューターにアクセス出来る子供の割合は、日本は60%程度に留まります。これに対し、世界平均は9割に手が届く水準で、日本はその3分の2程度・・・欧米先進国に遠く及びません。

 又、平均を上回る韓国は元より、平均以下のシンガポールや台湾、更にはウルグアイ、ヨルダン、コスタリカ、カザフスタンと云った国の水準に届いて居ません。マサに、日本では小中学生にはゲーム機を与え、学習にも活用出来るパーソナルコンピューターに触れさせ無いのが、当たり前の社会常識に為って居る事を示唆しています。皆さんの生活実感からは、如何でしょうか? 

 ここ迄は、全て「中の下」以下では有るけれど、未だ下がある成績でした。ここから先は、全OECD加盟国の中で、韓国や台湾等東アジア近隣諸国は元より、アラユル発展途上国・紛争後地域と比較してすら最低・・・本当の「ビリ」である日本の実情を確認してみましょう。

 OECD最下位 日本のデジタル教育

 教育にコンピューターやデジタル機器を活用する能力や、教育上のスキルを評価したOECDのスコアで、日本は世界最低の28%程度と云う、名実共に「世界最下位」にランキングされました。
 世界トップは90%を超える北京周辺の中国・・・文化大革命に懲りた「文革後以降世代」の教育への情熱が結実したものと言えるでしょう。韓国は80%超・台湾は70%超・・・世界標準は6割程度日本は28点

 今新型コロナウイルス感染症対策として「テレ・エデュケーション」と突然言われても、日本の教育機関、現場の先生の7割以上は、何を使ってどうしたら好いのか分から無いのが実情でしょう。デジタル技術も教育スキルも持って居ない、世界で最も準備が整って居ないとOECDの調査は指摘して居るのです。
 この結果と「4月中は紙のプリントを配って自習、5月に為ったら再開するだろうから、自習が少し遅れて居る子も教室で補って遣れば大丈夫」と云う、この島国の中だけで成立して居る不思議な「勘違い」とが、残念な一致を見せている。

 そして、そう云う状況に有る全国教育現場の実態も把握して居る政府としても、行き成り「向こう1年間、基本テレ・エデュケーション」等と伝える事が出来ずに居る。実際には対面授業は出来ません。遣るなら遠隔ですが、遠隔教育のテクノロジーもスキルも7割の学校の先生には基本的な準備が無い。
 それが直ちに7割程度の生徒への教育に影響を及ぼすと私は言いません。10割・・・全ての生徒に影響が不可避です。日本の教育破壊リスクは、決して「文化大革命」を対岸の火事と見做せる状況には無い。OECDリポートは更に警告します。

 日本の先生は デジタル化対応の時間が無い

 この休校で子供達との接点が無く為り、或る地方では学校の先生が給食をお弁当にして宅配したと云うニュースが報じられていました。美談として報道されて居る様に見えました。日本と云うのは、そう云う国柄なのでしょう。
 でもOECD調査はモッと冷静・客観的です。「全世界の先生が、遠隔学習、テレ・エデュケーション等にシフトするべく、勉強したり準備したりする時間が有るか」と云う調査で日本は世界最低。アラユル途上国や紛争後地域を含め、最低の10%程度と云う成績に為ってしまいました。

 世界最高は、矢張り例に依って中国の90%がテレ・エデュケーション対応の時間的な余裕を持って居ます。実際、武漢での爆発感染以降、中国ではテレワーク、テレ・エデュケーション化は国家存亡の危機に関わる大問題として認識されて居る。
 これは、今や世界最大の感染国と為ってしまった米国でも同様で、有れだけ階層社会の厳しい米国でも80%の先生が遠隔対応等に割く時間を確保して居ます。台湾が7割・世界平均は60%・隣の韓国は、この点では世界標準を下回って55%に留まって居ます。

 しかし、韓国では発表上、日本と変わら無い1万人程度の感染者をカウントして居ますが、死者は4月23日時点で200人程度、ソウルでは2人しか亡く為って居らず、医療崩壊も一切して居ません。それでも半数以上の先生がデジタル化対応して居る。
 さて、日本はと云うと・・・10%に留まって居ます。詰り、10人中9人の日本の先生は、テレ・エデュケーションにシフトしようと思っても、ソモソモ「忙しくて時間が無い」状況で、今マサに世界の趨勢に現在進行形で乗り遅れる真っ最中にある。これから数か月の間に、全世界に置いて行かれるのが目に見えて居る非常に残念な状況に有ります。

 でも、こんな事を強調しても、日本人の多くは余り反応して呉れません。処が、それがGDP・国内総生産の低下・お金の損と為ると突然目の色が変わる人が居る。とても残念な事ですが、それが現在のこの国の現実です。

 我が研究室がグローバルAI倫理コンソーシアムの国際協力の中で実際に手を動かして居る5つの柱の中に、教育崩壊に伴う経済の縮小・後退予測を選んだのは、日本が必ず迎えるで有ろう破壊的事態に、少しでも有効な対策を立てる為に他為りません。(つづく)


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 伊東 乾 博士 学術 東京大学 1965年 東京生まれ 1992年 東京大学大学院 理学系研究科 物理学専攻 修士課程修了 1995年 東京大学大学院 理学系研究科 物理学専攻 博士課程単位取得退学 1999年 東京大学大学院 総合文化研究科 超域文化科学専攻 博士課程修了 1999年 NTTコミュニケーション科学基礎研究所 客員研究員 慶応義塾大学 兼任講師 2000年 東京大学大学院 情報学環 助教授 2007年 東京大学大学院 情報学環 准教授 以下の活動に邁進する・・・

 ヒトの聴覚とその脳認知に基づく新たな音楽創造の探求

 ヒト内耳内、蝸牛の能動的ダイナミクスを元に音楽音響・音声の特徴を抽出することで、従来「スペクトル楽派」以前の音楽が行き詰まっていた物理的倍音の重畳という限界を超え、線形・非線形双方の自在周波数要素を自在に組み合わせる、シニュソイダル・モデルによる認知的音像の分析と、それに基づく音楽作品を創造します。聴覚からもたらされる刺激は大脳新皮質連合野などでの高度な悟性発現の演算時間より素早く、ヒト情動を喚起し、反射的な行動に個人を駆り立てます。こうした特徴を前提とするメディア・マインドコントロールの予防と、その倫理の検討も並行しています。

 建築音響脳認知理論の拡張による時空間分析のフィールドワーク

 コンサートホールやオペラハウス、あるいは教会や寺院の中での音楽や音声の響きは時間的、空間的に様々な特徴を持っています。私たちは建築音響の脳認知理論を非線形化して、より細やかな音楽音声や音楽音響の解析に適するモデルに拡張し、これを用いて世界の様々な「時空間」をサンプリングするフィールドワークを進めています。ドイツのバイロイト祝祭劇場、アルゼンチンのテアトロ・コロン、日本の新国立劇場などのオペラハウス、カトリック長崎大司教区の木造教会群、本願寺様式の東西真宗寺院群、奈良・東大寺二月堂での修二会、四天王寺聖霊会、また東日本大震災被災地で廃絶の危機に瀕している伝統芸能などが現在進行中の主要なフィールドです。

 動学的音楽音響解析に基づく、新たな時空間上演の創成

 音楽音場解析に線形・非線形の様々な手法を用いることで、ひとつの儀礼や演奏の中に「音声言語がより明瞭に聴こえる音場」「より没入感の高い均一な音場」などを創り分けてゆくことができます。東西浄土真宗で蓮如以来と伝えられる講式やルター以来のプロテスタントのキリスト教儀礼、あるいはリヒャルト・ヴァーグナーの楽劇などを細かに調べて行くと、こうした知恵が研ぎ澄まされた耳と感覚で実現されていることがわかります。このような実効性ある根拠に基づいて、現在廃絶しつつある伝統儀礼の復元、新たな作品の創作、オペラの新しい時空間演出の創成などに取り組んで居ます。


                 以上





















今こそ大政翼賛生んだ「1938年の教訓」を コロナ禍で政府への苛立ちは何につながるか




  今コソ大政翼賛生んだ「1938年の教訓」を 

 コロナ禍で政府への苛立ちは 何に繋がるか


         〜〈AERA〉朝日新聞社 5/1(金) 9:00配信AERA dot.〜


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    緊急事態宣言を全国に拡大すると発表した安倍首相 4月17日 (c)朝日新聞社

 〜新型コロナウイルス対策に於ける政府の対応は後手後手に回り、感染者は増え続け経済は凍り付いた。日本に未来は有るのか。AERA 2020年5月4日−11日号では政治学者の白井聡さん・中島岳志さんの夫々の分析を紹介する〜


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               政治学者 白井聡さん(42)

           「それでも未だ腐った安倍政治を支持し続けるのか」

 新型コロナ関連の政治判断で、可笑しなものは多々有りますが私は驚きません。世界中の国が、少なくとも「国民の命を真剣に守ら無ければ為ら無い」と云う意思が有る点で一致して居ます。今の日本にはそれさえ無い。元々そう云う政権なんです。
 経済再生担当大臣が、新型コロナの対策大臣に為って居る事も象徴的です。連鎖倒産等で人々が首を括る様な悲劇が起き無い様にするのが経済対策の本質の筈。安倍政権は、これは景気の問題だと考えて居る節が未だに在る。

 この7年間、徹底的に安倍政治を批判して来ました。でも政権は倒れ無い。選挙で勝ち続けて居るから。詰り国民は自業自得です。検疫の杜撰さ・進ま無いPCR検査態勢の充実等行政の無能の為に、避けられた犠牲が増える可能性が有る。
 安倍政権を支持して来た人達や、その勝利を支えた無関心層は「自分達が一体何を遣ってしまったのか」を真剣に考える義務が有ります。「人殺し」に為るのかも知れないのです。台湾や韓国の新型コロナ対策が称賛されて居ますが「民主的で機能する政府」は天から降って来た訳では無い。強権政治との長年の闘いを経て、彼等はそれを手にして居るんです。

 日本はどうか。腐った政権を長年、奴隷根性と無関心に依って支持し、一方で反対する人を冷笑やアカ呼ばわりで非難する。ソンな精神風土がズッと続いて来た。そう云う方々には、カビノマスクが相応しいのです。
 只、光もあります。批判に依って、和牛券の案が撤回されたり・10万円給付が実現したり・・・私達の「怒り」が現に政府の行動に影響を与え変えさせて居る。真面に機能する政府が欲しいなら、今後も許し難い事は許さず怒りを表明し続ける。そんな当たり前の事に気付く。情け無い事ですが、要約出発点に立つのです。


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               政治学者 中島岳志さん(45)

          「政府への苛立ちが大政翼賛生んだ歴史を教訓に」

 今最も気に為るのは、政府のコロナ対策が後手後手に回って居る事で私達国民の側に生まれて居る「遅い」と云う苛立ちが、逆に「強い権力の発動」に繋がり兼ね無いのでは無いかと云う事です。
 私は緊急事態宣言自体は悪いと思って居ませんが、その発動が遅れた事や中身に付いて「もっと早く」「政府は甘い。都市封鎖も遣るべきだ」と云った「より強い権力の発動を待望する様な感覚」が、何時もは政権を批判して居るリベラルと言われる人達の間に強く為って来て居ると感じて居ます。

 本人達は「安倍批判」の積りで言って居る事が、或る瞬間、逆にモッと強い法に規定されて居ない様な強い権力を稼働させる力に為ってしまう。そして実際に想定外の強い権力が発動された時、リベラルの側はそれをナマジ求めて来ただけに引っ込みが付か無く為り、共犯関係で飲み込まれて行く。これがマサに「全体主義が稼働する時」だと思うんです。

 好く似た時代が有りました。1938年、日中戦争の翌年・・・国家総動員法が成立した年です。当時の近衛文麿内閣や政党の利害関係に終始する保守政党に対し国民が苛立ち始める。その中で「政府は生温い。今は一致団結する時」と批判し、国家総動員法を望む急先鋒に為ったのが、意外にも無産政党が集結して出来た社会大衆党(後の社会党)でした。
 ブレーキは掛かる事無く、40年の大政翼賛会へと雪崩込んで行く事に為る。同じ事が、これから起こり得るのではないか・・・そんな不安が私にはあります。局所だけでは無く全体を見る為に、歴史や哲学を学ぶ事で時間のスパンをもう少し長く観る視座が、こう云う時こそ必要です。 「1938年の教訓」も、ヨクヨク踏まえて置くべきだと思います。


    構成 編集部・小長光哲郎 ※AERA 2020年5月4日-11日号    以上



 【管理人のひとこと】

 日本はこの何年間か・・・誠に可笑しな空気の中で、マルで夢遊病者の如く無意味な空間を漂って居た様な感じがする。しかし、現実には世界の中に組されアッちに彷徨いコッチに漂い・・・何の先の見通しも無く目標も無く、徒に経済を貶め国民の多数を虐げる政策を続けた。それに多くの国民が「是」として来た日々が続いた。この政府にしてこの国民なのである。
 災害も多発しその復旧も満足に出来ず・・・全てを遅く小規模にチョコチョコ見掛けだけの対策で全てを先送りする。そして、オリンピックだ観光インバウンドだIRだ万博だと・・・他国からの人とお金を待つ・・・それこそ棚ボタ政策を国民を挙げて突き進んで来た訳だ。国内の消費を抑え産業を虐げ・・・デフレを加速させて来た。

 何度もの政権の不見識をそのまま見逃し・御座なりにし、何度選挙をしても「安倍さん以外には無い」と不本意ながらも政権の維持に加担する・・・まるで、政権と一緒に奈落へと転げ落ちる運命共同体と化してしまった。
 経済は、今では先進国の中の最下位に甘んじ、国民は疲弊し子供や若者に迄生活苦が行渡る・・・無政府状態と云うものが存在するのなら、正にこの事を云うのだろう。今回の非常事態でこの腐り切った政権の正体に気が付いた人も居れば「非常時に政権批判するな」と云う人も居る。全ては国民の意識がそのまま政治へと反映する・・・鏡の如しなのである。もう挽回は不可能かも知れないが、最後に国民の良心を賭けて真面な政治への道へと回帰するチャンスは在る筈だ。それは、この非常時をバネに国民の意思を高め目覚める事で・・・相当な苦しみを味わう事に為っても、正常な政治を目指す大きなウネリと発展すれば・・・そう願いたい。  しかし、70数年前の日本と異なり一つだけ誇れるのは、国内に大規模なテロも無く対外とも戦争をして居ない事だけだろう。世界の紛争にも関与せず独自の困難な平和路線を貫いた事だけは守り通した。誇れるのはそれだけだ。これだけは必死に為って守り続けよう・・・コノ意思が強ければ今回の危機にも対処可能な筈だ。