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2021年01月31日

高千穂ノ峯の傳説地 その20

祖母山と久住山
今西臼杵郡高千穂の北に、祖母(そぼ)の高峯あり、豊後に跨る。
其の北方の廣野、亦所謂高千穂野の一部なるべく、北に久住(くじふ)山の高く聳ゆるあり。
高千穂峯の名、日本紀所引の一書に、高千穂の添(そほり)山とも叉、高千穂の槵觸(くしふる)ノ峯、又は槵日(くしひ)ノ峯ともあり。
「祖母」は蓋し「添(そほり)」の古名を傳へ、「久住(くじふ)」は「槵觸(くしふる)」、若くは「槵日(くしひ)」の舊稱を存するものにあらざるか。
天孫高千穂の地の降臨し給ひきとの古傳説に就きて、之を考ふるに、既に天降と稱する以上、後の之を解するもの、成るべく天に近き高山の頂を求めて、之に擬せんとし、爲に或は之を祖母山なりとし、或は之を久住山なりとし、遂には天孫降臨の高千穂山の傳説に存する添(そほり)山、或は槵觸峯、槵日峯の名を取りて、之に附するに至りしにはあらざるか。
祖母と久住と、巽乾相對し、其の間に當りて廣き高原あり。
寶龜の豊後国司文書と稱するものに見ゆる高千穂卽ち是ならんには、豊後にても、嘗てここに高千穂の名を傳へしものなるべし。
既に祖母と久住と兩説あり。
更に後の之を解するもの、其の兩説を並存し、ここに高千穂の二上峰に降臨し給へりとの説起れるか。

タグ:祖母山
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2021年01月30日

高千穂ノ峯の傳説地 その19

高千穂は日向豊後肥後に跨る
高千穂の域實に肥後、豊後に跨る。
肥後阿蘇郡に亦知保クあり。
蓋し日向臼杵郡の智舗クと相連續して、もと一域をなせしものなるべく、後に國界を定むるに當りて、兩分せられしものならんか。
今も肥後阿蘇郡草部(くさかべ)村に千穂野あり。
智保クの古名を存するものなるべし。
ここに草部~社あり、~八井耳命を祭る。
社記に之を高千穂大明~とありといふ。
其の名蓋し地名によれるものか。
同郡南ク谷の南、上u城郡渉りて亦高千穂の名あり。
蓋し阿蘇の地嘗て高千穂の古傳説を傳へ、今なほ其の古名を存するなり。
而して其の阿蘇の名、亦實に「襲」の舊號を傳ふるものの如し。
「阿」は發語の添辭にして、其の本名蓋し「蘇」なるべきか。
釋日本紀に「襲」字を解して「山襲重の義なり」となす。
蓋し漢字の字義に拘泥せるものにして、信ずべからず。
「ソ」は「背」の義なるべく、人の背をソビラ(背平))と云ひ、山陰をソトモ(背面)といふ。
「ソ」は蓋し山の背に當れるが如き高地の稱なるべし。
されば古語に襲の高千穂といふもの、之を阿蘇の高千穂の義と解して、意亦通ずべきなり。

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2021年01月29日

高千穂ノ峯の傳説地 その18

臼杵郡高千穂説 その2
此の文仙覺の萬葉抄にも引きて、明かに鎌倉時代に存せし風土記の古文なり。
論者或は言はん、風土記録する所の天孫投稻の故事、嘗て記、紀等の言はざる所、蓋し類似の地名に基づき、史實を之に附會せるもにて、信ずるに足らざるべしと。
或は然らん。
其の千穂の語の起源を解する如きは、固より必ずしも信ずべきにあらず。
然れども、天孫降臨の際天地暗く、土蜘蛛の奏に基づき稻千穂を散じ給ひし故事が、史實として信じ難しとするも、少くも此の記事ある風土記の編纂奏上せられし時代に於ては、日向の民衆が古傳説上の天孫降臨の故地を以て、此の臼杵郡なる智鋪クなりとなすの説を有せしものにして、國郡の當局者が之を採用せし事實、亦最も明白なりと謂はざるべからず。
叉平安朝に於て、霧島~と高千穂~と別個に存在して、位階を授けられ、更に鎌倉時代に於て、日本紀天孫降臨の條を説明すべく、釋日本紀及び萬葉抄の著者が、風土記の此の文を引用せしことなどを合せ考ふれば、少くも當時京師の當局者、又は學者間に於て、臼杵高千穂説が認められたりしことは疑を容れざるなり。
之を智鋪といふは、高千穂を略せるなり。
和同の制、國郡ク里の名必ず漢字二字たるべしと定めらる。
ここに於て近淡海(ちかつあふみ)國を縮めて近江國とし、都ク(とのがう)を延ばして都於ク(とおのがう)となす。
高千穂の智舗と成る亦此の例なり。
さればク名には之を智保と稱するも、其の他の場合には依然として「高」字を添ふるを例とせり。
前記高智保皇~の如きは更なり、中世に此の地方一の莊園となり、なほ高智尾の號を稱せしこと、鎌倉時代以後の記録、文書に往々散見して、周ねく世の知る所なり。
高智尾莊は西臼杵郡高千穂の地方より、廣く肥後、豊後の境上に及ぶ。
石清水社所藏寶龜四年豊前國司文書に、八幡大~の託宣を記したる中にも、
豊後、日向、肥後三箇國乃中、廣太野在リ。
其野ヲ~吾レ點定云云。
件地等、號野ク、北野、高千穂。
の語あり。
此の書固より寶龜の公文書として疑問なきにあらねど、亦以て古く此等の地方に、高千穂の稱ありしことを知るに足るべし。


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2021年01月28日

高千穂ノ峯の傳説地 その17

臼杵郡高千穂説 その1
然らば高千穂ノ峯を以て、臼杵郡に在りと爲す説の由來は如何。
釋日本紀引日向風土記逸文に曰く、
臼杵郡内知舗ク。
天津彦火瓊瓊杵尊、天の磐座離(いはくらはな)ち、天の八重雲を排(おしわ)けて、稜威(いづ)の道別(ちわ)きに道別(ちわ)きて、日向の高千穂の二上峰に天降りましき。
時に天暗冥にして、晝夜を別たず。
人物道を失ひ、物色別ち難し。
ここに土蜘蛛あり、名を大鉗、小鉗を曰ふ。
二人皇孫尊に奏して言はく、尊の御手を以て稻千穂を抜き、籾となして四方に投げ散らし給はば、必ず開晴を得んと。
時に大鉗等が奏する所の如く、千穂の稻を搓みて、籾となして投げ散らし給ひしかば、卽ち天開け晴れ、日月照り光(かがや)きき。
因りて高千穂の二上峯と曰ふ。
後人改めて智舗と號ふ。
と。
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2021年01月27日

高千穂ノ峯の傳説地 その16

霧島~と高千穂~
霧島山を以て高千穂峯なりとするの説は既に明かに鎌倉時代に存す。
然れども平安朝にありては、むしろ兩者を別視せしものに似たり。
延喜式内日向國諸縣郡霧島~社一座あり。
承和四年官社に列さられ、天安二年從四位下を授けらる。
而して此の~とは別に高智保皇~あり。
承和十年從五位下を授けられ、次で天安二年には、霧島~が從四位下を授けらるると同時に、從四位上を授けられたり。
勿論是によりて、霧島山が所謂高千穂峯にあらじとの反證となすには足らざらんも、此の山のみを以て直ちに天孫降臨の古傳説地なりとなさんは、更に攻究の餘地ありと謂はざるべからず。
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2021年01月26日

高千穂ノ峯の傳説地 その15

所謂天逆矛の説 その3
斯く親房此の矛に就きて種々の俗説を掲げ、之が批評を下したれども、一言霧島山上の物に及ぶことなし。
其のこれを逆矛といふは、鋒先を下にして滄溟を探り給ひしが爲の名なるべければ、もとより霧島山頂現存の矛の如く、鋒を上にして立てたるものについて稱したるにあらざるべし。
天之逆鉾の名亦釋日本紀引播磨風土記の逸文にもあり。
而も是れ木製の鉾にして、もとより右に比すべきものにはあらず。
蓋し後人此の山に日本最初の峰の説あるより、正統記などの所傳によりて唱へ出すに至りたるものならん。
而も逆矛の名が、此の矛の鋒を失ひたる後の誤解より出でたるものならんには、其の説の起れる時代は更に新しかるべきなり。

2021年01月25日

高千穂ノ峯の傳説地 その14

所謂天逆矛の説 その2
天逆矛の名~皇正統記にあり。
諾冉二尊が天浮橋に立ちて、滄溟を探り給ひしといふ天瓊矛(あめのぬぼこ)に注して、「此の矛又は天の逆矛とも、天魔返矛とも、とも云へり」と見ゆ。
されば南北朝時代には、すでにかかる名稱も傳へられたりしなり。
されどこはもとより霧島山なるそれを言ふにあらず。
同書に曰く、
此の矛は傳へて、天孫從へて天降り給へりとも云ふ。
又垂仁天皇の御字に、大倭姫の皇女、天照大~の御教のままに伊勢國に宮所を求め給ひし時、大田命と云ふ~參り合ひて、五十鈴の河上に實物をまぼりける處を示し申ししに、彼の天の逆矛、五十の金鈴、天宮の圖形ありき。
大倭姫命喜びて、其所を定めて~宮を建てらる。
實物は五十鈴の宮の酒殿に納められきとも云ふ。
又瀧祭りの~と申すは龍~なり。
其の~預りて地中に藏めたりとも云ふ。
一には大倭の龍田姫は、此の瀧祭りと同體にます。
此の~の預り給へるなり。
よりて天柱、國柱とも云ふ御名ありとも云ふ。
むかし磤馭廬島(おのころじま)に持ち降り給ひしことは明かなり。
世に傳ふと云ふことは覺束なし。
天孫の從へ給ふならば、~代より三種の~器の如く傳へ給ふべし。
さし離れて五十鈴の河上にありけんも覺束なし。
但天孫も玉、矛みづから從へ給ふといふことも見えたり。
されど矛も、大汝(おほなむち)の~の奉らるる國を平げし矛もあれば、孰れと云ふ事を知り難し。
寶山に止まりて不動のしるしとなりけん事や正説なるべからん。
龍田も寶山近き所なれば、龍~を天ツ柱、國ツ柱と云へるも、深秘の心あるべきにや。
と。

2021年01月24日

高千穂ノ峯の傳説地 その13

所謂天逆矛の説 その1
而して是等行者の中に銅製の三叉矛を携へて之を山頂に樹てしもの、亦これありしならんか。
今存する逆矛と稱するものは、實に其の三叉の鋒刄を缺き、ただ銅製の柄をのみ存するものなり。
後人之を解せず、其の鋒なきを見て逆に之を山頂に突き樹てしものなりと誤信し、爲に天逆矛の名を命ぜしものか。
從來之を記するもの、或は長さ數丈と云ひ、或は八丈許などと云ふ。
今存するもの長さ四尺二寸、周八寸に過ぎず。
上端に近く鼻の高き人面二個、相背きて鑄出されたり。
其の三叉の鋒は、もと鐔の如き臺より分れ出でたりしもののして、中央に大なるもの一個、左右に小なるもの各一個ありしものなるも、今は皆之を缺く。
去る大正三年、狂人あり之を携へて山を降り、暫時霧島東神社の社殿に安置しありて、幸に熟覧調査するの機を得たり。
其の柄の石突に當る部分は、片そぎとなりて地中に挿入するに便にし、固より逆に樹つべきものにあらず。
其の鋒の失はれたる痕は甚明なり。
而して其の鉾先は、文政十一年記述「天逆鉾由來」と題する書に、都城安永村明觀寺荒嶽權現御~體圖として、之が冩生圖を掲げ、「霧島絶頂鉾折先」と記し、附するに其の折れ目の拓影を以てす。
而して曰く、「此の折目、絶頂の鉾の折目に相違す。此間今一折可✓有✓之歟」と。
鹿兒藩名勝考亦記して曰く、
其鐔は昔時山頂炎(もえ)たりし時移したりとて、今三里許の山麓に安置し奉りて、荒嶽權現と稱す。
鋒の長さ一尺五六寸、鐔の如き所に雲氣の狀を鑄付ぢて見えたり。
或は云、靈矛は純金なりと。
金鉾幹ともに親鑒熟視するに、其の質材何金たることを知り難し。
山頂にあるものは其色縹緑なり。
其の鉾は黝黒色なり。
蓋し露處と密藏との異なるべし。
と。
されば古人も既に所謂逆鉾なるものが、鉾先を失ひたる鉾の柄なることを了解せしものなりと見ゆ。

タグ:霧島山

2021年01月23日

高千穂ノ峯の傳説地 その12

霧島火山の崇拝
霧島火山の崇拝せらるる其の由來を詳にせねど、恐らくは奈良朝以來の、役行者一派の山嶽佛教の所爲に起因するものならん。
傳ふる所によれば、此の山欣明天皇の朝に、僧慶胤なるもの始めて之を開けりとあり。
是れ固より徴證すべきなく、信ずべき限りにあらず。
延暦七年三月此の山爆破す。
續日本紀に曰く、
七月巳酉大宰府言す。
去る三月四日戌時、大隅國囎唹郡會之峯に當りて火炎大に熾にして、響雷の如く動(どよ)む。
亥時に及びて、火光稍止み、ただ黒烟を見る。
後砂を峰下五六里に雨らす。
砂石委積すること二尺ばかり、其色黒し。
と。
かくの如き異變ありてより、一層崇敬の度を深めしものあらん。
後年僧性空あり。
廬を此の山に結び苦行する事四年、元亨釋書に曰く、
性空は平安城の人、云云。
年三十六にして主家し、人跡至らず、鳥音聞えざるの深山を尋ねて、乃ち日州霧島に往き、廬を結びて居る。
或は數日を隔てて食し、或は食せずして旬を磿たり。
或は夢中に美膳を得、覚めて後肚裏能く飽く。
餘味口にあり。
或は經巻の中より、忽にして精白の糠迸散し、或は煖餅出づ。
其の味常の比にあらず。
或は夢に人あり餐を送り、覚むれば必ず餽あり。
是を以て苦行絶食すと雖、身體肥え滑にして、光彩人に過ぐ。
或は寒夜弊衣、皮膚氷の如し。
寒を忍びて經を誦すれば、忽ち庵上より綿を垂れて身を覆ふ。
居る事四歳、移りて筑前州背振山に住す。
と。
此の事亦花山法皇御撰書寫山上人傳に見ゆ。
性空年八十、寛弘四年に寂す。
然らば其の三十六歳は、村上天皇應和三年なり。
釋書謂ふ所の奇蹟は、固より必ずしも信ずべきにあらざらんも、此の頃既に此の靈山が、佛徒信仰の標的たりしは之を認むべし。
斯くて登山の行者漸く多く、遂には日本最初の峰と云ひ、神武天皇帝釋宮より此の峰に還幸し給ひきとの説も出で、はては天孫降臨の傳説も、唱え出さるるに至りしにあらざるか。
タグ:性空
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2021年01月22日

高千穂ノ峯の傳説地 その11

槵觸の解
論者或はクシフルを奇火(くしび)と解して、火山なるべしといひ、天ノ逆矛なるものを以て、~代の遺物となし、是によりて天孫降臨の地の證とせんとす。
共に一往の理なきにあらず。
火山活動の現象は、直ちに古代人士をして其の山を崇敬するの念を起さしむ。
然れどもクシフルの名實は未だ其の義を明かにかせず。
或は日向の別名なる豊久士比泥別に縁あるにあらざるかとのことは、さきに既に之を言へり。
タグ:クシフル
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