2021年01月24日
高千穂ノ峯の傳説地 その13
所謂天逆矛の説 その1
而して是等行者の中に銅製の三叉矛を携へて之を山頂に樹てしもの、亦これありしならんか。
今存する逆矛と稱するものは、實に其の三叉の鋒刄を缺き、ただ銅製の柄をのみ存するものなり。
後人之を解せず、其の鋒なきを見て逆に之を山頂に突き樹てしものなりと誤信し、爲に天逆矛の名を命ぜしものか。
從來之を記するもの、或は長さ數丈と云ひ、或は八丈許などと云ふ。
今存するもの長さ四尺二寸、周八寸に過ぎず。
上端に近く鼻の高き人面二個、相背きて鑄出されたり。
其の三叉の鋒は、もと鐔の如き臺より分れ出でたりしもののして、中央に大なるもの一個、左右に小なるもの各一個ありしものなるも、今は皆之を缺く。
去る大正三年、狂人あり之を携へて山を降り、暫時霧島東神社の社殿に安置しありて、幸に熟覧調査するの機を得たり。
其の柄の石突に當る部分は、片そぎとなりて地中に挿入するに便にし、固より逆に樹つべきものにあらず。
其の鋒の失はれたる痕は甚明なり。
而して其の鉾先は、文政十一年記述「天逆鉾由來」と題する書に、都城安永村明觀寺荒嶽權現御~體圖として、之が冩生圖を掲げ、「霧島絶頂鉾折先」と記し、附するに其の折れ目の拓影を以てす。
而して曰く、「此の折目、絶頂の鉾の折目に相違す。此間今一折可✓有✓之歟」と。
鹿兒藩名勝考亦記して曰く、
されば古人も既に所謂逆鉾なるものが、鉾先を失ひたる鉾の柄なることを了解せしものなりと見ゆ。
而して是等行者の中に銅製の三叉矛を携へて之を山頂に樹てしもの、亦これありしならんか。
今存する逆矛と稱するものは、實に其の三叉の鋒刄を缺き、ただ銅製の柄をのみ存するものなり。
後人之を解せず、其の鋒なきを見て逆に之を山頂に突き樹てしものなりと誤信し、爲に天逆矛の名を命ぜしものか。
從來之を記するもの、或は長さ數丈と云ひ、或は八丈許などと云ふ。
今存するもの長さ四尺二寸、周八寸に過ぎず。
上端に近く鼻の高き人面二個、相背きて鑄出されたり。
其の三叉の鋒は、もと鐔の如き臺より分れ出でたりしもののして、中央に大なるもの一個、左右に小なるもの各一個ありしものなるも、今は皆之を缺く。
去る大正三年、狂人あり之を携へて山を降り、暫時霧島東神社の社殿に安置しありて、幸に熟覧調査するの機を得たり。
其の柄の石突に當る部分は、片そぎとなりて地中に挿入するに便にし、固より逆に樹つべきものにあらず。
其の鋒の失はれたる痕は甚明なり。
而して其の鉾先は、文政十一年記述「天逆鉾由來」と題する書に、都城安永村明觀寺荒嶽權現御~體圖として、之が冩生圖を掲げ、「霧島絶頂鉾折先」と記し、附するに其の折れ目の拓影を以てす。
而して曰く、「此の折目、絶頂の鉾の折目に相違す。此間今一折可✓有✓之歟」と。
鹿兒藩名勝考亦記して曰く、
其鐔は昔時山頂炎(もえ)たりし時移したりとて、今三里許の山麓に安置し奉りて、荒嶽權現と稱す。と。
鋒の長さ一尺五六寸、鐔の如き所に雲氣の狀を鑄付ぢて見えたり。
或は云、靈矛は純金なりと。
金鉾幹ともに親鑒熟視するに、其の質材何金たることを知り難し。
山頂にあるものは其色縹緑なり。
其の鉾は黝黒色なり。
蓋し露處と密藏との異なるべし。
されば古人も既に所謂逆鉾なるものが、鉾先を失ひたる鉾の柄なることを了解せしものなりと見ゆ。
タグ:霧島山
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/10490901
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック