2021年01月25日
高千穂ノ峯の傳説地 その14
所謂天逆矛の説 その2
天逆矛の名~皇正統記にあり。
諾冉二尊が天浮橋に立ちて、滄溟を探り給ひしといふ天瓊矛(あめのぬぼこ)に注して、「此の矛又は天の逆矛とも、天魔返矛とも、とも云へり」と見ゆ。
されば南北朝時代には、すでにかかる名稱も傳へられたりしなり。
されどこはもとより霧島山なるそれを言ふにあらず。
同書に曰く、
天逆矛の名~皇正統記にあり。
諾冉二尊が天浮橋に立ちて、滄溟を探り給ひしといふ天瓊矛(あめのぬぼこ)に注して、「此の矛又は天の逆矛とも、天魔返矛とも、とも云へり」と見ゆ。
されば南北朝時代には、すでにかかる名稱も傳へられたりしなり。
されどこはもとより霧島山なるそれを言ふにあらず。
同書に曰く、
此の矛は傳へて、天孫從へて天降り給へりとも云ふ。と。
又垂仁天皇の御字に、大倭姫の皇女、天照大~の御教のままに伊勢國に宮所を求め給ひし時、大田命と云ふ~參り合ひて、五十鈴の河上に實物をまぼりける處を示し申ししに、彼の天の逆矛、五十の金鈴、天宮の圖形ありき。
大倭姫命喜びて、其所を定めて~宮を建てらる。
實物は五十鈴の宮の酒殿に納められきとも云ふ。
又瀧祭りの~と申すは龍~なり。
其の~預りて地中に藏めたりとも云ふ。
一には大倭の龍田姫は、此の瀧祭りと同體にます。
此の~の預り給へるなり。
よりて天柱、國柱とも云ふ御名ありとも云ふ。
むかし磤馭廬島(おのころじま)に持ち降り給ひしことは明かなり。
世に傳ふと云ふことは覺束なし。
天孫の從へ給ふならば、~代より三種の~器の如く傳へ給ふべし。
さし離れて五十鈴の河上にありけんも覺束なし。
但天孫も玉、矛みづから從へ給ふといふことも見えたり。
されど矛も、大汝(おほなむち)の~の奉らるる國を平げし矛もあれば、孰れと云ふ事を知り難し。
寶山に止まりて不動のしるしとなりけん事や正説なるべからん。
龍田も寶山近き所なれば、龍~を天ツ柱、國ツ柱と云へるも、深秘の心あるべきにや。
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