2021年01月28日
高千穂ノ峯の傳説地 その17
臼杵郡高千穂説 その1
然らば高千穂ノ峯を以て、臼杵郡に在りと爲す説の由來は如何。
釋日本紀引日向風土記逸文に曰く、
然らば高千穂ノ峯を以て、臼杵郡に在りと爲す説の由來は如何。
釋日本紀引日向風土記逸文に曰く、
臼杵郡内知舗ク。と。
天津彦火瓊瓊杵尊、天の磐座離(いはくらはな)ち、天の八重雲を排(おしわ)けて、稜威(いづ)の道別(ちわ)きに道別(ちわ)きて、日向の高千穂の二上峰に天降りましき。
時に天暗冥にして、晝夜を別たず。
人物道を失ひ、物色別ち難し。
ここに土蜘蛛あり、名を大鉗、小鉗を曰ふ。
二人皇孫尊に奏して言はく、尊の御手を以て稻千穂を抜き、籾となして四方に投げ散らし給はば、必ず開晴を得んと。
時に大鉗等が奏する所の如く、千穂の稻を搓みて、籾となして投げ散らし給ひしかば、卽ち天開け晴れ、日月照り光(かがや)きき。
因りて高千穂の二上峯と曰ふ。
後人改めて智舗と號ふ。
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