2017年02月11日
古本はどこから流れてどこへ流れて行くのか。妄想が膨らむ話。
物は大事に扱う。
家族も大事にする。
20年愛用しているパタゴニアがそれを物語っているはず。
20年来の親友の話
私は自分が欲しくて手に入れたモノは余程の事が無い限り手放す事はない人間。
モノを捨てられない人間ではない。
愛着が沸きすぎるだけ。
本も同様。
自分が共感を受けたり面白いと思って買った本は手放さない。
手放さないから保管場所に困ってくる。
処分しようかな?とも思うけど愛着の具合が酷い。
だってまた読むと違った目線で見れるから一冊で何度も美味しい。
自分磨きを40手前から始めた私は今まで鼻で笑っていたビジネス書や所謂、自己啓発本なんかを今になって読み漁っている。
何かの役にたったか?と聞かれれば「分からん。」が今の答え。
将来役にたつか?の答えも「分からん。」
時間の無駄じゃ?「分からん。」
それでも何かした気になりたいから本を買う。
新刊でも買うけど古本でも買う。
古本屋に行き古本を手に取り思いを馳せる。
自己啓発本なんか特にそうだ。
何故この本を売ったのか?
もうこの考えを全て習得したからか?
考えそのものが合わなかったから?
保管場所が無くなったから?
お金に困ったから?
前の持ち主はどんな人だったんだろう?
もしかして金髪で私に英語を優しく教えてくれる美女だったりするのだろうか?
最後のページに「英語優しく教えます。」と連絡先が添えてないだろうか?
そう思って最後の方のページを見ると黄色いラインマーカーで線があったりする。
まさか!?
と思いながら目を凝らすとそこには自己啓発本にありがちな「考える前に動こう。」みたいな締めの一文に。
我ながらくだらない妄想。
金髪の美女をリアルに妄想してしまった。
こんな一文にラインマーカーしてまで読んでるのに売っちゃってる。
きっと金髪美女では無いだろうなぁ。
多分おっさん。
おっさんが読んで売った本をおっさんが買って読む。
そしておっさんの家に大事に保管される。
それがその古本の運命。
今後、何年間かで一回は開いて読まれる運命。
それで本が喜ぶかどうかは分からないけど「ようこそ我が家へ。」
家族も大事にする。
20年愛用しているパタゴニアがそれを物語っているはず。
20年来の親友の話
私は自分が欲しくて手に入れたモノは余程の事が無い限り手放す事はない人間。
モノを捨てられない人間ではない。
愛着が沸きすぎるだけ。
本も同様。
自分が共感を受けたり面白いと思って買った本は手放さない。
手放さないから保管場所に困ってくる。
処分しようかな?とも思うけど愛着の具合が酷い。
だってまた読むと違った目線で見れるから一冊で何度も美味しい。
自分磨きを40手前から始めた私は今まで鼻で笑っていたビジネス書や所謂、自己啓発本なんかを今になって読み漁っている。
何かの役にたったか?と聞かれれば「分からん。」が今の答え。
将来役にたつか?の答えも「分からん。」
時間の無駄じゃ?「分からん。」
それでも何かした気になりたいから本を買う。
新刊でも買うけど古本でも買う。
古本屋に行き古本を手に取り思いを馳せる。
自己啓発本なんか特にそうだ。
何故この本を売ったのか?
もうこの考えを全て習得したからか?
考えそのものが合わなかったから?
保管場所が無くなったから?
お金に困ったから?
前の持ち主はどんな人だったんだろう?
もしかして金髪で私に英語を優しく教えてくれる美女だったりするのだろうか?
最後のページに「英語優しく教えます。」と連絡先が添えてないだろうか?
そう思って最後の方のページを見ると黄色いラインマーカーで線があったりする。
まさか!?
と思いながら目を凝らすとそこには自己啓発本にありがちな「考える前に動こう。」みたいな締めの一文に。
我ながらくだらない妄想。
金髪の美女をリアルに妄想してしまった。
こんな一文にラインマーカーしてまで読んでるのに売っちゃってる。
きっと金髪美女では無いだろうなぁ。
多分おっさん。
おっさんが読んで売った本をおっさんが買って読む。
そしておっさんの家に大事に保管される。
それがその古本の運命。
今後、何年間かで一回は開いて読まれる運命。
それで本が喜ぶかどうかは分からないけど「ようこそ我が家へ。」
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/5930314
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック