やっぱり、このAS400自体がとっても息が長い製品のため、このようなお付き合いが生まれるんですね。
息が長い製品というのは、やっぱり愛されているということでしょうか。
私も、私の人生がこのAS400によってもたらされてきたので、もはや感謝すべき製品とまで言えますね。
私が入社した時、ホストシステムのハードディスクは70MB(メガバイト)でした。
70GB(ギガバイト)じゃないですよ。 70MBです(笑)
今から考えると笑っちゃいます。パソコンでさえ、TB(テラバイト)=10,000MBは普通に積んでいますからね。
そのホストシステムは三菱電機のMELCOM 70/40という機械で、MELCOMという名前から察する通りMedical Computerの略(だと思います(笑))ですね。
しかしながら、週に一回はヒューズが飛んでシステムダウン。 再起動に15分から20分ぐらいかかったと思います。
今の数万円のパソコンでもこれほどひどくはないですよね。
まぁ、35年前の話ですから、三菱電機を非難していることなんかまったくありませんので念のため。
その時の営業部長が、何故かIBMが好きで、当社のホストシステムとしてIBM社のSystem/38(AS400の前身)を導入すると決定していました。
そして、私が入社した時、私の上司・先輩が、MELCOMで稼働していた臨床検査システムをMigration(移行)をしている最中でした。
その時、移行の技術的指導役としてIBM SEの岡田さんという女性がいたことを覚えています。
上司・先輩から、その前の機械のプログラミングではフラグをBit単位で制御していたので、System/38上のプログラミングでも同じようにBitでフラグを使用してのプログラミングをしようとすると岡田さんから『そんなみみっちいプログラミングをしなくてもディスク容量は十分にありますから』・・・って怒られた(じゃなくて、指導された)ってことを聞かされたことも覚えていますね。
確かに、70MBで大量のデータを保持しようとすると、けちけちプログラミングをしなければならなかったのでしょうが、System/38では、確か2.8GBのディスクを装備していたました。2800MBですよね。一気に40倍です。
その時は、現在のような大規模な臨床検査システムではなく、本当に必要最低限(今から思えば)の機能しかなかったように思えます。
それでもMigrationには1年以上かけたんですが、リリース直後致命的な不具合が発生し、システムを元に戻し、その間は従業員を全員帰らせ、旧システムに復帰予定の夕方以降に再度出勤してもらい、明け方まで業務をしてもらっていました。
二度目のリリースで、何とかだましだまし一日の業務が完了し、やれやれと行きつく暇もないまま、問題点の解決に休日返上で対応していました。
(ちなみに、このリリース時には私はペーペーで、傍観者としか存在していませんでした。)
おぉっと、35年前の思い出話でこんなに長文に・・・
私もジジイになったようで
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
私が良く聞いた名前では、FACOM, TOSBAC, HITAC ・・・の順だったと思います。
残念ながら、RICOM, HAYACは知りませんでした(T_T)
コンピュータ(COM)の造語だと思いますよ。
コンピュータの部分は、 COM 、AC、が多かったですね。
当時は、オフコン百花繚乱で
富士通のコンピュータが FACOM リコーのが RICOM
NECがNEAC 東芝がTOSBAC 日立がHITAC (ハイタック)
シャープに至っては、HAYAC (早川電機)ハヤックなんてしゃれた名前でしょう?