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2019年08月14日

「戦争の死者」とは誰か? 今日本人が考えるべき重要な問題




  【終戦日記念特集3】



 「戦争の死者」とは誰か? 今日本人が考えるべき重要な問題


 



       
          〜現代ビジネス 8/14(水) 10:00配信〜




 「死者」を思う季節

 日本人は夏に為ると「死者」に付いて思わざるを得無く為る。何故ならそれは「お盆」と「終戦」と云うレベルが異なる二つの〈行事〉が真夏に行われるからだ。しかし、現在の私達は、異常気象による灼熱の下で、十分に死者に思いを巡らせる事が出来て居るだろうか。

 古来日本では、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)から派生した祖霊供養である「お盆」が、新暦の7月に、或は旧暦に8月に行われて来た。今では「盆踊り」も本来は、死者の霊を慰める為、共同体毎に行われるものだった。家々では、迎え火を焚いて先祖の魂を迎え、送り火と共に祖霊を送る。又麻幹(おがら)にキュウリやナスビを刺した「精霊馬(しょうりょうま)」が、お盆にあの世とこの世を行き来する祖霊の乗り物として供えられた。
 現在公開中の映画『天気の子』にも、迎え火と精霊馬が印象的に映し出される。『天気の子』は間違い無く、夏のお盆を扱った映画なのである。

 1945年の8月、6日に広島、9日に長崎に原爆が投下された。そして15日には玉音放送が流れ、日本人は「敗戦」を実感した。アレから74年が経ち、時代は昭和から平成、令和へと移った。そして今、8月の6日と9日と15日は、記念日や祈念日として思い起されるものの、歳時記の一項目に過ぎ無く為ったかの様でもある。

 加藤典洋『敗戦後論』の問題提起

 今アノ戦争以来、隣国との関係が厳しい状態にある。にも関わらず、或は逆にその為なのか、戦争の死者に付いて正面から向き合う事を、日本人は避けて居る様に感じられる。
 令和元年の現在「太平洋戦争の日本の死者」とは、どの様な死者を指し示すと人々は考えて居るのだろう。そこで問い掛けてみたいのは、昭和の戦争に於ける「日本の戦死者」とは、どの範囲迄を指し示すのか、と云う事だ。

 太平洋戦争に於ける死者の問題に付いては、今から20年程前「日本の三百万の死者を悼む事を先に置いて、その哀悼を通じてアジアの二千万の死者の哀悼、死者への贖罪に至る道は可能か」と問い掛けて物議を醸し、論争を巻き起こした人物が居る。文芸評論家の加藤典洋である。

 「悪い戦争に駆り出されて死んだ死者を、無意味のママ深く哀悼するとはどう云う事か。そしてその自国の死者への深い哀悼が、例えば私達を二千万のアジアの死者の前に立たせる」(『敗戦後論』講談社・1997年/ちくま学芸文庫・2015年)


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                靖国神社


 『敗戦後論』はその後、所謂「歴史主体論争」を巻き起こした。加藤の問題提起に対して〈左派〉の学者・研究者から、何故「アジアの死者」より「日本の死者」を先んじて考慮に容れ無ければ為ら無いのかと、云う批判が噴出したのである。
 加藤は、憲法9条の「戦争放棄」条項や靖国神社に於けるA級戦犯合祀を巡り、日本の国内で解(ほど)くに解け無い「ねじれ」が起こるのは、300万の日本の死者に向き合って来無かったからではないかと問い掛けたのである。しかし、こうした論法は、ナショナリズムの創出に過ぎ無い、と非難を浴びる事に為ったのだ。

 尚当時、編集者だった私は、この論議を受けて、加藤に『日本の無思想』(平凡社新書・1999年)を書き下ろして貰った。今年の5月、加藤は71歳で逝去したが、その問題提起は今こそ省みられるべきだろう。


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              千鳥ヶ淵戦没者墓苑


 




 靖国神社と千鳥ヶ淵に祀られる「死者」

 戦争の死者に対しては主に「戦死者」と「戦没者」と云う2つの言い表し方がある。それに呼応する様に、戦争の死者を慰霊・追悼、或は顕彰する為の施設が東京に2つ設けられて居る。云う迄も無く「靖国神社」と「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」だ。

 靖国神社は1869年東京招魂社として創建され、1879年に現在の社号に改称された。戊辰戦争や明治維新に功の有った志士に始まり、日清戦争・日露戦争・第1次世界大戦・第2次世界大戦等戦死者を「英霊」として祀って居る。1939年からは府県毎に護国神社、市町村毎に忠魂碑が設立され、靖国神社を頂点とする英霊奉賛のシステムが整えられて行った。

 靖国神社は1978年に、刑死・獄死したA級戦犯14人を合祀。中曾根康弘首相が1985年に戦後初めて首相として公式参拝し、韓国・中国等の反発を招く事と為った。これ以後、首相の公式参拝は中止されたが、2001年8月に小泉純一郎首相が参拝し、近隣諸国から再び抗議を受けた。近年では、2013年末に安倍晋三首相が参拝し、韓国・中国から強く抗議されて居る。

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、1959年に創建された。この墓苑には、日中戦争・太平洋戦争に於いて、海外で戦死した日本の軍人・軍属・民間人の遺骨の内、身元不明や引き取り手が無い等の理由で、遺族に引き渡す事が出来無かった遺骨が納められて居る。(今年5月現在37万69柱を安置)
 又、苑内の六角堂には、昭和天皇から下賜された骨壺に各地の遺骨を少しずつ納め、それを、全戦没者の象徴として安置して居る。千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、政教分離の原則により、特定の宗教宗派に属さ無い施設とされ、毎年5月に厚生労働省主催の慰霊行事として拝礼式が行われる他、8月15日には内閣総理大臣が参列するのが恒例と為って居る。

「民主主義」は戦争の死者を区別するべきでは無い

 加藤典洋は、日本の戦争の死者を「300万人」と数えて「2000万人」のアジアの死者に対置した。しかし今、日中戦争・太平洋戦争の「戦死者」と云う時には、約250万人の軍人・軍属の死者を指す事が多い。それ以外の民間人、空襲や原爆、植民地等で亡く為った約50万人もの死者は「戦災死者」や「一般戦災死没者」等と呼ばれ戦死者と区別される。

 加藤の『敗戦後論』では、アジアの死者やA級戦犯と対比する為「戦死者」と「戦災死者」を分けては居ない。この点に付いては、その後の論争でも批判された。「戦争の死者」に付いて考え様とする時、又靖国神社の祭神を問題にする時、戦災死者の事を避けては通れ無いだろう。
 靖国神社は、日本の軍人・軍属以外の死者も祭神に祀って居る。同神社のホームページには、その様な祭神について、以下の様に記されて居る。

 「軍人ばかりで無く、戦場で救護の為に活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工場で亡く為られた学徒等、軍属・文官・民間の方々も数多く含まれて居り、その当時、日本人として戦い亡く為った台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時に所謂戦争犯罪人として処刑された方々等も同様に祀られて居ます」

 この説明を読んでも、私が靖国神社の祭神に違和感を覚えるのは、普通の民間人が祭神に含まれて居ない事だ。日中戦争・太平洋戦争では「国民総動員法」(1938年)が制定され「一億玉砕」のスローガンの下に、民間人も戦争を戦った筈である。従軍看護婦や軍需工場で働いて居た学徒の他に、婦人も少国民も〈従軍〉を余儀無くされ、数多くの戦死者が出たのである。

 日本人の宗教観念の中に本来、軍人と民間人の死を分け隔てる様な事は無かった。武運の長久を勇ましい神に願ったり、非業の死を遂げた者の御霊(ごりょう)を鎮めると言った祭祀の有り方は長い歴史を持つ。けれども、戦地に赴いた者、戦争を指示した者と、戦争の一翼を担わされた民間人を分け隔てる宗教裏付けは何処にも無いのだ。
 更に、一宗教法人とは言え、嫌宗教法人だからこそ、靖国神社が戦後民主主義の中で機能しようとするなら、死者を区別し、差別する等持っての他である。

 靖国神社は、戦争の死者の全てを祀るべきだと私は思う。『日本国憲法』を順守するなら、戦中の過誤を神社と云う宗教的主体に基づき、軍人・軍属と民間人の間に横たわる〈死〉の差別を解消すべきだろう。

 私は『死者の民主主義』(トランスビュー)と題した新刊で、柳田国男の民俗学を基に、日本の社会は生者だけで構成されて来たのでは無く、死者や精霊や小さな神々、妖怪等も重要な参加者だったと主張した。私の考えでも、死者を「戦死者」と「戦災死者」に分類すると云う事は有り得ないのである。


 




 戦争の〈当事者〉が祭神に祀られるべきだ

 加藤は『日本国憲法』の成立過程に遡(さかのぼ)り、日本の死者とアジアの死者に対する向き合い方の「ねじれ」を指摘した。今私は『日本国憲法』に基づき、戦死者と戦災死者は「民主主義」の名の基に区別されるべきでは無いと考える。更にその上で、アジアの民家人の死者を祭神に祀るかどうかも、靖国神社は考慮すべきなのではないか。

 一方、極東軍事裁判で裁かれたA級戦犯は「戦争の死者」と云うより「戦後の死者」である。靖国神社が、太平洋戦争に深く関わり、戦後に亡く為った死者を祭神に加えて置きたいと云うのであれば、昭和天皇も祭神に加えるべきではないだろうか。

 私はここで昭和天皇はA級戦犯だと言おうとして居るのでは無い。戦争に〈当事者〉として関わったと云う点では、民間人も軍人・軍属も変わる事が無い。靖国神社は民間人以上に、A級戦犯の戦争への〈当事者性〉を認めて(或は評価して)、祭神に祀り顕彰する事にしたのだろう。もしその通りであるなら、昭和天皇は崩御と共に、祭神に加えるべきだった。

 本稿の様な問題提起は、アイロニーかパラドックスだと見向かれ無いかも知れない。しかし靖国問題の本質は、戦争の死者達が、当事者性を配慮されず引き裂かれて居る事にあると民俗学者である私は思う。令和最初の夏、私達は戦死者とは一体誰の事であるかを、改めて考えるべきだろう。


        畑中 章宏  以上




 

 


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