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2019年08月12日

何故、日本は韓国より「言論の自由度」が低いのか


 

 何故、日本は韓国より「言論の自由度」が低いのか

      
        〜プレジデントオンライン 8/12(月) 9:15配信〜



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           「表現の不自由展・その後」が中止 


 




 「言論と表現の自由」が脅かされて居るのでは無いか

 8月1日から開催された「あいちトリエンナーレ2019」の中の「表現の不自由展・その後」が、言論の自由度が低いこの国に〈ふさわしい〉終わり方をしてしまった。
 2017年にトリエンナーレの芸術監督に起用されたジャーナリストの津田大介が発案し、作家の男女比を同じにしたり、社会問題を扱った作品を多くする等の試みが話題に為って居た。中でも「表現の不自由展・その後」は、次の様な趣旨で展示すると云う事もあり注目されて居た。

 「『表現の不自由展』は、日本における『言論と表現の自由』が脅かされて居るのでは無いかと云う強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、2015年に開催された展覧会。『慰安婦』問題・天皇と戦争・植民地支配・憲法9条・政権批判等、近年公共の文化施設で『タブー』とされ勝ちなテーマの作品が、当時如何にして『排除』されたのか、実際に展示不許可に為った理由と共に展示した。
 今回は『表現の不自由展』で扱った作品の『その後』に加え、2015年以降、新たに公立美術館等で展示不許可に為った作品を、同様に不許可に為った理由と共に展示する」(
公式ウェブサイトより)



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 展示されて居るのは「平和の少女像」と為って居るが、ソウルの日本大使館前にある「慰安婦像」と同じ作家によるもの等である。


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             表現への規制は憲法違反 大村知事


 




 お上からヒモ付きのおカネが出て居る展覧会

 大浦信行の昭和天皇をモチーフにした「遠近を抱えて」作者不詳の「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と云う俳句、横尾忠則のラッピング電車の第五号案「ターザン」等が陳列されて居る。
 私も時間とカネがあったら見てみたいと思って居た。日韓関係が最悪とされるこの時期に、慰安婦像を展示するのは、イササカ覚悟が要った事だろう。津田を初めとする実行委員達の苦労の跡を、この目で確かめたいと思った。ちなみにこのトリエンナーレは愛知県と名古屋市が補助金を出し、文化庁の助成事業である。詰まり、お上からヒモ付きのおカネが出て居ると云う事である。

 開催から僅か3日目に、津田と大村秀章・愛知県知事が会見を行い「表現の不自由展・その後」を中止すると発表したのだ。


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 キチンと作品を見て居ない河村たかし市長が口火

 口火は河村たかし・名古屋市長だった。2日に展示を視察した後、慰安婦像に付いて「どう考えても日本人の、国民の心を踏み躙(にじ)るもの。いかんと思う」として、作品の展示を即刻中止する様大村県知事に求めると言い出したのだ。
 だが『週刊新潮』(8/15・22号)で、美術評論家の藤田一人は、オープニング前日のレセプションで「河村さんは『燃えよドラゴンズ!』の替え歌を気持ち好さそうに歌って居ました。詰まり、プレビューに呼ばれても、キチンと作品を見て居無い。その程度の問題意識だった訳です」と話している。本人は気付かず、誰かに入れ知恵されたのであろう。
 
 菅官房長官も2日の会見で「補助金交付の決定に当たっては、事実関係を確認・精査して適切に対応したい」と口を出した。大村県知事は河村等に「憲法違反の疑いがある」と抗議して居る。


 




 「実行委員会や津田大介芸術監督は未熟過ぎます」

 中止に至った直接的な要因は、県庁に掛かって来た大量の抗議話やFAX、メールで、その中には「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」と云う、京都アニメーション放火事件を想起させる脅迫まであったからだと云う。
 津田は開会前「感情を揺さぶるのが芸術なのに『誰かの感情を害する』という理由で、自由な表現が制限されるケースが増えて居る。政治的な主張をする企画展では無い。実物を見て、夫々が判断する場を提供したい」と語って居たが、判断する場を自ら閉じてしまったのである。

 当然、津田に対する批判はネット上でも燃え上がった。批判の内容は、宮台真司・首都大学教授が朝日新聞(8月10日付)で言って居る、この言葉に集約されると思う。


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             津田大介芸術監督の中止報告


 「今回の中止は、脅迫による混乱が理由で言語道断です。毅然(きぜん)とした態度を貫か無いと、脅した者勝ちに為る。フランスのシャルリー・エブド紙襲撃事件では、マスコミも政治家も識者も『テロに屈するな』と叫んだ筈です。
 警察と連携、別会場でボディーチェック等対処法を編み出すべきなのに、それをせず3日間で中止したトリエンナーレ実行委員会や津田大介芸術監督は未熟過ぎます」



 




 この国の言論・表現の自由は「窒息寸前」

 中止が決まったのを聞いた時、私は、週刊朝日が掲載した佐野眞一の筆による橋下徹・大阪府知事(当時)批判騒動を思い出した。自分の出自迄暴く連載を開始した朝日に対して橋下は激怒し、親会社の朝日新聞に猛抗議した。
 私は一読して、ここ迄書く覚悟があるのだから、週刊朝日は当然、橋下の抗議も想定済みで、第2・第3の矢を繰り出して来るのだろうと思った。だが朝日と佐野は、為す術も無く橋下に謝罪し、朝日新聞出版の社長は辞め編集長も更迭されてしまった。

 私見だが、今のこの国の言論・表現の自由は狭まって居る、不自由と云う段階では無く「窒息寸前」だと思う。そんな事例は枚挙にいとまが無いが、最近ビックリして、椅子から転がり落ちそうに為った報道を一つだけ挙げて置く。

 「長崎県佐世保市で4日に開催された『原爆写真展』の後援依頼を市教育委員会が断って居た事が、関係者への取材で明らかに為った。同時に実施する『ヒバクシャ国際署名』活動が『政治的中立を侵す恐れがある』と判断した。主催団体は『核廃絶の署名活動の何処に政治的中立の問題があるのか』と反発して居る」(毎日新聞8月5日付)

 「報道の自由度ランキング」は日本67位・米国48位・韓国41位

 アメリカは9・11が起きて「愛国者法」を作りメディアを沈黙させたが、この国は、そんな法律を作らずとも、殆どのメディアは権力に逆らわずに沈黙するか、権力側の言い成りに為って恥じる事が無い。国境なき記者団が毎年発表している「報道の自由度ランキング」で、この国は今年67位である。アメリカは48位、韓国は41位だ。

 安倍政権に為ってからズルズルと下がって居るが、私は安倍の強権政治の為だとは思って居ない。我々一人一人に、言論・表現の自由を守ろうと云う強い気持ちが無いからである。これは日本国憲法と同じで、命を懸けて我々が勝ち取ったものでは無いからだ。

 日韓関係が最悪の今、慰安婦像を展示すればどう為るか位は、津田を初めとするこれを手掛けた連中にも判って居た筈だ。それを敢えてヤルからには、それ相応の覚悟があった筈だったと思いたい。無かったらバカの集まりである。

 「表現の自由」の危機を可視化出来る絶好のチャンスだった

 ガソリンを撒いて遣る、と云う脅迫があったから中止したと云う言い分も私には納得出来無い。こうした脅迫・恫喝・権力側の介入を含めて、この国には表現の自由、言論の自由が危険水域に迄達して居る事を〈可視化〉出来る絶好のチャンスだった筈である。

 パフォーマンスと云う言い方は嫌いだが、言論の自由度が韓国より遥かに低いこの国の「現実」を、何も考え無く為って居る日本人に突き着けてヤル画期的なイベントに出来た筈だった。それを、津田の涙で終わらせてしまってはいけ無い。
 そう云うお前に、そんな覚悟があるのか?そう問われれば「無い」と答える。齢70を超えても命は惜しい。そんな私だが、昔、表現の自由を守る為に、少しだけ闘った事があった。胸を張って言える事では無いかも知れ無いが「性表現の自由」を少しだけ前に推し進めたのは私だったと自負して居る。


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             今や一般的に為ったヘアヌード


 1993年に「ヘア・ヌード」と云う言葉が生まれた

 週刊現代編集長時代に「ヘア・ヌード」と云う言葉を創った。今は週刊誌に氾濫して居るヘア・ヌードだが、こう為ったのはそう遠い昔では無い。
 月刊誌『面白半分』の編集長だった作家の野坂昭如が、永井荷風の作とされる『四畳半襖の下張』を同誌1972年7月号に掲載した。これが刑法175条のワイセツ文書販売の罪に当たるとされ、野坂と同誌の社長が起訴され、最高裁で有罪が確定したのが1980年の11月である。それ迄も性表現の自由の扉をコジ開け様と努力し、果たせずに辞めて行った多くの先輩編集者達が居た。

 性表現の自由は遅々として前へ進ま無かった。ヘア・ヌードと云う言葉が生まれたのは1993年である。性表現の自由は急速に広がったが、同時に、朝日新聞を始めとする「良識派」からの攻撃、広告主への圧力、JALを始めとする機内誌からの排除、桜田門(警視庁)からの恫喝、自宅への嫌がらせ電話は激しさを増して来た。
 このママでは折角広がって来た性表現の自由が後戻りしてしまう。そう考えた私は、週刊現代誌上で「ヘア・ヌード断筆宣言」を発表する。以来、編集長を辞すまでこの言葉は使わ無かった。

 詰まら無い事を長々と書いたが、表現の自由の中の「性表現の自由」を多少でも前へ進め様としたバカが居た事を知って頂きたかったからである。


 




 8月9日に長崎市の田上富久市長が訴えたこと

 日本人の多くは、韓国よりこの国の方が言論・表現の自由はあると錯覚して居る。だが、日韓関係が悪化する中で「韓国人の痛みも判って遣れ」「輸入規制はするべきでは無い」と大声で叫べる日本人が何人居るだろうか。
 韓国では、伝えられる処によると、日本製品の不買運動と云った反日を煽る人達が居るのに対して、それに反対する動きも可なりあると云う。そうした中で起きた、今回の不自由展の中止〈事件〉は、権力に負けた、脅しに屈した等と云う低次元の論争で終わらせてはいけ無い。

 8月9日、長崎市の平和公園で平和祈念式典があり、田上富久市長はこう訴えた。


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                 田上富久長崎市長 


 「日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けて居ます。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名・批准して下さい。その為にも朝鮮半島非核化の動きを捉え『核の傘』では無く『非核の傘』と為る北東アジア非核兵器地帯の検討を始めて下さい。
 そして何よりも『戦争をしない』と云う決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮する事を求めます」


 当たり前の事を当たり前に言える国にする。そんな事を言わ無くては行け無い程、この国の言論・表現の自由は傷んで居る。(文中敬称略)




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          元木 昌彦(もとき・まさひこ)氏 ジャーナリスト

 1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学等でマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)などがある。

   文 ジャーナリスト 元木 昌彦    以上



 【関連報道】


 少女像の韓国人作者が反論「日本の報道では正しい意図が伝わら無い」 

 表現の不自由展で物議・・・街の声は?



          AbemaTIMES 8/12(月) 10:31配信


 「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の中止から1週間が経過したが、未だに波紋が広がって居る。
 今回批判と抗議が殺到した展示の一つに、慰安婦をイメージして2011年に制作された「平和の少女像」がある。11日にAbemaTVで放送された『Abema的ニュースショー』では、その少女像の作者の一人であるキム・ソギョンさんに取材を申し入れたが「日本の報道では私達の正しい意図が伝わって居ない」等と取材に応じられ無い旨、そして、取材を受け無い事を詫びる気持ちが書かれた手紙が送られて来た。

 ソギョンさんが心境を綴った手紙 

 更にソギョンさんは「少女像は反日の象徴では無く、平和の象徴である事を知らせる為に展示会への参加を決意した。しかし、日本の報道では(少女像は)反日の象徴として映って居た。不快に思うと云う人が居るのも事実。しかしその不快さは、河村市長の言う〈国民全体の総意〉なのかは疑問です」と複雑な心境を明かし、今回の中止の決断に対して反論した。

 この件に付いて「少女像はアートなのか?」と街の人々に問い掛けると「アートでは無い。そのママそっとして置けば好いのでは」と云う声が上がったのに対して「アートだと思う。自由ですよね?アートの表現の仕方は」と云う声も。
 更に「皆が幸せに暮らせる事が前提だと思うので、そこを崩してしまったら何でもありに為ってしまう」「年々表現の自由が失われて行く中で、上の人達が気にして居たら結局、問題は変わら無いのでは?」と言った意見も聞かれた。
 
 表現の自由に付いて熱弁した井筒監督

 一連の問題に付いて意見を求められた映画監督の井筒和幸氏は

 「(自身が携わる)映画と云うのは表現の自由の最たるもの。憲法には公共の福祉と云う好く判ら無い文言がある。でも、憲法21条にある表現の自由と云うのは絶対の自由。人が見て目の前に晒されて、気持ちが悪い不快に思うと云う事も認めましょう。作ったものに尊厳を持たせましょうと云う事だ」 
 と持論を述べると「表現の自由は僕等が守るのでは無く、公権力が守るもの。公権力を縛って居るのは憲法だから、基本的には認めて挙げ無ければ為ら無い。名古屋市の河村市長は『日本人の心を踏みにじって居る』と言っていたが、日本人の心はバラバラ。日本人の心は必ずしも一つでは無い」 と熱弁。最後には脅迫があった事による「警備の問題」にも理解を示しつつ「晒すのが芸術だ」と表現者の立場から締め括って居た。





 【管理人のひとこと】


 報道や表現の自由とは・・・我が国では好きなことを好きなだけ言って居る様に錯覚するが、それは、独り言の部類のみだ。この様に自分達の意見を広く大衆に知らしめようとする企図に置いては、場所や時期やモロモロな制約が課せられるのが世の常である。
 今回の様に日韓関係が微妙な時期に、韓国の日本への批判の肩を持つ様なものは、公の援助で行われる催し物には不適だったと解釈された訳だ。大村知事の「公共機関がそれ(表現の自由)を守らずしてどうするのか・・・」との指摘はご立派である。が、危険だからと中止に合意したのは多くの人には納得され無いだろう。
 その信念を貫きたかったら、安全に管理する方法は幾らでも在った筈であり、混乱を回避して中止するのは、妨害する方達の思う壺であり、今後この様な妨害工作を続ける意思をそのまま認めた結果と為ろう。

 そして、この様な事が続き、次々と或る意図する人達の言論や表現に対する干渉が強く為り、それが日常に為る・・・まるで戦中の日本の様な、国家権力が個々人の精神活動まで規制し指導する「全体主義的国家」へと染まってしまう訳だ。
 一体その意図する人達とは誰なのだろう・・・表現の自由度とは、その器の中に居ては判断出来無いものなのだ。海外から、世界の目から見て判断する以外には無い。その基準が例えば、先進国中最下位の日本の現状である。私達は実感しないが実感しない様に動かしている人達が居る事だけは確かである。



 



 



 








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