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2019年08月03日

「れいわ新選組」当選議員への微妙な感情 〈障害者芸人ホーキング青山特別寄稿〉


 

 「れいわ新選組」当選議員への微妙な感情

 〈障害者芸人ホーキング青山特別寄稿〉



   【デイリー新潮 8/3(土) 7:31配信】



           8-3-1.jpg
   
              「れいわ新選組」の山本太郎代表


  




 〜参議院選挙で躍進を果たした「れいわ新選組」その当選者2名が重度の障害者であることが、様々な議論や波紋を呼んで居る。
 新聞やテレビでは国会のバリアフリー化を讃える声が中心だが、ネット上では何処までを公費で負担すべきか、と云った疑問の声も上がっている。予てから著書等で障害者の社会進出と税金の関係に付いての考えを述べて来た障害者芸人のホーキング青山さんはどう考えて居るか。以下、ホーキングさんの緊急特別寄稿である〜



          8-3-2.jpg

                  文 ホーキング青山さん



 重度障碍者が議員に為るのは画期的なのだが・・・
 
 低投票率で終わった参院選は、翌日には吉本興業社長のグダグダ会見でスッカリ忘れ去られてしまい、その後話題に為ったのは与党の圧勝でも野党の何時もの体たらくでも無く「NHKから国民を守る党(通称・N国党)」が議席を取ってしまった事と、山本太郎氏率いる「れいわ新選組」が今回の参院選から始まった「特定枠」を使い、重度の障害者2名を当選させた事でした。
 世間で言われて居る様に、これ迄重度の障害者が国政に進出する事は無かったので、画期的な事なのかも知れません。が、何か釈然としません。

 確かにこの方々は間違い無く当選したのですが、これは飽く迄山本氏の力(知名度・パフォーマンス・戦術全てを含む)であって、当人達の力では無いと云うのが、釈然としない理由の一つかも知れません。無論〈世襲〉等誰かの地盤を引き継ぐとか余程知名度があるか、或は何処かの政党に所属しその力を借り無い限り、殆どの人が自分の力だけでナンて当選出来無い訳です。だから「他力は許せん」等と青臭い事を言う積りはありませんが・・・

 それでもマダマダ課題はあります。介護の人をどうするか。しゃべる事が困難な方がどの様に質問に立つか。押しボタン式の投票はどうするか。この後も金に関する問題が次々出て来ます。議員本人達は「出来るだけ税金を掛けずに」と仰ったそうですが、ナカナカ実際にはそうは行かないでしょう。
 国会内だけでは無く、議員として活動して居る中でも、今利用して居る訪問介護を使える様にして欲しい、と要望したとも伝え聞いて居ます。しかし訪問介護と云うのはソモソモご自宅に居る方に日常生活をサポートする目的での介護であって「経済活動」の範疇(はんちゅう)に入る仕事のサポートは想定されて居ません。


 




 介護費用やその他の特別経費を誰がどの様に負担する? 

 国会議員の活動は公的なものであるにせよ、給料が出るのですから「経済活動」と云う面もあります。その「経済活動」である議員としての活動上で必要と為った訪問介護の費用を何処が負担するのか。「福祉」として厚生労働省で「公費」として負担するか、参議院で負担するかと云う処で議論に為り、結果参議院で負担すると云う事に為った様です。
 処が実はこれは「れいわ新選組」としては望んで居る遣り方では無く、運用ルールを変えて「経済活動」である他の職場でも「公費」で負担する仕組みを目指すのだそうです。要するに国会だけで無く、一般社会にもそのヤリ方を広げたいと云う事です。

 それも、介護費用を負担出来る資金に余裕のある企業ばかりで無く、より多くの企業でこの制度を活用出来る様に為る事を理想として居るそうです。そうすれば重度の障害者が働き易く為る・・・と云う事ですが、そもそも「介護」にそんなにお金を掛ける余裕は国にあるんでしょうか。
 又、普通に考えると一般市民よりも遥かに収入の多い国会議員なら、自費で賄えるのではないかとも思ってしまいます。(支出も多いのでしょうが)

 「障害者の社会参加」は障害者への理解の促進と云う意味でも非常に重要な事ですし、それを否定する積もりなんてサラサラありません。今回この様な形で国政の舞台に重度の障害者の方々が出られる事は、同じ障害者の一人としてもそれ自体は素晴らしい事だと思うし「画期的なこと」ではあると思っています。しかしながら、本当にここ迄遣る必要があるのか。そんな疑念が少しだけあるのも事実です。
 「画期的なこと」だナンて言いながら、どうしてそんな気持ちに為るのか。それは、ハッキリ言ってこの方達が政治家としてそこ迄期待出来る方なのか全く判ら無いからです。この方達を否定して居る訳では無く、本当に「判ら無い」のです。


 




 障碍者でも仕事の上では正当な評価を 

 「彼等が議場に居るだけで素晴らしい」・・・そんな考え方は美しい様で居て、バカにした話の様に思います。私は障害者だからと言って、仕事の評価の水準を下げるべきでは無いと考えて居るからです。
 例えば私は障害者芸人として舞台に出て居ますが「障害者だからネタの完成度が低くても大目に見てね」とは思っていません。『考える障害者』等の著書についても「障害者だから雑な点は勘弁してください」と考えた事はありません。
 舞台に出た以上は、他の芸人と同じ様に厳しく見て欲しい。本を出した以上は、他の本と同列に語って欲しい。これは一貫したポリシーです。(だからって必要以上に厳しく見無いで欲しいし、余り面と向かって批判して呉れ無くでも好いんですよ)

 「最初の段階からお前みたいにヒネクレタ見方をし無くても好いだろう」と仰る方も居るかも知れません。しかし、現在の彼等を取り巻く「お祝いムード」が一段落して、もし今後、支援者達の期待に応えられ無かった時、或は何等かの理由で期待を裏切ってしまった時(流石に不倫スキャンダルは無いでしょうが)、又世の中が「不景気」を今以上に実感した時、今回のこの「バリアフリー化」に対し「税金の無駄遣い!」ナンて声が出て来ないだろうか。
 そんな余計な心配さえしてしまうのです。それはこの「バリアフリー化」が余りに急速で〈とりあえず感〉がアリアリと見えるからかも知れません。


 




 何処まで税金を使えるのか?

  『考える障害者』でも、障害者と金の問題に付いては可なり頁を割いて書きました。「バリアフリー化を進めましょう」と云う呼び掛けに「そんなもの要るか!」等と表立って言う人は居ません。反対する政党もありません。多分「N国党」も賛成して呉れます。
 問題は、幾ら迄なら進めて好いか、詰まり税金を掛けて好いのかと云う事なのです。この点は綺麗事では無く、又障害者の都合だけでは無く、冷静に議論して社会としての合意を形成し無ければ為ら無いのです。

 今回の当選者が集会で山本氏にマイクを向けられて居る姿は拝見しました。その山本氏から「(選挙活動は)無理の無い程度で週1回でも好い」と言われて居たとも聞いて居ます。しかし、実際問題どの程度選挙運動をされたのでしょうか?詰まりどの位有権者に政策を訴えたのでしょうか。
 得票数を見る限り、飽く迄その当選が、山本氏の戦略と「特定枠」によるものだと云うのは客観的事実でしょう。勿論、それは「障害者の社会参加」であり「障害者の声を政治に反映させる」一つの方法かも知れません。が、ヤッパリ今一つ釈然としないのです。

 お二人が当選してからと云うもの「国会のバリアフリー化を与野党を超えて皆でやるべき!」ナンて声も聞こえて来て「合理的配慮」との言葉の下、参議院の会議場の固定の椅子が撤去されたり段差が解消されたりして居ます。
 「バリアフリー化」が進む事で、お二人だけで無く今後、障害者が政界に進出し易く為るのも良い事には違いありません。今回の様に、起きた状況に合わせて対処するだけでは反動だって有り得ます。詰まり「アソコ迄する必要無かったよな」等と云う意見に世間が振れてしまい、結局更に障害者が社会参加するチャンスが減ってしまう、ナンて事態に為れば本末転倒も好い処です。


 




 山本太郎氏は障害福祉に何処までの考えがあるのか?

 考え過ぎでしょうか。でも、実際に障害者として生活して居ると、この手の事は常に頭の中にヒッカカッテ居ます。そして、率直な印象を言えば、山本氏にこうした問題に付いて何処までのビジョンがあるのかが、私には好く判りませんでした。
 言い換えれば、コストを掛けて好いと云うラインを何処に引くか、と云った現実的な問題を真剣に考えた上での擁立とは思え無いのです。単に障害者の代表を出したいと云うのであれば、もう少し障害の程度の軽い人を擁立すると云う選択肢もあったでしょう。
 以前、選挙に出る意志を表明して居た乙武氏を始め障害者はもっと居る訳です。山本氏の側に何処かインパクト狙いの様な処は無かったのだろうか、とツイ邪推したく為るのです。万一そう為らば「利用しただけ」と云う事には為ら無いだろうかと。

 今のこの世の中に障害者が出様とすれば「無理解の壁」にブツカラザルを得ず、私を含め多くの障害者は大なり小なりの葛藤を抱えて生きて居ます。その辺の事を何処まで山本氏が理解して居るのか、少なくとも現時点で私には判りません。今後注視して行きたいと思います。

 最後に、これは偶に聞かれる事なので敢えて書いて置きますが、私自身は選挙にナンて一度も出ようと思った事もありませんし、増して山本太郎氏の仲間に為ろうと思った事も一度もありません・・・あっ「メロリンQ」の頃、一寸だけ仲良く為ってみたいとは思った事がありました! 


       デイリー新潮編集部 2019年8月3日 掲載 新潮社


 





 【管理人のあとがき】


 お祭り騒ぎの中でのホーキング青山氏の指摘は、関係者の方達の一時、頭を冷やす事に為ればと思います。管理人も何かチグハグな思いをして居たのです。元々山本氏は「重度身障者を議会に入れて支障無く生活や仕事の出来る環境こそ、その他多くの身障者が社会で幸せな暮らしが出来る下に為り、そんな世の中だからその他多くの困った人達にも普通に手が差し伸べられるのだ・・・」との趣旨の話をして居ました。
 その為今回、議会がどの様な合理的配慮をして呉れるのかが問われる、為政者の本気度が試される絶好の機会なのだから・・・と。ですから、山本氏が社会福祉政策の何処をどの様な改革・発展が必要かは、本能的には理解しても、専門的・技術的に詳細なプランまでは出来て居ないと考えます。

 ・・・この言葉には、一つの疑問も見られます。昔安倍さんが得意気に「企業が力一杯元気で仕事出来る環境を作る。企業が利益を挙げヤガテそれが働く人達に零れ落ちて来る・・・」が、幾ら企業への恩典を重ね利益を挙げさせても、それが働く人達には少しも廻ら無かったのです。制度そのものがその様には行かない短慮なものだったのです。
 同じく、重度の身障者が国会議員に為り、他の議員に負けずに成果を出す為に(誰がどの様に評価する?)その人達のハンデを全て取り除いたとして、それが普通の立場の人達へそのま適用されるかは、次元の異なる問題とされてしまい兼ね無いのですが・・・

 彼は、生活保護やその下での高校・大学進学への障壁を取り除こうとしたり、年末の炊き出しに参加したり、困窮する人達の生活を身を以て体験し学んだ一人であり、彼の政治哲学の一つに大きく存在する〈みんなを幸せにしたい〉それが政治家を志す第一歩だったのですから。
 一つの指標として、身障者として必要な経費は全て議会・政府(国)が負担してこそ、他の健常議員との公平性が保たれるのです。身障者には、介護費や付添人費用等医療費に加え多くの余分な費用や設備を必要とします。多額な歳費を貰うのだからその中でヤリクリしたら・・・との事では余りにハンデが大き過ぎるのです。
 ですから、国民に選ばれた議員として仕事する上でのハンデを少しでも無くす努力が必要なので、それを山本氏は「制度・法律」として確立したいと望んで居るのです。これは恐らく一気に出来るものでは無く、都度コツコツと小さな積み上げが在って時間を掛けて確立されるのです。身障の程度・部位・症状により複雑に因果関係が交錯する微妙なものなのですから。

 それにしても、身障者の問題が公然と社会の表に出る事は、我が国に取っては最大のインパクトであり今回の選挙の足った一つの収穫なのです。一過性の話題で終わらず、身障者が普通に社会に混在するのが自然の姿なのだ、と要約多くの人達が気が付いたのは実に好い事なのです。
 身障者は単に他から守られるので無く、他に負けじと努力したいのだとの事も聞きます。土俵さえ作って呉れれば人の為に為りたいとの思いも強いのです。土俵を作る困難さ・・・それは、個人では不可能な政治の仕事なのです。山本太郎氏は、多くの人達がその土俵の一粒の砂や土に為ってと願っているのでしょう・・・
 


 



 









 
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