2020年04月12日
コロナ禍で未曽有の緊急事態!だからコソ問われるジャーナリズムの役割とは
コロナ禍で未曽有の緊急事態!
だからコソ問われる ジャーナリズムの役割とは
〜月刊『創』編集長 篠田博之☟ 4/11(土) 22:19〜
「緊急事態」が日常的に呼号されると云う未曽有の危機的状況が続いて居る。商店街もシャッターが下ろされて居るし、裁判所も公判を延期・拘置所も一般面会禁止と、今迄想定し得無かった異様な事態だ。これが下手をすると1カ月続くと在って、一体この社会はそれに持ち応えられるのだろうかと不安に為ってしまう。マサに「非常時」だ。
緊急事態を理由に批判が封殺された過去の歴史も
感染拡大と云う危機的事態に、市民が理解を示し拡大防止に力を合せるのは当然だ。只気に為るのは、その事を以て同調圧力が加速し、コンな時に国家の遣る事を批判するのは非国民だと云った風潮が強まる事だ。考えて見れば、ファシズムや戦争へと国家が方向を誤るのは常に社会が大きな危機に晒された時だ。コンな時コソ、国家が方向を誤ら無い様に監視する機能がマスメディアに求められるのだが、過去の歴史を見ると、マスメディアが権力監視処か大政翼賛に為ってしまう事も少無く無かった。
それは太平洋戦争に迄遡ら無くても、3・11東日本大震災と原発事故の時もそうだった。パニックに為るのを恐れて政府はメルトダウンの事実も押し隠し、それを監視すべきマスメディアも、発表される事を流すだけに為った。後にそれに対する市民からのマスコミ不信が大きく噴き出した。
その事への反省から、脱原発方針へ舵を切り、権力監視を鮮明に掲げる様に為ったのが東京新聞で、今回も同紙は他紙と一味違う紙面造りを行って居る。こう云う時にコソ、メディアがドンな報道を行うのかキチンとチェックする必要が有る。
と云う事で緊急事態宣言を巡るマスコミ報道を検証して見たい。何と言っても凄いのが東京新聞だ。同紙には特報部と云うゲリラ部隊が在って特報面と云う常設のページが有る。特報面に突出した記事を載せつつ、全体としてはバランスを取ると云う同紙ならではの紙面展開が、こう云う非常時には大きな機能を発揮して居る。
4月7日から8日に掛けて、政府の緊急事態宣言をそのママ見出しで伝えつつも、一方的な危機煽りで好いのかと、各紙色々な思いを交錯させ乍ら紙面を作ったと思うのだが、東京新聞の場合は、4月7日の特報面で「緊急事態もう一度考え様 恣意的運用に懸念」と見出しを打った。
「批判は自粛しちゃ駄目」と斎藤美奈子さん
緊急事態宣言を報じた4月8日の紙面も、3面に「強い『副作用』認識したい」と云う山田健太・専修大教授☟のコメントを大きく掲げ、特報面では「新型コロナ『緊急事態宣言』肯定する心理何故 不安感絶対的力待望か 危機による思考放棄か」と大見出し。
中見出しに「首相 今の空気改憲に利用か 対策失敗の結果なのに『遣ってる感』演出」「非常時の今 人権守る監視必要」等と云う文言が躍る。大きな話題に為ったのは、その同じ特報面で文芸評論家の斎藤美奈子☟さんが書いて居た「マジか!の効用」と云うコラムだ。末尾がこう結ばれて居る。
「行動は自粛しても批判は自粛しちゃ駄目だ。緊急事態宣言の発令を歓迎して居る場合じゃ無い。怯まず『マジか!』を続け様」
イヤア、凄い。正論だが、このタイミングでそれを言うのが凄い。他紙はどうなのか見てみると、目に着いたのが8日付日刊スポーツ。「安倍首相『皆で力合わせ』『闘い打ち勝つ』」と云う見出しに被せる様に大きく「精神論だけ」と云う大見出しが躍り「結局『国民の皆さま』頼み」と書かれて居る。
毎日新聞は4月8日付夕刊の「特集ワイド」で専門編集委員の与良正男さんが、コラムで緊急事態宣言と経済対策に付いて論評し、最後をこう締めて居る。「コンな危機だからコソ従うだけで無く、モッと注文を着けて好い」その記事の見出しが凄い。「何故コンな愚策を」
新聞に於いては見出しの印象はトテも大きい。この見出しは与良さんで無く別の人が付けたのだろうが、見出しの付け方に「意志」が感じられる。
テレビ報道を検証した朝日新聞の記事は・・・
影響力の大きい朝日新聞はどうかと云えば、全体として客観報道を心掛けて居る様な紙面だ。ヤヤ朝日らしいと思ったのは4月10日付の「会見、TVはどう伝えた 7日夜、首相の緊急事態宣言」テレビ東京も含めてテレビが各局横並びで首相の会見を報じた事を紹介し、最後に作家・監督の森達也さんの「同調圧力や社会の雰囲気にのまれてはいけ無い」と云うコメントを載せて居るから、現状に警鐘を鳴らそうと云う企画意図は感じられる。
でも記事全体のトーンを抑えて居るから、何と無く温い感じで印象に残ら無い。見出しも腰が引けて曖昧だ。朝日新聞は、例の慰安婦問題の激しいバッシングの後、それがトラウマに為って居る感がある。 勿論、森加計報道でのスクープに見られる如く、強い言葉で無く取材力を駆使したファクトで勝負しようと云う姿勢は間違って居ないのだが、今回の様な大事な局面に或る種のメッセージを発信出来無いと云う印象は、余り良い事では無い様な気がする。
一方、安倍政権支持の産経新聞がどうかと云うと、4月8日の紙面は比較的冷静なトーンだ。緊急事態に便乗して自民党の中に、憲法を改定して緊急事態条項を盛り込むべきだと云う危ない主張が出て居るのだが、8日付産経はそれを報じ乍ら見出しは「憲法条項化 野党は反対」とヤヤ引いたスタンスだ。
でもそれが4月11日付では見出しが「緊急事態対応の改憲 与党意欲」と少し踏み込んだものに為って居る。今後、緊急事態が長期化するに連れて世論がどう変わって行くのかが問題だが、新聞やテレビのトーンはその世論形成に大きな意味を持つから注視して行か無ければ為ら無い。
日本ペンクラブ「緊急事態だからコソ、自由を」
マスメディアの論調と共に言論・表現団体等の見解もモッと表明されて議論が為されるべきだと思うが、4月7日に日本ペンクラブが以下の様な声明を出して居る。少し長いが全文引用しよう。
《日本ペンクラブ声明「緊急事態だからコソ、自由を」 感染拡大する新型コロナウイルスと政府に依る緊急事態宣言。日本社会は今、厳しい現実に直面して居る。私達は、命の掛け替えの無さを改めて噛みしめたい。各分野の医療関係者が蓄積して来た技術と知見を信頼し、それ等が十二分に発揮される様期待する。又、私達自身が感染し無い冷静さと、他者に感染させ無い配慮とを併せ持つ人間で在りたいと思う。
そして、私達は、こうした信頼・期待・冷静・配慮が、人と人が自由に発言し・議論し・合意を築いて来た民主主義社会の営為そのもので有り、成果でも有る事を何度でも確認して置きたい。緊急事態宣言の下では、移動の自由や職業の自由は元より、教育機関・図書館・書店等の閉鎖に依って学問の自由や知る権利も・公共的施設の使用制限や公共放送の動員等に依って、集会や言論・表現の自由も一定の制約を受ける事が懸念される。
これ等の自由や権利はドレも、非常時に置かれた国内外の先人達の犠牲の上に、戦後の日本社会が獲得して来た民主主義の基盤である。今日、私達はこうした歴史から、ドンな危機に遭っても、結局は、自由な言論や表現コソが社会を健全にして来た事を知って居る。
私達の目の前に有るのは、命か自由かの選択では無い。命を守る為に他者から自由に学び、自ら自由に表現し、互いに協力し合う道筋を作って行く事。それコソが、この緊急事態を乗り越えて行く為に必要なのだ、と私達は考える。
何時の日か、ウイルス禍は克服したが、民主主義も壊れて居たと云うのでは、危機を乗り越えた事には為ら無い。今試されて居るのは、私達の社会と民主主義の強靱さである》
私は、日本ペンクラブ言論表現委員会の副委員長だから、余り褒めると自画自賛に為ってしまうが、現時点で貴重な声明だ。前半で危機に対峙する事の必要性を訴えつつ、後半で言論・表現等の市民的自由を制限する事に危惧を表明して居る。
只、この声明を報じた新聞の扱いは今一だ。短く引用するなら後半を紹介して欲しいのに、前半の文言を引用して居る記事も在った。マスメディアの姿勢自体が未だ定まって居ない故にこうした声明も曖昧に報じられてしまう。新聞労連も4月7日に2つの声明を出した。これもナカナカ好い、全文紹介する。
《労連声明「新型コロナ」を理由にした批評の封殺に抗議する
愛媛県の中村時広知事が3月27日の記者会見で、県のPR施策を批評する愛媛新聞の記事に対し「タイミングと云うものが有ると思う。今県としても(新型)コロナ対策に集中して居る最中でありまして、今このタイミングで出ると問い合わせ等が県の方に来ますので対応し無ければ為ら無い。そう云った影響を是非お考え頂きたい」と発言しました。
中村知事の発言は、批判記事の掲載を牽制するものです。新型コロナウイルスの感染拡大と云う、言わば「緊急事態」を理由にして、アラユル批判や言論を封じ込め様とする発言であり、看過する事は出来ません。言論の自由・報道の自由に対する侵害であり抗議します。
中村知事が会見で取り上げたのは、愛媛新聞が3月26日付朝刊から3回連載で掲載して居た「再考 まじめえひめ 識者に聞く自治体PR」です。この連載は「介護・看護時間の長さ全国1位」や「彼氏が居ない独身女性の多さ」等のデータを示して「愛媛県民はまじめ!」と括る動画を配信した愛媛県のPRプロジェクト「まじめえひめ」の問題点を指摘したものです。
問題点を認めぬママ、3月末に配信を停止する県の施策を再考するもので、時宜に適った真っ当な論評です。中村知事の主張する論理が罷り通れば「新型コロナウイルス対策をして居るから、森友学園への国有地売却に関する公文書の改ざん問題や、桜を見る会の問題に付いても、政府を追及するな」と云う事にも繋がります。
「危機」に遭っても、公権力の信頼性や歪みをチェックし、指摘する事は報道機関の大切な役割です。特に「まじめえひめ」のプロジェクトで問題に為った「歪んだ女性像の押し着け」や介護の美徳化は、危機対応の時にコソ、歪が生じ易く、公権力が注意すべきテーマです。
「新型コロナ」を理由に、3月28日の安倍晋三首相の記者会見で、質問を求める際に声を上げる事が規制されましたが「危機」を理由にした過度な規制は危険です。為政者に強く自省を求めると共に、報道の現場が萎縮せず、国民・市民に正確な情報を届ける報道機関としての役割を果たせる環境を作る様、新聞労連としても努力して行く考えです。2020年4月7日 日本新聞労働組合連合(新聞労連) 中央執行委員長 南 彰》
《労連声明 緊急事態宣言下での市民の「知る権利」を守る為に
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、安倍晋三首相は7日に「緊急事態宣言」を出す考えを表明しました。報道機関として市民への正確な情報提供と、強い権限を持つ政府や自治体が適切に権限を行使して居るかの監視が重要に為る一方で、取材を行う記者の安全確保も喫緊の課題です。
収束時期が見通せ無い中、それ等を両立し市民の「知る権利」に資する持続可能な報道の体制造りが急務です。政府等の公的機関や報道機関に以下の対策を早急に進める様求めます。
記者会見等の「質疑権」と「安全性」の両立
●感染拡大の状況やその対策に付いて、記者が質疑を行う記者会見の重要性が増す一方、会見場の安全性が十分に確保されて居ない状況があります。特に取材拠点の一つである厚生労働省では、1月の国内初の感染確認以降、密集した空間の中での記者会見が続けられて居ます。防衛省の対応を参考に、各省庁に置いて夫々が十分な間隔を空けて取材が出来る広めの会議室や講堂に会見場を早急に移設すべきだと考えます。
●安全性を確保する為、政治家等が10分以上の「冒頭発言」を行う場合には、予め「冒頭発言」と「質疑」を分離して実施し、記者会見の主である「質疑」の時間を十分に確保する様求めます。
●ネット会議システム等を活用し、会見場に集まら無くても質疑に参加出来るオンライン上の記者会見・ブリーフの導入を求めます。安全性を確保すると共に、学校の休校等も相次ぎ、通常の出勤が困難な記者も増える中、多様な角度からの質疑・検証を行う上で必要な為です。
●今回の事態は様々な分野と関連して居り、多様な角度からの質疑が保障されるべきです。記者登録制を導入し「大本営発表」一色に染まった戦前の報道の過ちを繰り返さ無い為にも質疑権の確保は重要です。報道機関側は、公権力側から「記者の人数制限」を要請された場合には慎重な対応が必要です。
●庁舎内への報道関係者の入庁制限には反対します。その一方で万が一の備えとして、報道機関側は自前の取材拠点を確保すべきと考えます。永田町・霞ケ関周辺で、300人収容の会見場が有る「日本記者クラブ」の活用も含めて対応を検討する事を求めます。
公文書等による説明責任の強化等
●政府は3月10日、新型コロナウイルス感染症への対応に付いて、行政文書管理ガイドラインに定めの有る「歴史的緊急事態」に該当すると閣議了解で決定して居ます。政府内の会議に付いて、会議録の作成と早急な公開を求めます。
特に従来、報道機関に公開されて居た会議に付いては、オンライン化するか音声データを報道機関に即時公開する様求めます。又、報道機関側も従来の密着型の取材の継続が難しく為る中、公権力の「説明責任の強化」を業界挙げて具体的に求める必要が有ります。
●緊急事態宣言が発令されると、NHKが「指定公共団体」として、新型コロナウイルス対策に関して首相や都道府県知事の指示を受ける対象に為ります。報道機関への過度な介入は危険です。又、新型コロナウイルスへの対応を理由に、批判的な言説を封じる様な公権力の動きが有ります。過度な報道自粛要請には連帯して抗議しましょう。2020年4月7日 日本新聞労働組合連合(新聞労連) 中央執行委員長 南 彰》
ジャーナリズムの責務は本当に重い
緊急事態を理由に、政府や地方自治体の権限を強化しようと云うのが今の流れだが、政権が原則通り、国民・市民の意志を代弁して呉れる存在だったら心配は要ら無い。でも多くの市民が心配して居るのは「安倍一強」の下で政権が「主権在民」と反対の行動に突っ走って居る状況を目の当たりにして来たからだ。
森加計問題然り「桜を見る会」問題然り・・・議会での圧倒的多数と云う数の力を背景に、公私混同で無理を通して道理を引っ込めて来たのが安倍政権だ。今の様な危機的事態に直面して、こう云う政権に権限を集中させ無ければ為ら無いと云うのは、この国の市民の大きな不幸と言わねば為ら無い。
ソモソモ憲法を平然と否定する様な政治家を総理大臣に、しかも長期に渉って据えて居ると云う事自体、本来なら有り得ない事なのに、今はその政権に更なる権力をと云う・・・極めて危ない状況だ。それを監視するのがジャーナリズムの役割だから、その責務は本当に重いと言わざるを得ない。
今の処、想定外の緊急事態が次々と現出して、それに目を奪われて居る状況で、緊急事態の有り方を巡る議論も殆ど為されて居無い。 「行動は自粛しても批判は自粛しちゃ駄目だ」と云う斎藤美奈子さんの言葉を肝に銘じたいと思う。
月刊『創』編集長 篠田博之 1951年茨城県生まれ 一橋大卒 1981年より月刊『創』(つくる)編集長 1982年に創出版を設立 現在代表も兼務 東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年に渉り連載 北海道新聞・中国新聞等にも転載されて居る 日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長 東京経済大学大学院講師
著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)『生涯編集者』(創出版)他共著多数 専門はメディア批評だが 宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり 和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上に渉り接触 その他 元オウム麻原教祖の三女等 多くの事件当事者の手記を『創』に掲載して来た tsukuru_shuppanhiroyuki.shinoda
以上
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