2019年02月27日
平常心と客観視。
シュートを外す気がしない時、
どんな体勢でもフリーの味方を見逃さず
針の穴を通すパスを出せる時、
全てが上手くプレーできている時に
共通する感覚があることに気付いた。
それは熱くなりもせず冷めもせず、
冷静に淡々と目の前のプレーに向き合い、
周囲がやけに静かで穏やかな感覚だ。
シュートが入った、外れた
パスが通った、カットされた
ディフェンスで相手を止めた、抜かれた
リバウンドを取った、取られた
コート上で自分が関わるプレー1つ1つの結果に対し
喜びもせず、落ち込みもしない。
ただ次の瞬間のプレーに備える。
この時は周りの音が聞こえていないように感じるが、
音や声として耳にはちゃんと入っている。
頭には余計な雑音として入って来ない。
また、自分と相手とボールとリング以外の
他の選手のことはあまり見えていない。
視界に入っていないわけではなくて、
余計な景色として頭に入っていない状態、
物理的に見えてはいる。
この賢者か仙人のような感覚になった時、
まるで透明な膜で包まれているように
自分以外の景色が少しぼんやりとしている。
膜に包まれた自分が、コート上の自分を眺めているように
極めて客観的に事実だけを淡々と見つめている。
周囲の声も音も景色もあまり頭に入って来ないが
フリーの味方や僅かなシュートチャンスは決して見逃さない。
この時に入れたシュート、通したパス、
止めたディフェンス、取ったリバウンドは
身体がどうやって動いたか覚えていない。
これが「ゾーンに入る」ということなんだろうか。
周囲の景色や音が見えも聞こえもしないのに、
なぜチャンスだけがよく見え、逃さずに動けるのか、
自分でもうまく説明できないが
強いて言えば感覚。
ONE PIECE
鉄を切れない現時点の自分では勝ち目のない相手、
とどめの攻撃をまともに受け、瀕死状態のゾロが到達した
”万物の呼吸”が聞こえる感覚のことを、穏やかな口調で語っている。
プレーの成否から感情を取り払い、
透明の膜で包まれた自分が
コート上の自分を客観視している感覚が
長ければ長いほどパフォーマンスは上がる。
逆に、シュートを外して悔しいといった
プレーへの感情発生や、良し悪しの審判が下っている時は
必ずと言っていいほど迷いと遠慮に支配されている。
そうなると透明な膜はいつの間にか無くなり、
周囲がクリアに見えるようになる代わりに、
パスしても通らない味方の位置まで余計に見えてしまう。
見え過ぎて、考え過ぎて、バスケが一気に下手になる。
※「考え過ぎてバスケが下手になる。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/79/0
こうなった時、
マッチアップした相手からは決まってこう言われる。
「パスを探すだけになり、
シュート打って来なくなるから引いて守ってたわ」
”無の境地”と言えるかわからないが、
平常心、客観視できる透明な膜に入る時間を
少しでも長くするためにどうすればいいか。
肩の力を抜け、バスケは遊びだから笑え、
いろいろ方法はあるが、
僕の場合、肩の力を抜けと心で唱えると、
プレーよりも肩の力抜きに集中してしまう。
1つのことに過剰に集中する特性は
こういう時には厄介だが、
目の前のプレーだけを見ろと唱えれば
またゾーンに入ることができるかも知れない。
遠慮も迷いも、何もかも取っ払った
平常心と客観視の境地に、できるだけ長く居続ける。
それが僕にとっての、上手くなる最短距離だ。
どんな体勢でもフリーの味方を見逃さず
針の穴を通すパスを出せる時、
全てが上手くプレーできている時に
共通する感覚があることに気付いた。
それは熱くなりもせず冷めもせず、
冷静に淡々と目の前のプレーに向き合い、
周囲がやけに静かで穏やかな感覚だ。
シュートが入った、外れた
パスが通った、カットされた
ディフェンスで相手を止めた、抜かれた
リバウンドを取った、取られた
コート上で自分が関わるプレー1つ1つの結果に対し
喜びもせず、落ち込みもしない。
ただ次の瞬間のプレーに備える。
この時は周りの音が聞こえていないように感じるが、
音や声として耳にはちゃんと入っている。
頭には余計な雑音として入って来ない。
また、自分と相手とボールとリング以外の
他の選手のことはあまり見えていない。
視界に入っていないわけではなくて、
余計な景色として頭に入っていない状態、
物理的に見えてはいる。
この賢者か仙人のような感覚になった時、
まるで透明な膜で包まれているように
自分以外の景色が少しぼんやりとしている。
膜に包まれた自分が、コート上の自分を眺めているように
極めて客観的に事実だけを淡々と見つめている。
周囲の声も音も景色もあまり頭に入って来ないが
フリーの味方や僅かなシュートチャンスは決して見逃さない。
この時に入れたシュート、通したパス、
止めたディフェンス、取ったリバウンドは
身体がどうやって動いたか覚えていない。
これが「ゾーンに入る」ということなんだろうか。
周囲の景色や音が見えも聞こえもしないのに、
なぜチャンスだけがよく見え、逃さずに動けるのか、
自分でもうまく説明できないが
強いて言えば感覚。
ONE PIECE
鉄を切れない現時点の自分では勝ち目のない相手、
とどめの攻撃をまともに受け、瀕死状態のゾロが到達した
”万物の呼吸”が聞こえる感覚のことを、穏やかな口調で語っている。
こういう感じは前にもあった…あたりがやけに静かで…
自分の鼓動がバカにデカく聞こえる…
まさに…”死の境地”ってやつか
ONE PIECE 21巻 195話より
プレーの成否から感情を取り払い、
透明の膜で包まれた自分が
コート上の自分を客観視している感覚が
長ければ長いほどパフォーマンスは上がる。
逆に、シュートを外して悔しいといった
プレーへの感情発生や、良し悪しの審判が下っている時は
必ずと言っていいほど迷いと遠慮に支配されている。
そうなると透明な膜はいつの間にか無くなり、
周囲がクリアに見えるようになる代わりに、
パスしても通らない味方の位置まで余計に見えてしまう。
見え過ぎて、考え過ぎて、バスケが一気に下手になる。
※「考え過ぎてバスケが下手になる。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/79/0
こうなった時、
マッチアップした相手からは決まってこう言われる。
「パスを探すだけになり、
シュート打って来なくなるから引いて守ってたわ」
”無の境地”と言えるかわからないが、
平常心、客観視できる透明な膜に入る時間を
少しでも長くするためにどうすればいいか。
肩の力を抜け、バスケは遊びだから笑え、
いろいろ方法はあるが、
僕の場合、肩の力を抜けと心で唱えると、
プレーよりも肩の力抜きに集中してしまう。
1つのことに過剰に集中する特性は
こういう時には厄介だが、
目の前のプレーだけを見ろと唱えれば
またゾーンに入ることができるかも知れない。
遠慮も迷いも、何もかも取っ払った
平常心と客観視の境地に、できるだけ長く居続ける。
それが僕にとっての、上手くなる最短距離だ。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8591473
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック