2019年02月08日
まるで疲弊ビジネス。
「「みんなで成功させよう」に違和感。」に引き続き、
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/33/0
企業の広告に違和感を感じたシリーズ(?)
今日は地下鉄の帯広告で紹介されていた
有名な缶コーヒーブランドについて。
コンビニやスーパーでよく見かける
有名な銘柄の缶コーヒー。
缶コーヒーを片手に、
ほっとした表情のスーツ姿の男性。
その横にこんなメッセージ。
「だから私はがんばれる。
世界は誰かの仕事でできている」
この男性は外回りの途中だろうか、
恐らく仕事がひと段落して、
ほっとする時間にコーヒーをすする、
状況としてそんな雰囲気を感じ取った。
疲れた頃合いに一服するイメージが湧き易いし、
アピールしたいことはすごく伝わってくる。
ただ、
この広告の秀逸さよりも僕が気になったのは、
ハードワークの合間にコーヒー飲んで
更にがんばらなきゃいけないほど
毎日仕事に忙殺されてるんだろうか、という懸念。
毎日そんなに追い詰められて、
僅かな空き時間に缶コーヒー飲んでほっと一息。
この人たちはどうして
とっくに尽きた気力を絞り出してまで
さらにがんばらなければいけないんだろう。
それに、この広告は日常の中で
缶コーヒーが飲みたくなるタイミングを
見越して作った広告だろうから、
つまり一番売れるのはみんなが疲れ切った時、
それだけ世の中には仕事で疲れ切る場面が
あふれてるってことに他ならない。
商売としては
需要が最大限に高まるタイミングを狙っているので
とても上手いと思う。
みんなが一番ほしいタイミングの共有になるし。
地下鉄の帯広告の影響力は凄まじいものがある。
目に入る人の数が尋常じゃない。
しかも、
広告で大々的にアピールすればするほど、
疲弊し切った時にコーヒー飲んでもうひとがんばりという
固定イメージができてしまう。
栄養ドリンク然り、10秒チャージ(仮名)然り、
疲れ切った時は休みましょう、ではなく
コーヒーのんで気力を絞り出しましょう
という風に過労を促している煽動にも見て取れる。
こういう広告が世論をコントロールして、
疲れても休まずに働くことを促進しようとする意図も
見え隠れしてならない。
僕も缶コーヒーは好きで、
地下鉄の帯広告の銘柄はもちろん飲んだことがある。
会社員時代には、あの広告のサラリーマン男性と
同じような状況で缶コーヒーをすすったこともある。
みんな仕事に疲れ果ててるんだ。
みんな余裕がなくて、缶コーヒーにひとときの癒しを
求めなければならないほど、追い詰められてるんだ。
そしてみんなが疲れれば疲れるほど
一息入れたくてコーヒーが売れる。
まるで疲弊ビジネス。
帰宅途中のサラリーマンの目に入るよう、
地下鉄に広告を貼るというのもしたたかだ。
運よく座れた人はぐったり眠ってるし、
立ってる人はやっと会社から解放されたのか、
スマホのゲームに夢中。
そこにコーヒー。
一杯飲んでほっとしてから帰ろうか。
きっとそうやって、
今日も疲弊のお供に缶コーヒーが売れていくんだろう。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/33/0
企業の広告に違和感を感じたシリーズ(?)
今日は地下鉄の帯広告で紹介されていた
有名な缶コーヒーブランドについて。
コンビニやスーパーでよく見かける
有名な銘柄の缶コーヒー。
缶コーヒーを片手に、
ほっとした表情のスーツ姿の男性。
その横にこんなメッセージ。
「だから私はがんばれる。
世界は誰かの仕事でできている」
この男性は外回りの途中だろうか、
恐らく仕事がひと段落して、
ほっとする時間にコーヒーをすする、
状況としてそんな雰囲気を感じ取った。
疲れた頃合いに一服するイメージが湧き易いし、
アピールしたいことはすごく伝わってくる。
ただ、
この広告の秀逸さよりも僕が気になったのは、
ハードワークの合間にコーヒー飲んで
更にがんばらなきゃいけないほど
毎日仕事に忙殺されてるんだろうか、という懸念。
毎日そんなに追い詰められて、
僅かな空き時間に缶コーヒー飲んでほっと一息。
この人たちはどうして
とっくに尽きた気力を絞り出してまで
さらにがんばらなければいけないんだろう。
それに、この広告は日常の中で
缶コーヒーが飲みたくなるタイミングを
見越して作った広告だろうから、
つまり一番売れるのはみんなが疲れ切った時、
それだけ世の中には仕事で疲れ切る場面が
あふれてるってことに他ならない。
商売としては
需要が最大限に高まるタイミングを狙っているので
とても上手いと思う。
みんなが一番ほしいタイミングの共有になるし。
地下鉄の帯広告の影響力は凄まじいものがある。
目に入る人の数が尋常じゃない。
しかも、
広告で大々的にアピールすればするほど、
疲弊し切った時にコーヒー飲んでもうひとがんばりという
固定イメージができてしまう。
栄養ドリンク然り、10秒チャージ(仮名)然り、
疲れ切った時は休みましょう、ではなく
コーヒーのんで気力を絞り出しましょう
という風に過労を促している煽動にも見て取れる。
こういう広告が世論をコントロールして、
疲れても休まずに働くことを促進しようとする意図も
見え隠れしてならない。
僕も缶コーヒーは好きで、
地下鉄の帯広告の銘柄はもちろん飲んだことがある。
会社員時代には、あの広告のサラリーマン男性と
同じような状況で缶コーヒーをすすったこともある。
みんな仕事に疲れ果ててるんだ。
みんな余裕がなくて、缶コーヒーにひとときの癒しを
求めなければならないほど、追い詰められてるんだ。
そしてみんなが疲れれば疲れるほど
一息入れたくてコーヒーが売れる。
まるで疲弊ビジネス。
帰宅途中のサラリーマンの目に入るよう、
地下鉄に広告を貼るというのもしたたかだ。
運よく座れた人はぐったり眠ってるし、
立ってる人はやっと会社から解放されたのか、
スマホのゲームに夢中。
そこにコーヒー。
一杯飲んでほっとしてから帰ろうか。
きっとそうやって、
今日も疲弊のお供に缶コーヒーが売れていくんだろう。
タグ:生きる
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