2019年04月23日
ありがとう、どうもね。
僕はお礼を言う時に「どうも」ではなく
意識的に「ありがとう」と言うよう心掛けている。
それは「ありがとう」が一番嬉しい言葉ということと、
僕の家庭環境には「ありがとう」が無かったから。
だったら自分は「どうも」ではなく
「ありがとう」とたくさん発信しようと思っている。
僕は父からも母からも
「ありがとう」と言われたことがない。
父はそもそも人にお礼を言わないので除くとしても
口数の少ない母は決まって「はーい、どうも」だった。
さらに、父方の祖父母のことを思い出してみると
祖父は座り方や食事マナーに厳しかったことが
強く印象に残っていて、
祖母は優しかったとはいえ「ありがとう」ではなく
「どうもね」と言っていた。
母方の祖父母は健在だが、
会話をよくよく思い出してみるとやっぱり
「はーいはい、どうもね」の印象が強い。
母方の祖父母は怒ったり声を荒げているところを
見たことがないくらい穏やかで
決して適当な口調ではなく、
優しさに溢れた「どうもね」をくれた。
親子や祖父母との関係の中で、
「ありがとう」ではなく「どうもね」をもらったことで
軽んじられたとは思わないし嬉しかったが、
こうやって振り返ってみると「ありがとう」と言わない親は
その親からも言われていないことがわかってきた。
先ほど、父は人にお礼を言わないと書いたが、
スイッチが入った時は仕事の愚痴をくどくどと言い続けるものの、
それ以外は基本的に無口で、いきなり怒鳴り出すことはなかった。
とはいえ、たまに口を開けば気持ちの良いことは言わず、
それでいて自分の基準を下回ることを許さない、
よって人に謝ったりお礼を言わない人
という印象が未だに強い。
そんな父の妻である母は
環境的に愚痴が多くなりそうなものだが、
僕が覚えている限り
父に対する愚痴をこぼすことはなく、
かといってヒステリックになることもない、
本当の本当に無口な人。
祖父母との家庭環境から発散方法を学んでいないのか、
それとも我慢に我慢を重ねて溜め込んでいたのか、
未だにわからないくらい何も言わなかった。
「どうもね」はただの口ぐせかも知れないが、
1つ言えることは、祖父母も両親も、
我慢して耐えて生きてきた期間が長いために
人へ素直に感謝する心の余裕がないのでは、ということ。
もしくは、感謝したい気持ちを上手く表現できず、
代わりに「どうも」「悪いねぇ」といった、
時にへりくだり過ぎるような言葉が反射的に出るような
卑屈に近いメンタリティとも推測できる。
こう聞かれた時、僕は今の時点では親に対し
「ありがとう」ではなく
「泣き言1つ言わず我慢して耐えてかわいそう」
という気持ちの方が強い。
「ありがとう」と言わない、言われない環境で育つと
自分も同じようになってしまう。
親、祖父母と接する中で
身に付けた行動パターンをそのまま受け継いで、
「ありがとう」と言えない人間になる恐れはある。
親を「かわいそう」と思っているということは、
他の何に対してもデフォルトで「かわいそう」と
思ってしまっているのかも知れない。
「ありがとう」と言えていないのかも知れない。
それは何としてでも自分の代で断ち切りたい。
僕はどれくらい「ありがとう」と言えているだろう。
意識的に「ありがとう」と言うよう心掛けている。
それは「ありがとう」が一番嬉しい言葉ということと、
僕の家庭環境には「ありがとう」が無かったから。
だったら自分は「どうも」ではなく
「ありがとう」とたくさん発信しようと思っている。
僕は父からも母からも
「ありがとう」と言われたことがない。
父はそもそも人にお礼を言わないので除くとしても
口数の少ない母は決まって「はーい、どうも」だった。
さらに、父方の祖父母のことを思い出してみると
祖父は座り方や食事マナーに厳しかったことが
強く印象に残っていて、
祖母は優しかったとはいえ「ありがとう」ではなく
「どうもね」と言っていた。
母方の祖父母は健在だが、
会話をよくよく思い出してみるとやっぱり
「はーいはい、どうもね」の印象が強い。
母方の祖父母は怒ったり声を荒げているところを
見たことがないくらい穏やかで
決して適当な口調ではなく、
優しさに溢れた「どうもね」をくれた。
親子や祖父母との関係の中で、
「ありがとう」ではなく「どうもね」をもらったことで
軽んじられたとは思わないし嬉しかったが、
こうやって振り返ってみると「ありがとう」と言わない親は
その親からも言われていないことがわかってきた。
先ほど、父は人にお礼を言わないと書いたが、
スイッチが入った時は仕事の愚痴をくどくどと言い続けるものの、
それ以外は基本的に無口で、いきなり怒鳴り出すことはなかった。
とはいえ、たまに口を開けば気持ちの良いことは言わず、
それでいて自分の基準を下回ることを許さない、
よって人に謝ったりお礼を言わない人
という印象が未だに強い。
そんな父の妻である母は
環境的に愚痴が多くなりそうなものだが、
僕が覚えている限り
父に対する愚痴をこぼすことはなく、
かといってヒステリックになることもない、
本当の本当に無口な人。
祖父母との家庭環境から発散方法を学んでいないのか、
それとも我慢に我慢を重ねて溜め込んでいたのか、
未だにわからないくらい何も言わなかった。
「どうもね」はただの口ぐせかも知れないが、
1つ言えることは、祖父母も両親も、
我慢して耐えて生きてきた期間が長いために
人へ素直に感謝する心の余裕がないのでは、ということ。
もしくは、感謝したい気持ちを上手く表現できず、
代わりに「どうも」「悪いねぇ」といった、
時にへりくだり過ぎるような言葉が反射的に出るような
卑屈に近いメンタリティとも推測できる。
いまあなたがやっていることは、
かつてあなたが親からされてきたことではないでしょうか。
親は不平不満を抱きながら、あるいは我慢しながら、
じっと耐えながら、あなたを育ててきたのではないでしょうか。
「いいえ、母はいっさい、愚痴をこぼすことはありませんでした」
と反論する人もいます。
では、いっさい愚痴を言わなかった母親は、
子どものあなたにとって、どのように見えたでしょうか。
『母と娘の「しんどい関係」を見直す本』 より
こう聞かれた時、僕は今の時点では親に対し
「ありがとう」ではなく
「泣き言1つ言わず我慢して耐えてかわいそう」
という気持ちの方が強い。
「ありがとう」と言わない、言われない環境で育つと
自分も同じようになってしまう。
親、祖父母と接する中で
身に付けた行動パターンをそのまま受け継いで、
「ありがとう」と言えない人間になる恐れはある。
親を「かわいそう」と思っているということは、
他の何に対してもデフォルトで「かわいそう」と
思ってしまっているのかも知れない。
「ありがとう」と言えていないのかも知れない。
それは何としてでも自分の代で断ち切りたい。
僕はどれくらい「ありがとう」と言えているだろう。
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