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福井ケンシロウ
1978年生まれ、岐阜県在住です。コミュニケーションや同時並行作業をすることが苦手な性格です。これまで苦節に満ちた人生でした。浪人、留年、借金苦、詐欺・通り魔被害、ブラック企業就職、早期離職、ニート、転職先でパワハラ被害、うつ病で休職・・人生に失望し続けました。しかし、2018年40歳の年に大企業への転職を果たし、ようやく自分の居場所を見つけることができました。
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2024年10月27日

転職先でミスマッチを痛感する

2005年1月にトヨタ系の部品メーカーに転職しました。

中途入社のため、研修期間はなく入社式の翌日から職場に配属されました。

早速、主要顧客であるトヨタ自動車はじめ、関連会社との打ち合わせに出席しました。

年下の先輩に同行して出席したのですが・・

開発日程だの、自動車の仕様だの、企画台数だの、仕向地がどうだのと議論しています。

私にとっては何もかも初めての用語ばかりで、頭に全然入ってきません・・

私は中途入社で即戦力として採用されたのですが、会議では一言も意見を述べられませんでした。

話している内容が全く理解できないので、メモも取れません。

しかし、当時の私(26歳)より年下の先輩はイキイキと議論の輪に入っています。

時にはトヨタ自動車の課長クラスを唸らせるほどの論理的な説明で。


何もできず呆然とする私は、自分の無能さ無力さを痛感することとなりました。

「まずい、場違いな会社に転職してしまったかも・・」

「ここでこの先やっていけるだろうか・・」

入社早々、不安と絶望に襲われる毎日が始まりました。

2024年08月07日

トヨタ系企業からの内定を承諾

2004年12月下旬。

初めての転職活動は、面接に進むことができた唯一の会社から内定が出たことで、

1か月足らずで終えることができました。

念願だった機械設計の仕事ができる!

しかも安定的なトヨタ系企業!

迷うことなく内定を承諾しました。


エージェントを通じて内定承諾する旨を伝えると、

入社時期の案内が会社から届きました。

明くる2005年2月1日が入社式となっておりました。

こうして、転職先となる愛知県豊田市に引っ越すため、

年明けにかけてアパートの物件探しが始まりました。

2024年07月20日

最終面接の帰りにエージェントから連絡が

千葉の自宅へ帰宅するため、名古屋から新幹線に乗り品川で降りてすぐのことでした。

ポケットに入れてた携帯電話が鳴ったのです。

電話に出るとリクルートエージェントの担当者からでした。


「最終面接合格とのことです。おめでとうございます!」

こんな早く結果が出たので、私は拍子抜けしてしまいました。

「受け答えや話し方で、人物像が非常に高く評価されてましたよ」

とフィードバックしてくれました。

エージェントに応募書類に添削や、面接での回答内容について

事前に相談した甲斐もあって1ヵ月間の転職活動はこうして幕を閉じたのです。


エージェントを紹介してくれた妹にも感謝の気持ちでいっぱいでした。

2024年07月18日

【転職クライマックス】緊張の最終面接

2004年12月16日。

愛知県豊田市での最終面接の日を迎えました。

朝から澄み切った空の冬晴れでした。


千葉の自宅を朝出発し、新幹線で一路愛知県に向かいました。

ひかり号の車内で自分の職務経歴書に目を通し、

転職理由や志望動機で話す内容を、頭の中で思い描きました。

いつもなら車窓から外の景色を眺め、旅情に浸りたいのですが、

今回ばかりはその余裕はありません。

豊橋で在来線に乗り換え、豊田に到着したのは正午前でした。

駅前の定食屋でランチを済ませ、いよいよ1時からの最終面接に臨みました。


面接会場には面接官が3人ほどいました。

会社説明会で見覚えのある人事担当者のほか、配属先の部長と課長が座っていました。

職務経歴についての質問をされました。

しかし、私は最初の会社を半年足らずで退職したため、

業務内容を説明するのに1分もかからず終わりました。

その他、学生時代に励んだことを聞かれたので、

テニスやアルバイトに打ち込んでいたことや卒業論文のテーマを説明しました。

面接官は終始にこやかな表情で、こちらもリラックスして話すことができました。


私のスキルを確認するというよりも、私の人物像を把握したい意図があるようでした。

20分程度で面接は終わりました。

手ごたえという程のものはありませんでしたが、

自分が伝えたかったことは話せたので、達成感のようなものはありました。


早速、帰途に就くべきところですが、せっかく愛知県まで来たので、

豊田から名古屋に向かう途中の東海道線・大高駅で途中下車し、

すぐ隣を高速で通過する東海道新幹線をしばらく眺めていました。

鉄道ファンである私は、自分へのご褒美にここで小一時間ほど、

冬の夕暮れの中で新幹線を間近で眺めることにしたのです。続きを読む...

2024年06月25日

渋谷での会社説明会に参加

2004年11月末のことです。

求人を紹介されたトヨタ系のメーカーの会社説明会に参加しました。

会場は確か渋谷マークシティだったと思います。

(20年も前のことで記憶が定かではありません・・)


会社沿革、事業内容、募集要項の説明を受けました。

参加者は20〜30代中心で、30人くらいだったと思います。

仕事内容の説明を受け、

「あのトヨタ車の開発に関われる!!」

と気持ちが高揚したのを憶えています。


面接は愛知県豊田市の本社で行うとの案内がありました。

いよいよ私の転職活動は大詰めを迎えました。

2024年06月24日

トヨタ系のメーカー求人を紹介される

2004年11月末のことでした。

リクルートエイブリック(現:リクルートエージェント)に登録して1週間ほど経った、ある日のことです。

トヨタ系の会社の求人を紹介してくれました。

所在地は愛知県豊田市。

従業員数は1,500人で仕事内容はトヨタ車の部品設計。

年収は450万円とのことでした。

前職は賞与がなく年収300万円弱でしたので、大幅な年収アップです!


大学時代の就職活動の時は、メーカーなんぞ私に見向きもしてくれませんでした。

そんな私に求人を紹介してくれるなんて・・

世の中捨てたもんではないな。

こんな私に可能性を見出してくれたエージェントさんに感謝しきりです。

失業して絶望しかけていた自分の未来に、一筋の光が差し込んだ気がするのです。


渋谷で会社説明会があるとのことで、早速申し込みました。

2024年06月17日

エージェントを訪問後次々と求人が・・

新宿のエージェントから帰宅後、自宅のパソコンを開くと

たくさんの求人がメールで届いていました。

学生時代には見向きもされなかったメーカーや特許事務所の求人がありました。


担当エージェントから言われた言葉を思い出しました。

「まだまだあなたは若い。第二新卒へのニーズは高まっており、いくらでもチャンスはある」

エージェントから届く求人の多さに、ワクワクしてきました。


履歴書と職務経歴書を無料で添削してくれるサービスがあるとのことで、

早速作成に取り掛かりエージェントとのやり取りが始まりました。


学生の頃は就活情報誌を読みながら、見よう見まねで進めていた就職活動・・

けど今は違います。

自宅にいながらにして転職のプロから手ほどきを受けることができる。

職務経歴書の書き方を懇切丁寧に教えてもらうことで、

自分の強みが整理され転職スキルがどんどん上がっていくのを実感しました。


2004年、26歳の晩秋のことでした。

2024年04月28日

新宿のリクルートエイブリック訪問

2004年11月半ばのある日。


妹から紹介されたリクルートエイブリック(現:リクルートエージェント)の

新宿本社を訪問しました。

見よう見まねで作成した履歴書と職務経歴書を携えて。


50代の男性カウンセラーが応対してくれました。

高校卒業後2年間浪人し、大学では留年し、挫折ばかりの自分。

新卒で入った会社は4ヵ月で早期退職した負い目がありました。


こんな私なんか転職できるわけない、門前払いされて求人紹介してもらえないだろうと

半ば諦めていましたが、担当のカウンセラーは私の経歴や希望職種を懇切丁寧にヒアリングしてくれました。

「最近は第二新卒の方々への求人が増えています。あなたは若いしまだまだ可能性がありますよ」と、

大企業から中小企業までさまざまな求人を紹介してくれました。

しかも、中には転職サイトには出ていない非公開の求人も含まれていました。


「私の人生捨てたもんじゃないかも」。

渡された求人票を帰りの電車の中で眺めながら、武者震いしたのを憶えています。


26歳晩秋のこの出来事が、私のその後の人生を大きく変えることになりました。

2024年03月25日

ニート脱出のきっかけは、妹との会話だった

ブラック企業を退職して1ヵ月半ほど経ったある日のことでした。


私が家に引きこもっている様子を見かねたのでしょう。

妹から話しかけられました。

「お兄ちゃん、転職活動始めたら?いいサイトがあるよ」と。

私は、「リクナビなら就活のとき使ったから知ってるよ」と返しました。

すると妹が説明をしてくれました。

「それとは違うの。リクルートエージェントっていうの」

「リクナビは自分で求人を探すやり方だけど、

リクルートエージェントは自分に合った求人を探してくれて紹介してくれるんだよ」。

「それに、このサービスは無料なんだよ」


私にとっては、始めて聞くサービスでした。

新卒での就活は、莫大な求人情報の中に飛び込み、

その中から応募したい求人を自分で見つけ出すやり方でした。

探すのが面倒な私は、会社の知名度で検索するやり方だったため、

応募倍率が非常に高く、書類選考で落とされてばかりだったのです・・

ところが、初めて聞いたサービスでは、自分の希望に合った求人を

転職のプロ(転職エージェント)が探し出してきてくれるのです!

しかも無料とは!!


私は、妹からの話に思わず食いつきました。

早速、自宅のパソコンを開き、リクルートエージェントのサイトを探しました。

2024年02月21日

ブラック企業から脱出したが、やることがない毎日

地獄のような激務から逃れ、私は無職になりました。

社会人1年目の26歳で、会社員生活は半年ももたずニートです。


毎日やることがありません。

中学時代に秀才と呼ばれた私は当然のように、

宮城県でトップの進学校に入学しました。

しかし、地域の秀才たちが集まるその高校では、

私の成績はずっと低空飛行・・

いくら勉強に時間をかけても順位は上がらず、

途中で勉強を投げ出しさらに成績は低迷する悪循環。

2年間浪人してやっとの思いで入った大学にはロクに通わず、

お金を稼ぐためにバイトに明け暮れました。

しかし、そのせいで大学に行けなくなり留年。

生活費を稼ぐつもりが、余計な学費を払うことになってしまうという本末転倒ぶり・・

そして、就活は100社全滅。

唯一内定を出してくれたのが、超絶ブラック企業。

毎日通勤に往復4時間、定期代の半分は自腹。

残業時間は月100時間超え。

なのに月収は20万ちょっと。

時給換算するとたったの750円。

そして毎日3時間くらい公開パワハラ。

心身ともにボロボロになり、4ヵ月で早期離職。


どうしてこんなに上手く行かないんだろう・・

たった10年前は秀才と呼ばれ、意気揚々としていたこの私。

どこで人生を間違えたのだろう。


悶々とする毎日でした。