アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索
<< 2024年10月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
福井ケンシロウさんの画像
福井ケンシロウ
1978年生まれ、岐阜県在住です。コミュニケーションや同時並行作業をすることが苦手な性格です。これまで苦節に満ちた人生でした。浪人、留年、借金苦、詐欺・通り魔被害、ブラック企業就職、早期離職、ニート、転職先でパワハラ被害、うつ病で休職・・人生に失望し続けました。しかし、2018年40歳の年に大企業への転職を果たし、ようやく自分の居場所を見つけることができました。
プロフィール
日別アーカイブ

2024年02月03日

社会人デビュー半年後にニートへ転落・・

2004年11月。

最初に就職した会社を辞め、私は無職になりました。

そこに悲壮感などありませんでした。


連日のように何時間も上司から説教されることもありませんし、

朝早く家を出て2時間かけて通勤する必要もありません。

そしてヘトヘトにくたびれて深夜に帰宅する地獄の毎日から解放されたのです。


実家暮らしでしたので、

毎日好きなだけ寝て、テレビも観たいだけ観る生活です。

食事も母が作ってくれます。


今でいう超絶ブラック企業を辞めた達成感を味わいながら、

こうして2004年の紅葉の季節をのんびり過ごしていました。

あの爽快さは今でも忘れられません。

2023年12月10日

最終出勤日もパワハラ

2004年10月29日、テレビでは1週間前に起きた

新潟県中越地震の被害や余震のニュースが連日流れてました。


ついに私は最終出勤日を迎えることになりました。

あんなに苦労して就活したけど、100社全滅。

やっと受かったこの会社は、

とんでもないブラックだった・・・(その当時ブラック企業という名称はありませんでしたが)

挙句の果てに4ヵ月で早期退職・・

だが、次の就職先は決まっていない・・

一体私は今まで何をしてきたんだろうか・・

もしや私は社会不適合者なのでは・・・


自問自答をしているうちに半日が過ぎてしまいました。



今日で最終出勤日なので、午後からおもむろに身辺整理に取り掛かりました。

そして夕方5時頃だったでしょうか、上司に呼び出されました。

「今日の進捗は?」

私はとまどってしまいました。

今日は何も仕事をしていなかったからです。

最終出勤日は後片付けだけすればいいやと思い込んでたからです。

さすがに何もしていませんとは言えないので、

「一生懸命頑張りましたが、誰も引き留めることはできませんでした」

とその場しのぎの返答をしました。

すると、上司は

「お前、朝から何もしてなかったよな?電話を掛けるところを見ていないぞ!」

虚を突かれました。

「今日で最後だからと気を抜いてたんじゃないだろな?会社が給料を出している以上は働けよ!!」

完全に上司に主導権を取られてしまいました。

「この数カ月間、お前が引き留めた人数は?」

「ゼロです・・・」

「だよな。お前は何も成果を出していないんだよ!

成果を出していないからには、受話器を肌身離さず持っていなきゃいけないんだよ!

内定辞退者に片っ端から何度もかけろよ!!何度もかけたか?」

「いえ・・、1回断られたら諦めました」

「そんなんじゃダメなんだよ!」

「・・・」

「だから、お前はヘボい!ヘボすぎるんだよ!!」

「・・・泣」

「ヘボすぎるから、簡単には辞めさせないぞ!!!」

「・・・・!?」


最初は上司の正論攻めでしたが、結局最後は人格攻撃で終わりました。

最後は惨めさと情けなさで、あふれる涙を抑えられませんでした。

最終日くらいはお互い笑顔で向き合い、

短い間ではあったけれどお世話になりましたとお礼をしたかったのですが、

それも叶いませんでした。



最終日も4時間に及ぶ長時間の説教。

東京から新幹線に乗れば、広島に着いてしまいますね(笑)


こうして、我が人生で最初の会社生活は幕を閉じました。

もしかしてこの上司はヒマなのでは?

私が退職願を出してからも、連日のように上司から説教は続きました。

内定辞退者を引き留めることができていないことを報告すると、

「なぜ今日もゼロなんだ?引き留めたいという気持ちを伝えろ!」

「すぐに諦めるな!お前はメンタルが弱いから上手くデキないんだ!」

と大声で叱責を受けます。

しかし、その中身は何も具体策のない精神論か人格否定ばかり・・・

これが毎日2〜3時間続きました。



そんなある日、私はあることに気づいてしまいました。

私に説教をしている何時間もの間、この上司は何も仕事をしていないことを。

もし忙しかったら、こんなしょーもない説教を5分たりともしているヒマはないはず。

「もしかして、この人ヒマなのでは??」



それ以降、説教は私の耳に入ってこなくなりました。

2023年11月09日

鬼上司から予想外の反応が

私は辞職願を出し、10月いっぱいで退職させてほしいと上司に伝えました。

すると、別室に来るように上司から促されました。

「なぜ辞めるんだ?」といつになく落ち着いたトーンで聞かれました。

「もともと技術者になりたいという思いがあり、自動車メーカーに転職したいからです」と答えました。


すると予想だにしない発言が上司から飛び出したのです。

「ここの会社で起業するノウハウを勉強して、自分で自動車メーカーを立ち上げればいいのでは?」

私は自動車の開発をしたくてメーカーに転職したいと言っているのに、

莫大な設備投資が必要な自動車メーカーを自分が起業すればいいという上司の言葉に、

この上司とは折り合えることは絶対にないと確信したのです。


「自動車メーカーを起業するには莫大なお金がかかりますし、

私は自動車開発の技術を身に着けたいので、この会社を辞めさせていただきます」

きっぱり断りました。

いつもは上司に何時間も説教され、何も反論できないこの私でしたが、

この時は上司に反論できたことに自分でも驚きました。


上司に退職願を突き出すこと。

それは私が唯一手にした武器だったのです。

2023年11月04日

親の一言で早期退職を決意した

当時私は朝6時半に自宅を出て、午前0時過ぎに帰宅する毎日でした。

母は朝食の準備をするために私より早く起床し、

夜は私が帰宅するまで起きて待っていてくれました。

そして私の遅い晩ご飯の片づけをしてくれるのです。


私が連日職場で上司から激しい叱責を長時間受けていることは伝えていました。

そしてある日、父親からこう言われたのです。

「もう会社辞めろ」

理由を尋ねると、母の体力が限界だというのです。

母は私の出勤よりも早く起き、夜遅くに帰宅するのを待ってくれていました。

そうか・・自分のことで精いっぱいだったけど、家族にも負担をかけていたとは・・

この時はじめて気づきました。


そして身体にじんましんができるほど私がストレスを抱えていることも、

親としては心配だったようです。

家族に心配を掛けてまで働く会社ではない・・


意を決して上司に辞職願を出しました。


2004年10月半ばのことです。

2023年08月30日

ある日じんましんが全身に・・

いよいよ壮絶なプレッシャーと闘う毎日となりました。

内定辞退者を何人引き留めたのか、上司に毎夕報告することになったのです。

ゼロのままだと罵倒され、深夜までの残業が確定するのです。

(もっとも、光〇信は超絶ブラック企業ですので、

残業代も時給に換算すると700円くらいです)


どれだけ電話しても、心変わりするような辞退者は1人もいません。

もはや絶望しかありません。

毎日100人の前で公開処刑です。


好意を持っていた女性社員の前で罵倒されるという屈辱、そして恥ずかしさ・・・

この苦しい気持ちが分かりますか?


こんな毎日を繰り返すうち、身体に異変が現れました。

全身じんましんだらけになったのです。

2023年08月28日

京葉線の通勤快速で失神

社会人1年目の2004年。

月収わずか15万円のために、朝6時半に自宅を出て、

深夜0時過ぎに帰宅する毎日でした。


当時勤めていた光〇信は、交通費を全額は出してくれません。

当時、千葉市から池袋まで通勤していた私は、

月に1万数千円は自己負担して通勤定期を購入していたのです。

薄給な上に交通費も一部とはいえ自己負担なんて、まさにブラック企業ですよね。


当時、朝の京葉線には、蘇我を出ると東京駅までノンストップの通勤快速が存在し、

私はこれに乗って毎朝通勤していました。

停車駅が少なく速いから便利かと思っていたのですが・・・


これがとにかく混みます。激混みなんです。

東京駅までの所要時間が短いので、通勤客が殺到するのです。

もうすし詰め状態でした。

連日の激務で睡眠不足の私には、これが過酷でして・・。

始発駅から乗らない限り座席に座れませんので、

ずっと立ちっぱなしです。

ノンストップ区間で気分が悪くなっても、途中で降りることができません。

当たり前のことですが。


ある日、そのノンストップ区間で気分が悪くなり、吐き気がしてきました。

今すぐ戻したくなるほどの・・

しかし、すし詰め電車で身動きが取れません。

網棚に乗せた通勤かばんを取って、ドア付近に何とか移動しようとしたのですが・・


網棚に手を伸ばしても、かばんが取れないのです。

視界が狭まって遠近感が狂ってしまったようです。

何回もトライしても、かばんに手が届きません。

そしてそれからの記憶が残っておらず、気が付いたときは

かばんを抱えてドア付近でうずくまっていたのです。

今思うと、貧血状態になって一瞬気を失っていたのかもしれませんね。


そのうちに気分が落ち着いてきました。

こうして電車の中でゲロをするという

人生最悪の事態を回避することができました。


いやあ、それにしても首都圏の通勤ラッシュは過酷でした・・・

2023年08月27日

100人の前で公開処刑

1ヶ月間におよんだ内定辞退者を引き留めるミッションでしたが、

朝から晩まで電話をかけまくったものの1人も引き留めることはできませんでした。


私自身が勤務先の会社に何ら魅力を感じていませんでしたし、

心のどこかで「辞退して当然の会社だよな」と思っておりましたので、

辞退者を説得する材料を何も持ち合わせていませんでした。


「もっといい会社から内定をもらえたので」

と言われたら、

「そうですか、おめでとうございます」

と返すしか術はありませんでした。


とある日、上司に呼び出されました。

「これまで何人引き留めた?」

と聞かれました。

「え・・・と、まっ、まだゼロです」

私は絞り出すように答えるのが精一杯です。

「は、ゼロだと?一体何をしてたんだ?!」

「どうしてこれまで黙っていたんだ!?」

と矢継ぎ早に責め立てられました。


私が驚いたのはその後です。

「1回断られたくらいで諦めるな!そいつに何度も電話しろ!!」

「100人くらいで諦めるな。今日だけで1,000人に電話をかけろ!!」

ここまでくると、もはや精神論です。


そして、具体的な指示がないどころか人格攻撃が始まりました。

私が素直に「分かりました」と返事をしなかったのが癪に障ったのでしょう。

「100人くらいから断られたくらいで諦めるオマエは精神力が弱い!」

「1人も引き留められないなんてショボすぎる」

「朝から晩まで電話して成果ゼロか・・使えねえ」

こういった暴言を100人くらいいる職場で吐かれました。

もはや完全に晒しものです。


こうして上司の前に立たされたまま、

4時間くらい罵声を浴び続けました。

今でいうところのパワハラですね。


ようやく解き放たれ自分の席に戻った時、

涙がとめどなく溢れてきました。

周りが引くくらいの声の大きさで号泣しました。


2004年、26歳で社会人1年目の夏の出来事でした。

与えられたノルマは内定辞退者を引き留めること

私が最初に就職した会社(光〇信)は、ブラック企業でした。

過酷な営業ノルマ、長時間労働、夜遅くまでの執拗なセールス電話・・

その過酷さは世間一般にも知れ渡っており、

内定を出しても、辞退する学生が続出するのが悩みの種でした。

翌年の人員計画が全く立てられないからです。

通年採用をしておりますが、この実態は改善しませんでした。


そこで新人の私に課せられたノルマがありました。

「内定辞退者を毎月50人引き留めること」です。


パソコンに登録されている内定辞退者のデータベースを開き、

表示された番号に朝から晩まで電話をかけまくりました。

これが1ヵ月続きました。

人事部に配属

1カ月間の営業研修を終えました。

結局、成約が取れた案件はゼロ・・成果なしです。


そして人事部に配属となり、

そこでの最初のミッションは求職者の学生の前で会社説明会を行うことでした。

いくら相手が学生であっても、自分と数歳しか変わりません。

自分の会社のこともまだよく知らないのに、自信を持って説明することができません。

スライドに表示された文字をベタ読みすることしかできず、

緊張からか声は震えてしまいます。

学生たちの反応はイマイチ・・質問をされても、あやふやな回答しかできません。


散々な会社説明会でした。

説明会後は毎回もれなく上司や先輩に呼び出され、

延々とダメだしされるのが日課となりました。