2018年07月26日
スペイン巡礼記 B 2日目:いきなりの山越え
Pilgrimage in Spain B Day 2 : Across the mountain【4.2011】
Pamplona パンプローナ 〜 Uterga ウテルガ
(16.1km)
「ペルドン山 770メートル Alto del Perdon 770m」
翌朝、懐かしい日本食をお腹いっぱい食べる夢から醒めた私は、パンプローナの街から歩き始めた。
古い修道院を巡礼者のために改装したベッド数140の巨大なアルベルゲは、ヘアピン一つ落としても花瓶を割ったような音がしそうにひっそりとしていながらよく響くので、ひそひそ声も重なると交響曲の重低音がずっと続いているかのようだった。
今はオフシーズンにあたるので両翼の回廊に当たる部分の二段ベッドのみ開放されているが、最も巡礼者の増える7、8月は教会の真ん中にあたる部分のベッドも使われるので災害時の避難所に近い様相を呈するらしい。考えただけで夏場の巡礼は遠慮したい。
そんな洞窟のようなホールのどこか一角で一晩中誰かが話をする声が響いていたのと、隣のベッドに文字通り大の字で横になり、窮屈そうに足をはみ出させたスペイン人の大男2人による大鼾の重奏で、前の晩ほとんど眠れず、寝不足のぼーっとした状態のまま周囲に合わせて朝8時にパンプローナのアルベルゲを後にする。
隣りの豪快なスパニッシュ大男たちは、前日話した時に6時半に起きると宣言していたとおり、目覚めた時にはすでにいなかった。
フランスから歩き始めてすでに足を痛めた人もいるのか、昨日アルベルゲに初めて足を踏み入れた時、館内にはかすかにメンソレータムの匂いが漂っていた。今朝も歩く前に何か足に塗っている女性が少なからずいる。
それより何より私の度肝を抜いたのは、通路でいきなりトップレスになって着替えていたおばさんである。
いくら男女の区別のないアルベルゲといえど、ベッドの奥の方ではなく通路で着替えている人、しかもトップレスになっている女性を見たのはこの時だけだったが、おそらく何日間かアルベルゲを泊まり歩くと羞恥心というものがなくなってくるのかと、いきなりの洗礼に先が恐ろしく感じたことを覚えている。
部屋は基本男女混合なので、パンツ一枚でウロウロする男性は頻繁にいたけれども、女性は少なくともトイレかベッドの中で着替えていたと思う。
もっとも私は朝に弱く、いつもほとんどの人が準備し終えて順々に宿を後にする頃ようやく起き出すため、暗がりの中で人々がガサゴソと静かに出発準備をする音しか聴いていないので、他にも大胆に人前で着替える女性がいたのかどうかはわからない。
しかし、ヨーロッパの夏の海岸ではトップレスの女性たちが眩しい裸体を投げ出している光景がよく見られるというから、恥ずかしがり屋のアジア人とはそもそも考え方が違うのかもしれない。
パンプローナのようなベッド数百を超える大きなアルベルゲは、実はそう多くはない。鉄道駅を有するような比較的大きな街のみで、他はベッド数10〜50が普通である。
また、大都市では教会にアルベルゲが併設されていることが多いので、パンプローナのように一つの部屋が巨大で、何十人、夏場には何百人がまさしく一つ屋根の下で、というより一つ天井の下で一晩を過ごすことになる。
だから巡礼者の中にはそういった百人一緒くたのマンモス・アルベルゲに泊まるの嫌さに大都市を通り過ぎ、次の小さな集落に泊まるのを好む人もいる。
2日目といっても実質歩き始めた初日、私はどこに泊まるかを決めかねていた。
パンプローナの次のアルベルゲは4.8キロ先。昨日わずか2、3キロ歩いてへとへとだったのを思い出すと、初日はそこで止めておくべきかと思っていた。そこを過ぎると、山を一つ越えた16キロ先までアルベルゲはない。
計算すると、45日でサンティアゴ・デ・コンポステラに到達するには、一日15キロ以上歩く必要がある。
しかし、いきなり16キロも歩けるだろうか。山を登りきるまでに夜になってしまったら?
地図と目の前の山々を照らし合わせてみても、一体自分がこれから登る山がどれなのかまったく見当がつかない。山は無数に存在するのだ。どの山を越えるにしても、この恐ろしく重たい荷物を背負ったまま、一体何時間歩けるというのだ。
巡礼を始めた頃の私は、とにかく長距離を歩くことに必要以上の恐れを抱いていた。が、幸いなことに空は青く晴れ、前後に巡礼者もまばらにおり、とにかく4.8キロ地点まで歩いてみよう、そこに着いてからもう少し歩けるかどうか見極めようと思い定め、美しく整備されたパンプローナ新市街の公園を突っ切ったのだった。
「やればできる You can do it if you try」
そしていざ4.8八キロ地点。拍子抜けするほどあっという間に着いてしまった。
ゆるやかな登り坂だったので少し汗はかいていたが、清々しい空気の中、ここまでは順調である。8時にパンプローナを出て、途中公園で朝食のマフィンを食べて少し休んだ時間を除くと、約1時間15分で5キロ歩いたようだ。
道はその先明らかに山道になり、登りがきつくなってきた。どうやら山の真上に立ち並ぶ3枚プロペラの風力発電機群のそばを通って山を越えるらしい。
ひと山越える、などという経験は徒歩ではもちろんない。途中で歩けなくなったらどうしよう。常にその不安を抱えながら、細くなっていく山道をひたすら登っていく。
途中、巡礼道の目印である黄色い矢印が石垣に描かれているのを何度も目にするし、山といっても腰丈ほどの灌木の茂みが道の両側にあるだけで、周辺は畑や牧草地のようなので見通しはきく。少し前を先ほどクッキーをくれた男性たちが歩いているのが見えるので気分的には安心できる。誰もいない山の中で迷ってしまうという最悪の事態にはならなくてすみそうだ。
文字通り息を切らしながら角度がきつくなっていく坂を登る私を軽々と追い越していく人々もいる。きっとフランスから歩き始めた人たちだろう。追い越し際、スペイン語らしき言葉で励ましてくれる。英語で「頂上はもうすぐだよ!」と声をかけてくれる人もいた。巡礼者たちは皆で励まし合って先へ進むのだ。
山のてっぺんで悠々とプロペラを回し下界を見下ろしている白い巨人たち、風力発電機群が近付いてきた。
道は一人がやっと通れる細さに狭まり、ふと振り向くと、自分の歩いてきた道が遥か向こうの街中の方へ延びている。こんなところまで自分の足で登ってきたんだ。
そういえばニュージーランドへ行った時、初めて一人で山登りをして(といってもスニーカーで気軽に歩ける湖畔の小高い丘だったが)、人の足がどれだけ遠くへ人を運んでくれるか、小さな一歩も繰り返せば着実に遠くまで行けるのだ、と実感したことを思い出した。
息は切れ切れだし、足は鉄の球を引きずっているみたいに重くて上がらないし、汗だくだし、正直これ以上歩きたくない。『どこでもドア』が開いて頂上まで、いや、次のアルベルゲまで運んでくれるなら、迷わず入ってしまいそうなくらい消耗していた。
それでも頂上で写真を撮る人々が見えている。あと少しだ、頑張れ。
自分で自分を励まして一歩ずつ土を踏みしめる。
そして辿り着いた頂上。そこにはなぜかロバを引く隊商のアイアン・アートと何かの碑が立っていた。飲み物やアイスクリームを売る車も止まっている。なんだ、車道もあるし、車でも来られるんじゃん!
「You did it! (やったね!)」
先ほど追い越していった夫婦が声をかけてくれた。しばし棒立ちになったまま頂上に着いた幸せを噛みしめると、肩に食い込んでいるのでは、と思われた重いバックパックをかなぐり捨てて近くの石に腰を下ろした。
心地良い風(かなりの強風だが、汗だくで登ってきた体にはそう感じる)が火照った頬を撫でていく。生ぬるくなったペットボトルの水を美味しく感じるから不思議だ。ああ、歩いたなぁ。こんな所まで自分の足で登ってきたんだ…。
8時から歩き始めて約4時間。ひたすら前を見て進んできたが、振り返ると眼下には城壁に囲まれたパンプローナの旧市街が豆粒のように小さく見えた。
あそこから、たった4時間でこんな上まで登ってきたんだ。車ではなく、自分の足で。その事実がものすごく嬉しい。
疲れが吹き飛んだので、立ち上がるとアイアン・アートで写真を撮っている人々の方へ歩いていく。おばさんグループに写真を撮ってと頼まれた。ロバの隣りに立ったり、隊商の男性と思しき人物と腕を組んだり、ロバのお尻にしがみつくポーズを取るユニークなおばさんもいる。みんな笑顔だ。
頂上まで登ればあとは下るだけ、と意気揚々と歩き出した私だったが、下りは石ころだらけで歩きにくいうえに傾斜が急で、すぐに膝が笑いだしてしまった。
人によっては杖(スキーのストックみたいなものもある)を持っているので器用に突いて軽々下って行く人々もいたが、余計な荷物は一切持ちたくない私はそういった補助具を買わなかったので、ゆっくりと蟹のように下りては少し休んで、を繰り返すこととなった。
途中先ほどの夫婦が巡礼道中まばらに設けられたベンチに座っていて、私を見ると「あなたも休んだら?」とスペースを空けてくれたので、ありがたく座ることにした。
歩くうちにわかったのだが、こうした山道ではめったにベンチなどなく、あったとしても大抵誰か座っているので、道端に手ごろな大きさの石をみつけた時以外、休みを取るのは難しいのだ。
巡礼中に限らず、一人で旅をしているといろんな人が気遣って声をかけてくれる。この時も私に「甘いものは必要よ」とクッキーを分けてくれながら、奥さんが私に一人で歩いているのかと聞いてきた。
パンプローナから歩き始めて今日が初日なのだと言うと、夫婦は自分たちもパンプローナから歩き始めたのだという。アメリカのワシントンから来たそのご夫婦は二人して、あなたは小さいのにそんな重い荷物を背負って若い女の子一人で歩くなんてえらい、と感心していた。完全に私を二十代のヤングガールだと思っている…。
下りは滑りやすいから歩くのが難しいと話すと、下りを勢いよくさっさと下りてしまうと、つま先に余計な負担をかけ、下りた頃には足の爪がはがれるというイタイことになって苦しむことになるのでゆっくり着実に歩く方がいい、と教えてくれた。実際爪がはがれて見るも無残な足先になった若い子たちがテーピングしている姿を、この後少なからず見かけた。
また私の背負っていたバックパックが私には多きすぎるのではないか、と指摘も受けた。私が小さすぎるのだが、バルセロナのショッピングモールにあったアウトドア・ファッションの店で買ったので、本格的なアウトドア専門店で背負ってみた訳でもなく、体に合うような調整は何もしないまま巡礼を始めていた。
リュックの正しい背負い方など知らないのだ。もっとお腹で支えるように、ウエスト・バックルを正しい位置できつく締めれば軽く感じると奥さんが教えてくれたので、腰骨の位置でゆるく止めていたベルトを少し上げてきつめに絞ってみたら、本当に少し肩がラクになったように感じた。
が、歩き始めるとやはり重いものは重い。普段から肩こりがひどいのに、8キロ近いバックパックを背負っているのだ。楽々歩ける訳がない。山を下り、パンプローナから16キロ先のアルベルゲに着いた時には、暑さと疲れで私はすっかりヨレヨレになっていた。
「女4人でテーブルを囲む surround the table with four women」
午後1時、山の中腹にあるウテルガという集落(といっても家はまばらに数十軒あるだけで人影はほとんどない)のアルベルゲに着くと、先ほどのご夫婦がテラスでランチを取っていて、「やっと来たね!」と迎えてくれたが、私は曖昧に頷くのが精一杯。ヨタヨタとバルの中へ入っていくと、真っ先に「今日泊まれる?」と尋ねたのだった。
バルでランチをとっていた人たちは皆まだ先へと歩いて行った。ワシントンからのご夫婦ももう5キロ先のアルベルゲまで歩くというので、せっかく知り合ったのに残念だったが、ウテルガでお別れとなった。
巡礼はそれぞれのペースで歩いていく。サンティアゴ・デ・コンポステラという同じ場所を目指しているのに、二度と会うことのない人達もたくさんいる。ペースの遅い私は追い越されていくばかりだ。
案内されたドミトリーに勿論私は一番乗り。誰もいない広い部屋で一時間半ほどベッドに横になったのだった。しかし、それでもまだ夕方。夜10時過ぎまで暗くならないヨーロッパの夏に、あと5時間近く何をすればよいのだろう。私は初日から途方に暮れてしまった。
できるだけ荷物を軽くするために、本類は全て置いてきてしまった。読む本もなければスペイン語のテキストも持っていない。昼間あまり寝てしまっては長い夜の間眠れなくなってしまう。朝早く発つ巡礼者が多いので、たいていのアルベルゲでは皆9時にはベッドに入り消灯されるのだ。
仕方なくアルベルゲ併設のバルでコーヒーを頼み、外のテーブルで日記でも書くことにした。今日は4月にしては気温が上がり乾燥したためか、ウテルガの村の中を砂塵が舞って霞んでいる。
オープンエアーで風に吹かれるのは疲れた体を休める最良の方法。暖かい陽気とむき出しの腕を撫でていく心地良い風にあくびを繰り返しながらぼーっとしていると、キャミソールからはみ出んばかりの贅肉を揺らし、大汗をかきながら、一人のおばさんがバルへと入っていった。肉布団をまとった欧米人には「暖かい陽気」というよりは「灼熱の太陽」らしい。
そのおばさん、カリフォルニアから一人で歩きにきたヴィッキーと、夕食で一緒になった。たまたま一人歩きの女性が私を含め4人いたので、皆で同じテーブルに座ることになったのだ。
ヴィッキーのほかにはアメリカ、サウスカロライナの農場からきたおばさんと、ドイツから来た獣医の卵という若い女の子。3時過ぎに着いたその子はドミトリーで、何やら本やノートを拡げていたが数週間後の試験勉強をしていたのだという。
「ここでこういうバラバラな4人が同じテーブルを囲むことになったのも何かの縁ね、乾杯しましょ」と典型的なアメリカンのフレンドリーさを発揮した陽気なヴィッキーがワインを皆にご馳走してくれた。
孤独な旅路を想像していた私は、そっか、こうやって仲間ができていくんだぁ、と和気あいあいとした夕食を楽しんだ初日だった。
しかし、この3人と再会することは二度となかった。翌日ドイツの女の子は日程的に30キロ先のエステージャまでいかなければならないので早朝に出立し、二人のアメリカ人女性は、今日は雨の予報だからしばらく様子を見るというので、私は一人8時半頃宿を出たからだ。
この先も一晩だけ楽しく同じテーブルを囲むという出会いは幾つかあったが、何度か顔を合わせる人々は限られた数しかいなかった。それも全て縁なのだろう。
★スペイン巡礼記Cへ続く…
(表題上部の>>をクリックしてください)
Pamplona パンプローナ 〜 Uterga ウテルガ
(16.1km)
「ペルドン山 770メートル Alto del Perdon 770m」
翌朝、懐かしい日本食をお腹いっぱい食べる夢から醒めた私は、パンプローナの街から歩き始めた。
古い修道院を巡礼者のために改装したベッド数140の巨大なアルベルゲは、ヘアピン一つ落としても花瓶を割ったような音がしそうにひっそりとしていながらよく響くので、ひそひそ声も重なると交響曲の重低音がずっと続いているかのようだった。
今はオフシーズンにあたるので両翼の回廊に当たる部分の二段ベッドのみ開放されているが、最も巡礼者の増える7、8月は教会の真ん中にあたる部分のベッドも使われるので災害時の避難所に近い様相を呈するらしい。考えただけで夏場の巡礼は遠慮したい。
そんな洞窟のようなホールのどこか一角で一晩中誰かが話をする声が響いていたのと、隣のベッドに文字通り大の字で横になり、窮屈そうに足をはみ出させたスペイン人の大男2人による大鼾の重奏で、前の晩ほとんど眠れず、寝不足のぼーっとした状態のまま周囲に合わせて朝8時にパンプローナのアルベルゲを後にする。
隣りの豪快なスパニッシュ大男たちは、前日話した時に6時半に起きると宣言していたとおり、目覚めた時にはすでにいなかった。
フランスから歩き始めてすでに足を痛めた人もいるのか、昨日アルベルゲに初めて足を踏み入れた時、館内にはかすかにメンソレータムの匂いが漂っていた。今朝も歩く前に何か足に塗っている女性が少なからずいる。
それより何より私の度肝を抜いたのは、通路でいきなりトップレスになって着替えていたおばさんである。
いくら男女の区別のないアルベルゲといえど、ベッドの奥の方ではなく通路で着替えている人、しかもトップレスになっている女性を見たのはこの時だけだったが、おそらく何日間かアルベルゲを泊まり歩くと羞恥心というものがなくなってくるのかと、いきなりの洗礼に先が恐ろしく感じたことを覚えている。
部屋は基本男女混合なので、パンツ一枚でウロウロする男性は頻繁にいたけれども、女性は少なくともトイレかベッドの中で着替えていたと思う。
もっとも私は朝に弱く、いつもほとんどの人が準備し終えて順々に宿を後にする頃ようやく起き出すため、暗がりの中で人々がガサゴソと静かに出発準備をする音しか聴いていないので、他にも大胆に人前で着替える女性がいたのかどうかはわからない。
しかし、ヨーロッパの夏の海岸ではトップレスの女性たちが眩しい裸体を投げ出している光景がよく見られるというから、恥ずかしがり屋のアジア人とはそもそも考え方が違うのかもしれない。
パンプローナのようなベッド数百を超える大きなアルベルゲは、実はそう多くはない。鉄道駅を有するような比較的大きな街のみで、他はベッド数10〜50が普通である。
また、大都市では教会にアルベルゲが併設されていることが多いので、パンプローナのように一つの部屋が巨大で、何十人、夏場には何百人がまさしく一つ屋根の下で、というより一つ天井の下で一晩を過ごすことになる。
だから巡礼者の中にはそういった百人一緒くたのマンモス・アルベルゲに泊まるの嫌さに大都市を通り過ぎ、次の小さな集落に泊まるのを好む人もいる。
2日目といっても実質歩き始めた初日、私はどこに泊まるかを決めかねていた。
パンプローナの次のアルベルゲは4.8キロ先。昨日わずか2、3キロ歩いてへとへとだったのを思い出すと、初日はそこで止めておくべきかと思っていた。そこを過ぎると、山を一つ越えた16キロ先までアルベルゲはない。
計算すると、45日でサンティアゴ・デ・コンポステラに到達するには、一日15キロ以上歩く必要がある。
しかし、いきなり16キロも歩けるだろうか。山を登りきるまでに夜になってしまったら?
地図と目の前の山々を照らし合わせてみても、一体自分がこれから登る山がどれなのかまったく見当がつかない。山は無数に存在するのだ。どの山を越えるにしても、この恐ろしく重たい荷物を背負ったまま、一体何時間歩けるというのだ。
巡礼を始めた頃の私は、とにかく長距離を歩くことに必要以上の恐れを抱いていた。が、幸いなことに空は青く晴れ、前後に巡礼者もまばらにおり、とにかく4.8キロ地点まで歩いてみよう、そこに着いてからもう少し歩けるかどうか見極めようと思い定め、美しく整備されたパンプローナ新市街の公園を突っ切ったのだった。
「やればできる You can do it if you try」
そしていざ4.8八キロ地点。拍子抜けするほどあっという間に着いてしまった。
ゆるやかな登り坂だったので少し汗はかいていたが、清々しい空気の中、ここまでは順調である。8時にパンプローナを出て、途中公園で朝食のマフィンを食べて少し休んだ時間を除くと、約1時間15分で5キロ歩いたようだ。
まだ9時半、こんなに早く宿に入るのは勿体なすぎる。16キロといえば諏訪湖一周と同じじゃないか。 これだけ周囲に人が歩いているのだ、何とかなる、とばかりに先へ進むことにした。グロッサリー・ストア(食料品店)の前のベンチで休んでいたら、隣のベンチに座った男性の二人組が「クッキーをどう?」と分けてくれた。旅人は皆親切だ。 ⇐右に見えるのがパンプローナ市街地。あそこから約10キロほど歩いた山頂の手前から。 |
道はその先明らかに山道になり、登りがきつくなってきた。どうやら山の真上に立ち並ぶ3枚プロペラの風力発電機群のそばを通って山を越えるらしい。
ひと山越える、などという経験は徒歩ではもちろんない。途中で歩けなくなったらどうしよう。常にその不安を抱えながら、細くなっていく山道をひたすら登っていく。
途中、巡礼道の目印である黄色い矢印が石垣に描かれているのを何度も目にするし、山といっても腰丈ほどの灌木の茂みが道の両側にあるだけで、周辺は畑や牧草地のようなので見通しはきく。少し前を先ほどクッキーをくれた男性たちが歩いているのが見えるので気分的には安心できる。誰もいない山の中で迷ってしまうという最悪の事態にはならなくてすみそうだ。
文字通り息を切らしながら角度がきつくなっていく坂を登る私を軽々と追い越していく人々もいる。きっとフランスから歩き始めた人たちだろう。追い越し際、スペイン語らしき言葉で励ましてくれる。英語で「頂上はもうすぐだよ!」と声をかけてくれる人もいた。巡礼者たちは皆で励まし合って先へ進むのだ。
山のてっぺんで悠々とプロペラを回し下界を見下ろしている白い巨人たち、風力発電機群が近付いてきた。
道は一人がやっと通れる細さに狭まり、ふと振り向くと、自分の歩いてきた道が遥か向こうの街中の方へ延びている。こんなところまで自分の足で登ってきたんだ。
そういえばニュージーランドへ行った時、初めて一人で山登りをして(といってもスニーカーで気軽に歩ける湖畔の小高い丘だったが)、人の足がどれだけ遠くへ人を運んでくれるか、小さな一歩も繰り返せば着実に遠くまで行けるのだ、と実感したことを思い出した。
息は切れ切れだし、足は鉄の球を引きずっているみたいに重くて上がらないし、汗だくだし、正直これ以上歩きたくない。『どこでもドア』が開いて頂上まで、いや、次のアルベルゲまで運んでくれるなら、迷わず入ってしまいそうなくらい消耗していた。
それでも頂上で写真を撮る人々が見えている。あと少しだ、頑張れ。
自分で自分を励まして一歩ずつ土を踏みしめる。
そして辿り着いた頂上。そこにはなぜかロバを引く隊商のアイアン・アートと何かの碑が立っていた。飲み物やアイスクリームを売る車も止まっている。なんだ、車道もあるし、車でも来られるんじゃん!
「You did it! (やったね!)」
先ほど追い越していった夫婦が声をかけてくれた。しばし棒立ちになったまま頂上に着いた幸せを噛みしめると、肩に食い込んでいるのでは、と思われた重いバックパックをかなぐり捨てて近くの石に腰を下ろした。
心地良い風(かなりの強風だが、汗だくで登ってきた体にはそう感じる)が火照った頬を撫でていく。生ぬるくなったペットボトルの水を美味しく感じるから不思議だ。ああ、歩いたなぁ。こんな所まで自分の足で登ってきたんだ…。
8時から歩き始めて約4時間。ひたすら前を見て進んできたが、振り返ると眼下には城壁に囲まれたパンプローナの旧市街が豆粒のように小さく見えた。
あそこから、たった4時間でこんな上まで登ってきたんだ。車ではなく、自分の足で。その事実がものすごく嬉しい。
疲れが吹き飛んだので、立ち上がるとアイアン・アートで写真を撮っている人々の方へ歩いていく。おばさんグループに写真を撮ってと頼まれた。ロバの隣りに立ったり、隊商の男性と思しき人物と腕を組んだり、ロバのお尻にしがみつくポーズを取るユニークなおばさんもいる。みんな笑顔だ。
「次はあなたを撮ってあげる。どこに立つ?」と言われたので、「Follow me!」とばかりに高慢にもロバを引っ張っていくポーズをとってみた。 「Oh, you lead a donkey!」と親指を突き立てるグッドのサインを出してからおばさんが撮ってくれた写真には、得意顔でロバを引く私が写っている。 |
頂上まで登ればあとは下るだけ、と意気揚々と歩き出した私だったが、下りは石ころだらけで歩きにくいうえに傾斜が急で、すぐに膝が笑いだしてしまった。
人によっては杖(スキーのストックみたいなものもある)を持っているので器用に突いて軽々下って行く人々もいたが、余計な荷物は一切持ちたくない私はそういった補助具を買わなかったので、ゆっくりと蟹のように下りては少し休んで、を繰り返すこととなった。
途中先ほどの夫婦が巡礼道中まばらに設けられたベンチに座っていて、私を見ると「あなたも休んだら?」とスペースを空けてくれたので、ありがたく座ることにした。
歩くうちにわかったのだが、こうした山道ではめったにベンチなどなく、あったとしても大抵誰か座っているので、道端に手ごろな大きさの石をみつけた時以外、休みを取るのは難しいのだ。
巡礼中に限らず、一人で旅をしているといろんな人が気遣って声をかけてくれる。この時も私に「甘いものは必要よ」とクッキーを分けてくれながら、奥さんが私に一人で歩いているのかと聞いてきた。
パンプローナから歩き始めて今日が初日なのだと言うと、夫婦は自分たちもパンプローナから歩き始めたのだという。アメリカのワシントンから来たそのご夫婦は二人して、あなたは小さいのにそんな重い荷物を背負って若い女の子一人で歩くなんてえらい、と感心していた。完全に私を二十代のヤングガールだと思っている…。
下りは滑りやすいから歩くのが難しいと話すと、下りを勢いよくさっさと下りてしまうと、つま先に余計な負担をかけ、下りた頃には足の爪がはがれるというイタイことになって苦しむことになるのでゆっくり着実に歩く方がいい、と教えてくれた。実際爪がはがれて見るも無残な足先になった若い子たちがテーピングしている姿を、この後少なからず見かけた。
また私の背負っていたバックパックが私には多きすぎるのではないか、と指摘も受けた。私が小さすぎるのだが、バルセロナのショッピングモールにあったアウトドア・ファッションの店で買ったので、本格的なアウトドア専門店で背負ってみた訳でもなく、体に合うような調整は何もしないまま巡礼を始めていた。
リュックの正しい背負い方など知らないのだ。もっとお腹で支えるように、ウエスト・バックルを正しい位置できつく締めれば軽く感じると奥さんが教えてくれたので、腰骨の位置でゆるく止めていたベルトを少し上げてきつめに絞ってみたら、本当に少し肩がラクになったように感じた。
が、歩き始めるとやはり重いものは重い。普段から肩こりがひどいのに、8キロ近いバックパックを背負っているのだ。楽々歩ける訳がない。山を下り、パンプローナから16キロ先のアルベルゲに着いた時には、暑さと疲れで私はすっかりヨレヨレになっていた。
「女4人でテーブルを囲む surround the table with four women」
午後1時、山の中腹にあるウテルガという集落(といっても家はまばらに数十軒あるだけで人影はほとんどない)のアルベルゲに着くと、先ほどのご夫婦がテラスでランチを取っていて、「やっと来たね!」と迎えてくれたが、私は曖昧に頷くのが精一杯。ヨタヨタとバルの中へ入っていくと、真っ先に「今日泊まれる?」と尋ねたのだった。
バルでランチをとっていた人たちは皆まだ先へと歩いて行った。ワシントンからのご夫婦ももう5キロ先のアルベルゲまで歩くというので、せっかく知り合ったのに残念だったが、ウテルガでお別れとなった。
巡礼はそれぞれのペースで歩いていく。サンティアゴ・デ・コンポステラという同じ場所を目指しているのに、二度と会うことのない人達もたくさんいる。ペースの遅い私は追い越されていくばかりだ。
案内されたドミトリーに勿論私は一番乗り。誰もいない広い部屋で一時間半ほどベッドに横になったのだった。しかし、それでもまだ夕方。夜10時過ぎまで暗くならないヨーロッパの夏に、あと5時間近く何をすればよいのだろう。私は初日から途方に暮れてしまった。
できるだけ荷物を軽くするために、本類は全て置いてきてしまった。読む本もなければスペイン語のテキストも持っていない。昼間あまり寝てしまっては長い夜の間眠れなくなってしまう。朝早く発つ巡礼者が多いので、たいていのアルベルゲでは皆9時にはベッドに入り消灯されるのだ。
仕方なくアルベルゲ併設のバルでコーヒーを頼み、外のテーブルで日記でも書くことにした。今日は4月にしては気温が上がり乾燥したためか、ウテルガの村の中を砂塵が舞って霞んでいる。
オープンエアーで風に吹かれるのは疲れた体を休める最良の方法。暖かい陽気とむき出しの腕を撫でていく心地良い風にあくびを繰り返しながらぼーっとしていると、キャミソールからはみ出んばかりの贅肉を揺らし、大汗をかきながら、一人のおばさんがバルへと入っていった。肉布団をまとった欧米人には「暖かい陽気」というよりは「灼熱の太陽」らしい。
そのおばさん、カリフォルニアから一人で歩きにきたヴィッキーと、夕食で一緒になった。たまたま一人歩きの女性が私を含め4人いたので、皆で同じテーブルに座ることになったのだ。
ヴィッキーのほかにはアメリカ、サウスカロライナの農場からきたおばさんと、ドイツから来た獣医の卵という若い女の子。3時過ぎに着いたその子はドミトリーで、何やら本やノートを拡げていたが数週間後の試験勉強をしていたのだという。
「ここでこういうバラバラな4人が同じテーブルを囲むことになったのも何かの縁ね、乾杯しましょ」と典型的なアメリカンのフレンドリーさを発揮した陽気なヴィッキーがワインを皆にご馳走してくれた。
孤独な旅路を想像していた私は、そっか、こうやって仲間ができていくんだぁ、と和気あいあいとした夕食を楽しんだ初日だった。
しかし、この3人と再会することは二度となかった。翌日ドイツの女の子は日程的に30キロ先のエステージャまでいかなければならないので早朝に出立し、二人のアメリカ人女性は、今日は雨の予報だからしばらく様子を見るというので、私は一人8時半頃宿を出たからだ。
この先も一晩だけ楽しく同じテーブルを囲むという出会いは幾つかあったが、何度か顔を合わせる人々は限られた数しかいなかった。それも全て縁なのだろう。
★スペイン巡礼記Cへ続く…
(表題上部の>>をクリックしてください)
タグ:パンプローナ
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