2019年10月26日
世界1周の旅:ヨーロッパ後編I【ブルガリア】世界遺産、リラ修道院は異界の入り口?
A voyage round the world : Europa Edition 2nd part I
Is Rila Monastery the world heritage of Bulgaria the gate to another world? 【6.2011】
6月15日ブルガリア最終日、世界遺産リラの僧院をガイド付きのツアーで訪れた。
ブルガリア正教の総本山であるその僧院は、リラ山脈の奥深く曲がりくねった一本道をバスに揺られること約2時間の鬱蒼とした山中にあった。幻想奇譚めいた怪しい雰囲気が漂う中、堅固な城のような門をくぐると、そこには異空間が拡がっていた。
赤、青、黄色といった、はっとするような鮮やかな色を使って宗教画が描かれた壁。アラブの影響を思わせる白と黒のドーム型列柱の内側に広がるそのフレスコ画の空間は、ヨーロッパでもイスラムでもないバルカン特有の美しい建築を今に伝えている。アンバランスの中の見事なバランス。
修道院博物館では、多くのイコンを始め、修道士ラファエロが作った十字架、古い聖書など、その貴重さが伝わってくる展示物ばかりで、キリスト教に詳しくない私でも食い入るように見てしまった。
オスマントルコの支配下でも、ここでだけはキリスト教の信仰が絶えることはなかったという。宗教の歴史は血みどろなのであまり興味は持てないけれど、何百年に渡る人々の祈りの声が聞こえてくるような気がした。
周囲の自然の中を少し歩いてみたが、深い森に静寂が広がる異界のようだった。僧院のそばには川があり、背後に聳える神々しいリラ山脈からの清流が心地よい音を響かせていた。少し森に入るとしっとりとした冷たい空気の中、静寂に包まれた世界が広がる。そこでは、さもしい人間の欲も迷いも消え失せてしまいそうだ。
教会を囲む修道院には、観光客用の宿泊施設、いわゆる宿坊がある。質素な宿坊に泊まったなら、深く深く自己の内部に分け入ることができるだろう。ツアーで行くと、限られた時間内で周囲の森を含め全てを見て回るのは難しい。せひ一泊して、もっとゆっくりこの異界を感じさせる強烈な印象の世界遺産を体験してみたかった。
「外国を旅すること」
ブルガリアとルーマニアは私にとって東欧とういうより、中東、アジアに近い後進国という印象だった。(後進国というのは日本人の上から目線での言葉だと思うが)
そして、ブルガリアもルーマニアも、やたらと野犬と野良猫が多かったのが印象的。イギリスでも見かけるような駅のマスコット的な愛玩動物としての犬猫ではなく、衛生上問題のありそうな犬猫なのだ。駅には必ず野犬が住み着いてるってどうなんだろう?
この辺りの国が先進国になりえなかったのは、位置的な問題というよりも、国民性なのではないかと強く感じた。オスマントルコ帝国とロシアという強大な力に長い間支配され、自由や信念を奪われてきた民族の行き着いた悲劇的な結末といえないこともないが。
努力なくして発展はありえない。正々堂々と生きている国民とは言えない気がした。もちろん全てのブルガリア国民がそうだとは言わない。が、国民性には一定の傾向がみられるものだ。
お釣りをごまかされそうになるたびに、強い苛立ちと共に思うのは日本の武士道精神だった。旅行客へのお釣りを誤魔化そうとするサービス業者が日本にあるだろうか。ホテルやタクシーはもちろんのこと、ファミレス、コンビニ、吉野家に至るまで、たかが100円、200円(たかが、と思ってしまうのは日本人の驕りかも)を誤魔化そうなんて考え付きもしないだろうし、ツーリスト価格さえほとんど存在しない。
お金持ちの日本人は小銭など必要ないだろうから?
いや、そういう問題ではない。必要か必要ないかではなく、他人からかすめ取る、という行為自体を古き良き日本人は嫌ったはずだ。貧しかった時代でも、人様に迷惑をかけることを良しとしない風土が日本にはあった。そしてそれには、お天道様が見ている、という自然信仰の影響もあったと思う。誰にも恥じることのない生き方。言い換えれば、プライドだ。
持てる者からかすめ取るのは理にかなっているが、それは自分が持たざる者だと認めたうえで成り立つ理屈。日本人は他人から施しを受けることを潔しとしない。路上生活者さえ物乞いをしない国だ。
それだけのプライドが日本人の中にはまだ残っているのだと思う。その根底に武士道精神があるのは間違いない。しかし他人からかすめ取ることを当然と受け止めているこの二つの国の人々はつまり、他人から施しを常に受けている、と云える。そうしなければ生き延びられなかったほどの壮絶な歴史が本当にあるというのだろうか。こういったことはアジアやアフリカの国々では頻繁に見られることだと思うが「ヨーロッパの国」でそれを感じたということが意外だった。
そんな大それた考えが浮かぶとは思いもしなかった。しかし、アジア、ヨーロッパ、北米と旅して、日本人という民族の優秀性(勤勉さ、合理性、協調性)と思想の高潔さ(誠実さ、謙虚さ)を改めて認識させられた。
私自身も日本人だし、身贔屓かと思われるかもしれない。もちろん歴史に見る残虐性は他国の歴史と大差ないことは認める。日本人以外のアジア人を蔑視する傾向は私自身にも多分にある。
それでもヨーロッパ、北米において最も人気が高く信頼されているのが日本人であるのは揺るぎない事実だ。それは単に裕福だからではなく、人柄、民族性に多く起因する気がしてならない。今回の旅で、初めて私は日本人であるということを誇りに感じた。
奇しくも2001年に3か月、そして2011年に半年、私には世界をこの目で見るチャンスが与えられた。誰もが得られるチャンスではない。この長くて短い日々に何を学ぶかはすべて自分にかかっている。だから自分はこの残された2か月を、巡礼のご褒美とは捉えていない。決してそうではないのだ。
真剣に、これからどう生きていくか考える必要がある。いつもまでも行き当たりばったりではいられないし、必ず誰かが助けてくれると考えるのは甘えている。私の悪い癖だ。自らの努力なくして進歩はありえないのだから。日本人のスタンダードに少しでも近付けるよう、努力をしなければならない。
ソフィアの簡素な空港内。これから私は再びイギリスへと飛び立つ。
★世界1周の旅:ヨーロッパ後編Jイギリス編へ続く…
追記:
これは2013年時点での私の手記であり、2019年現在の私自身は少し違う考えを持っている。この旅から約10年が経った今(2019年末現在)、恐らくソフィアやブカレストでの開発は進み、首都らしい近代的な建物も増え、世界中からのツーリストを迎える施設も整えられたことだろう。
そして「発展」や「人があるべき姿で生きる」という言葉の意味は、本当に主観的なものでしかない、と感じている。私には「発展」でも、そこに生きる人には「後退」かもしれないし、首都が新しい建物や無機質なビルの林立する大都会である必要はない。先進国、後進国という言葉だって先進国の人々が便利に使っているだけで、アメリカやイギリスは経済的には先進国なのかもしれないが、スピリチュアル的にはどうなの、といえば疑問を感じさるを得ない。国民の幸福度が高いブータンには、冷たい高層ビルなどほとんどない。
だからおそらく私が言いたかったのは「様々な国の人々や文化を実際にこの目で見て体験する機会を与えられた日本人である自分の役割ってなんだろう」ということを考える良い機会だった、ということだと思う。
Is Rila Monastery the world heritage of Bulgaria the gate to another world? 【6.2011】
「霊気漂う森の中の世界遺産、リラ修道院」
6月15日ブルガリア最終日、世界遺産リラの僧院をガイド付きのツアーで訪れた。
ブルガリア正教の総本山であるその僧院は、リラ山脈の奥深く曲がりくねった一本道をバスに揺られること約2時間の鬱蒼とした山中にあった。幻想奇譚めいた怪しい雰囲気が漂う中、堅固な城のような門をくぐると、そこには異空間が拡がっていた。
4階建ての外陣(修道士の宿泊施設)に囲まれ、敷地の中央に建つ聖母誕生教会には、ヴォールトを埋め尽くすフレスコ画。実際に見るとその鮮やかさは圧巻! |
赤、青、黄色といった、はっとするような鮮やかな色を使って宗教画が描かれた壁。アラブの影響を思わせる白と黒のドーム型列柱の内側に広がるそのフレスコ画の空間は、ヨーロッパでもイスラムでもないバルカン特有の美しい建築を今に伝えている。アンバランスの中の見事なバランス。
修道院博物館では、多くのイコンを始め、修道士ラファエロが作った十字架、古い聖書など、その貴重さが伝わってくる展示物ばかりで、キリスト教に詳しくない私でも食い入るように見てしまった。
オスマントルコの支配下でも、ここでだけはキリスト教の信仰が絶えることはなかったという。宗教の歴史は血みどろなのであまり興味は持てないけれど、何百年に渡る人々の祈りの声が聞こえてくるような気がした。
周囲の自然の中を少し歩いてみたが、深い森に静寂が広がる異界のようだった。僧院のそばには川があり、背後に聳える神々しいリラ山脈からの清流が心地よい音を響かせていた。少し森に入るとしっとりとした冷たい空気の中、静寂に包まれた世界が広がる。そこでは、さもしい人間の欲も迷いも消え失せてしまいそうだ。
教会を囲む修道院には、観光客用の宿泊施設、いわゆる宿坊がある。質素な宿坊に泊まったなら、深く深く自己の内部に分け入ることができるだろう。ツアーで行くと、限られた時間内で周囲の森を含め全てを見て回るのは難しい。せひ一泊して、もっとゆっくりこの異界を感じさせる強烈な印象の世界遺産を体験してみたかった。
「外国を旅すること」
ブルガリアとルーマニアは私にとって東欧とういうより、中東、アジアに近い後進国という印象だった。(後進国というのは日本人の上から目線での言葉だと思うが)
そして、ブルガリアもルーマニアも、やたらと野犬と野良猫が多かったのが印象的。イギリスでも見かけるような駅のマスコット的な愛玩動物としての犬猫ではなく、衛生上問題のありそうな犬猫なのだ。駅には必ず野犬が住み着いてるってどうなんだろう?
この辺りの国が先進国になりえなかったのは、位置的な問題というよりも、国民性なのではないかと強く感じた。オスマントルコ帝国とロシアという強大な力に長い間支配され、自由や信念を奪われてきた民族の行き着いた悲劇的な結末といえないこともないが。
人々は100円、200円をどうやって他人から巻き上げるかに日々汲々としている。そしてその行為を悪だと感じていないどころか、正当な権利とさえ思っている節がある。 右:開発中のソフィア市内 |
努力なくして発展はありえない。正々堂々と生きている国民とは言えない気がした。もちろん全てのブルガリア国民がそうだとは言わない。が、国民性には一定の傾向がみられるものだ。
お釣りをごまかされそうになるたびに、強い苛立ちと共に思うのは日本の武士道精神だった。旅行客へのお釣りを誤魔化そうとするサービス業者が日本にあるだろうか。ホテルやタクシーはもちろんのこと、ファミレス、コンビニ、吉野家に至るまで、たかが100円、200円(たかが、と思ってしまうのは日本人の驕りかも)を誤魔化そうなんて考え付きもしないだろうし、ツーリスト価格さえほとんど存在しない。
お金持ちの日本人は小銭など必要ないだろうから?
いや、そういう問題ではない。必要か必要ないかではなく、他人からかすめ取る、という行為自体を古き良き日本人は嫌ったはずだ。貧しかった時代でも、人様に迷惑をかけることを良しとしない風土が日本にはあった。そしてそれには、お天道様が見ている、という自然信仰の影響もあったと思う。誰にも恥じることのない生き方。言い換えれば、プライドだ。
持てる者からかすめ取るのは理にかなっているが、それは自分が持たざる者だと認めたうえで成り立つ理屈。日本人は他人から施しを受けることを潔しとしない。路上生活者さえ物乞いをしない国だ。
それだけのプライドが日本人の中にはまだ残っているのだと思う。その根底に武士道精神があるのは間違いない。しかし他人からかすめ取ることを当然と受け止めているこの二つの国の人々はつまり、他人から施しを常に受けている、と云える。そうしなければ生き延びられなかったほどの壮絶な歴史が本当にあるというのだろうか。こういったことはアジアやアフリカの国々では頻繁に見られることだと思うが「ヨーロッパの国」でそれを感じたということが意外だった。
ブルガリアを出る頃私が感じていたのは、先進国が地球規模で発展を考えていく必要がある、ということだった。幸運にも先進国に生まれ、世界をこの目で実際に見る機会を度々与えられた私には、地球を守るために、人があるべき姿で生きるために、どうしたらよいか考える義務があるのではないだろうか。 |
そんな大それた考えが浮かぶとは思いもしなかった。しかし、アジア、ヨーロッパ、北米と旅して、日本人という民族の優秀性(勤勉さ、合理性、協調性)と思想の高潔さ(誠実さ、謙虚さ)を改めて認識させられた。
私自身も日本人だし、身贔屓かと思われるかもしれない。もちろん歴史に見る残虐性は他国の歴史と大差ないことは認める。日本人以外のアジア人を蔑視する傾向は私自身にも多分にある。
それでもヨーロッパ、北米において最も人気が高く信頼されているのが日本人であるのは揺るぎない事実だ。それは単に裕福だからではなく、人柄、民族性に多く起因する気がしてならない。今回の旅で、初めて私は日本人であるということを誇りに感じた。
奇しくも2001年に3か月、そして2011年に半年、私には世界をこの目で見るチャンスが与えられた。誰もが得られるチャンスではない。この長くて短い日々に何を学ぶかはすべて自分にかかっている。だから自分はこの残された2か月を、巡礼のご褒美とは捉えていない。決してそうではないのだ。
真剣に、これからどう生きていくか考える必要がある。いつもまでも行き当たりばったりではいられないし、必ず誰かが助けてくれると考えるのは甘えている。私の悪い癖だ。自らの努力なくして進歩はありえないのだから。日本人のスタンダードに少しでも近付けるよう、努力をしなければならない。
ソフィアの簡素な空港内。これから私は再びイギリスへと飛び立つ。
★世界1周の旅:ヨーロッパ後編Jイギリス編へ続く…
追記:
これは2013年時点での私の手記であり、2019年現在の私自身は少し違う考えを持っている。この旅から約10年が経った今(2019年末現在)、恐らくソフィアやブカレストでの開発は進み、首都らしい近代的な建物も増え、世界中からのツーリストを迎える施設も整えられたことだろう。
そして「発展」や「人があるべき姿で生きる」という言葉の意味は、本当に主観的なものでしかない、と感じている。私には「発展」でも、そこに生きる人には「後退」かもしれないし、首都が新しい建物や無機質なビルの林立する大都会である必要はない。先進国、後進国という言葉だって先進国の人々が便利に使っているだけで、アメリカやイギリスは経済的には先進国なのかもしれないが、スピリチュアル的にはどうなの、といえば疑問を感じさるを得ない。国民の幸福度が高いブータンには、冷たい高層ビルなどほとんどない。
だからおそらく私が言いたかったのは「様々な国の人々や文化を実際にこの目で見て体験する機会を与えられた日本人である自分の役割ってなんだろう」ということを考える良い機会だった、ということだと思う。
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