2019年09月28日
世界1周の旅:ヨーロッパ後編E【ルーマニア】チャウシェスクの夢と野望の跡、ブカレスト
A voyage round the world : Europa Edition 2nd part E The trace of Ceausescu's dream and ambition【6.2011】
遠くからでもその威容が見てとれる国民の館
宿泊は市の端に位置するブカレスト・ノルド駅にほど近い近代的なHello Hotel。デザイナーズホテルなので斬新でポップ、且つシンプルに無駄を省いたエコノミーホテルだった。初日に入室早々停電して安っぽい紙のカーテンが壊れたのには参ったが、鍵はカード式だったりしてなかなか使い勝手は良かった。併設のカフェのガラスケースには魅力的なスイーツが並んでいて、快適なティータイムを楽しめたのもポイントが高い。 ホテルの壁を使ってグループで踊るパフォーマンスに見物客多数。
意外な近代都市ブカレスト
いつも通り住宅街を楽しく彷徨いつつ徒歩にて、観光のメインである国民の館へ向かう。お堀のような川を渡ると、巨大な建物が遠くに見え始める。そこから広い芝生の公園のような敷地内をひたすら歩いて宮殿の入り口までたどり着くまでが予想外に遠かった…。そして目の前まで来ると、その巨大さに息をのむことになる…。
圧倒的な威容を誇る国民の館。アメリカのペンタゴンに次ぐ規模の、世界で2番目に大きな官庁だというこの宮殿は、名前とは裏腹に悪名高きチャウシェスクが私欲のために巨費を投じて建てたといわれている。ルーマニアは1989年まで、チャウシェスクの独裁国家だった。国民の館という名称に対して苦笑いしてしまうくらい、実はチャウシェスク自身の自己顕示欲の象徴。
現在も国会議事堂として使用されている。コンサートやパーティなども行われるという(マイケル・ジャクソンもここで演説をしたらしい!)豪華な内部を見学したかったが、滞在中の3日間すでに予約で埋まっていたので泣く泣く断念…(>_<)
恐らく今はネットで予約できるので、皆さん日本から予約していきましょうね
国民の館周辺は道路が広く、東京の国会議事堂前を思い起こさせる。(大きさはそんなもんじゃないんだけどね)厳めしい建物も多いので物々しい雰囲気。でもパトロール中の騎馬警官にカメラを向けると、意外にも笑顔で応えてくれた♪
チャウシェスクがパリのシャンゼリゼ通りを模して造らせたという、国民の館から延びる大通り(写真下右)を歩いて統一広場へ。予想以上に大都会でびっくり。広場の真ん中の噴水を中心に多くの車が行き交う。ボン・ジョビのコンサートがあるらしく、巨大な垂れ幕が目を惹いた。そういえばマイケル・ジャクソンもブカレストで大規模なライブを敢行したっけ
街の印象は一見他の西側諸国と変わらないが、所々にトルコやロシアの影響を感じる教会やタワーなどが残されているし、一方ではアールヌーボー建築が目についたりしてパリやウィーンのような雰囲気もある、ヨーロッパの様々な要素が混ざった何とも不思議な雰囲気。ソフィアとは段違いに都会の雰囲気で西欧風建築が目立つブカレストだったが、美しい建築に落書きが多くみられたのは少し残念だった。
「東欧の異端児」と呼ばれたルーマニア。その違和感は、旧ソ連の傀儡政権後に一党独裁国家になってから他の東欧諸国とは違った外交路線を推進し、チャウシェスクによる独裁政治が続いたことに起因しているのだろう。歴史を想うと、民族の歩んできた苦難の道のりに涙がこみあげてくる。
市の中心部に位置する大きなシェシミジウ公園は、摩訶不思議な形の木やカッコいいミリタリー風ベンチ(写真下左)などがある緑濃い寛ぎの公園。お気に入りで毎日通った♪ 市民の憩いの公園になっている。
幾つかの池や花壇、動物の飼育小屋などもある。クジャクが見事に羽を広げてくれた瞬間をキャッチ!
パステルピンクのシャツがやけに似合うイケメンを見かけたのもここだったなぁ。
革命広場付近にはアールヌーボー建築が多く、フリークとしてはバシバシ写真撮りまくり。旧市街は特に雰囲気の良いカフェが集まり、もっと日数があればゆっくり歩いてお気に入りを見つけたかった。年代風の少し怪しげなカフェに入った時は、ベル・エポックのパリにでも迷い込んだような不思議な感じがした。時代や文化の影響がごちゃまぜになった摩訶不思議な空間で、写真がないのがとても残念。こういった年代風カフェの扉の向こうに広がっている空間は予想がつかないから面白い。ひとりで入るのには勇気がいるが…。
白い石造りの建物が多いが、屋根だけは黒やグレイ、濃赤色が多いのが印象的だった。ゴシック建築風の建物、特に屋根部分は私の中のヴァンパイアのイメージにピッタリはまる。そこだけが「ルーマニア」を主張しているように思えた。
【6月9日:ブカレストから黒海沿岸有数の港湾都市コンスタンツァへ】
初めての黒海。コンスタンツァは、ロシアで叛乱を起こした戦艦ポチョムキンが最終的に到達した港である。そんな歴史のロマンを求めて行った先は、海水浴場とクレーンの林立するただの港湾都市。へこむわ〜
海沿いのメインストリート沿いに建ち並ぶこういったトルコやロシアの影響を感じる教会を見るのは楽しかった。
ギリシャ、ローマ、ビザンツ、オスマン朝と歴史を物語る建物が多いが、都市と呼べるほどの広さはない、今は小さなリゾート。お金持ち専用らしき高級クラブやコンドミニアムが並んでいる印象が強い。一泊では勿体なかったかなぁとも思うが、特に見るものはないので、一泊で充分だった気もする。
この後に向かったブラショフが、全く雰囲気の違う森の多い内陸の山岳地帯にあったため、大都会のブカレストとも違う海辺のリゾート、コンスタンツァにルーマニアの奥深い一面を見た気がした。でもルーマニアで黒海に行くなら、世界遺産ドナウデルタ(ドナウ河が黒海に注ぎ込む河口)の拡がるウクライナ国境地帯に行くべきだったと今は後悔している。自然豊かなルーマニアを実感できただろうに…。
ルーマニア鉄道事情
ルーマニアの印象は、ブルガリアが悪かっただけにそれほどひどくはない。とはいえ、列車のサービスレベルやファストフード店での無秩序さなどはやはり東欧だけあって西側のヨーロッパ諸国からは遅れている印象だ。
しかし、首都ブカレストはH&Mなども進出しているし、マックやケンタの若い店員たちにはほぼ英語が通じるので、国際化されつつある大都市のようだ。
それと駅員や車掌に女性が多い。しかも高い地位の女性が多いのか、ブカレストでは威張っている人やそれなりのスーツを着込んだ女性をよく見かけ、カサンドラのようなウーマンパワーを感じた。列車内で見かけた老夫婦も、自分だけパンにがっついたりしていた妻の方がエラそうにしきっていたし、カサンドラも相当気が強かった。
ブルガリア程の列車遅延には遭遇しなかったが、現地に住む日本人によると、やはり信頼できる公共交通機関ではないようだ。国鉄職員の態度はやはり横柄で窓口でも不正は当り前だという。切符を払い戻しした時も二割ほどごまかされた。
コンスタンツァから一旦ブカレストへ戻り、ブラショフへ向かう列車に乗り換えた時には、信じがたい光景を目にした。男女一組の車掌が向かい合った4人用の座席に陣取り寛いでいるところに、乗り込んできたその席の指定券を持った乗客を、威圧的に追い払ったのだ。まず客席に座っだべっていること自体が日本では職務怠慢だし、正当な乗客を追い払うなんて当然苦情で処分モノのはずだ。だがあの追い払われた乗客たちが苦情を言ったところで誰も取り合う人物などいないのだ。そのあたり、やはりまだ共産圏の弊害が抜けていないと感じる。それとも国鉄職員はどの国でもエラそうにするものなのか…。
★『ヨーロッパ後編Fドラキュラ伝説の地ペンシルヴァニア地方』へつづく…
【6月6〜8日:ルーマニアの首都ブカレストに3泊】
遠くからでもその威容が見てとれる国民の館
宿泊は市の端に位置するブカレスト・ノルド駅にほど近い近代的なHello Hotel。デザイナーズホテルなので斬新でポップ、且つシンプルに無駄を省いたエコノミーホテルだった。初日に入室早々停電して安っぽい紙のカーテンが壊れたのには参ったが、鍵はカード式だったりしてなかなか使い勝手は良かった。併設のカフェのガラスケースには魅力的なスイーツが並んでいて、快適なティータイムを楽しめたのもポイントが高い。 ホテルの壁を使ってグループで踊るパフォーマンスに見物客多数。
意外な近代都市ブカレスト
いつも通り住宅街を楽しく彷徨いつつ徒歩にて、観光のメインである国民の館へ向かう。お堀のような川を渡ると、巨大な建物が遠くに見え始める。そこから広い芝生の公園のような敷地内をひたすら歩いて宮殿の入り口までたどり着くまでが予想外に遠かった…。そして目の前まで来ると、その巨大さに息をのむことになる…。
圧倒的な威容を誇る国民の館。アメリカのペンタゴンに次ぐ規模の、世界で2番目に大きな官庁だというこの宮殿は、名前とは裏腹に悪名高きチャウシェスクが私欲のために巨費を投じて建てたといわれている。ルーマニアは1989年まで、チャウシェスクの独裁国家だった。国民の館という名称に対して苦笑いしてしまうくらい、実はチャウシェスク自身の自己顕示欲の象徴。
現在も国会議事堂として使用されている。コンサートやパーティなども行われるという(マイケル・ジャクソンもここで演説をしたらしい!)豪華な内部を見学したかったが、滞在中の3日間すでに予約で埋まっていたので泣く泣く断念…(>_<)
恐らく今はネットで予約できるので、皆さん日本から予約していきましょうね
国民の館周辺は道路が広く、東京の国会議事堂前を思い起こさせる。(大きさはそんなもんじゃないんだけどね)厳めしい建物も多いので物々しい雰囲気。でもパトロール中の騎馬警官にカメラを向けると、意外にも笑顔で応えてくれた♪
チャウシェスクがパリのシャンゼリゼ通りを模して造らせたという、国民の館から延びる大通り(写真下右)を歩いて統一広場へ。予想以上に大都会でびっくり。広場の真ん中の噴水を中心に多くの車が行き交う。ボン・ジョビのコンサートがあるらしく、巨大な垂れ幕が目を惹いた。そういえばマイケル・ジャクソンもブカレストで大規模なライブを敢行したっけ
街の印象は一見他の西側諸国と変わらないが、所々にトルコやロシアの影響を感じる教会やタワーなどが残されているし、一方ではアールヌーボー建築が目についたりしてパリやウィーンのような雰囲気もある、ヨーロッパの様々な要素が混ざった何とも不思議な雰囲気。ソフィアとは段違いに都会の雰囲気で西欧風建築が目立つブカレストだったが、美しい建築に落書きが多くみられたのは少し残念だった。
「東欧の異端児」と呼ばれたルーマニア。その違和感は、旧ソ連の傀儡政権後に一党独裁国家になってから他の東欧諸国とは違った外交路線を推進し、チャウシェスクによる独裁政治が続いたことに起因しているのだろう。歴史を想うと、民族の歩んできた苦難の道のりに涙がこみあげてくる。
ホテルへ戻る途中偶然通りかかった国立軍事博物館に入ってみた。ツーリストには不人気らしく、ほとんど貸切状態での見学だったが、屋外には戦車やヘリコプターなど迫力の展示もあり、意外に楽しめた。穴場的な場所にあるので、お勧めだ。 |
市の中心部に位置する大きなシェシミジウ公園は、摩訶不思議な形の木やカッコいいミリタリー風ベンチ(写真下左)などがある緑濃い寛ぎの公園。お気に入りで毎日通った♪ 市民の憩いの公園になっている。
幾つかの池や花壇、動物の飼育小屋などもある。クジャクが見事に羽を広げてくれた瞬間をキャッチ!
パステルピンクのシャツがやけに似合うイケメンを見かけたのもここだったなぁ。
革命広場付近にはアールヌーボー建築が多く、フリークとしてはバシバシ写真撮りまくり。旧市街は特に雰囲気の良いカフェが集まり、もっと日数があればゆっくり歩いてお気に入りを見つけたかった。年代風の少し怪しげなカフェに入った時は、ベル・エポックのパリにでも迷い込んだような不思議な感じがした。時代や文化の影響がごちゃまぜになった摩訶不思議な空間で、写真がないのがとても残念。こういった年代風カフェの扉の向こうに広がっている空間は予想がつかないから面白い。ひとりで入るのには勇気がいるが…。
白い石造りの建物が多いが、屋根だけは黒やグレイ、濃赤色が多いのが印象的だった。ゴシック建築風の建物、特に屋根部分は私の中のヴァンパイアのイメージにピッタリはまる。そこだけが「ルーマニア」を主張しているように思えた。
【6月9日:ブカレストから黒海沿岸有数の港湾都市コンスタンツァへ】
初めての黒海。コンスタンツァは、ロシアで叛乱を起こした戦艦ポチョムキンが最終的に到達した港である。そんな歴史のロマンを求めて行った先は、海水浴場とクレーンの林立するただの港湾都市。へこむわ〜
ギリシャ、ローマ、ビザンツ、オスマン朝と歴史を物語る建物が多いが、都市と呼べるほどの広さはない、今は小さなリゾート。お金持ち専用らしき高級クラブやコンドミニアムが並んでいる印象が強い。一泊では勿体なかったかなぁとも思うが、特に見るものはないので、一泊で充分だった気もする。
今は水族館らしいが、昔は貴族の社交場としてカジノなどが行われていたであろう壮麗な建物。建物の背後は海。波が土台である岩に当たって飛沫をあげる様がなんともロマンチックでしばらく想像力を豊かにしてストーリーに浸ってしまった。イマジネーションが刺激される… |
ランチに入った海辺のレストラン。あまりに暑くてトマトのカプレーゼサラダとレモネードをチョイス。アジアンが珍しいのか、イケメンのボーイさんたちがしきりに流し目を送ってきた ノースリーブのワンピースにサンダルでリゾート全開(*^^*) の恰好だったので、こんなところで恋に落ちたりしないかな〜、と期待したけれど、何にも起きませんでした… |
この後に向かったブラショフが、全く雰囲気の違う森の多い内陸の山岳地帯にあったため、大都会のブカレストとも違う海辺のリゾート、コンスタンツァにルーマニアの奥深い一面を見た気がした。でもルーマニアで黒海に行くなら、世界遺産ドナウデルタ(ドナウ河が黒海に注ぎ込む河口)の拡がるウクライナ国境地帯に行くべきだったと今は後悔している。自然豊かなルーマニアを実感できただろうに…。
ルーマニア鉄道事情
ルーマニアの印象は、ブルガリアが悪かっただけにそれほどひどくはない。とはいえ、列車のサービスレベルやファストフード店での無秩序さなどはやはり東欧だけあって西側のヨーロッパ諸国からは遅れている印象だ。
しかし、首都ブカレストはH&Mなども進出しているし、マックやケンタの若い店員たちにはほぼ英語が通じるので、国際化されつつある大都市のようだ。
感動したのは、列車での対応。あちらの列車は例外なく狭い三段ほどの階段を登らなければ客車に入れない旧式の車輛なのだが、荷物を上げ下げする時、必ず誰かが手伝ってくれるのだ。駅員さんもルーマニア人の乗客も親切さではヨーロッパ一かもしれない。ブルガリアでは全く見られなかった親切だ。 左はコンスタンツァからブカレストへ向かう新式車輛。黒い旧式車輛はハリ・ポタに出て来るような高い階段を登って客車に入る。 |
それと駅員や車掌に女性が多い。しかも高い地位の女性が多いのか、ブカレストでは威張っている人やそれなりのスーツを着込んだ女性をよく見かけ、カサンドラのようなウーマンパワーを感じた。列車内で見かけた老夫婦も、自分だけパンにがっついたりしていた妻の方がエラそうにしきっていたし、カサンドラも相当気が強かった。
ブルガリア程の列車遅延には遭遇しなかったが、現地に住む日本人によると、やはり信頼できる公共交通機関ではないようだ。国鉄職員の態度はやはり横柄で窓口でも不正は当り前だという。切符を払い戻しした時も二割ほどごまかされた。
コンスタンツァから一旦ブカレストへ戻り、ブラショフへ向かう列車に乗り換えた時には、信じがたい光景を目にした。男女一組の車掌が向かい合った4人用の座席に陣取り寛いでいるところに、乗り込んできたその席の指定券を持った乗客を、威圧的に追い払ったのだ。まず客席に座っだべっていること自体が日本では職務怠慢だし、正当な乗客を追い払うなんて当然苦情で処分モノのはずだ。だがあの追い払われた乗客たちが苦情を言ったところで誰も取り合う人物などいないのだ。そのあたり、やはりまだ共産圏の弊害が抜けていないと感じる。それとも国鉄職員はどの国でもエラそうにするものなのか…。
★『ヨーロッパ後編Fドラキュラ伝説の地ペンシルヴァニア地方』へつづく…
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