2019年08月13日
フィデル・カストロ生誕93周年 キューバ
サンタ・イフィヘニア墓地
Trabajadores、2019年8月13日、Betty Beatón Ruiz記者
フィデル・カストル・ルス最高司令官の遺灰を守ることを誇りとするサンティアゴ市民は、その愛する指導者を忘れることなく、毎日、特に今年93回目を迎える誕生日の8月13日には、さまざまな形で追悼をささげている。
フィデルはこの街につねに存在している。5歳のときにサンティアゴ・デ・クーバ市に勉強しにやってきて以来、政治家や党・政府の最高幹部となった間も県内を繰り返し視察した。
この勇敢な土地にはフィデルによって100か所以上の労働センターがつくられた。とりわけ首都のサンティアゴ・デ・クーバ市にフィデルはアントニオ・マセオ勲章とキューバ共和国英雄称号を授与し、「ありがとう、サンティアゴ」と述べた。
しかしフィデルの人生と業績に対する永遠の追悼を要約している特別な場所がある。フィデルの遺灰を石碑で守りながら安置しているサンタ・イフィヘニア墓地である。
そこに地元の人や訪問者がやってきて、その墓に新鮮な花をたむけ、緑の大理石にブロンズ色で名前が書かれた石板を見つめるために立ち止まり、フィデルの思想の永遠の忠実と継続を誓う。
この8月13日は、フィデルを敬うために墓に続く恒例の行列はいつもより長くなり、子どもたち、若者たち、老人たち、国内の人たち、海外の人たちがその記憶を思い起こすためにやってくる。
今回の生誕93周年においては、ほかのすべての日もそうだが、さまざまな人々から多くの愛情がかけられる。母親の手に連れられてサンティアゴの墓地までやってくるちびっ子、キューバ-米国連帯使節団「ベンセレーモス」のメンバーたち、幹部たち、主婦、年金受給者、元戦士。
フィデルは彼らすべての中にいる。サンティアゴ・デ・クーバにいる。さらにその向こうにも。
サンタ・イフィヘニア墓地に花をたむけにやってきた女性
サンタ・イフィヘニア墓地
キューバTV(2019年8月13日)
Fidel: eterna presencia en Santiago de Cuba
http://www.trabajadores.cu/20190813/fidel-eterna-presencia-en-santiago-de-cuba/
シエゴ・デ・アビラでの交通事故 2人目の死者
アレハンドロ・サムエル・パホン・バスケスちゃんは、アントニオ・ルアセス・イラオラ病院で入院を続けている唯一の子どもである
Invasor、2019年8月13日、Lisandra López Pérez de Corcho記者
8月11日(日曜日)にシエゴ・デ・アビラで起きた大規模な事故による負傷のため、パブロ・シモン・エルナンデス・カステジャーノスさん(64歳)が8月12日の夜おそく、亡くなった。
月曜日(8月12日)の朝、緊急医療の担当者は、エルナンデスさんが非常に不安定であり、血気胸(両肺に血液と気体が貯留)、気腹(腹腔内に気体)、および多数の脊椎と肋骨の骨折の状態にある、と話していた。
この時点で、もし容体が安定すれば、ロベルト・ロドリゲス病院への移送可能性が検討されていた。同病院に移送された後、病状が複雑化し、死に至った。
事故当日の夜、一人目の死者、アライン・ガルシア・チャンさん(41歳)が亡くなっている。
モロンにある同病院との電話インタビューによると、2歳の男の子、クリスティアン・ロペス・スアレスちゃんは、頭部外傷のために手術を受け、重態の状態にある。
アナヤンシ・ソト・ゴンサーレスさん(24歳)は安定し良好な回復を見せており、サンクティ・スピリトゥスへの移送が調整されている。グラディス・ロドリゲス・ルビオさん(58歳)は神経外科病棟で診察を受け、治療が続けられており、良好な回復にある。
ルアセス・イラオラ病院にはアレハンドロ・サムエル・パホン・バスケスくん(7歳)がおり、小児科および集中治療の専門家であるアリアニス・ヌニェス・バレンスエラ女医が語ったところによると、バスケスくんは重体で、血行動態は良好だが、股関節と大腿骨の骨折で手術予定である。
患者のアリアンア・スアレス・コレデラさん(27歳)は、昨日の月曜日(8月12日)、左上腕骨の手術後、集中治療室で回復の状態にあったが、現在はすでに整形外科病棟に移された。
同病院に本紙が訪問した際には、脛骨骨折の被害にあったミスレイディス・バルディビア・エルナンデスさん(48歳)が外科手術を受けていた。
同病院の母子プログラム副局長のアマライ・ペラエス・イスキエルドが発表したところによると、外科病棟に入院していた子どもたちのうち2人は、医療診断を受けたあと、家族からの申し出により、サンクティ・スピリトゥスに移された。そのほかの子どもたちはモロンの神経外科で検査を受けたあと退院した。
Reportan segundo fallecido por accidente masivo en Ciego de Ávila
http://www.invasor.cu/es/secciones/sociedad/reportan-segundo-fallecido-por-accidente-masivo-en-ciego-de-avila
2019年08月11日
シエゴ・デ・アビラで交通事故 1人が死亡 子ども14人を含む41人が重軽傷 バスが横転
Invasor、2019年8月11日
日曜日(8月11日)の夕方、ヒコテア集落とシエゴ・デ・アビラ市間の中央道で、サンクティ・スピリトゥス運輸会社のバス(ナンバー:B097847、運転手:ヨエルビス・アルバレス・ペレス)が車道から外れ、横転する大規模の交通事故が起きた。
このバスには大人24人と子ども17人が乗車していた。そのうちアライン・ガルシア・チャン(41歳)さんの死亡と、重体で手術予定の1名が報告されている。
今回のような事故に備えた緊急医療システムが作動したアントニオ・ルアセス・イラオラ博士県教育病院で負傷者たちは治療を受けている。
現地の当局最高幹部たちは負傷者の家族と集まっている。
負傷者一覧
1.- Carmen Meliet Rodríguez Orosco. 21歳
2.- Marian Yanes Bernal. 14歳
3.- María Elena González Perna. 50歳
4.- Pedro Lourelio González. 30歳
5.- Rigel González Castellanos. 33歳
6.- Lanisbel Ramírez Guerrero. 20歳
7.- Eddy Gómez Palmero. 31歳
8.- Yamilka Enrique Gutiérrez. 36歳
9.- Misli Pérez Castillo. 31歳
10.- Iliana Roque Medina. 33歳
11.- Ángel Castillo González. 44歳
12.- Mileidy Valdivia Hernández. 48歳
13.- Michael Almanza Gutiérrez. 18歳
14.- José Ramón López Ávila. 33歳
15.- Alberto Delgado Pruna. 56歳
16.- Gladis Rodríguez Rubio. 58歳
17.- Yunet Lara Morel. 41歳
18.- Pablo Hernández Castellano. 64歳
19.- Arianna Suárez Gorredea. 26歳
20.- Esney Tanquero Presa. 34歳
21.- Yoelvis Álvarez Pérez. 41歳
22.- Mayensi Hernández Gavilla. 33歳
23.- Andrea Gutiérrez Paneca. 62歳
24.- Yeisy Sánchez Jiménez. 26歳
25.- Martha Gabilla Quiroga. 57歳
26.- Anayansy Soto González. 24歳
27.- Yandy García Yanes. 27歳
子どもの負傷者
- Mariam Yanes Bernal. 14歳
- Antony González Vázquez. 7歳
- Luis Ángel Castillo. 4歳
- Luis Manuel Risco. 7歳
- José Carlos Risco. 9歳
- Dilan Tanquero. 1歳
- Neysi Lara Hernández. 5歳
- Yaneli Lara Hernández. 8歳
- Melannis González Sao. 4歳
- Claudia Anay Hera. 12歳
- Alián García Roque. 6歳
- Anyeli Machado. 2歳
- アレハンドロという名の少年、米国ミシガン州から来た、現時点で姓がわかっていない
- クリスティアン・ロペス・スアレスちゃん、2歳、重体、頭部外傷でロベルト・ロドリゲス病院に移送
夜12時時点での詳細情報
バスの運転手はグランマ紙に対して、カヨ・ココのホテル「メリア・ハルディネス・デル・レイ」から地元に向けて走っていたところ、激しい雨が降り、舗装がすべりやすくなっていた時間帯に車の制御が利かなくなり、あっというまに横転した、と証言した。
内務省当局は本紙に対して、事故原因はまだ調査中である、と述べた。
今年のシエゴ・デ・アビラ県内で起きた初の大規模事故の公式データは以下の通り。
- 乗客42人
- 大人28人 (死者1名、アライン・ガルシア・チャン41歳、重体1名、多発性外傷による)
- 子ども14人 (重体1名、モロンに移送、頭部外傷による).
乗客は全員何らかの負傷を負っている。全員が治療を受けており、その大半はアントニオ・ルアセス・イラオラ病院にいる。
頭部外傷のためモロンのロベルト・ロドリゲス病院に移送された子どもは、クリスティアン・ロペス・スアレスちゃん、2歳。
今から1時間ほど前、同病院の院長フアン・カルロス・ビジャレス医師は、クリスティアンちゃんは血行動態が安定したらサロンに入る、と述べた。
またアナ・ヤンシ・ソトさん(24歳)も第3腰椎の不安定骨折のために移送された。脳神経外科と整形外科で診察を受けている。
以上は本日夜時点での最新情報である。明日続報する。
キューバTV(2019年8月12日)
Accidente de tránsito masivo en Ciego de Ávila
http://www.invasor.cu/es/secciones/sociedad/accidente-de-transito-masivo-en-ciego-de-avila
2019年08月10日
キューバ人女医が医療協力について語る 私たちはブラジルに愛を届けにいったのだ
インディラ・デル・ロサリオ・サンチェス・ロドリゲス女医、ブラジルでの「マス・メディコス」プログラムに参加した
Cubadebate、2019年8月10日、Roberto Jesús Hernández記者
私たちはキューバ革命や共産主義について話をしにいったのではなく、職業人として愛情をこめた人道的活動をおこないに行ったのだ、とブラジルでの「マス・メディコス」(もっと医者を)プログラムに参加したインディラ・デル・ロサリオ・サンチェス・ロドリゲス女医は語った。
一般総合医学の専門家であり、最近マタンサス県に開設された母乳バンクの責任者である女医はACNとのインタビューで、ブラジルでもっとも小さな州であるセルジペ州での医療協力者としての自身の経験について語った。
「2018年の3月から12月までサオ・ドミンゴ市にいた。それはプロとしてひじょうに包括的な経験だった。貧困と不平等、人種差別の嵐に私たちは大変衝撃を受けた。キューバで慣れていたものとはとても異なる情景だった」、と女医は話した。
「私が診た一人目の妊婦は私のすべての質問に驚いていた。彼女によれば、妊娠8か月のあいだ、ブラジルの医師は誰一人としてこれほど綿密な診察を彼女に行っていなかった」、と女医は回想した。
「極貧のなかで暮らし、もっとも助けを必要としている患者の家にたどりつくのはとても大変だった。寝るためのベッドはなく、非識字のために薬の飲み方も理解できずに、民間の医療費を払う手段も持たなかった」、とサンチェス・ロドリゲス女医は思い起こした。
ブラジルは私にとって2回目の国際経験で(1回目は2013年から2015年にかけてのベネズエラ)、患者たちを診始める際に、診断システムや妊婦・子どもへの介護や診察における大きな違いに気づいた、と女医は説明した。
「私についていた看護師を通じて知らされた一例がとても記憶に残っている。それは右足を負傷した患者で、民間病院の診断では切断が必要となっていた。痛みと変色、膿、悪臭があった。私は彼に治療をして、治していった。すると15日後に患者は改善に気づいた」、と女医は話した。
「私たちはブラジル国民に愛を届けにいった。患者たちは私たちが去ることを知って泣いた。私たちは最後の瞬間まで仕事をした。あの国の保健システムは危機に瀕しており、キューバ医師団がいなくなったあとの穴を誰も埋められない」、と女医は見解を述べた。
「マス・メディコス」プログラムはブラジルで2013年に、当日のジルマ・ルセフ大統領のイニシアチブによって開始された。2万人以上のキューバ人協力者たちが南米の大国ブラジルでその作業に従事した。これは協定の条件を変更したブラジルの新大統領ジャイール・ボルソナーロの敵意によってキューバが昨年11月に参加の中止を決断するまで続いた。
Doctora cubana sobre Más Médicos: Fuimos a Brasil a repartir amor a su pueblo
http://www.cubadebate.cu/especiales/2019/08/10/doctora-cubana-sobre-mas-medicos-fuimos-a-brasil-a-repartir-amor-a-su-pueblo/#.XVbWvugzbIV
モスクワ - バラデロ間就航
マタンサス県バラデロのフアン・グアルベルト・ゴメス空港
Cubadebate、2019年8月10日、ACN
キューバで二番目に重要な空港であるフアン・グアルベルト・ゴメス国際空港で、この土曜日(8月10日)、モスクワ-バラデロの新ルートが就航した。キューバでのロシア市場の強化を目指す。
ロシアからの約490人の訪問客がきょう、観光地バラデロの空港に到着した。彼らは、旅行会社クーバトゥルの委託により、ミーティング・ポイント社を通じて、ツアーオペレーターの「コラル・トラベル」が手配したツアーでやってきた。
この新ルートはロシアの首都モスクワから10日ごとに午前7時45分の出航が予定されている。492人乗りのボーイング777が使われる。
マタンサス県観光省のイビス・フェルナンデス・ペニャがプレスリリースで説明しているところによると、この商業運航は世界第二のビーチでのロシア市場の発展を強化するものであり、バラデロの観光地としての人気と、すぐれた観光サービスが認められた結果である。
ハバナの東おおそ120kmに位置する観光地バラデロには1日に10万人以上が、海水浴場や、夏の特別な催しを楽しみにやってくる。
この夏の時期は大陸の向こう側から寒さを逃れてやってくる外国人のほか、国内全県からも2万1千人以上のキューバ国民が、家族で楽しめるアニメーション活動を提供するホテル施設に宿泊する。
旅行者にとっての安全性やキューバ国民の個性、ビーチの持続可能性、主要ホテル設備の高い水準が、16kmにおよぶビーチのきめこまかな砂浜や、1年中変わらぬコバルトブルーの海とあいまって、旅行先としての人気を高めている。
Inaugurada nueva ruta Moscú-Varadero que afianzará mercado ruso en Cuba
http://www.cubadebate.cu/noticias/2019/08/10/inaugurada-nueva-ruta-moscu-varadero-que-afianzara-mercado-ruso-en-cuba/#.XVYU5ugzbIU
2019年08月06日
キューバの暑い7月 2県で史上最高気温を記録 雨量も平年並みの多さ
今年5月から7月の四半期で、全国の41%が短期的な干ばつの影響を受けた
Cubadebate、2019年8月6日、Danier Ernesto González記者
キューバ気象庁の気候センターによると、先月7月はキューバの平年よりも暑い月だった。平均気温は28.3度で、平年を0.8度上回った。最高気温の平均は33.0度、最低気温の平均は23.7度だった。
7月3日、サン・フアン・イ・マルティネス観測所(ピナール・デル・リオ)では最高気温36.5度を記録した。これは同観測所での7月における史上最高記録である。また、ヒキマ(オルギン)では7月19日午後、37.2度の同所最高気温が観測された(これまでの最高記録は1953年に記録された37.1度だった)。また、カボ・ルクレシアおよびプンタ・デ・マイシーの両観測所では、7月における熱帯夜の割合が過去最高を記録し、バイア・オンダ、ラ・フェ、プンタ・デル・エステ、カサブランカ、ホベジャノス、ヤブー、ラス・トゥナスでは1980年以降でベストテンに入る高い割合を記録した。
7月はキューバ全土で、この季節としては平年並みの雨が降った。この今年の降雨量は、近年の7月における降雨増加傾向に拍車をかけた。
エルニーニョ現象、終息
気候センターはまた、前月6月において太平洋の海洋および大気の条件は、ENSO(エルニーニョ・南方振動)の存在に対応しなくなった、と発表した。太平洋赤道域の中東部における海面水温は、基準値との差が0.3度で、平年に近い値を維持した。
同海域においてこの指標(南方振動を含む)は現在、中立の固有値を維持している。
8月5日の海面温度分布図
暑さは続く
今月8月は非常に高い気温上昇が予想されている。キューバ西部では最高気温は、50%以上の確率で、32.1~33.1度、中部では32.3~33.3度、東部では32.5~33.0度になる。
予報チームの検討モデルとその合意によると、全国三地域では平年に近い雨量が予想されている。
8月はスコールと雷雨が起きる
付記:Insmet(キューバ気象庁)の「気象監視レポート」のミレアナ・アルピサル・ティルソ編集長の協力に感謝する。
Julio de 2019: Dos nuevos récords de temperatura máxima y lluvias en la norma
http://www.cubadebate.cu/especiales/2019/08/06/julio-de-2019-dos-nuevos-records-de-temperatura-maxima-y-lluvias-en-la-norma/#.XUmw8OgzbIU
2019年08月05日
マレコン暴動とフィデル 1994年8月4日の真実
街頭にあらわれたフィデル(1994年8月4日)
Radio Rebelde、2019年8月5日
キューバ革命はあらゆる難局につねに打ち勝ってきた。いまから25年前の、1994年8月4日、フィデル・カストロ最高司令官は、国民の先頭に立って、ハバナの通りに出ていた。
いつものオリーブ色の軍服を着たフィデルは反革命に立ち向かい、「革命的団結」という最高の武器をもってそれをおこなっていた。番組「ア・ラ・ルス・デ・ラ・メモリア」(記憶の光へ)は、当時を知る人たちの証言からこの出来事を振り返る。同番組の音声はこちらから。
フィデル・カストロ・ルス
En Audio: Hace 25 años, Fidel salía a las calles para seguir liderando a un pueblo
http://www.radiorebelde.cu/noticia/en-audio-hace-25-fidel-salia-calles-para-seguir-liderando-pueblo-20190805/
キューバ代表 6位に終わる パンアメリカン大会5位決定戦
ラウル・ゴンサーレス三塁手、リマ大会のキューバ打撃陣で最も顕著な活躍を見せた
Telerebelde、2019年8月3日、David Rodriguez Sanchez-Galarraga記者
リマでの第18回パンアメリカン大会に出場しているキューバ野球代表チームは、キューバ野球史上最悪ともいえる今大会での有終の美すら飾れなかった。
キューバ代表チームはドミニカ共和国に延長10回、9対10で敗れた。勝者チームは14安打、2失策、一方敗者キューバは9安打、1失策だった。
ペルーの首都での野球大会5位決定戦におけるレイ・ビセンテ・アングラーダ監督率いるチームのアキレス腱はふたたび投手陣だった。ドミニカ共和国チームは5回、キューバ先発のラサロ・ブランコから1点をあげ、同点とした。
このあとリバン・モイネロが2回1/3を投げ、次にライデル・マルティネスが2回を投げたあと、ドミニカ共和国の反撃が開始され、ペドロ・アルバレス、フランク・ルイス・メディーナ、ウィルソン・パレデス、ユディエル・ロドリゲス(登板順)はこれを抑えることができなかった。
キューバ代表チームは予選ラウンドでコロンビアに1対6、カナダに6対8で敗れ、予選敗退が決まり、唯一の勝利はアルゼンチン戦(14対0)だった。これはパンアメリカン大会でのキューバ代表チーム史上最悪の結果といえる。
キューバTV キューバ対ドミニカ共和国 5位決定戦 ダイジェスト(2019年8月3日)
!Increíble: Cuba sexta en beisbol en los Juegos Panamericanos!
http://www.telerebelde.icrt.cu/increible-cuba-sexta-en-beisbol-en-los-juegos-panamericanos/
2019年08月01日
目抜き通りの植栽を破壊し10か月の懲役 キューバ サンタクララ
Vanguardia、2019年8月1日、Enrique Moreno Gimeranez記者
2019年7月19日未明、サンタクララの目抜き通り地区に植栽された観賞用植物5本が破壊された。この事件は、「セキュリティ&プロテクション」の複数の職員によって目撃されたが、彼らはその発生を避けるための効果的な行動を取らなかった。
管轄当局の捜査により逮捕されたドゥビエル・アルベルト・アレンシビアは、犯行を認め、県裁判所で10か月の懲役を宣告された。
今回の事件のような状況を市民は拒絶し、最大の注意を払い続けるべきものである。なぜなら、それは社会的行動の規範を脅かすものであり、この都市の改善のために行われる集団的努力に悪影響を与えるからである。
内務省
ビジャ・クララ
Nota del Ministerio del Interior en Villa Clara
http://www.vanguardia.cu/villa-clara/14891-nota-del-ministerio-del-interior-en-villa-clara-boulevard
2019年07月28日
革命のヒロイン メルバ・エルナンデスとアイデエ・サンタマリア追悼 キューバ
アイデエ・サンタマリア(左)とメルバ・エルナンデス(中央)、1954年のグアナハイ刑務所出所時にジャーナリストのマルタ・ロハスと話す
Granma、2019年7月28日、Eduardo Palomares Calderón記者
「キューバ女性の名前が、英雄主義と尊厳のこれほど高い場所に置かれたことは一度もなかった」、とフィデルは弁論「歴史は私に無罪を宣告するだろう」で、いまから66年前にモンカダ兵営襲撃に参加した唯一の女性2人メルバ・エルナンデスとアイデエ・サンタマリアに言及して述べた。この2人のサンティアゴ女性への追悼が昨日サンタ・イフィヘニア墓地でおこなわれた。
あの1953年7月26日にサトゥルニーノ・ロラ市民病院に集まったアベル・サンタマリア率いるグループの一員としての英雄的行動における参加だけでも十分大きな栄誉に値するが、この2人は革命闘争にすべてをささげ、ひと時も休むことなく、モンカダ計画の思想を広める中心的役割を果たしただけでなく、輝かしい革命勝利のあとも新たな革命事業建設における先頭の女性となった。
2人の人生は革命への情熱だけでなく、7月28日という日でも重なる。この日はメルバの誕生日であり、生誕98年を迎えるが、またアイデエの亡くなった日でもあり、その死からもう39年がたつ。
サンタ・イフィヘニア墓地で、1953年7月26日に斃れた同志たちとともに眠っているこの2人のヒロインに対し、キューバ国民の名において、革命軍の式典分遣隊から花がたむけられた。
キューバの聖なる墓地で毎年開催されているこの式典には、サンティアゴ・デ・クーバの県と市の、党と政府の幹部、キューバ革命戦士協会やキューバ女性連盟のメンバーたちが参加した。
キューバTV モンカダのヒロイン メルバ・エルナンデス(2019年7月28日)
Melba y Haydée en el amor y la bravura de Cuba
http://www.granma.cu/cuba/2019-07-28/melba-y-haydee-en-el-amor-y-la-bravura-de-cuba-28-07-2019-23-07-47