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2019年08月10日

キューバ人女医が医療協力について語る 私たちはブラジルに愛を届けにいったのだ

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インディラ・デル・ロサリオ・サンチェス・ロドリゲス女医、ブラジルでの「マス・メディコス」プログラムに参加した

Cubadebate、2019年8月10日、Roberto Jesús Hernández記者

私たちはキューバ革命や共産主義について話をしにいったのではなく、職業人として愛情をこめた人道的活動をおこないに行ったのだ、とブラジルでの「マス・メディコス」(もっと医者を)プログラムに参加したインディラ・デル・ロサリオ・サンチェス・ロドリゲス女医は語った。

一般総合医学の専門家であり、最近マタンサス県に開設された母乳バンクの責任者である女医はACNとのインタビューで、ブラジルでもっとも小さな州であるセルジペ州での医療協力者としての自身の経験について語った。

「2018年の3月から12月までサオ・ドミンゴ市にいた。それはプロとしてひじょうに包括的な経験だった。貧困と不平等、人種差別の嵐に私たちは大変衝撃を受けた。キューバで慣れていたものとはとても異なる情景だった」、と女医は話した。

「私が診た一人目の妊婦は私のすべての質問に驚いていた。彼女によれば、妊娠8か月のあいだ、ブラジルの医師は誰一人としてこれほど綿密な診察を彼女に行っていなかった」、と女医は回想した。

「極貧のなかで暮らし、もっとも助けを必要としている患者の家にたどりつくのはとても大変だった。寝るためのベッドはなく、非識字のために薬の飲み方も理解できずに、民間の医療費を払う手段も持たなかった」、とサンチェス・ロドリゲス女医は思い起こした。

ブラジルは私にとって2回目の国際経験で(1回目は2013年から2015年にかけてのベネズエラ)、患者たちを診始める際に、診断システムや妊婦・子どもへの介護や診察における大きな違いに気づいた、と女医は説明した。

「私についていた看護師を通じて知らされた一例がとても記憶に残っている。それは右足を負傷した患者で、民間病院の診断では切断が必要となっていた。痛みと変色、膿、悪臭があった。私は彼に治療をして、治していった。すると15日後に患者は改善に気づいた」、と女医は話した。

「私たちはブラジル国民に愛を届けにいった。患者たちは私たちが去ることを知って泣いた。私たちは最後の瞬間まで仕事をした。あの国の保健システムは危機に瀕しており、キューバ医師団がいなくなったあとの穴を誰も埋められない」、と女医は見解を述べた。

「マス・メディコス」プログラムはブラジルで2013年に、当日のジルマ・ルセフ大統領のイニシアチブによって開始された。2万人以上のキューバ人協力者たちが南米の大国ブラジルでその作業に従事した。これは協定の条件を変更したブラジルの新大統領ジャイール・ボルソナーロの敵意によってキューバが昨年11月に参加の中止を決断するまで続いた。

Doctora cubana sobre Más Médicos: Fuimos a Brasil a repartir amor a su pueblo
http://www.cubadebate.cu/especiales/2019/08/10/doctora-cubana-sobre-mas-medicos-fuimos-a-brasil-a-repartir-amor-a-su-pueblo/#.XVbWvugzbIV
posted by vivacuba at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | cuba
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