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タグ / 日向国史
記事
日向國石器時代遺物發見地名表 その4 [2021/06/01 06:13]
地名 遺物種類 報告者
同 同村島之内 石斧、弥生土器 若林勝邦、三浦敏
同 同村芳士 石器 坪井正五郎
同 住吉同村蓮ケ池 石器 三浦敏
同 瓜生野村瓜生野 石斧、縄紋土器 三浦敏、梅原末治
同 同村柏田(貝塚) 石斧、縄紋土器 若山甲藏
同 同村上北方 石斧 同
同 佐土原町 錘石 ..
日向國石器時代遺物發見地名表 その3 [2021/05/21 06:03]
地名 遺物種類 報告者
宮崎郡清武村加納福神屋敷 弥生土器、石斧、圓石 坪井正五郎、濵田耕作
同 同村岡 石斧 若山甲藏
同 生目村跡江 石器 坪井正五郎
同 同村富吉 石器、磨石斧 坪井正五郎、郡司長次郎
同 同村 磨石斧 高妻時彦
同 檍村山王 打、磨石斧、錘石、弥生土器 三浦敏、若山甲藏
同 同村江..
日向國石器時代遺物發見地名表 その2 [2021/05/20 06:00]
地名 遺物種類 報告者
宮崎市江平 打、磨石斧 同
同 宮園町 磨石斧 同
同 縣廰裏通 石斧 三浦敏
同 郵便局脇 弥生土器 若山甲藏
同 中村 磨石斧 岩切亭藏
同 同天神山下 縄文土器 多田 信
同 大宮下北方 石斧、凹石、弥生土器 若林勝邦..
日向國石器時代遺物發見地名表 その1 [2021/05/19 06:23]
日向國石器時代遺物發見地名表
此の地名表は東京帝國大學理學部人類学教室編纂の「日本石器時代人民遺物發見地名表、第五版」に基づき、是に漏れたる資料を加へて増補整理せるものなり。
石器は成るべく其の種類を分ち、土器は其の系統の別を明にせむ事をつとめたるも、なほ未だ之を明にするを得ざるもの多く、爲に巳むを得ず單に石器叉は土器として、其の種別を闕けるもの少からず。
地名 遺物種類 報告者
宮崎市上別府 石器、凹石 三浦..
日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その9 [2021/05/18 06:06]
彌生式遺蹟に伴へる石器の特徴
彌生式土器と伴出する石器は、其の特徴土器の如く著しからざるも、磨研石鏃、磨製石庖丁、並びに片刄を有する一種の石斧、銅劔型磨製石劔の如き、關東、奥羽地方の縄紋式遺蹟に其の例を見ざるもの少からず。
殊に石鍬とも云ふべき、一種扁平なる打製石器の、往々にして是等の遺蹟より發見せらるるは、當時の人民が既に農業を解せしものなることを示せるものにして、現に筑後八女郡岩崎村なる彌生式土器庖含地よりは、炭化したる米穀を發見せる實例もあるなり。
石鍬の事は琉球..
日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その8 [2021/05/17 05:42]
彌生式土器の特徴
其の胴及肩に附したる文様の如きも、前者が多く口緣と並行するに反して、後者は曲線を自由に應用する等、大體の意匠に於て、前者は均一整齊的に、後者は變化奔放的なり。
殊に彌生式土器には、僅に刷毛目を存し、若しくは文様を有せざるもの多きも、縄紋式土器には無文のもの少きに居る如し。
其の底部は、彌生式土器にありては卵子の一端の如く丸味を呈するもの多く、爲に之を据うべく作られたる置臺あり。
或は直ちに其の置臺を容器の下部に取り付けて、所謂高坏をなせるもの少からず..
日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その7 [2021/05/16 06:33]
九州南部縄紋式土器の特徴 2
蓋し此の種の土器を遺せる九州地方の住民は、比較的早く石器時代の狀態より脱離して、未だ十分其の技巧の進歩發達を見るに至らざりしものなるべし。
されどこれを彌生式土器に比するに、其の意匠根本的に相違を呈し、もと同一系統の民族の手に製作せられたるものにあらざるを明示す。
彌生土器は普通赭色を呈し、稀に茶褐色、灰白色のものあるに反し、縄紋土器は茶褐色のもの多く、稀に赭色のものを混ずるに過ぎず。
其の容器の口緣に於ても、彌生式土器は殆ど全部水平に保..
日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その6 [2021/05/15 06:24]
九州南部縄紋式土器の特徴 1
我が日向及び、是に隣れる肥、薩、隅等九州南部地方に於ける縄紋式土器の特徴は、關東、奥羽地方に於いて見るが如き、明なる縄紋を有するものは比較的少なく、多くは箆或は指頭を以て抉りたるが如き、陰刻を以てあらはしたる文様を有する點にあり。
種々の不規則なる曲線を唐草風に配合せる意匠は、大體に於て關東、奥羽地方に見るものに類似すれども、中には頗る原始的にして、雜駁なる線條を無意味に描出せるが如きもの亦少からず。
其の形態に於ても、亦關東、奥羽地方に於..
日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その5 [2021/05/14 06:04]
遺蹟の種類
是等の石器時代遺蹟の中に就いて、沖田、加納等は、多く彌生式土器を存し、三田井、城ケ峯等よりは、縄紋土器系統の遺物を出し、今井野、尾立山等よりは、兩者を混出するが如き狀態にあり。
其の縄紋式土器の中には、稀に關東、奥羽地方より發見せらるるものと殆ど區別し難きまでに、形態及び文様の酷似せる破片なきにあらざれども、大體に於ては九州南部地方を通じて、一種の地方的特徴を有し、一見之を識別し得べき程の相違を呈するを常とするなり。
日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その4 [2021/05/13 06:09]
貝塚の存在
貝塚は太古の漁村に於て多數に存在すべき筈なれども、我が日向に於ては、其の發見せられたるもの未だ多からず。
現に學界に知られたるものは、東臼杵郡南方村大貫及び高野、恒富村沖田、宮崎郡瓜生野村柏田、東諸縣郡高岡町城ケ峯、兒湯郡都於郡村大中、南那珂郡福島村本西方等、僅に指を屈するに過ぎざるなり。
斯の如きは啻に日向に於ける現象たるのみならず、九州、中國、四國等、亦多くは同様にして、關東地方の其の數甚だ多きに比すべくもあらず。
蓋し斯くの如きは、調査不十分にして發..
日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その2 (179回) [2021/05/11 05:47]
日向遺蹟の二系統
勿論現時の調査の程度に於ては、其の學界に知られたるものは、現存遺蹟の一部分に過ぎざるべく、叉其の既に知られたるものも、僅に小數の石器叉は土器の破片を獲るに過ぎずして、それが如何なる系統の遺蹟なりやを明かにするを得ざる場合多く、叉石器時代より金屬器時代にまで圓滑に繼續する、彼の彌生式遺蹟の類にありては、それが果して純石器時代のものなりや、はた石器、金屬器併用時代のものなりや、或は全く金屬器時代となりての後のものなりやを明かになし難き場合、亦少からざるなり。
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日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その1 (178回) [2021/05/10 06:21]
第二節 日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布
石器時代遺蹟の普及
我が日向の地、亦石器時代の遺蹟に乏しからず。
北は西臼杵郡高千穂の山間より、南は舊南諸縣郡志布志、大崎の海岸まで、隨所多少の遺物を發見せざるなしとも謂ふべきの狀態にあり。
其の遺物は、ひとり彌生式系統のもののみならず、關東、奥羽地方に於て多く發見せらるる縄紋土器系統のもの亦少からず。
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