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2021年01月19日

高千穂ノ峯の傳説地 その8

塵袋引風土記は僞書 その2
而も此の官符の趣意は、當時官庫所蔵の風土記散逸して存せざるが爲に、新に之を諸國府所蔵の書に求めんとするにあるのみ。
敢て新に編纂を命じたるにあらざるなり。
故に曰く、「諸國風土記の文あるべし」と。
ここに諸國とは、言ふまでもなく諸國の國府を指せるなり。
若し國府に其の文なくば、周ねく部内に求めて提出せよと命ぜるなり。
されど假りに一歩を譲りて、延長にも亦風土記編纂のことありとするも、此の塵袋引く所は決して和銅のものにあらず、叉延長のものにもあらず、到底日向國司撰録の書にあらざるなり。
本書既に「日向國囎唹郡といふ。
囎唹郡を日向より分ちて、他の三郡と共に大隅國を建てたるは、實に和銅六年四月の事なり、されば本書若し日向國司の撰ならんには、必ず其の以前のものなりとせざるべからず。
然るに元明天皇が詔して諸國の風土記を撰録せしめ給へるは、大隅分立の翌五月なり。
而して國司其の命により、各郡に命じて部内の地理、沿革、古傳等を調査せしめ、是が編纂に著手す。
然らば其の書の成りて奏上せられたるは、必ずや其れよりも數年の後なりけんことを疑はず。
然るになんぞ日向國司の撰として、當時大隅なる囎唹を以て、なほ依然「日向國」と書することのあるべけんや。
論者或は又謂はん。
古へ日、隅、薩の三國は、共に日向の域内なりしかば、~代の事を記するに當りては、其の舊によりて、囎唹郡に冠するに日向の名を以てする、敢えて異とするに足らざらんと。
地理にも暗く、年代にも無頓着なる中央都人士の筆になれるものならば、或はさる事もありなん。
タグ:風土記
posted by うさぎ at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 高千穂
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