2018年04月16日
今月の2冊目 知的余生の方法
4月14日に「知的生活と鈍感力」をアップしました。
実は、渡辺昇一先生の多数の著書のなかに、
「知的生活の方法」を出されてから30有余年を経過して、
その続編というか最終編に当たるのか分かりませんが「
知的余生の方法」と言う本を上辞しておられます。
当方もだんだんと『余生』という世界に入りかけているように思うので、
キチンと心構えをしておこうと思い、手にしてみました。
上智大学修士課程修了、独ミュンスター大、英オックスフォード大学に留学
の先生が著しているレベルの内容に
当方の種々レベルが追いつくはずもなく、
正直、ホホウ、ナルホドと力なく頷くしかないような読後感でした。
それでも力ふり絞って
いくつかの項目には共鳴しようと頑張ってみた次第。
イャイャ、まだまだ学ぶことが多くて、
とてもボケたり、くたばっている場合ではありませんね。
先生もおっしゃっていますが、
まず、95歳まで勉強を続けなければならないと決意。
先は長い。
体も脳も使い続けなければ弱ってしまうので、
まずは出かけることで体づくりをすることにしょう。
ご本の中の 第六章 恋愛と人間関係について の
「愛という言葉の深い意味」の項で、
日本人は「愛」と言う言葉の奥底にある深い意味を、
理解しているのではないか。
だからむやみやたらと
「愛」という言葉を口にしてこなかったのではないか。
日本人は愛する気持ちを口にしなくとも伝えることができた。
そのことを先生は1本の映画の中で感じ取ったとおっしゃっています。
映画化された藤沢周平の代表作のひとつ
「蝉しぐれ」の最後の場面で、
幼少から抱き続けた秘めた想いを30年の時の流れを経て、
静かに確かめ合う、
愛(かな)しいほどの見事な、
日本人の愛の表現です。
市川染五郎、木村佳乃という美男美女だから様になっているのでしょうが、
あえて染五郎を自分に置きかえて同じ言葉が言えるかどうか。
90歳くらいになれば言えるかな。
「蝉しぐれ」文春文庫よりとことわってある、
「知的余生の方法」170ページからの文を以下に。
少々長いですが。
文四郎とは助左衛門の幼名です。
「二人とも、それぞれに人の親になったのですね」
「さようですな」
「文四郎さんの御子が私の子で、
私の子が文四郎さんの御子であるような道は
なかったのでしょうか」
いきなり、お福さまがそう言った。
だが顔はおだやかに微笑して、
あり得たかも知れないその光景を夢みているように見えた。
助左衛門も微笑した。
そしてはっきりと言った
「それができなかったことを、
それがし、生涯の悔いとしております」
「ほんとうに ? 」
「・・・・・」
「うれしい。
でも、きっとこういうふうに終わるのですね。
この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから。
はかない世の中・・・・・」
先生はこのようにこの項を結んでおられます。
日本人の愛はどこまでも美しく、そして「かなしい」のである。
おせっかいですが、ご紹介
蝉しぐれ 単行本 文藝春秋
文庫本 文春文庫
DVD TV版もありますのでご注意ください
知的余生の生活 新潮新書
実は、渡辺昇一先生の多数の著書のなかに、
「知的生活の方法」を出されてから30有余年を経過して、
その続編というか最終編に当たるのか分かりませんが「
知的余生の方法」と言う本を上辞しておられます。
当方もだんだんと『余生』という世界に入りかけているように思うので、
キチンと心構えをしておこうと思い、手にしてみました。
上智大学修士課程修了、独ミュンスター大、英オックスフォード大学に留学
の先生が著しているレベルの内容に
当方の種々レベルが追いつくはずもなく、
正直、ホホウ、ナルホドと力なく頷くしかないような読後感でした。
それでも力ふり絞って
いくつかの項目には共鳴しようと頑張ってみた次第。
イャイャ、まだまだ学ぶことが多くて、
とてもボケたり、くたばっている場合ではありませんね。
先生もおっしゃっていますが、
まず、95歳まで勉強を続けなければならないと決意。
先は長い。
体も脳も使い続けなければ弱ってしまうので、
まずは出かけることで体づくりをすることにしょう。
ご本の中の 第六章 恋愛と人間関係について の
「愛という言葉の深い意味」の項で、
日本人は「愛」と言う言葉の奥底にある深い意味を、
理解しているのではないか。
だからむやみやたらと
「愛」という言葉を口にしてこなかったのではないか。
日本人は愛する気持ちを口にしなくとも伝えることができた。
そのことを先生は1本の映画の中で感じ取ったとおっしゃっています。
映画化された藤沢周平の代表作のひとつ
「蝉しぐれ」の最後の場面で、
幼少から抱き続けた秘めた想いを30年の時の流れを経て、
静かに確かめ合う、
愛(かな)しいほどの見事な、
日本人の愛の表現です。
市川染五郎、木村佳乃という美男美女だから様になっているのでしょうが、
あえて染五郎を自分に置きかえて同じ言葉が言えるかどうか。
90歳くらいになれば言えるかな。
「蝉しぐれ」文春文庫よりとことわってある、
「知的余生の方法」170ページからの文を以下に。
少々長いですが。
文四郎とは助左衛門の幼名です。
「二人とも、それぞれに人の親になったのですね」
「さようですな」
「文四郎さんの御子が私の子で、
私の子が文四郎さんの御子であるような道は
なかったのでしょうか」
いきなり、お福さまがそう言った。
だが顔はおだやかに微笑して、
あり得たかも知れないその光景を夢みているように見えた。
助左衛門も微笑した。
そしてはっきりと言った
「それができなかったことを、
それがし、生涯の悔いとしております」
「ほんとうに ? 」
「・・・・・」
「うれしい。
でも、きっとこういうふうに終わるのですね。
この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから。
はかない世の中・・・・・」
先生はこのようにこの項を結んでおられます。
日本人の愛はどこまでも美しく、そして「かなしい」のである。
おせっかいですが、ご紹介
蝉しぐれ 単行本 文藝春秋
文庫本 文春文庫
DVD TV版もありますのでご注意ください
知的余生の生活 新潮新書
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