2018年04月15日
仲良きことは 親日 その3 ノックアウト
今回からタイトルを変更して「反日」を削除、スッキリしました。
米国において、
現在の状況がどの程度かはっきりとは認識していませんが、
米国発のニュースには相変わらず人種差別を思わせるものがたくさんあります。
オバマ氏が黒人初の大統領になったことで、
長い長い人種差別に終止符を打った、と国内外に発信したつもりなのでしょうが、
現実は思惑通りにはなっていないと思わざるを得ません。
ジャズプレーヤーの話でした。
1950年代から60年代にかけての名ドラマー、
アートブレイキー
の話です。
彼の音楽に関しては、当方知識がないので、
そこらあたりは専門家もしくはウィキペディアに譲ることにして、
彼が何故親日になったかについてです。
1961年の初来日の時、
羽田空港に降り立った一行は大勢の出迎えの日本人を見て、
同じ便にだれか有名人が搭乗していたのかな・・・と思ったようです。
ところがオドロイタことにその迎える対象は自分達だったことでした。
そして、さらにオドロイタのは、
その迎えのファンから一緒に写真を撮ってくれ、
とせがまれたことでした。
60年近く前の事で、
スマホで気軽にハイ・チーズなんてできないころのことです。
思わず
「オレは黒人だぞ。一緒に写真におさまってもいいのか?」
彼の驚きと心配の声に答えて「そんなことわかっていますヨ。ぜひ一緒にお願いします」
ブレイキーはどうやらここで最初のダウンを奪われたようです。
それもかなり致命的な。
その後のブレイキー一行の演奏に力がはいったのは間違いなく、
さらに東京公演がラジオ中継されるに至って
メンバーは奮起に奮起を重ねてノリノリ。
ノリノリのジャズほど素晴らしいものはなく、
そうなれば、ファンもノリノリ。
ブレイキーは、
日本においては羽田空港でのファンからうけた戸惑いは必要ないものであり、
その時の大いなる感銘が当たり前のことになっていることに気づいてきたようです。
さて、ノックアウトされたブレイキーは
日本人女性との間にできた子供に「Taro」という名前をつけ、
「Ugetsu 雨月」「On The Ginza オン・ザ・ギンザ」という日本をテーマにした曲を演奏し、
日本酒を愛し、
最後には日本製のドラムを使用し続け、
幾度となく来日を繰り返しました。
初来日時の帰国を前に、
1919年10月11日、ピッツバーグに生まれたアートブレイキーことアーサー・ブレイキーは
このようなメッセージを残しています。
『私は今まで世界を旅してきたが、
日本ほど私の心に強い印象を残してくれた国はない。
それは演奏を聴く態度は勿論、
何よりもうれしいのは、アフリカをのぞいて、
世界中で日本だけが我々を人間として歓迎してくれたことだ。
人間として !
ヒューマンビーイングとして ! 』
米国において、
現在の状況がどの程度かはっきりとは認識していませんが、
米国発のニュースには相変わらず人種差別を思わせるものがたくさんあります。
オバマ氏が黒人初の大統領になったことで、
長い長い人種差別に終止符を打った、と国内外に発信したつもりなのでしょうが、
現実は思惑通りにはなっていないと思わざるを得ません。
ジャズプレーヤーの話でした。
1950年代から60年代にかけての名ドラマー、
アートブレイキー
の話です。
彼の音楽に関しては、当方知識がないので、
そこらあたりは専門家もしくはウィキペディアに譲ることにして、
彼が何故親日になったかについてです。
1961年の初来日の時、
羽田空港に降り立った一行は大勢の出迎えの日本人を見て、
同じ便にだれか有名人が搭乗していたのかな・・・と思ったようです。
ところがオドロイタことにその迎える対象は自分達だったことでした。
そして、さらにオドロイタのは、
その迎えのファンから一緒に写真を撮ってくれ、
とせがまれたことでした。
60年近く前の事で、
スマホで気軽にハイ・チーズなんてできないころのことです。
思わず
「オレは黒人だぞ。一緒に写真におさまってもいいのか?」
彼の驚きと心配の声に答えて「そんなことわかっていますヨ。ぜひ一緒にお願いします」
ブレイキーはどうやらここで最初のダウンを奪われたようです。
それもかなり致命的な。
その後のブレイキー一行の演奏に力がはいったのは間違いなく、
さらに東京公演がラジオ中継されるに至って
メンバーは奮起に奮起を重ねてノリノリ。
ノリノリのジャズほど素晴らしいものはなく、
そうなれば、ファンもノリノリ。
ブレイキーは、
日本においては羽田空港でのファンからうけた戸惑いは必要ないものであり、
その時の大いなる感銘が当たり前のことになっていることに気づいてきたようです。
さて、ノックアウトされたブレイキーは
日本人女性との間にできた子供に「Taro」という名前をつけ、
「Ugetsu 雨月」「On The Ginza オン・ザ・ギンザ」という日本をテーマにした曲を演奏し、
日本酒を愛し、
最後には日本製のドラムを使用し続け、
幾度となく来日を繰り返しました。
初来日時の帰国を前に、
1919年10月11日、ピッツバーグに生まれたアートブレイキーことアーサー・ブレイキーは
このようなメッセージを残しています。
『私は今まで世界を旅してきたが、
日本ほど私の心に強い印象を残してくれた国はない。
それは演奏を聴く態度は勿論、
何よりもうれしいのは、アフリカをのぞいて、
世界中で日本だけが我々を人間として歓迎してくれたことだ。
人間として !
ヒューマンビーイングとして ! 』
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