2020年06月11日
NR-あお葉のこと葉 ファイル-3
谷戸 後編
丘陵地が雨や湧水等の浸食により形成されたヤト地形。神奈川県ではヤト(谷戸)と呼ぶが、東京湾の対岸の千葉県ではヤツ(谷津)と呼び、県の大半を占める。東京は渋谷、四ツ谷など戸も津も付かないヤ(谷)一文字。と、思いきや。それは府内(江戸の市街地)に限ったことで、その外側はヤトが多く、若干だがヤツも混じっていた。
練馬区に、かつて「練馬七谷戸」と呼ばれる地域があったという。二十歳の頃に住んでいた区なので調べてみたら、豊島園の周辺…なんと、自分が住んでいたアパートの場所。どうりで!住宅街なのにヒキガエルが大量発生すると思った。
埼玉県も含めた北関東も同様にヤト、ヤツが混在するが、さらにそこへヤチ(谷地)が加わる。谷地は東北地方では馴染みのある言葉。民俗学者の柳田國男氏によるとアイヌ語起源で沼沢や湿地を意味する言葉らしい。
湧水や湧水で侵食されてできたヤト、ヤチも当然湿地帯。もしかすると、湿地の意味する広義のヤチが、東北から関東に下りてくる過程で狭義のヤツ、ヤト、ヤに変化していったのかもしれない。
神奈川はほぼヤトだと書いたが、かつての武士の都・鎌倉だけは違っていた。扇ガ谷、亀ヶ谷など歴史に登場する地も含め、ヤツ地名が五〇以上。ヤト地域である横須賀、逗子、藤沢に囲まれるようにしてヤツらは鎌倉を占拠していた。
いや、一か所ほころびがあった。横浜市金沢区だ。鎌倉の出入り口の一つ、朝比奈の切通しから鎌倉幕府の外港・平潟湾(金沢八景)へ抜けるルートにヤツらはいた。
港の先は房総半島…なるほど、義朝だったか!
源義朝…頼朝・義経の父親である。彼は房総半島で少年期を過ごし、土地の豪族たちから「上総御曹司」と呼ばれていた。その後、拠点を移して住んだのが鎌倉の亀ケ谷。
つまり、房総半島からヤツらを連れてきたのは義朝に違いない!
そう結論づけようとしたら、小田原にもヤツ地名が散らばっているのを見つけてしまった。
う〜ん、ヤット(谷戸)と謎が解けるところだったのに!厄介なヤツ(谷津)だ。
番外編につづく
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